婚約
クラウスが謹慎中、フィーネは未来の王妃になるための教育に駆り出されていた。
ギルバートが「よくある政略結婚というやつだよ」とこともなげに告げたそれに、フィーネは少しだけ戸惑いながらも頷いた。
かつて好いた人を忘れたわけではないけれど、あのように真っ直ぐに、ただ一人のために全てを擲つことができる人が他にいるだろうか。そう考えると、心臓が大きく跳ねた気がした。
少し成長して年相応に見えるようになったフィーネは城内で目立った。
あれだけ小さいと馬鹿にしていた少女が、父親と母親の両方に似た女性へと変化してから周囲の見方も一気に変わる。
儚げな美貌に惹かれて側に寄ろうとする人間も現れたが、王太子妃が内定している彼女には近衛がついていたため、遠くから見つめるだけとなる。そして多くの場合その少女が「身分だけの幼令嬢」などと言われたフィーネだとは気付かれないままであった。
クラウスの謹慎が明けた頃、彼は母親に呼ばれて「婚約者が決まりました」と告げられる。微笑む母に、もう逃げられない事を察した彼は苦笑した。
(相手が誰であっても、敬意と親愛を持って接しよう)
長く追いかけた初恋相手が、きっと幸せになってくれる事だけは願っている。
けれど、いつまでもたった一人を追うことは身分が許さなかった。
今日、クラウスに会う為に来ていると言われて母に先導されて場内の部屋の一室へと向かった。
近衛が部屋の外で待っており、アーデルハイドとクラウスの姿を認めて敬礼した。
戸を叩いた後、開く。
まずギルバートが目に入って目を見開いた。彼が頭を下げてそっと下がるとそこに佇んでいたのは、クラウスが焦がれてならない少女だった。
背は少し伸びただろうか。困ったように笑う顔は初めて出会った時と一緒だ。愛らしく自分を見つめる瞳にくらりとする。
名前を呼ぼうとして、アーデルハイドに足を踏まれた。
「挨拶を」
短くそう言って優美に微笑むアーデルハイドに一礼してフィーネはクラウスを見つめた。
「グレイヴ公爵家が三女、フィーネでございます。末永く、よろしくお願いいたします」
彼女を婚約者だと実感した瞬間、我慢ができなくなって思わず抱きしめる。母からの叱るような声音も耳に入らなかった。
「フィーネ」
いきなり抱きしめられて驚いたような顔をしていた彼女は、優しい声音で紡がれた自らの名に、微笑みながら「はい、クラウス殿下」と言う。
惜しむようにそっと離された腕。フィーネがクラウスを見上げれば、嬉しくて、愛しくてたまらないといった表情で見つめられる。
「私と、結婚してくれるか?」
「はい」
周囲は微笑ましげに二人を見つめている。
「ですが、殿下。ひとつだけ、お願いがございます」
「うん。何かな」
一瞬だけ寂しそうな顔をした彼女はクラウスの手を取った。
「わたくしより、長生きをしてくださいませ」
その言葉に、クラウスは頷いた。