ガラスの靴はもういらない 1
ゆっくりと少女が瞳を開く。
泣きそうな顔で笑うリオンハルトと、ホッとしたような顔で涙を溢すディアナ、その肩を抱き寄せるギルバード。
掠れたような声で少女…フィーネは呟いた。
「クリス様が」
その名前に空気が凍る。
クリストファーが亡くなってからどのくらいの時間が経っていたとしても、その後から眠り続けていた彼女にとってはまだ昨日の話である。
また眠りに落ちてしまうかもしれないと、リオンハルトは手を強く握りなおす。
「リオン様、クリス様ってばわたくしに生きろって言うの」
ふふ、と笑い声が漏れる。小さな声で「酷い方ね」と呟いた。
「フィーネ嬢、それは……」
「けれど、きっとわたくしが逆の立場でも同じこと、願ってしまうわね」
寂しそうに微笑むフィーネに、「そうですね」とリオンハルトは眉を下げた。
フィーネが幸せなら、自分が隣に立っていなくても構わない。そう思っていたリオンハルトだったが、共に生きる覚悟が必要だったのだろうか、と考える。
「フィーネ、身体は平気かい?」
「お父様…はい。けれど、まだすこし」
疲れていて、とうつらうつら話す彼女に、ギルバードは「今はゆっくり眠りなさい。お父様とお母様が側にいるよ」と優しく口に出した。
リオンハルトは「ギルバードってこんなに優しい声出るんですね」とうっかり思考が飛んだ。
翌日には、しっかりと目が覚めたフィーネは申し訳なさそうに「ご迷惑をおかけいたしましたわ」と口に出す。
カリオンに首根っこ引っ掴まれたベルはびゃーびゃー泣きながら「ごめんなさいー!!あれが一番だって思ったんだものぉ!!」と謝っていた。その行為のおかげでフィーネはクリストファーの葬儀に参列しておらず、王の魔の手にかかっていないのだからギルバードも少し困った顔をした。絶望で判断能力が鈍った彼女を閉じ込める手筈になっていたと知ったグレイヴ夫妻はガチ切れしていた。
「無理はしてはダメよ」
「もう大丈夫ですわ、お母様」
顔色も心なし良くなった気がするフィーネに、「であれば、フィーネを連れて行くべきではないかな」とジュードがにっこり笑顔で告げる。
(リリィお姉様に心配かけたから怒ってるぅ……)
フィーネは少し顔を青くする。
笑顔は安心感を与えるだけではないのだと身をもって感じている彼女は、「何かございましたの?」とギルバードの顔を見た。
「フィンが気にすることなど何もないよ」
「義父上殿、そうやって危険から遠ざけるだけが愛ではないのでは?」
「父親という生き物は、娘が傷つく理由はどんな労苦を払ってでも出来るだけ消してしまいたい愚かな生き物なんだよ」
リリィの事も含むよ、とサラリと言ったギルバードにジュードは溜め息を吐いた。
「僕は彼女の能力を考えても万全を期すために連れて行く事を勧めるけどね」
「わたくしに、できることがあるのですね」
大人しく話を聞いていたフィーネがそう言って口元に笑みをつくった。
「ならば、連れて行ってくださいませ」
「フィーネ嬢、それはできません」
「でしたら、わたくし今から王城へ向かいます」
皆が一斉に彼女の名前を呼ぶ。
「わたくしだって聖者ではありませんのよ?」
フィーネだって、ただ悲しいだけではない。怒りだってある。復讐心だってあるし、それを成す手段だって持っていないわけではない。失敗すれば貴族の子女として生きていけないだけの傷を負うかもしれないが、少なくともそれでもどうにかしてやりたいと願う程度にはグノーシアとパーシヴァルを憎んでいた。
「ね、それに比べればなんてことないのではありませんこと?」
そう言って扇を開いて微笑んだフィーネを、仕方なくではあるが彼らは連れて行くことになったのである。