その荊が消えるまで 1
「フィーネが目覚めない?」
「はい。妖精石と似たような結晶が身体を覆い、家族以外では触れることも叶わない状態となっています」
帰宅したギルバードにディアナが努めて冷静に伝える。一瞬だけ、悲しそうな光を灯したアイスブルーの瞳が瞬時に見るものを凍らせるようなものへと変化した。
「口実ができたな。ディアナ、リリアナたちと一緒に急いで領地へ向かってくれ。身重のリリアナには酷だろうが、今の状態であれば王都よりも安全なはずだ」
「アルヴィンは」
「こちらでクラウス殿下の補佐につける。ヒュバードがいないのが痛いが……レオナールを君たちにつければなんとかなるな」
「分かりましたわ。ギル、無理しないでね」
「ああ。……君には苦労をかける」
「いいえ。あなたとわたくしたちの可愛い子のためですもの」
柔らかに微笑んだ妻に、ギルバードは苦笑した。
そして、幼い日に亡くなった母を思い出す。
フィーネと似ていたその女性は、小柄でお転婆な人だった。
魔力が非常に高かったが身体が弱く、すぐに寝込んでいたために前公爵はいつもハラハラしながら彼女を諫めていた。
これは公爵家内で秘匿されていた事であるが、彼女は本来一人につき一つの属性であるという魔法の原則から外れており、何種類かの魔法を使えたそうだ。特に、光の力が強かったとされているが、本当のところはどうだったかまでは知り得ない話だ。
弱い身体と強すぎる魔力のせいで次第に身体が耐えられなくなり、リーディアナ・グレイヴは亡くなった。そして、その際に見た光景はギルバードの中で忘れ難いものだった。
……女神と見紛うほどの美しい金色の光を纏う女性と、星のない夜のような髪と力強い紫色の瞳を持つ青年。
その周囲に赤・青・緑・オレンジの妖精が佇む。
花を抱えた彼らは、「迎えに来たわ」と優しく「何か」の手を取るように動いた。
連れていかれる、と思ったギルバードはリーディアナの前に立って「母上を連れていかないで」と泣いた。
彼が家族の目の前で泣いたのはきっと、その日が最後だ。
だから母に似た子…魔力が非常に強い我が子が生まれた時、ギルバードは覚悟を決めた。
きっと強すぎるほど魔力を得るだろう我が子にその力を扱えるだけの技量を持たせなくてはいけない。受け止める器を大きくしなくてはいけない。
だからこそ魔法に関しては後継の息子以上に教育に気を配った。
身体が丈夫だったことは幸いであった。
にも関わらず、母と同じように娘も結晶化した魔力の繭で眠るように瞳を閉じている。
「どれだけの地位を得ても、名声を得ても、娘すら助けられないのか」
壁に拳を打ち付けようとして、寸止めした。
物に当たる姿を眠っているとはいえ我が子に見られたくはないなと苦笑する。
妖精石のようなそれに触れて、娘に話しかける。
「いつでも帰っておいで。私たちも、フィーネを愛しているよ」
部屋に優しく、悲しげに響く声。
ギルバードはクリストファーを失った事は大きな損失だった事を改めて感じる。
「……さっさと出て行ってしまおうかと思っていたが」
昔から問題を起こす男ではあったが、パーシヴァルはどこか憎めないところもあったのだ。手を振りながら必死に走ってくる幼馴染の目が変わって行ったのはいつからだったろうか。
最後まで追い詰めはしなかった事を今ほど後悔することはないだろう。
──向こうがその気ならば徹底的にやらないと、ね?
ギルバードの手の中で緑色の石が輝いた。それは彼の最愛の妻が贈ってくれたものである。
何羽かの鳥が彼の周囲に現れる。
「行け」
彼の持つ情報を抱えて、鳥たちは飛び立った。