06.魔王のささやき、ヴォルフの決断
逃げちゃえよ。
そんな風にささやかれて、ヴォルフガングがどういう選択をするか。本当は分かっていたけれど、逃げ道くらいあってもいいとヨルは思う。
「逃げる、か。そんな選択肢もあるのかもしれんな」
娘を連れて逃げろというヨルの言葉にヴォルフガングが呟く。
返事というより自らに話しかけているようだ。
サフィア国王はヴォルフガングを切り捨てている。
“魔人殺し”の将軍に無謀な作戦を命じ、捕虜になった後は身代金も払わない。そんなことがまかり通ったということは、サフィア国の中枢はヴォルフガングを排斥し、魔人を招き入れたいと考える王の賛同者が牛耳っているのだろう。
「支払いの勘定に含められる民が哀れなのは分かる。だがこれはヴォルフ一人が頑張ってどうにかなる問題じゃない。あらゆる幸運が味方してベルヴェーヌの魔人を殺し、ミハエリスを追い返し、街を取り戻せたとしてその先はどうなる? 国王は考えを改めて、ザウラーン帝国と手を切ってくれるのか?」
ヨルたちが手を貸せば、ベルヴェーヌの奪還は可能かもしれない。だがその先は?
国民を犠牲にして魔人を雇い、明らかに国力で勝る聖ヘキサ教国に戦争を仕掛けるなんて判断をする国王が、たった一度の勝利で満足するはずがない。勝利を手土産にヴォルフガングが言葉を尽くしたとして、考えを変えるはずがないではないか。
(どうにかするには反乱でも起こすしかないと思うんだよな。“民を魔人のエサに差し出す王は不要”とか言えばお題目的には成り立ちそうだけど。
でもなぁ、反乱を起こそうって時点で政権は不安定だ。民心が乱れればその不満は旗印に集まりやすい。しかもヴォルフは平民の出で一度、現王に切り捨てられている。
歴史的に見ても簒奪者が幸せになれる可能性は低いのに、ヴォルフの立ち位置は余りに微妙だ……)
エンブラッド大湿原で、酔っぱらって歌っていたヴォルフガングを思い出す。
あの時のヴォルフガングはただの愉快なオッサンだった。それじゃダメなのか。
娘だけ連れて逃げて、どこかの田舎でハンターでもして暮らせばいいじゃないか。
そんなこと、ヨルが言葉にするまでもなく、ヴォルフガングは分かっているのだろう。
「見捨てられぬ」
そう短く答えたヴォルフガングに、ヨルはこれ以上かける言葉を見つけられなかった。
「ヨルよ、ここで別れだ。“なすべきことを成せ”。その命に従う時が来た。
これまで与えられてきた役職、権限、恩給。その全てはサフィア国民の血と汗の結晶だ。それをすすってきた俺が、民に報いぬわけにはいかぬ。
天に神がいるかは知らぬ。だが俺の戦う力は、俺ただ一人のために与えられたものではないと思うのだ。俺の手は短く、及ぶ力は限られていようとも、手の届く限りの人々を守り救うために貸し与えられたにすぎないと、そのように信じているのだ。
俺は“魔人殺し”。例え王の決定だろうと、魔人に民が食い殺されるのを看過することはできない。
……お主に言うセリフではないがな」
そう言えば、ヴォルフガングの隷属の首輪を壊した時にそんな命令をした。
(まるで生贄だ。世界の犠牲にするために、命じたわけではないというのに)
そう思ってしまったのは、シューデルバイツの記憶がある故だろうか。
できれば個人の幸福を優先して欲しかったけれど、ヴォルフガングがそれを使命と定めるならヨルに止めることはできない。
「あのあたりには知古もおる、サフィア王国とて一枚岩ではないのでな。なに、諦めなければ案外、道は開けるものだ。ヨルには世話になった。この恩は忘れぬ」
ヨルの表情に変化はなかったはずだけれど、残念に思う気持ちに気付かれたのか、ヴォルフガングがニヤリと笑う。
馬鹿な男だ。優しい男だ。きっとヴォルフガングは本当の意味で強い男なのだろう。
この男の強がりに、ヨルは報いてやりたいと思った。
「分かった。だが多少の手助けはさせてくれ。ライラヴァル、安寧卿ミハエリスをグリマリオンに引き付けるぞ」
今は『槍の月』で『移ろい月』はすでにかけ始めている。世界に満ちる魔素量は少なく、魔人が大人しくなる時期だ。
ザウラーン帝国の魔人部隊がベルヴェーヌ奪還に投入される可能性が高いのは、次に『移ろい月』が満ちる『盾の月』の半ば頃が濃厚だろう。
「はい、ヨルさま、お馬鹿さんなミハエリスのこと、グリマリオンで騒ぎを起こせば、簡単に釣れると思いますわ。
ですが問題はヴォルフ将軍のほう。ここグリマリオンからベルヴェーヌに行くにはゴールデンクレスト山脈の北側を魔素枯渇地帯を避けて迂回する街道しかありません。しかもベルヴェーヌの手前には安寧卿のいる領都ソルスタークがあります。ミハエリスを上手くやり過ごせたとして将軍とその部下だけで領都の警備を抜けてベルヴェーヌに辿り着くのは至難かと」
(あー、道が一本だからミハエリスとかち合う可能性が高いし、途中で検問とかあるのか。ヴォルフ達は少人数だ、使われていない街道なんかがあればいいんだが。歩きにくい道でも、駄チョウなら走破できるだろうし)
ライラヴァルは聖ヘキサ教国の枢機卿。その見立ては正確だろう。
だが、重要な鉱山と領都を繋ぐ街道だ。整備される前に使われていた古い街道などはないのだろうか。こちらにはイケてる荷運び蟹に惹かれて付いて来た駄チョウがいる。数もヴォルフ達より1匹多い。
「本当に他に道はないのか?」
「ギョーウ」「ギョギョギョギョギョ」
ヨルの視線を感じたのか、駄チョウたちが無駄鳴きを始める。
本当に躾のできないトリである。
こいつらなら、使われていない草ボーボーの廃道を、文字通り道草を餌に喰いながらご機嫌ハッピーに駆け抜けるのに。
騒がしい駄チョウを眺めながらヨルが考えていたのはその程度のことだったのだが。
「駄チョウ……。確かに駄チョウがいるなら……。なるほど、承知しましたわ。ヨル様の仰せのままに!」
(え、なにが?)
駄チョウとにらめっこをしながらぶつくさ言っているなと思ったら、ライラヴァルがはじけるように承諾の意を示した。
一体何を承知したのか。ヨルは何も言っていないのに放置し過ぎて幻聴が聞こえ始めたのではなかろうか。
少々心配になったヨルだったが。
「人間には到底超えられないゴールデンクレスト山脈も、身体能力極振りの駄チョウならば踏破可能。絶滅したと思われている駄チョウを使って山越えなんて、ゴールデンクレスト山脈を難攻不落の防壁と信じるサフィア王国はもちろん、ミハエリスだって思いもよりませんわ! そもそも魔素枯渇地帯を超えるだなんて発想、常人にできようはずがございませんもの! さすがはヨル様! どうしてこんな眼球より脳の方が小さいトリを目覚めさせたのか不思議に思っておりましたけれど、ここまでお考えだったのですね!」
「そうです。ヨルさまは、すごいのです!」
「すごいにゃー」
「……なるほど。それならば、一筋の光明が見えるというもの」
(え、ヤメテ? みんなの中の魔王サマが偉すぎて、俺、居たたまれない)
駄チョウが鳴くから見ていただけなのに、どうしてこうなったのか。
あと、ヴォルフガング。全くの無策無謀で見捨てられないとか言っていたのか。
さっきまでの感慨を返せと言いたい。
イケオジだから切れ者感があったけれど、駄チョウ並みの脳筋なのか。道理で捕虜になったりアリシアにこき使われたり、浄罪の塔に捕らえられていたりするわけだ。
ヨルは、急にヴォルフガングの将来が心配になってきた。
「ライラヴァル、綿密に計画を立ててくれ。綿密にな」
大事なことだから2回言っちゃうぞ。
――次に再会した時もまた、どっかの牢屋だとか嫌だからな。
ヨルの心の声はおそらく聞こえていないけれど、ライラヴァルは「お任せください!」ととてもいい返事をしてくれて、詳細な計画を立ててくれた。
その結果が、ヨルたちによるグリマリオン鉱山襲撃だったのだ。
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