027.魔女王ラーマナ
「咲那は眠ったまま変わりないわ。因が海にダイブしてから、まだ1日しかたってない。会社には火災の後遺症が見られるから検査入院って伝えてる。まだ無職にはなってないわよ」
「そうか……」
真那の話にひとまず因は安堵する。
時間の流れは気になるところだが、今、優先すべきことは、咲那を眠り姫の病から救う鍵、“魔力”だ。
「で、魔力だけど、ずばりコレね?」
「ケーキ?」
真那はこの真っ白な部屋でやたらと存在を主張しているケーキの山を指さした。
普通のケーキに見えるのだが、一体どういうことだろう。因だってケーキくらい食べたことがある。
「こういう手間暇、つまりはエネルギーをかけて作られた食品を摂取することで、製造に要したエネルギー分を魔力に変換する術式を構築したの。純度の高い物質しかり、規則性の高い状態しかりよ。
イメージとしては高純度な物質が分かりやすいかしら、99.99%の純度の試薬とかあるじゃない。あれ、純度が一桁上がると値段も一桁くらい上がるのよ。それだけ作るのにコストがかかるからなのだけど、例えばそれが食用可能な物質だった場合、食べたとしても摂取エネルギーとしては99.999%でも99.99%でもほとんど変わりないわけよ。じゃあ、純度を上げるのに使われたエネルギーはどこに消えたのか、ってところが着想かしらね。
まぁ、魔力を取り出す場合、カロリーとして摂取しなければいけないから、見目麗しく飾られた料理、特にケーキが効率いいわけね」
分かるような分からないような理屈だ。あと、試薬はそれだけの純度が必要なわけで、ほとんど変わらないというのは暴論だと思う。
純度はともかく、真那はケーキを食って魔力を補給できるらしい。
「なんだかエントロピーが増大するのに似ているな」
「感覚としては似ているわね。でもケーキのエントロピーはむしろ高いでしょう?」
(……そうだっけ?
そういえば、エントロピーが増大するのは部屋が散らかるようなもの、と習ったことがあったような。だったら、ごちゃごちゃしているケーキというのはエントロピーが高いのか? てか、感覚として似てるのか???)
余計わからなくなってきた。よくわからないときは、とりあえずアルカイックスマイルだ。
ニヤリと笑って黙っていれば、意外と何とかなるものだ。ニヤリ。
「あぁ。こちらでも魔力が得られることは分かった。……魔力は脂肪として蓄えるのか?」
「そうね」
それはそうなんだ。理屈はさっぱり分からないが、真那が太っている時は魔力が溜まっているらしい。
うちの子は天才なのだ。真那が出来るというならできるのだ。
それにしても魔力を蓄えるためとはいえ、体を張りすぎではなかろうか。ちょっと健康が心配だ。
今の真那が痩せているのは、因を日本に呼び戻すのに魔力を使ったからだろうから、ダイエットは簡単なのかもしれないが。
思考がそれてしまったが、真那は3度呼び戻したと言っていた。
1度目は火災現場で死にかけた時。
マグスではヴォルフガングに刺されて廃坑の底に落下して、この病院で目が覚めた。おそらくこの時、真那は長年蓄えた魔力を使って呼び戻したのだろう。
2回目はライラヴァルに魔滅の聖典を使われて、夜の港で目覚めた時。この時、真那は痩せていて魔力の蓄えがあまりなかった。あの時見た真那は息も絶え絶えの様子だったし、一瞬しか戻ってこられなかったのは、魔力不足によるものではないか。
そして3回目が今だ。
しかし、どうしてこのタイミングなのか。
魔王シューデルバイツの肉体は健在だし、真那の魔力も補給中、呼び戻そうとしたようにも見えない。
「今回の帰還は、真那の想定内なのか?」
「いいえ。見ての通りこの部屋には、因の帰還を促す術式を張り巡らせてある。微弱ながら魔力は送っていたけれど、それは肉体と魂の接続を維持する程度のもので、引き戻すほどの魔力は今の私には戻っていない」
それでは一体どうして……。
今回の帰還の原因についてさらに質問を続けようとした矢先、真那のスマホが震え着信を知らせた。
「えぇ、えぇ。分かったわ」
「なんだ?」
因を見ながら話しているから、関係のある内容なのだろう。何事かという因の問いに、スマホを切った真那こう告げた。
「因、ほんの一瞬だけど……咲那が目を覚ましたそうよ」
■□■
因が咲那の下へ駆けださなかったのは、「落ち着いて、もう眠ってしまっているから!」という真那の制止もあったが、点滴やらなんやらの管や線のせいだろう。
漫画などでは点滴の針を自分で引き抜いたりするのだろうが、実際に見ると躊躇する。
ナースコールで看護師さんを呼んで取ってもらいたいところだが、呼べば話は中断だ。
「今回の帰還について、真那の意見を聞きたい」
今すべき最善は情報の収集だろうと。因は真那との会話を選んだ。
「その前に、これまでのこと……まずはここに来る直前どこにいたのか聞かせてくれる?」
「メリフロンド、エレレたちの研究所跡地にできた街だ。あの一帯はエンブラッド大湿原という湿地帯になっていて、水鏡のような湖面が見事だったぞ」
「水鏡……。ウユニ塩湖みたいな?」
「あぁ、そうだな。それが?」
真那は宙を睨むように目をすがめ、何事かを考える。
その様子は、思索を巡らせているときの魔女王ラーマナの仕草そのもので、真那はラーマナなのだなと、在りし日の姿が重なって見えた。
しばしの逡巡の後に、真那は因を見つめる。彼女の中で、結論が出たのだろう。
「最初は私たち……ラーマナたちが作り上げた『秘術』が失敗したのかと思っていたけれど、おそらくはそうじゃない。
因は、いいえ、ヨルムはマグスへ呼ばれたのよ。このタイミングで戻ってこれたのは、ヨルムを強く呼んでいた力が薄れたから。
さっき目覚めた咲那は、再び眠りにつく前にこう言ったそうよ。
“ヨルとウユニ塩湖に行く夢をみた。上にも下にも広がる星空の中、浮かんでいるみたいだった”って。心当たりがあるんじゃない?」
真那のその言葉に、因の心臓が嫌な音を立てた。
心当たりがあるなんてものじゃない。その景色は、エンブラッド大湿原で、ドリスと共に見たものだ。
あの時ヨルは、咲那のことを思い出していた。あの場にいるのはドリスなのに、咲那と共にいつか行こうと約束したウユニ塩湖に来たようだと、そんな風に考えたのだ。
そのドリスは、状態異常回復と共に別人となってしまった。
彼女の中にいたのは一体誰だったのか。
魔王シューデルバイツが、同じ時間を生き、共に輪廻を巡りたいと願ったたった一人の女性。その人は一体誰か。
予想なら、とっくの昔についている。本当は自覚だってあったのだ。
だがそれを知ってしまうのは、平凡な人生を20数年しか生きていない田口因にはあまりに恐ろしいことだった。
意を決した因は、重い口を開き、真那に問うた。
「俺は、……シューデルバイツなんだな」
「あの肉体に入れる魂なんて一つしかないわ」
「……咲那は、サラエナの生まれ変わりなのか?」
因の問いに、真那は「もう、分かっているんでしょう?」と答えた。
「魔王シューデルバイツの魂を呼び戻せる者なんて、他に誰がいるっていうの」と。
自分だけなら構わなかった。自分が不滅の魔王だったなどと、とても受け止めきれるものではないが、それでも魔王が記憶を記録として小刻みに引き継いでくれたおかげで、矮小な田口因のままでいることができた。
けれど、まさか咲那が。サラエナが。現世でも前世でも変わらず大切なたった一人の女性が、巻き込まれているなどと……。
咲那がサラエナだというのなら、あそこにいたドリスは誰なのか。解毒をして別人になる前の彼女は、サラエナではなかったのか。
サラエナが、咲那として生まれ変わってここにいるのに、異世界マグスにも存在しているということか。現世と前世を行き来する、因のように。
「咲那が頻繁に意識を失う眠り姫の病。その原因はもしかして……」
「分からない。けれど可能性は高いわね」
因の疑問を真那は肯定するけれど、最も聞きたいことは、認めたくないことはそこではない。
病室を沈黙が満たす。
聞きたくない。その可能性すら考えたくない。
「……どうしてサラエナがマグスにいるんだ。聖歴839年だぞ? どうして、人間であるサラエナが!」
因の問いに真那は答えない。これは推測で答えていいものではないからだ。
嫌な予感なら、咲那の夢の話を聞いた時からずっと続いている。予想なら、聞かなくともついているのだ。
「……戻らないと」
――助けて、と呼ぶ声が聞こえる。
そう、“助けて”と呼ばれたのだ。初めてマグスを訪れた、あの燃え盛る炎の中で。
「そうだ、あの時俺は確かに聞いた……」
いくら因が良識ある男でも、知らぬ誰かに助けを求められ、燃え盛る炎の中に飛び込むだろうか。けれどあの時、因を読んだ声、それがサラエナのものならば、迷わず飛び込んだことも理解ができた。
「サラエナが……咲那が助けを求めている。今も俺を呼んでいる」
「因、落ち着いて! いけない、魔力が乱れて……。因の存在が……」
――あぁ、頭がくらくらする。真っ白の世界が回って、何も見えない。
この病室は異なる世界のはざまのようで、上も下も、時間の流れもめちゃくちゃな、人間には知覚できない次元のようだ。
それでも一つだけ分かるのだ。
呼ぶ声が聞こえるのだ。
「因、メルフィス城へ行って! そこにゼノンがいる。きっと力になってくれるはず。そのために彼は、一人マグスに残ったのだから!」
薄れゆく意識の中で、真那の声が遠く響いた。
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