022.騒乱の始まり
――銀髪の国母に蜃気楼がかかる。
伝言というよりは、暗号に近い、短いフレーズ。
ヤバリオの逃走を助けた人物は、例え噂話となってでもヴォルフガングに届けばと、この言葉を託したのかもしれない。
「伝言の意味がわかりゃー、金になるかもしんねーけどさ。ちっともわかんねーんだわ、ヤベー」
「あまり危険なことに首を突っ込むな。ほら、面白い話を聞かせてもらった礼だ、もってけ」
「ヒョウ、アンちゃん気前がいいね! メリフロンドに戻ってまた鉱山送りになったらヤベーし、どっか新天地でも見つけっか!」
ヨルが銀貨を数枚握らせると、ヤバリオはぴょんと立ち上がる。命を救った上に話の駄賃としては与えすぎな金額だが、伝言分を上乗せだ。
「んじゃ、アンちゃんたち、またな!」
「はにゃっ!? ミーニャのおさかにゃー!」
銀貨を懐に入れたヤバリオは、ニャン子を欺く素早さで焚火に残る焼き魚をかっさらい、振り返りもせず去っていった。本当に逞しいやつだ。
焼き魚をとられたミーニャは毛を逆立てて怒っていたが、この世界を旅していれば、またどこかで会えるかもしれない。その時に、猫パンチを喰らわせてやればいい。
「……それでヴォルフ、伝言の意味はなんだ? “銀髪の国母に蜃気楼がかかる”だったか」
「ヴォンゲンの国の王妃の髪の色なんて、どうでもいいことなのです」
「ミーニャ、しんきろう、知ってるにゃ。砂の国のまぼろしにゃん」
「つまり、ヴォンゲンの国の王妃はまぼろしってことですね。意味不明です」
「二人とも、ちょっと静かにしてようか」
好き勝手言うチビッコ二人に少し気持ちがほぐれたのか、ヴォルフガングの表情がほんの少し柔らかくなる。
「サフィア王国では王の母を国母とは呼ばん。国の母と称すのは、国土に恵みをもたらす母なる湖セルフィア湖だろう。そしてセルフィア湖の銀の髪、それはおそらくベルヴェル葦、別名シルバーリーフと呼ばれる植物だ」
ベルヴェル葦は、セルフィア湖北部にしか生息しない植物で、収穫期になると葉が銀色に変わる。この植物から採れる繊維からは光沢のある美しい糸が紡げるという。“絹糸のような髪”という表現があるが、この辺りでは“ベルヴェル糸のような髪”と女性の美しい髪をたたえる言葉に使われるのだとか。
「ベルヴェル葦の紡績や織物が盛んな街がベルヴェーヌでな。先の戦以来、聖ヘキサ教国に併合された街だ。そして蜃気楼……。おそらくはナフトラリア大砂漠にあるザウラーン帝国を指すのだろう」
「ザウラーン帝国……。好戦的な軍事国家だったな」
聖ヘキサ教国が、対人戦最強の安寧卿ミハエリスを守護に当たらせるくらい、危険な国だったはずだ。軍事的に強国とは言えないあるサフィア王国が侵略されずにこられたのは、地理的に有利な場所だったに過ぎない。特に砂漠の民であるザウラーン帝国にとっては、水棲魔獣の棲むセルフィア湖は難攻不落だったのだろう。
「先代の陛下はザウラーン帝国の危険性を十二分に理解しておられた。しかし、現王は……。
砂漠には凶悪な魔獣が多い。過酷な土地で人々が頼るのは、圧倒的な強者なのだろう。あの国の兵団は、魔獣から街を守る代わりに税と称して多額の報酬を要求する。皇帝直属の兵団とされるが、実体は傭兵に近く他国に雇われることもあるという。
その名を、サラーブ兵団。なんでも蜃気楼を意味するそうだ。
十数人の小隊単位で行動するが、戦力の中核は2,3人の、……魔人だという」
「“銀髪の国母に蜃気楼がかかる”ね。ベルヴェール奪還にサラーブ兵団を雇ったか。だが、俺が言うのもなんだが、魔人なんて雇い入れるか?」
「そこまで暗愚でないと信じたいところだが……。いずれにせよ、祖国の危機だ。この伝言の真意を確かめねばなるまい。
それに、……部下たちは、サフィア王国へ帰ったはずだ。なぜ、鉱山などに……」
ヴォルフガングが捕虜となった先の戦い。あの無謀な戦いで、ヴォルフガングは少しでも多くの部下が生きて故郷に帰れるように、踏みとどまって戦ったのだ。捕まった兵士たちも、ヴォルフガングを除けば、サフィア王国に帰ったはずだ。
なのになぜ、鉱山にヴォルフガングの部下がいるのか。
故郷に向かう途中で知った、サフィア王国のきな臭い状況に、ヴォルフガングの顔が曇る。
ライツ葬送に行けば、真実の一端を知れるだろう。幸いにも目的地はここから近い。ヨルの視力なら大湿原の向こうにその存在を視認できる距離だ。
「問題は、どうやって侵入するかだな」
万一バレた場合に、善良な市民代表のドリスに迷惑が掛からないようにしたい。ノルドワイズでは、ちょっと大暴れしすぎたのだ。ルーティエが。
前回のような無計画はよろしくないと、ヨルは頭を悩ませる。
「ヨルさまを困らせるとは。しばしお待ちいただければルーティエの本体でバーンと……」
「にゃーん!」
「駄目だぞ。本体は城を護ってなさい」
いやマジで。ルーティエ本体をステイさせるために頭をひねっているというのに。
あと、駄ネコが退屈しているのか、ルーティエの「バーン」に合わせて両腕をぱーんと上げて奇声を発している。「にゃーん」じゃねぇよ。
「だが、混乱に乗じてというのは悪くない。例えば夜に、魔獣狩りと称してバーンと魔術を……」
「にゃーん!」
今度はヨルの「バーン」に合わせてミーニャが万歳鳴きをした瞬間。
バーン!
『ライツ葬送』の外壁の一角が、轟音と共に吹っ飛んだ。
同時に3人の視線がヨルに集まる。まるで、犯人だと言いたげだ。
「……夜襲ではなかったか?」
「さすがはヨル様です!」
「にゃーん!」
「いや、俺は何もしてないぞ!?」
多分してない。してないはずだ。魔王ボディーはイマイチ信用ならないが、タイミング的には駄ネコが犯人ではないか。
「にゃーん! にゃーん!」
ほれ、両手を万歳したまま、ピョコピョコジャンプまでして喜んでいるじゃないか。
「にゃーん! エビさんいっぱいにゃーん!」
「え゛!?」
慌てて振り返ってみると、破壊による粉塵と水煙の入り混じる中から、さらに激しい水煙を立てて大量のグロースプラガーが溢れ出していた。
■□■
「あ゛ぁー。カ・イ・テ・キ。これで晴れ模様ならもっといいのに。まぁ、日焼けをせずに済んでラッキーってトコロかしら?」
メリフロンド一の高級リゾートホテルで、ライラヴァルはラグジュアリーなくつろぎタイムを満喫していた。
住居もホテルも穴蔵のように狭いメリフロンドにおいて、この高級リゾートホテルだけは別世界だ。すべての客室からはエンブラッド大湿原を一望できるし、プールはプライベートビーチに面している。庭の植生は手入れが行き届いていて、遊泳さえできるようにビーチ周辺は魔導具の結界と警備に雇われたハンターたちが完璧に稼働している。
ライラヴァルがいるプール横の庭園のコテージはエステサロンになっていて、いつもであれば開放的な窓から青い空とそれを映す湖面を眺めながらエステやマッサージを受けることができる。
今日はあいにくの曇天で、大湿原ならではの湿度が増して、じめつく肌が若干不快だ。だからこそ、ライラヴァルは不快感を払拭しようとエステサロンに繰り出したのだ。
ベッドに横たわるライラヴァルの背に、セラピストが丁寧な手つきで温かいオイルを塗り広げていく。筋肉だけでなく、心身の緊張までもじんわりほぐされていく心地よさを、時折聞こえる水音とオイルから漂う花の香が一層深めていた。
「あぁん、あたし、ますます綺麗になっちゃう」
「お客様は、ケアの必要がないほどお美しいですわ」
「まっ、ありがと」
ここにヨルがいたならば、一体何を見せられているんだろうと虚無の表情になっただろう、ライラヴァルのご褒美タイムだが、バカンス目的でここに滞在しているわけではない。
(ヨルさま、まだお着きになっていないのかしら。この件は、直接お伝えしたいのに)
腐ってる……いや、腐っても枢機卿なライラヴァルからしてみれば、自らの主にして古の大魔王であるヨルならば、街で一番の宿に泊まって当然なのだ。だからこのホテルで滞在していれば、簡単にヨルと合流できると思っているのだ。こんな一泊で金貨が飛んでいくようなホテルに中身が庶民のヨルが泊るはずがない。
ふざけているとしか思えないライラヴァルだが、その瞳は冷静だ。
(ヨル様の存在が初めて確認されたのが、狂乱の月15日。ノルドワイズの南の森で、魔獣に襲われた輸送隊を弔い、近くの宿泊所の兵士に報告した件ね。1台分の『箱』を運ぶのに、襲われた馬車は2台なのよね。2台目の馬車がどこから何を運んできたのかってこともそうだけど、その存在を領主であるあたしが知らないのが大問題なのよう。
それより問題なのが、マンティコア。マンティコアなんて、あの森には生息してないのよ。
生息してないっていうなら、結界の魔導具を駄目にしてくれた魔ダニ。場所的に御子たちが暴れた時に魔導具に寄生したんでしょうけど、そもそも御子たちがどこで感染したのかってことよぅ。卵を貰っちゃったとして、前日。ヨルさまがいらした宿泊所しか考えられないのよねー)
魔ダニというのは脆弱だ。健康な生き物には取り付けないほど弱いし、環境への適応性も低い。しかしその分、卵の状態ではタフで、砂か埃かといった見た目の卵は年単位で生存が可能だ。そして、魔石などの抵抗力の低い魔力源に近づくと、数時間で孵化して増えるのだ。
(となると、容疑者は絞られちゃうんだけど……。動機がねー?)
これ以上は考えても仕方がない。デリケートな話題だけに、直接会って申し上げるのが良いだろうが、そもそもライラヴァルの杞憂ということもある。彼の敬愛する魔王が、身近に置く者の異変に気付かないとは思えないのだ。
ちゅうううう。
懸念を流し込むように、エステ終わりの美容ドリンクをキューっと飲み干すライラヴァル。
花やら果実やら氷やらで飾り立てられ見た目に対して飲める量が少ない、お高いドリンクだ。だがそれがいい。
ここで供される食事は、どれもでっかい皿の真ん中に、料理がちょこっと盛られているようなオサレ料理だ。ヨルなら「ほぼ皿やん」と突っ込みたくなるようなものばかりだし、それが何皿も何皿も出てくるから、果たしてこれは料理ではなく皿洗い代に金を払っているのではないかと考えそうになるのだが、それもまたいいのだ。それがラグジュアリーというものだ。たぶん。
「あら、やだわ。雨が降ってきたじゃないー」
日に焼けないのはいいけれど、大湿原の雨というのはジメジメしすぎていただけない。
降り出した雨に慌てたのだろうか、湖の方からざわめきが聞こえる。いや、それだけではない。湖の方からたくさんの魔力反応が近づいて来るではないか。
このホテルの人気の出し物、ハンターたちがグロースプラガーと戦うイベントだろうか。それにしては、魔物が多すぎる気がするが。
あまりの快適さに、完全に気が抜けきっていたライラヴァルが、ちょっぴりだけ気を入れなおしてプライベートビーチに歩みを進めた。それでライラヴァルが見たものは。
ザッパアーン。ギチギチギチギチ。
「きゃあああ! 助けてー!」
「ハンター! ハンターは何をしてる! 結界が破られたぞ!!」
「くそっ、こんな大量のグロースプラガー、一体どこから現れた!?」
水面を埋め尽くすほどにひしめき合い、結界を破ってリゾートホテルに雪崩れ込んでくる、グロースプラガーの集団だった。
黒くてぬめぬめ光ってて、手足とついでに触手がいっぱいな生き物が、ミチミチのワサワサで蠢いているのだ。
「ギャー! キモーイ!!!」
ライラヴァルが思わず叫んでしまったのも、致し方ないことだろう。
■□■
(……これはマズイかもしれん)
目の前で始まったエビエビパニックに、ヨルは一周回って冷静になっていた。
「……ドリスが、下層の教会にいる」
メリフロンドの下層には、別行動中のドリスがいる。早く助けに行かなければ。
「ヨル、ドリスを助けに行ってやれ。俺は、部下を見捨てておけぬ」
「あそこに行く気か、ヴォルフ。……あの状態だ、何も残っていないかもしれないんだぞ」
ドリスを助けに戻りたいヨルに対して、ヴォルフガングはライツ葬送への潜入を継続するというではないか。
この混乱はライツ葬送に侵入するには格好の機会だが、メリフロンドに向けて押し寄せるグロースプラガーの出所はライツ葬送で、未だ流出の勢いは衰えない。数十匹ならヴォルフの敵ではないが、数百は下らない物量だ。どう見たって自殺しに行くようなものではないか。
「図らずも得られた侵入の好機だ。逃す手はなかろう。それに、僅かな可能性にかけ、我が部下が命がけで託した伝言だ。僅かな手がかりも逃すわけにはいかん。なに、心配するな。俺には魔王殿より賜わった魔剣カルニフィクスがある。切れ味を試す良い機会ではないか?」
ヨルの迷いを察し、「魔王殿」とニヤリと笑って見せるヴォルフガング。確かに今向かわなければ、ライツ葬送にいるであろうヴォルフの部下は亡きがらも残さず食いつくされて、あの伝言の出所が誰かさえも分からなくなるだろう。だが、メリフロンド下層の協会に行くと出かけたドリスを放っておくこともできない。メリフロンド下層に暮らす、たくさんの人々もできることなら助けたい。
(またこのパターンか。俺にどちらかを選べと……いや、見捨てろというのか!?)
――いや、違う。それは、魔王シューデルバイツだって同じだったじゃないか。
彼はたった一人を選んで、そして、配下の魔人も、これからの世界に生まれてくるだろう、魔人も、魔獣も、人間も、すべて見捨ててしまったじゃないか――
だったら。今のヨルにとって大切な人だけ助けてもいいんじゃないか。
力なら、魔力ならば持っているのだ。ヴォルフガングの意識を刈り取り、ドリスを助けに行けばいい。
ヴォルフガングの部下を見捨てて、彼の故郷の未来も見捨てて。その結果、どれほどヴォルフガングに恨まれようと、サフィア王国の人間がどれほど死のうといいではないか――。
(……いいわけ、無いだろ! でも、俺には選べない……。選ばなければどちらも失ってしまうのに!)
魔王に肉体を持っていても彼は万能などではないのだ。彼の手は短くて、届く範囲はあまりに少ない。
無力さに苦悩するヨルに、思わぬ声がかけられた。
「ヨルさま、ヴォンゲンはルーティエがセキトで送っていきます」
「ルーティエ!?」
この発言には、ヴォルフガングも驚いた様子だ。
何しろ魔王様至上主義のルーティエだ。人間が何人死のうと、それこそ蟻の巣がつぶされたくらいの感覚しかない。それに、浄罪の塔の一件が余程ショックだったのだろう、あれ以来、ヨルから片時も離れようとしなかったのに。
そのルーティエが自らヴォルフガングが助けると言い出したのだ。
「ルーティエはヨルさまのおそばにいたいです。ずっと、おそばにいたいです。しかし、魔王様のおそばにいられる配下というのは、手足以上に役立てなければいけないと思うのです。
ルーティエは愚かなスライムで、ヨルさまのお気持ちもお考えも分かりません。ですが、ヨルさまにもう一つお体が合ったなら、ヴォンゲンも街もどちらも助けるはずです。ルーティエはヨルさまのおそばにいたい。だから、ルーティエがヴォンゲンを助けます」
ルーティエの成長が著しくて泣きそうだ。父の日とかにプレゼントをもらったお父さんはこんな気持ちになるのだろうか。
ヨルは小さくてけれど暖かいルーティエの手を握る。
「ありがとう、ルーティエ」
「はわわ! ヨ、ヨルさまっ、お、お、お任せください!」
思わずルーティエの小さな手を握ると、分かりやすく動揺していて可愛らしい。
たとえ魔王と言えど一人でやれることには限りがある。けれどこうして仲間が手を貸してくれるならずっと多くを助けられる。そんなこと、因よりもシューデルバイツの方がずっと分かっているはずなのに、彼はどうしてこの暖かい手を放してしまったのだろう。
(今はそんなことを考えている場合じゃないな)
少なくとも今ならば、大勢を救うことができるのだから。
「ルーティエはヴォルフと一緒に葬儀屋を頼む。ヴォルフの目的地付近に産卵場があるはずだ。できるだけ卵を潰してくれ」
「俺も確認次第殲滅に移る」
「お任せください!」
ヴォルフとルーティエの返事がとても頼もしい。二人は頼もしいのだが。
「にゃんで、えびさん出てきたにゃ?」
こてんと首をかしげるミーニャ。
え、そこ? 気付いてなかったの? てかヤバリオの話を聞いてなかったのか?
「ヴォルフ、ルーティエ、頼んだぞ!!!」
「おう!」
「はい!」
「にゃにゃっ!?」
駄ネコの疑問は勢いでねじ伏せ、ヨルはメリフロンドに向かって駆け出した。
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