021.逃げてきたエビの餌
ライラヴァルと別れたアリシアは、当初の目的を達成すべく魔導具街を目指した。
案内の少女が示した道を下っていくと、目的の場所へはすぐについた。
魔導具街の端にあるはずのグリムウィンダー魔導具店へ迷わず辿りついたのだから、回り道の様に思えた道筋は目的地に続くただの裏道だったのだろう。なるほどあの少女は正しく道案内をしてくれたようだ。
グリムウィンダー魔導具店の店主に魔晶石を見せて義眼への加工を依頼すると、二つ返事で受けてもらえた。魔晶石の質が極めて良いとかで、頑固と噂の魔導具師、グリムウィンダーの職人魂に火をつけたようだった。
義眼の製作費として提示された破格の金額を、アリシアは躊躇することなく支払った。
グリムウィンダーの腕は一流。価格に見合った価値があると、教えられてきたからだ。
出来上がった義眼は作り物とは思えない仕上がりだと聞く。魔晶石の質によるのだが、逸品であれば眼孔から取り出してみない限りは本物と見分けがつかない仕上がりになるとも。
(技術やサービスに対価を支払うのは、当たり前のことなのに……。どうしてあの時私はあの娘の手を握ったりしたのだろう)
アリシアは少し汚れた手の平を、粗末な服や痩せた身体を思い出す。
あの子は仕事を求めていたのに、アリシアには子供が働くという考えが微塵も思い浮かばなかった。子供が働かなければ暮らせない状況があると、知識としては知っていたのに、ちっとも理解していなかった。
(魔滅卿はあの子供に銀貨を1枚渡していましたね……)
アリシアにとってははした金だ。しかし、銀貨1枚稼ぐのに必要な労働を、アリシアは知らない。
義眼の製作費として要求されるがまま支払った金額。それが適正かすらも判断できない。
義眼の完成を待つ間、アリシアはグリムウィンダー魔導具店の中から魔導具街を眺める。
大通りはいかにも魔導具街と言った感じの混沌とした様子で、露天商が立ち並び、多くの品物が陳列されている。指輪や腕輪、ブローチと言ったアクセサリ―は身を護るタイプの魔導具だろうか。ここからでは何を売っているか分からないほどごちゃごちゃとした様子の店もある。
旅人を相手にしている店の品には、偽物も多いと聞く。同時に店を持てない駆け出しの魔導具師の作品や、訳アリの商品を安価で入手できるチャンスでもあるから、そういった破格値の商品を入手するため旅人たちで賑わうのだろう。
「――違う、誤解だ! それはジャンク品だと説明して……――!!」
近くで騒ぎが起こったようだ。詐欺だなんだと客が騒いで、衛兵が店主を取り押さえている。
あれは本当に詐欺なのだろうか。騒ぐ店主の言うように、訳アリの品だっただけではないか。それとも競合店の嫌がらせ――。
駆け付け正義を執行したい衝動を、アリシアはぐっとこらえる。
(ここは聖ヘキサ教国、咎人は、神の教えに基づき裁かれるはず。罪状に対して刑罰が苛烈だというのなら、この国を健全に保つためにそれが必要だということです。
罰が悪いのではない。罪を犯すことが無ければ、処罰を恐れることもないのですから。
あの者の罪、スリの少女の罪……。罪というものは、過ちというものは、世界に確かに存在している。なによりあってはならない教団の中にも……。それを白日の下にさらすこと、それこそが私のなすべきことです)
だから、些事にかまけている余裕はない。そのために、アリシアはここに来たのだ。
「ずっと待っていたのか? できたぞ。渾身の出来だ」
随分と長い間、思索にふけっていたらしい。グリムウィンダーの声に我に返ったアリシアは、念願の義眼を手に入れる。
(エウレチカ様……)
アリシアにとっての太陽、教皇エウレチカは盲目だ。ゆえに今の聖ヘキサ教国に日の光は届かない。
(エウレチカ様のお目が開けば、必ずやこの国の根幹に潜む闇を照らしてくださる)
メリフロンドの南に面した高い位置にある魔導具街からは、エンブラッド大湿原が見渡せる。
曇天が湖面に写り込む景観は光と影が混然としていて、まるでこの国のありようのようだ。
(この景色を教皇エウレチカ様が御覧になったなら、きっと……)
アリシアは二度と奪われないように、受け取った義眼を上着の内ポケットにしまい込む。
上空では随分風が早いのだろう、形を変えつつ流れる雲の合間から、さっと一筋の光が差した。
その光はまるで教皇エウレチカの威光のようだとアリシアが目を細めた瞬間、鏡のように凪いでいた湖面が激しく揺れて一面を覆いつくすほどの魔獣の姿が現れた。
■□■
「セキトにゃん、おさんぽごはん行くにゃんにゃ」
「キュキュ、キュイィ」
メリフロンドの外にある輸送獣の獣舎では、頼めば餌としてグローシュリンプと水を出してくれる。しかし、セキトのようなおりこうさんな輸送獣はヨルたちから貰った餌か自分で獲った餌しか食べないから、毎朝、門が開く頃にセキトを散歩に連れ出す。
ちなみに荷運び蟹たちは臆病な性格なのか、ヨルが魔王だと分かるのか、ヨルたちがやって来ると、みんな貝の中に引きこもるから、輸送獣の中はさながら巨大な貝殻置き場のようだ。勿論一番カッコイイのはセキトの黒い貝殻で、ヨルに連れられて出かけるセキトはどこか誇らしげにも見える。
「さぁ、セキト、好きに進めー」
ガショッ、シャキーン。
連れ出したセキトにお散歩GOの合図を出すと、ハサミをピッと上げて返事をする。
ミーニャ相手ならキューキュー鳴くのに、ヨル相手にはジェスチャーなのはなぜだろう。ミーニャに聞いてみたところ、「ケーイを払ってるんにゃ」とキリリとした表情で教えてくれた。
ケーイ、敬意か。ニャンコ語もヤドカリの感性も、今一つ分からない。
ザッバァーン。
セキトの敬意はともかくとして、ヨルのお許しを得るや目の前の湖沼に飛び込むセキト。
荷運び蟹タイプは、陸上行動しかできない個体が大半らしいが、ヨル自らスペシャルチューンを施したセキトは水陸両用だ。貝殻部分が酸素供給タンクと浮力調節機構を兼ねているらしく、水中を浮かぶも沈むも思いのままだ。
エンブラッド大湿原でのセキトのお気に入りは、貝殻をフロートにして水面をぷかぷか浮かぶスタイルだ。はたから見ると、白鳥の様な優雅さでスイィーと水面を移動しているのだが、水面下では足をしゃかこら動かして泳いでいる。この辺りも白鳥っぽいので、おすまし顔で泳ぐセキトが一層可愛らしく思える。
セキトはそうやって泳ぎまわりながら、適当な魚やエビを捕まえ、稀にエビの魔獣のグロースプラガーを返り討ちにしながらお散歩ごはんを満喫する。
ちなみに今日のお散歩メンバーは、ヨルとルーティエ、ミーニャにヴォルフガング。ドリスは教会に用事があるとかで、昨日に引き続き別行動だ。
「うむ、網を取り付けたのは正解だったな。逃げ遅れた魚が面白いほどかかるわい」
「ヴォルフ、漁師にでも転職するつもりか?」
「畏れ多くもヨルさまの荷運び蟹に網を引かせるなんて、ヴォンゲン自ら餌になればいいのです」
「おっさかにゃははぁー」
セキトに網を括りつけ、トローリングで魚を乱獲するヴォルフガング。釣りというよりもはや漁だ。
ここまでくれば何が楽しいのか疑問に思ってしまうのだが、ヴォルフガングは単純に大漁なのが面白いらしい。ミーニャに至っては大興奮だ。ちなみに獲れた魚やエビは凍らせて保管し、セキトの餌にする予定だ。
「大漁、たいりょ……む? これは……」
「どうした、大将? ってそれ、人魚?」
「ヨルさま、近づいてはいけません。臭いです、鼻がもげます」
「おさかにゃくわれたにんげんにゃー!!!」
ミーニャの叫びに、なんかそんな感じのお茶の間メロディーがあったなと思いつつ、想定外の獲物を確認する。網にかかっていたのはボーイッシュな人魚姫でもお魚咥えた人間でもなく、下半身をでっかい魚に呑まれかけた少年だった。
グロースプラガーにやられたのか、片腕は黒く変色して腐臭を放っているし、呼吸は浅く今にも心臓が止まりそうだ。しかし、微かに生命力が感じられるから、まだ死んではいないようだ。
ガッショ、チョキチョキ。
「セキトが食べて良いかにゃっていってるにゃ」
「……これを? いやいや、ダメだぞ。お腹壊すから普通の魚にしときなさい。命脈の息吹。あと、グロースプラガーの毒には……、万毒喰らう身中の蟲、生命の理つまびらかに、清浄に帰せ 毒喰らい。お、効いたみたいだな」
セキトが「大きい餌見つけた」みたいな目で少年を見るものだから、ヨルは慌てて回復魔法をかけまくった。
■□■
「かぁー、うめぇ、うめぇ」
魚に喰われかけていた少年は、ヨルの治癒魔法と食料で元気ハツラツ復活した。
人魚状態になっていた下半身は割とグロテスクなことになっていて、ヨルはしばらく魚を食べられそうになかったのだが、肝心の少年は食われた分を取り戻すかのように魚を貪り食っている。
ちなみに、少年を魚から取り出しすところから全部見ていたヴォルフとミーニャも気にせずバクバク魚を食べている。ちょっとメンタル強すぎじゃないか。
適当な浮島で焚火を囲んで焼き魚を食べる様子は、バーベキューを楽しむ一団の様に見えるけれど、垢じみてボロボロの服をまとった少年は明らかに訳アリだ。
(さて、どうしたものか。俺たちだって訳アリなんだよな。とりあえず事情を聴くか)
「んぐ、んぐ、んぐ、ンッ! ンンン……!」
「ほれ、水のめ、水」
「んっく、んっく、んっく……ぷはー、生き返ったー!」
「実際、生き返ったんだがな」
「そーなん? うっは、オイラってスッゲ!」
「すごいのはヨルさまの魔法なのです、小僧。ひれ伏して礼を言うのです」
「サンキュー、アンちゃん」
「おかわりにゃ」
ヨルが差し出した水を飲むと、少年はようやく人心地付いた様子で、会話ができるようになった。
盛り盛りの回復魔法と山盛りの焼き魚を「サンキュー」の一言で済ます、駄猫並みに遠慮の欠片もない少年は、名前をヤバリオといった。
ちなみに堂々と名乗った職業は、こそドロ。
メリフロンドで食い逃げし、とっ捕まったとかなんとか。
「なんつったっけ、あの食堂。手持ちがなかったからサ、ツケで頼むって言ったんだけど。融通きかねーんでやんの。でもサ、ただの食い逃げだぜ? 殴ってチャラすんのが真っ当な対応じゃねえの? オイラ、初犯だってのにサ、あの店じゃ」
「あの店では? 他の店で余罪ありかよ」
「アンちゃん、ナイスツッコミ! ヤベー!」
口に魚を入れたまま、ゲラゲラと笑うヤバリオ。魚肉が飛び散ってきちゃない。
あと、ナイスじゃねえよと言いたい。言わんけど。
ヤバリオのあまりのふてぶてしさに、ヨルも楽しくなってきた。
「で? お前はなんで魚の餌になってたんた?」
「ちげーよ、兄ちゃん。オイラ、魚じゃなくてエビの餌にされかけたんだ。オイラさ、鉱山から逃げてきたんだ」
「鉱山? ゴールデンクレスト山脈のか?」
「そーそー。そこそこ。スゴイだろ。助けてくれた礼に、アンちゃんたちにはタダで話を聞かせてやるよ!」
メリフロンドの衛兵から逃げる途中で、エンブラッド大湿原に落ちたのだろうと思っていたら、ヤバリオがなんだかおかしなことを言い出した。
身振り手振り、おそらく誇張アリアリのヤバリオ少年の大活劇を要約すると、どうやらこういう事らしい。
食い逃げに失敗し、衛兵にとっ捕まったヤバリオはあえなく鉱山送りとなった。
犯罪の割に随分厳しい罰だと思うが、このあたりじゃそれが普通。むしろ鉱山の労働力を確保するために、犯罪者を積極的に捕まえているきらいまである。
垢じみて汚れた服を着ていると思ったら、鉱山労働の名残のようだ。
「いやー、あの鉱山はやべーわ。何もしなくても体が重いしだるくてやべーのに、採掘の仕事させられんだぜ?」
「あそこは魔素枯渇地帯だからな」
「フーン。ま、名前なんてなんでもいーよ。でさ、フツーさ、鉱山とかって崩落しねーように魔術で支えとか作るんだろ? 知らんけど。でもよ、あそこ、魔術つかえねーの。ヤベーだろ? だからよー、ばんばん崩落とかしてガンガン人とか死ぬんだわ。ヤバすぎ笑えん。だから、じゃんじゃん囚人おかわりすんの、船で」
「ミーニャ、おさかにゃおかわりにゃ」
「あ、オイラもお代わり。えーと、あ、そうだ、船、船。連れてかれたときクセー船だなーと思ったんだけどさぁ、あれ、帰りは死体載っけて下んのな。匂い染み付くほどとかどんだけ? ホントヤバすぎ」
「ヤバいのは小僧の語彙力なのです」
「うっせ、チビ。って、ギャー! 目つぶしすんな、キョーボーか!」
「ルーティエはこっちでいい子にしてような。ヤバリオ、話を続けてくれ」
「ふわぁ、ルーティエはいい子なのです」
「ミーニャも撫でるにゃ」
「オ、オゥ。……えと、んなヤベーとこで、オイラみたいなイタイケな少年がいられねーからさ、死んだふりしてメリブロンドまで逃げてきたんだよ。死体に紛れ込んでさ」
話を聞いていない駄ネコに魚を与え、「チビ」といった瞬間、ヤバリオの両眼をピースアタックで潰しにかかったルーティエを取り押さえながら、フンフンと話半分で聞いていたヨルだったが、最後のあたりで引っかかりを覚えた。
「死体を、メリブロンドまで運んだのか?」
確かエンブラッド大湿原では、遺体は魔獣の餌にならないようにゴールデンクレストの麓へ運ぶのではなかったか。ここへきてすぐの頃、漁師の青年がそう話していたはずだ。なのにヤバリオは鉱山の死体に紛れてここまで逃げてきたという。
鉱山はバレンスポットで魔獣は出ない。鉱山で死人が出たならその場で埋葬するのが道理だろうに、なぜわざわざメリブロンドまで運ぶのか。
「いいとこ突くねぇ、アンちゃん。そこなんだよ、ヤベーのは! 死体を乗っけた船がどこに運ばれたと思う? 何のために運んだかって話さ。オイラはさ、そこでエビの餌にされかけたのさ!」
ヤバリオの運ばれた先。
それは、エンブラッド大湿原一帯の弔いを担う葬儀屋、ライツ葬送だった。
(遺体を運んでいなかったのか。それどころか集めた遺体を……)
それを聞いたヨルとヴォルフガングは、集められた遺体の用途を思い浮かべて眉間に皺を浮かべる。
重苦しい沈黙を破ったのは、その蛮行の犠牲になりかけたヤバリオだった。
図太さの権化のようなヤバリオなりに空気を読んだつもりなのか、まじまじとヴォルフガングを見た後で、ルーティエとミーニャに向かってヒソヒソと尋ねた。
「ところでさ、あのおっちゃん、もしかしてヴォルフガング将軍じゃね?」
「もどき吟遊詩人ヴォンゲンです」
「なのにゃ!」
「ちぇ、偽物かい。頼まれたごとが片付いたと思ったのにさ。でも吟遊詩人なら、あっちこっちで歌ってくれりゃ、そのうち本物の耳にも入るかもしれねーよな。ちょっと何言ってるか分かんないメッセージだし」
ルーティエの返事に偽物だと判断したヤバリオ。自分の頼まれごとを他力本願でかたづけようという横着さだが、依頼主はそれを見越してこの伝言を託したのだろう。
ヤバリオの続けた言葉に、ヴォルフガングの拳に力が入った。
「鉱山から一緒に逃げてきた人がいてさ。怪我で動けなくて……。オイラ一人、何とか逃がしてくれたんだ。その人にヴォルフガング将軍に伝えてくれって頼まれたんだよ。“銀髪の国母に蜃気楼がかかる”って」
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