020.姐さんのお説教
「あらあ? あれってミハエリスの妹ちゃんじゃない? 名前は確かアリシアちゃん。やぁね、あんなに目立っちゃって」
ライラヴァルがアリシアを見かけたのは、鉄道獣車の駅だった。
お忍びで来ているのだろう、ノルドワイズに来た時は白銀の鎧を煌めかせ目立ちまくっていたけれど、今回は鎧は着ていないしマントだって羽織っている。いや、ヨルやヴォルフガングを消そうとしたくらいだからノルドワイズに来たのもお忍びではあったのだろうから、戦う予定がないだけなのかもしれない。
それでも一目で高級品と分かるマントで、地図を片手にキョロキョロしていれば、人目を惹いてしょうがない。誰か教えてやれよとライラヴァルが思うほど、学ばない娘だ。
「ヨル様が義眼用の魔晶石をお与えになったというから義眼を作りに来たんでしょうけど、危なっかしいわねぇ。魔晶石を盗まれないといいけれど」
メリフロンドは聖都と並んで安全な街だ。衛兵はそこここにいるし、逮捕につながる情報を衛兵に通報すれば報奨金だって貰える。だからと言って、スリや泥棒がいないわけではない。むしろその逆で、一歩裏通りに入ってしまえば入り組んだ地形は無法者にとって格好の隠れ蓑となるし、高すぎる税金はここに住む者を犯罪に走らせる。
アリシアのように隙だらけのお嬢様は合法的にボッタクられるか、盗人や詐欺師に違法に金品を奪われるか。カモられる未来しか見えない。
「あの娘がカモられるのは構わないけど、ヨル様の魔晶石を行方知れずにするわけにはいかないわねぇ」
そう思ったライラヴァルは、双子に宿に向かうよう命じると、アリシアに気付かれないように後をつけたのだが。
「吹きすさべ、風の魔剣カル……」
(ちょっと、あの娘、何やっちゃってんのォー!!!)
継ぎ足し継ぎ足し作られた明らかに強度の足りていない建造物群めがけて、風の魔剣をぶちかまそうとしたアリシアを見て、魔人でオネェというキャラの割には常識人なライラヴァルが悲鳴をあげつつ状況の収拾に乗り出したのは言うまでもない。
「ちょっと待ったァ!」
アリシアが魔剣カルタナをライラヴァルの魔力を孕んだ声が制すと同時に、ターゲットになっていたであろうナビアの下に駆け寄りさくっと確保する。
その間、僅か数秒。
全盛期でもできたかどうかの動きを、容易にやってのける今の魔人の肉体に心地よさすら感じてしまう。“思ったより低い声が出ちゃったわね”などと、思わず上げた一声を反省する余裕さえあるほどだ。
「何奴!? ……これはこれは魔滅卿、コソ泥を捕まえて下さったのですね。ご助力痛み入ります!」
「……痛み入ります、ねぇ。こっちは、アイタタタってなもんだわ」
「なんと! 無傷とお見受けしましたが、もしやどこか悪いところが!?」
悪いのはあんたのオツムよ! と言いたくなるのをぐっとこらえて、ライラヴァルは泥棒少女から取り返した魔晶石の包みをアリシアに差し出す。
「無事取り戻せて良かった! ありがとうござい……マッ」
アリシアが魔晶石の包みを受け取る直前、ライラヴァルはひょいと包みを遠ざける。何をするのかと驚くアリシアに、ライラヴァルはニッコリと笑いながら口を開いた。
「そ・の・前・に。アリシアちゃん、アナタ、この子をどうするつもり?」
「それはもちろん衛兵に突き出して……」
「だったらこれは返せないわねぇ~」
なんでだと不服そうな顔をするアリシア。
「そもそも! これを盗られたのだって、半分はアリシアちゃんのせいでもあるのよ? やらかすんじゃないかと様子を見させてもらってたけど、どうしてアナタこの子の手を握ったりしたのよ?」
「? それは、この娘が手を差し出してきたからで……」
「はい、ブッブー」
今度こそ露骨に不満そうな表情をするアリシアの代わりに、ライラヴァルはナビアの手に銀貨を1枚握らせると、「案内ご苦労様、アナタも落とし物をむやみに拾わないように注意なさい」とだけ言って解放してやる。
瞬時に状況を理解したらしいナビアは「ありがと、綺麗なオネーサン!」と気の利いた挨拶をしてあっという間に複雑な路地裏へと消えて行った。
「魔滅卿! 何をなさるのです!!」
「はぁ、その言葉、そっくりそのまま返したい気分だわ。いいこと、アリシアちゃん。アナタがあの時ちゃんと道案内の御駄賃を渡していれば、あの子は盗みなんてしなかったのよ?」
「え……。で、では、あの手は……」
「あそこでお手々繋ごうなんて考えるのも、善意だけで道案内してもらえると考えるのも、アリシアちゃんくらいだと思うわよ」
はぁ、やれやれ。
両手を挙げて呆れて見せるライラヴァルにアリシアはなおも食い下がる。
「だからと言って、罪は罪。罰を受けるべきです! そうしなければ聖都と並んで安全だと謳われるこのメリフロンドの治安が保たれません!」
「罪に見合った罰じゃないって言ってるの。アナタの間抜けが犯させた罪で、あんな子供が鉱山送りだなんて、寝覚めが悪いったらないでしょうが」
「……鉱山、送り? あんな、子供が」
ここまで言われてようやく、アリシアも少し頭が冷えたらしい。
さすがのアリシアも鉱山送りがどんなものか知っているのだろう。何しろアリシアの実家であるストリシア家は、ネレアラピスの鉱山とそれによって担保されるハンターズギルドで成り立っているのだから。
正義感というものは、それが依存する社会規範が正しくなければ強さを失う。己の正義に揺らぎを覚え、ようやくトーンダウンしてきたアリシア。
「この街の仕組みはね、安全な暮らしを与えるためのものじゃなくて、大量の罪人を捕まえるためのものだって分からない?」
「……一体、なぜだというのです? 人々に罪を犯させてどうしようと……」
「そんなの決まってるじゃなーい。鉱山労働者にするためよ。魔素枯渇地帯の鉱山じゃね、どれだけ送り込んでも労働力が足りないの。魔素がないから魔術は使えないし、肉体労働で何とかしようにも力が出ない。まともな技術者は寄り付かないからデタラメな掘削のツケで地盤はぐらぐら。崩落に次ぐ崩落で送り込んだ端から死んでいくらしいもの」
「そんな非人道的な! 一体どこの鉱山が……」
「何言ってるの、アナタの家が管理するネレアラピスの鉱山よ。街の名前はグリマリオン。知っているでしょ?」
「ま、……まさか」
嘘だ、と否定することはアリシアにはできない。ストリシア家が持つ鉱山で犯罪者が労働力として使われていることは知っているのだ。しかし、そこで働く人々は重労働に見合った罪を犯したものだと考えていたし、鉱山での死亡者数がどれほどの数に上るのかなど、考えたことすらなかったからだ。
なんて愚かな娘だろうか。与えられることを当然と考え、受けた教えを正しいと信じる。彼女の掲げる正義など、この国の一部の為政者にとって都合のいいものでしかないというのに。
ライラヴァルは言葉を失うアリシアが、愚かで哀れな人形に思えた。
だからこそ、こんなおせっかいを焼いたのかもしれない。
「もう少し自分の眼で見、耳で聞き、自分の頭で考えてごらんなさいな。そうしたら、今いるこの場所が、魔剣の一撃で大打撃を受けるほど脆いことにも気が付いたんじゃなくて? まぁ、ここにいる人々が何人怪我をしたって、ストリシア家の令嬢が鉱山送りになることなんでないでしょうけど」
「……家は、関係ありません」
何とかそれだけ言い返すアリシア。
(よくいうわぁ。今の立場も魔剣も、この魔晶石を手に入れるために使った手ごまも、全部実家の七光りなのに。まぁ、ここへ来たのは実家の指図じゃないってことなんでしょうけど)
さすがにそれを口にするほど、ライラヴァルは鬼ではない。
ライラヴァルは唇をかむアリシアに魔晶石を返すと、ひらひらと手を振って、その場を後にする。
アリシアが何を考えどう行動しようとライラヴァルの関与するところではないのだ。ただ、彼の主であるヨルが与えた魔晶石が目的通り加工され、あるべき場所に行けばいい。
(それにしても、教皇に視力を取り戻させようなんて、ヨル様は何をお考えなのかしら? それともあの魔晶石に何か仕掛けが?)
この魔晶石、まだ魔王の自覚がないヨルが“これ以上人蟲牧場にいるのヤダ”という理由で作っただけの代物なのだが、そんな事情をライラヴァルが知るはずがない。
かの魔王シューデルバイツが手づから作った魔晶石なのだ。何の考えがあるのかは考えも及ばないが、何かあるには違いあるまい。そう勘違いしたライラヴァルのおせっかいにより、取り戻された魔晶石を握りしめると、アリシアは己に残った揺るぎない正義にすがるように、魔導具街へと歩き始めた。
■□■
(あのレンドルとか言う商人、一体何処でこれを手に入れた?)
ライツ葬送の獣舎の責任者は、レンドルの持ってきたカードを見ながら獣舎の中を歩いていた。メリフロンドを始めエンブラッド大湿原一帯を領地とする不負卿カストラ、その紋章の刻まれたカードだ。ライツ葬送は、葬儀を請け負う民間の商会の体を装ってはいるが、その実態は不負卿カストラの息のかかったダミー商会だ。不負卿カストラに納めるノルマ以外の魔石販売は、ライツ葬送に一任されているが、時折、魔石の融通をして欲しいとこのカードを持った者が訪れる。その大半はどこかの枢機卿の息のかかった商人で、それなりに名の知れた商会ばかりなのに、レンドルという商人はただのしがない行商人でしかない。
カードは本物、取り扱いと言う魔石の量もライツ葬送からしてみればわずかな量ではあるのだが、それ故にどういうことかと興味を惹かれる。
(とはいえ不要な詮索は命取り……)
自分の代わりなどいくらでもいることを、この男は理解している。
疑念を振り払うように、責任者の男は広い獣舎を奥へと進む。
エンブラッド大湿原一帯の遺体を運ぶ商会だ。使う輸送獣は水中を主とし陸にも上がれるイモリ型だ。集めた遺体をゴールデンクレスト山脈のふもとまで、イモリ型輸送獣が曳く小型船舶で水路を運ぶのだ。
そういう事になっているから、メリフロンドの南部の外れにあるこの獣舎は、事業規模に見合った大きさを有している。初めて真実を知った時には、あまりの衝撃に神への信仰を失いかけ言葉を失ったものだけれど、そんな事にはもう慣れた。
(この臭いにだけは慣れんがな)
エンブラッド大湿原では、グロースプラガーに襲われて亡くなる者が数多い。そういった遺体はグロースプラガーの毒にやられてひどい腐臭を放つのだ。こんな異臭を気にしない存在があるのなら、ハエか毒を与えたグロースプラガーだけではないか。
エンブラッド大湿原中の遺体を集めるには十分な、けれどそれらをゴールデンクレスト山脈まで運ぶにはあまりに少ない獣舎を抜けて最奥へ。扉の前に立つ、葬儀屋には不釣り合いな武装をした警備に軽く手を挙げ扉をくぐる。
最奥の区画にあったのは、区画分けされた養殖水槽と、餌やり用に縦横に走る天井クレーンのレール。クレーンは手動式で、壁際に立つ作業者が紐を引くことで移動させている。目的の水槽の上で吊り下げた荷の底を開けば、餌の肉が水槽に落ちる極めて原始的な仕組みだ。
その場にヨルがいたならば、安物の魔獣除けが発する異音を感じたことだろうし、見学した正規の魔石工場に比べればあまりに簡素な飼育水槽に、大丈夫かと眉をしかめたことだろう。
(やはり、肉蟲の肉は食いつきが悪いようだな。エビにも味覚があるのかね)
グロースプラガーの好物を思い出し、責任者の男は肩をすくめる。
食いつきが悪くとも、男としては肉蟲の肉の方がありがたい。男にだって家族はいる。とっくに擦り切れてはいるが、それでも欠片ほどの良心が痛むのだ。けれど、養殖が上手くいっていないらしく、肉蟲の肉は年々減少傾向だ。
(魔獣除けの魔導具は問題なし。中の魔石も、まだ大丈夫だな)
この魔石工場の責任者に就任してからも、魔獣除けの魔導具の点検だけは部下に任せず自分で行っている。
この施設の脆さを彼は十分理解しているのだ。
ここは、閉鎖された魔石工場跡で、グロースプラガーの飼育水槽は上から見れば区画分けされているが、底にはあちこち穴が開いていて、グロースプラガーがあちこち行き来できている。冬眠状態の卵だって、水槽の底にどれだけ沈んでいることか。
飼育のコツは餌を与えすぎないこと。
ここの個体は、正規の養殖場に比べて個体数は多いし、痩せた個体ばかり得られる魔石も小さい物が多いが、水槽底のポンプから泥と共に魔石を回収するたびに、同時に吸い上げられる卵の数にぞっとする。十分な餌が無ければ孵化しない特性ゆえに、増えすぎないでいるけれど、十分な餌を与えてしまえばどれだけのグロースプラガーが生まれてあふれかえることだろう。
餌さえあれば1時間と経たずに成体へと成長するグロースプラガーの生態を思い浮かべるだけで、背筋が寒くなってくる。
それから、雨漏りの対策も必須だ。
このおぞましいエビたちは、雨の中では陸地へと上がってくるのだ。
ここには正規の設備のように、エビの上陸を阻止する金網など張られていないから、掃除の散水でさえ気を付ける必要がある。
こんな場所でグロースプラガーを飼育できているのは、水槽の最外壁が二重になっていて、中に貼られた水に魔獣の嫌う音波を流しているからだという。
この外壁の強度など、グロースプラガーにとっては紙同然だ。魔獣除けの魔導具が止まればグロースプラガーは餌を求めて外へと逃げていくだろう。いや、まずは大量に蓄えられた餌の保管場だろうか。
こんな危険な施設を公に運用することはできない。けれど今ある正規工場だけでは、十分な量の魔石を生産できないのだ。だからこそ、ライツ葬送というカバーをもった闇の魔石工場が必要なのだ。
ライツ葬送の獣舎、いや、魔石工場の責任者は、自分の立場と命を守るため魔導具を一つ一つ真剣に点検していく。
一か所、また一か所。
魔導具の間を移動するたび、靴底やズボンの裾からぱらぱらと砂粒のようなものが落ちていく。
紹介状の封筒に入っていた砂粒だ。
それが点検の済んだ魔導具の方へと風も無いのに移動していったことに、責任者の男は気が付くことはなかった。
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