013.魔人国の勃興の記録
ライラヴァルがメリフロンド行きの鉄道獣車に飛び乗った頃、ヨルはエンブラッド大湿原の素晴らしい夜景を満喫しながら、ドリスとこの大湿原の起こりについて話をしていた。
「ここって、魔人時代初期にできた爆心地だったんだって。なんでも魔導具の生産設備を作るために大幅に地形を変えたらしいよ」
「へぇ」
実際は、地形が変わっちゃったのが先だったはずだ。
それもとんでもないやらかしの結果で。
――編術師団長エレレ。
長きにわたり魔王シューデルバイツの元、魔術や魔導具の研究、開発を行ってきた『編術師団』の初代団長の名であり、以降、編術師団の団長は、代々エレレの名を襲名している。
肉蟲を生み出したのは創生の魔王ゼノンだが、肉蟲牧場を作ったのは編術師団であり、人間たちを魔獣から守る結界など魔人文明の遺産とも呼べる数多の魔導具を作り出したのも彼らだ。
魔人文明の発展と魔人たちの生活水準の向上に努めた編術師団だが、その実態は「魔王様のため」という至上命題の下、優秀な頭脳と長い寿命、豊富な研究資金を使いまくって楽しく研究し続けた連中だ。おそらく魔人の中で最も幸せな連中だったのではないか。
そんな彼らではあるが、魔人文明の黎明期においては、魔導具の有用性が認められずに長らく日陰の生活を強いられてきた。
何しろ魔人はほいほい魔術が使えるし、魔王に尽くすことに幸せを感じる生態だ。道具なんて使わずに丹精込めて手ずから尽くしたいと考える。
そんな魔人たちの考えを一変させたのが、ここで起きた大爆発だった。
(ここには当時、敵対していた魔王がいたんだっけ。……かわいそうに)
初代編術師団長となったエレレ・エンブラッドは、ありったけの魔石を使って敵対する魔王をその配下ごと吹っ飛ばしたのだ。その破壊力たるや、遠く離れたグリュンベルグにまで衝撃が伝わったくらいだ。
爆発の跡地は半径十数キロメートルが大きく吹っ飛び、その衝撃によってさらに50メートルほども地盤が沈下した。広大なくぼ地には地下水が噴き出し、周囲から流れ込む水が溜まって巨大な水たまりになったのが、ここ、エンブラッド大湿原の起こりなのだ。
(あの大爆発で「魔導具やるやん」ってなる魔人の思考回路が意味不明すぎる)
普通なら「そんな危険な研究はやめましょう」となるだろうに、なぜか当時の魔人たちは、「魔王様のためになる素晴らしい技術」としてエレレの研究を認めてしまった。だが、いざ研究を始めようにも動力源の魔石はこの場所を吹っ飛ばすのに使い切って無い。そう、何百年にもわたり貯めていた魔石を奴は使い切ったのだ。こういうところがエレレのエレレたるゆえんで、代々のエレレは全員がこんな感じの奴なのだ。
魔獣を狩れば魔石は手に入るが、魔獣を狩る時間がもったいないと我儘をいうエレレに対して……。
(どうしたんだっけ? この場所で好きにしろみたいに言ったんだっけ)
よく覚えていないということは、当時のシューデルバイツもエレレたちのハッチャケ振りにちょっと引いていたのかもしれない。最終的には爆心地に人工の島を作って、魔導具の研究と生産のメッカみたいになっていたように思う。
(なんにせよ、生き物の棲まないでっかい水たまりが大自然感ある湿原になったんだから、自然の力は偉大だな)
満天の星なのに、深い沼の底のような目になってしまったヨルに対し、ドリスは瞳に煌めく星空を映して、いつもよりキラキラマシマシの表情で魔人の文明について語り始める。
「なかでも、魔石の生産設備は、今でも聖ヘキサ教国を支える重要な施設なんだよ。すごいよね、800年以上昔の魔人の施設が今でもボクらの暮らしを支えてるなんてさ」
「そうだな……って、ちょっと待て。魔石って言ったか? 魔石って作れるのか!?」
なんだそれ、初耳なんだけど。魔王の記憶を漁っても、そんな情報出てこないんだけど。
(もしかしてあれか? 好きにしろって言ったから、魔王様のお手を煩わせないように~的なアレでいろいろ好きにやった感じか!?)
なんにせよ、魔石なんてものが作れるならこの世界のエネルギー問題こと『箱』問題、解決じゃないのか。
「どうやって作るんだ?」
思わずドリスの両肩を掴んで食い気味に聞くヨル。
「えぇ? どうって、確かエビの養殖? 見学もできたと思うから行ってみる?」
「えびの、ようしょく?」
ヨルは魔石の作り方を聞いたのだが。
なんだそれ? と首をかしげるヨルだったが、見学できるというなら、行って確かめるしかないだろう。
魔王シューデルバイツの記憶にはない魔石工場。魔王と共に生きた魔人たちの残したものなら、知っておきたいとヨルは思った。
だからだろうか。
その夜、ヨルは遠い昔の夢を見た。
■□■
家族や仲間を喰い殺し、完全に魔人に堕ちたヨルムは、名前をテルドアと改めた。
子供に語り聞かせる童謡に出てくる悪鬼の名前だ。
「いい子にしないとテルドアに食べられてしまいますよ」
なんて子供に言い聞かせるものだから、魔人が転じたものだったのかもしれない。
魔人テルドアとなった後も、人肉食は憚られた。
けれどあまりの飢えを耐えてしまうと、また正気を失って集落ごと襲いかねない。
何とも忌まわしいことに、この体はどれほど飢えを感じようとも餓死することがないのだ。
自死することも考えた。
けれど、己の肉を喰らっては再生していたせいなのか、シューデルバイツの肉体の回復力はすさまじく、首を吊ろうと、心臓を貫こうとも、回復して死ぬことができない。
そして何より辛かったのは、家族を喰らったあの夜のことを忘れることも、狂うこともできないことだった。
血を吐くほどに叫んだ喉は、すぐさま塞がり声が枯れることさえなかったし、涙と共に掻き毟り、えぐり取った眼球さえも、涙の枯れるより早く再生してしまう。ただ己の手に残った腐臭漂う己が血肉のわだかまりが、これが悪夢よりも残酷な現実であると告げるだけだった。
心と体をどれほど無残に壊しても、じきに元に戻ってしまう。
“魔人は皆、正気をなくしているのにどうして?”
長い探求の日々の果てに行きついたのは、“発狂できる時期を逃してしまった”という絶望的なものだった。
自分はもう、狂うこともできないのだという思いが、ますますシューデルバイツを死への探求へと駆り立てた。猛り狂った魔獣の群れに身を投げ出して、襲われるままに任せた時は、いいところまで行ったようだが、死の直前くらいになると無意識のうちに防御しようとするようで、死屍累々たる魔獣の屍の只中で五体満足で突っ立った状態で意識を取り戻したりした。
どうしても死ぬことができない――。
自分を死地へと追いやるほどに強まっていく己が魔力に、ようやくその事実を受け入れた後は、人を殺さず、飢えを紛らわす方法を、必死になって模索した。
自分の体は簡単に回復するけれど、人はそううまくはいかない。
肉を齧り取るだけでも治る程度に加減するのが難しいし、何よりも人の肉はシューデルバイツの正気を失わせた。狂うことはできないくせに、我を忘れて貪りつくす己が身の浅ましさは、彼にとって唾棄すべきものだった。
シューデルバイツが血液の摂取に落ち着いたのは、人肉食を忌避するゆえの苦悩の策だったろう。殺さぬために選んだ血液ではあったが、そこにこそ魔人に必要な成分が濃厚に含まれていた。
例え必要な栄養素が摂れるとしても、飲み物だけを摂取して生きていくのは難しい。
飢餓のあまりに正気を失うことは無くなったけれど、飢えも痛みも紛れることは無かった。
それでもシューデルバイツは耐え続けた。
満たされぬ空腹を、絶え間なき痛みを。
人に畏怖される千の孤独と、家族を喰らった万の悔恨。
無限とも思える時を生き続けたシューデルバイツが、彼の悲惨な生涯をまるで歴史上の悲劇のように認識できるようになったころには、彼の肉体を蝕み続けた痛みは消え失せ、ひりつくような餓えさえも魔力を消耗した時にわずかに感じる空腹になり替わっていた。
シューデルバイツの肉体は、永劫とも思える地獄の果てに、完全なもの、真祖のそれへと生まれ変わったのだ。最早彼は、僅かな血液を摂取するだけで良く、正気を失うこともない。
けれど彼の人間らしい情動は、飢餓の果てに身の内の人の部分が喰いつくされてしまったように、欠片も残ってはいなかった。
■□■
肉体も精神も、人と異なるものへと変貌したシューデルバイツは、いつしか『吸血の魔王』として人々の口の端に登るようになり、彼の周りには若き魔人たちが救いを求めて集うようになっていた。
人が集えば知識も集う。理論が構築され、世界の不思議は、白日の下に晒される。
それが老い、衰えることのない、魔人であればなおさらだ。
人や獣がどうして魔人や魔獣になるのか。シューデルバイツたちはその秘密を解き明かし、魔人化が始まって間もない同胞を飢えと痛みから救い出し、穏やかに彼の配下の魔人へと変貌させる方法を解明した。
魔人に変じていく時の飢えや痛みは耐え難い。容易く耐えられるものではない。
人の肉を食らえば簡単に満たされるけれど、これは麻薬のようなもので、喰らうほどに魔人化が進み、更なる飢えと痛みに正気を失う。
きっと狂ってしまった方が幸せで、正気を失った状態が魔人として正しい在り方ではないか。
肉体が叫び求める欲求をねじ伏せ、わずかな血潮で飢えを紛らわせながら痛みに耐えつつ、死ぬこともできずに那由多の時をただ過ごす。それはまさに地獄の責め苦で、人の肉という唯一の救いは、彼らの力をもってすれば、容易に手に入れることができるのだ。
人間も獣を狩ってその肉を喰らう。それと同じようなものだ。
正気と共にかつては同じ人であった記憶も失ってしまえば、自然の営みと変わりがないはずだ。
けれど魔人はシューデルバイツに縋る。人であった記憶と正気を失いたくないと跪く。
狂うことなく魔人と化したシューデルバイツの血肉から作られた魔晶石には、哀れな魔人を飢えと痛みから救い、魔人化をコントロールする力があった。
魔であっても人である。人を喰らっても人であるのだ。
だから、彼らは魔人と呼ばれる。
救われた魔人達は、体の一部が本体に逆らうことができないように、シューデルバイツを敬愛し、僕となって彼のために働いた。配下に下った魔人たちの寿命は人のそれより遥かに長いものだったけれど、シューデルバイツと違って有限で、死という終わりを得ることができた。限りがある故だろうか、彼らは人にとっては冗長過ぎるその人生を、無限の存在であるシューデルバイツのために惜しみなく費やした。
無償の愛、無償の信頼。
それは敬虔な信者の信仰にも似ていた。
己が力で魔人と化したシューデルバイツを彼らは『真祖』として崇め尊ぶ。
真祖のために忠誠を尽くした彼等の人生は、有意義で充実したものだったろう。
彼らはグリュンベルグ地方に国を作り、玉座をシューデルバイツに捧げた。
真祖にして原初の魔王、シューデルバイツ・フォン・グリュンベルグの誕生である。
彼の配下の献身は、魔王シューデルバイツの偉業としてマグスの歴史に刻まれた。
たとえば、王の威信を知らしめるため、世界に名だたる大瀑布に築かれた難攻不落の魔王城。
海底に築かれた街に、瞬く間に遠方へと行ける転移陣。世界の文明レベルを引き上げた超魔導文明の数々。
シューデルバイツの師事を受け、あるいは己の胆力だけで、正気を保ったまま魔人化遂げ真祖となりえた者は、僅かながらも存在していた。シューデルバイツを追うように、時を同じくして世界各地に魔王を名乗るものが現れ、いくつもの魔人の国が誕生した。
人よりもはるかに強力な魔力と、遥かに長い寿命を持つ、魔人の国の勃興。
それは、彼らの餌に過ぎない人間にとって、暗黒の時代の幕開けだった。
魔王のために敬虔に尽くす魔人たちを、魔王シューデルバイツは失われた家族の代わりに愛していたのか、それとも守りたかった人間を、悪戯に嬲る魔人の姿に暗澹たる思いを抱いていたのか。
その記録を引き継ぐヨルでさえ、魔王の胸中を知ることはできない。
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