009.魔人の社会性、エンブラッド大湿原
「んもう、ルーティエちゃんたら、イケズが過ぎるわ!」
聖ヘキサ教国の聖都セプルクにある屋敷の自室で、ライラヴァルはぷんすこと怒っていた。
いつも綺麗なオネェを心掛けているライラヴァルだが、マジギレすると男性言葉に変わるから、ぷんすこしている時点で大して怒っていないのだろう。ルーティエの精神が子供だということは分かっているし、自分は配下として新参だ。例えスライムと言えど800年を超える時間を魔王のために過ごしてきた先輩に盾突くつもりはあまりない。あまりないのではあるが。
「ヨル様の近況くらい、教えてくれてもいいじゃない!」
ノルドワイズの街でメルフィス城に向かうという話は聞いたが、ルートは教えてもらえなかったし、今どこにいるのかも、不便なく過ごせているのかも教えてもらえない。ライラヴァルはヨルに言われた仕事の進捗を、ルーティエの分体に毎日報告しているというのに。
「あの様子じゃ、“順調です”くらいにしかヨル様に伝えてくれてないわねぇ。例の件のことも伝わってないんじゃないかしら? ヨル様を独占したいのは分かるけど、報連相は大事なのよ」
ヨルたちがノルドワイズを発った後、ライラヴァルは鬼神のごとく働いた。ヨルはざっくりと「城の浮上は天変地異ってことにしよう」と言っただけだが、その筋書きを実現するには相当の情報操作や工作が必要だったし、ヨルが今後の方針を下すまでは元人間だった魔獣を『箱』に加工しないよう手筈を整えたり、ルティア湖から流出した魔石の流通経路を操作したりと、それこそ24時間眠らずに働き続けた。疲れを知らぬ魔人ボディーに初めて感謝したほどだ。
通信の魔導具で済む報告のために、わざわざ聖都セプルクまで出向いたのも、これら工作の総仕上げのなのだ。
「赤定卿シャイルや速喜卿ロウ=ガイがこの報告で信用するとは思えないもの。ヨル様のために時間を稼ぐなら、あたしが聖都に出向いて一芝居打たなくちゃ。
ヨルさまのために身を挺して働くあ・た・し。うふ。献身的に尽くすほど幸せ感じるようになっちゃうなんて、ほんっとビックリだわぁ」
魔人がちょっとやそっとでは死なないことは知っているが、身を削って過酷に働けば働くほど充実感を感じるとは。社畜が極まりすぎていてヨルが聞いたらドン引きしそうな内容を、ライラヴァルはひどく肯定的にとらえていた。
魔王の勅命を全うすることが、これほど多幸感に包まれることだとは思わなかった。魔王に尽くすことこそが歓びならば、魔人文明があれほど発展するのもうなずけるとライラヴァルは考える。
表情も言動も陶酔しきった様子だが、その倒錯的な外見と裏腹に頭の芯が冴えているのが彼の特徴で、高揚する気分を自覚しながらも自分の心身に起こった変化を冷静に分析しているのだ。
「魔人っていうのは、ある種の真社会性を持つのかもしれないわねぇ」
真社会性とは繁殖とそれ以外――食料採取や巣作り、防衛を分業し、繁殖を担う女王以外は一生繁殖しない個体がいる集団のことだ。地球の場合、昆虫ではアリやシロアリ、哺乳類ではハダカデバネズミがこの特性を持つ。
ハダカデバネズミの社会構造は衝撃的で、女王を温めるために下敷きになる労働個体や、敵の侵入に際して自ら食べられることで他の個体を助ける兵隊個体などもいる。
魔人は魔化が浅い段階では低いながらも生殖能力があるが、長く生きるほど失われていく。しかし、人間がいる限り魔人は絶えることなく生まれ続けるから、魔人の母体は人間という種そのものといっていい。しかし折角魔人に変容しても、その大半が魔化の苦しみに耐えかねて発狂する。
理性のない物を『人』として定義するのは適切だろうか。
発狂した魔人は、魔人としては失敗作だ。
魔化の苦しみを耐え抜く強い意志と、肉体的な適応力。その両方を兼ね備えた極めてまれな魔人だけが、狂い月の血を完全に支配することができる。
それが魔王。狂うしかない大多数の魔人を救い、統べる王だ。
魔王の希少性は、長い魔人史において十数名しか魔王が現れていないことからも明らかだろう。
大多数の魔人にとって、正気を保つためには、魔王から魔晶石を頂き配下に下るしか方法がなく、その意味において、魔王というのは魔人種を唯一増やしうる存在と言える。
魔王より魔晶石を頂いた魔人は、魔化の苦しみから解放されるとともに、魔王に対して根源的な服従を示すようになる。ハダカデバネズミが女王の肉布団となり、仲間、ひいては女王を助けるために自らを犠牲にするように、魔王に全てを捧げることに喜びを感じるようになるのだ。
「なってみてわかったわ。血族で繋がらない代わりに、魔王を頂点とする社会性で種を維持する生物なのね……」
ライラヴァル自身、ヨルから魔晶石を頂くまでは、隷属の魔法に似た拘束力で魔人は魔王に忠誠を誓うのだと思っていた。だがこれはもっと根源的なものだ。たとえるなら、そう、細胞の一つ一つが変化して魔人になっていくように、血の一滴、細胞の一片が魔王のものに変わるのだ。
「この社会性があったからこそ、長命で強力な戦闘力を有し、しかもちょっと狂ってる魔人種が繁栄できたんでしょうね。じゃなきゃ、配下同士で争った挙句、滅んでたはず。実際、魔王同士の争いはあったみたいだし」
配下の魔人の間では本能に基づく鋼のような秩序が存在するのだが、ルーティエは魔獣なせいか、それとも子供だからなのか、その限りではないようなのだ。
「単純でいい子なんだけど、ホント困った子供だわぁ」
うふふと笑うライラヴァル。
しかし、その様子を近くで見る者がいれば、彼の眼が笑っていないことに気付いただろう。魔王を至上とする社会性において、独占なんてもってのほかだ。
だから、ちょっとカマをかけて見たのだ。「あたしならヨル様にこんなことをして差し上げられる」みたいな感じで。するとルーティエは「ヨルさまにエビの皮を剥いて差し上げた」と漏らしたではないか。
「食事の必要のないヨル様が召し上がるってことは名物料理なわけでしょう。となるとエンブラッド大湿原ね」
メルフィス遺跡を目指すのだから、てっきり帝都を経由するのだと思っていたが。
「メリフロンドなら数日は滞在なさるはず。
急げばきっと間に合うわ。ヨルさまならお気づきだとは思うけれど……。例の件について、奏上申し上げなくちゃ。
でも、枢機卿たちに気付かれちゃ元も子もないわね。おバカなミハエリスや趣味以外興味のないフラタニティー、カストラはともかくとして、シャイルやロウ=ガイに気付かれずメリフロンドに行くには……。そうだわ、うふふ」
6人の枢機卿が直接、あるいは魔導具を介して一同に集まる会合は、今日の午後に予定されている。正直面倒な気持ちが強かったけれど、ヨルに会えるかもしれないと思うと、がぜんやる気が湧いてきた。
どのように会議を翻弄し、目的を悟られずメリフロンドへの切符を手にしてやろうか。ライラヴァルはうきうきとした様子で、会議に思いをはせた。
■□■
ホウロウ村を一路南西へ。
ホウロウ村からメリフロンドへは、馬車ならば2週間以上、馬車よりはるかに高速で夜間移動も可能なセキトでも4日はかかる。地図上の距離に対して移動に時間を要するのは、メリフロンド周辺が広大な湿地帯だからだ。
エンブラッド大湿原。
メリフロンドを中心に広がる大湖沼地帯だ。内陸部にありながら、その景観はまさしく水の楽園。本来ならば船での移動が必要だが、馬車でも移動できるのは、エンブラッド大湿原に生息するモスキャスケードという水苔のお陰だ。
モスキャスケードは非常に繁殖力旺盛な水苔で、しなやかながら強靭な茎と、茎に密生したふさふさした葉から構成される。水底の泥土に地下茎を伸ばすだけでなく、互いに絡みつき合いながら水面まで伸びていき、水面に広がって浮島のようなモスフロートを形成する。十分成長したモスフロートはいかだよりも丈夫で、エンブラッド大湿原にはモスフロートをつなげた浮島が点在している。
大きなモスフロートには樹木さえ生えていて、一見すると小島が連なっているようだ。
メリフロンドに続く道も浮島の上に作られたもので、馬車で進むことも可能だが、いかんせん元は水苔。大型の島はともかくとして、小島に通常の陸地のような安定感はないし、モスフロートを繋ぐ道は細くジグザグと曲がりくねっているから当然移動速度は落ちる。
もっとも、エンブラッド大湿原の絶景を前に、旅路を急ぐ者はよほど通い慣れた者だろう。大抵の旅人は、この絶景を前に足を止め、この地独特のゆったりと流れる時間を楽しむ。エンブラッド大湿原の浮島には、そんな旅人相手の宿屋や商店が点在し、漁業と兼業しながら生計を立てている。
「これはなかなか壮観だな!」
「うむ、かの名高きエンブラッドの鏡を堪能できるとは」
ヨルとヴォルフガング、いい歳した二人の男もご満悦だ。
ミーニャは景色より獲れる魚に夢中だし、ルーティエは景色よりヨルだ。ドリスは何度か来たことがあるようで、初見のヨル達よりも感動は薄く、むしろキャッキャと喜ぶ男二人を見てニコニコしている。
見渡す限りの水面に空とコテージの建つ浮島が鏡のように映り込む景色は、控えめに言って絶景だ。
空にグラデーションがかかり集落に明かりの灯る夕暮れ時から夜の時間。これを満喫しない者は人生を損していると言っていい。今は満月には足りないが3つの月がすべて明るい頃だから、夜ともなれば空と湖面に6つの月と降るような星々が輝くのだ。
最高の景色の中で釣り糸を垂れつつ、名物をつまみに一杯やる。ヨルたちは、贅沢なひと時を楽しんでいた。
「ぷは、このグリーンフラスクってエール、癖はあるがエビの塩焼きとよく合うな!」
「気に入ったみたいだね、ヨル。グリーンフラスクはモスキャスケードを混ぜて作ったエールなんだよ。エビも美味しいよ、はい、あーん」
「あーんはルーティエがするのです。ドリスは自分の口にいれるです」
「じゃあルーティエちゃん、あーん。ボクね、ヨルがおいしそうに食べるのを見るの、好きなんだ。ルーティエは?」
「そ、それは同意するですが……。はっ、駄ネコは食べちゃダメです!」
「うみゃいにゃ」
グリーンフラスクという名のハーブビールを小瓶で飲みながらエビをつまむヨルに、隣に座るドリスがニコニコしながら説明してくれる。反対隣りはルーティエだ、エビの塩焼きの殻をヨルが食べやすいように外してくれている。ハーレムの御大臣様になった気分だ。
剥きエビを量産しているルーティエはエビの皮むきがツボにはまってしまったらしい。背側の二つ目の節からパキッとやると上手に剥けると教えたら、せっせせっせと剥きまくっている。ヨルは味は分かるが普通の食材は必要ないのだ。そんなにたくさんは食べられない。
増えた分はテーブルの下からみゅっと伸びた猫の手がかっさらっては「うみゃうみゃ、うみゃうみゃ」鳴いている。猫にエビって大丈夫だっけ? 加熱すれば平気だったか。時空魔法胃袋大活躍だ。食っとけ食っとけ。
「モスキャスケードの上で釣りをしながら、モスキャスケードで育ったエビをモスキャスケードから作ったビールで食うわけか。うむ、絶品。ふはは、話に聞いた通りだな」
早口言葉のような感想を述べつつ、ヴォルフガングが声をあけて笑う。
グリーンフラスクは癖のあるビールなのだが、よほど口にあったのだろう。ヴォルフガングの側には5つも空き瓶が並んでいて、いつもよりご機嫌だ。
「おっ、きたきた……。くっ、また餌だけ取られた」
対してヨルは、エビの塩焼きをミーニャにとられ、釣り餌を魚にとられている。五公五民で稼ぎの半分を持っていかれる、搾取世代の田口因は異世界でもとられまくりだ。
「ふはははは、ヨルでも苦手な物があるのだな」
「そりゃあるさ、ってかヴォルフ、釣りうますぎだろ。コツはなんだ?」
このあたりの魚は釣り客に慣れているのか、上手く餌だけ持っていかれてヨルの桶は寂しい限りだ。
「餌に寄ってきたところをひっかけてやるだけだ」
「なるほど。餌に喰いつかせるんじゃなくて、針で攻撃するわけか」
思っていた釣りとは違うが、仕掛けが分かればなんとかなりそうだ。
ヨルは、今度こそはと大物がいそうな離れた場所へとキャストする。
ヒュオッ。
空を裂く軽快な音を立てて釣り針が飛んでゆき、水面に落ちた後ゆっくりと沈んでいく。コツさえわかればこちらのものだ。ヨルは釣り糸に魔力を這わせ、釣り餌の周りの様子に意識を集中すると。
(……来た!)
餌だけうまくとろうと寄ってきた大ぶりの魚。それが餌をつつこうとした瞬間に、ククッと竿を動かして針を口元にひっかけてやる。
ビチビチビチ!
「よし!」
いい当たりだ。ヨルが意気揚々と釣り糸を巻き上げようとしたその時、水底からさらに大きな影が急浮上してきて釣れた魚を一飲みにしてしまった。
「こいつ、俺の魚を!!」
通常の魚とは比較にならない大物だ。引きの強さに竿ごとどころか釣り人ごと持っていかれそうだ。
(とられっぱなしだと思うなよ!)
折角のあたりを奪われたヨルは大人げなく対抗し、糸が切れないように魔力で補強しながら力任せに水中の盗人を釣り上げた。
ザッパー。ギチチチチ。
「エビ!?」
「グロースプラガーだね。グローシュリンプが魔獣化したエビだよ」
なんと、エビで魚を釣っていたら、でっかいエビが釣れてしまった。1メートルほどもあるエビだから食いでがありそうに見えるのだが。何か汚い液体をブシャーと吹きかけてきたから、魔術でキュッとシメてやったら。
コロン、コロン。
「魔石が釣れた。なんで二個?」
「当たりだね。この辺りには死んだグロースプラガーの魔石が沈んでるから、餌と一緒に食べちゃったんでしょ」
「魔石くえんにゃ」
グロースプラガーは魔物なので、シメた瞬間小さな魔石に変わってしまった。腹立たしいことに喰われた魚が出て来たりしなかったので、手に入ったのは魔石だけだ。
「これで今日の宿泊費稼げたね」
ドリスは褒めてくれたけれど、ヨルは長靴を釣ってしまった気分になった。
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