007.城塞の街 *
「広い畑だな」
「ノルドワイズはこの国有数の穀倉地帯でもあるからね。寒い地域だけど、魔素が濃いから作物がぐんぐん育つんだよ」
森を抜けると広大な麦畑が広がっていた。その先にポツンと見える城砦がノルドワイズなのだろう。
かつて魔王とやらがいたらしいこの地域は、魔素が集まりやすいのだそうだ。
ちなみに魔素というのは、日光のように空から降りそそぐ質量のないもので、魔素が濃い地域は植物も動物も、ついでに魔獣もよく育つ。
目的地が見えると到着するのは早いもので、遠くに見えた街まではあっという間にたどり着けた。
俊足自慢のドリスとずっと走ってきたかいあって、夕刻と呼ぶには少し早い。
遠くから見ると明るく見えた城壁は白に近い灰色で、コンクリートのようなもので何度も補修した跡が確認できた。高さは5m以上あるだろう。上部にはバリスタ――巨大なボウガンが四方ににらみを利かせ、見張りの兵士が巡回している。城壁の外堀には先を尖らせた丸太が堀の底に設置してあり、実用的な砦のようだ。
(堅牢を絵にかいたみたいだな。随分たくさんの人が住んでるみたいだし)
丸太杭の先には、消えずに残った魔獣の体の一部、乾いた肉片や毛の付いた皮がこびり付いていて、堀の底は心なしか赤黒い。
「グルルルル」
遥か後方の森の方から、壁の中に詰まったごちそうを狙う獣の声が聞こえた気がする。
ノルドワイズのさらに北から視線のようなものを感じた気がして、ヨルは城門へと急いだ。
「初めて見る顔ぶれだな。ギルドカードはあるか? ないなら入門料は、1万エクトだ」
城門の衛兵がぶっきらぼうに説明する。
(1万エクト、なんか高そうな数字でた。1枚で足りるか?)
マンティコアの代金袋には、大ぶりな銀貨が20枚入っていた。あんな化け物の魔石だ。それなりに価値のあるものだろうと、1枚取り出して渡すと、小さな銀貨を9枚返された。なるほど、小さい銀貨は1万エクト、大きい銀貨は10万エクトか。
足りてよかったと思っていたら、横でドリスが学生証を提示して銀貨ではなく銅貨を1枚払っていた。おそらくあれは千エクト。1/10とは、学割お得すぎじゃないか。
「今日から10日間はこの札を見せれば出入り自由だ。この街を発つときに返却すれば千エクト返金する」
銀貨1枚のヨルと銅貨1枚のドリスは、それぞれ同じ札を受け取る。返金があるなら学割実質無料じゃないか。
(解せぬ……)
表情筋の動きにくい体だと思っていたが雰囲気に出ていたのか、ぶっきらぼうな衛兵がヨルに声をかける。
「ギルドに入れば差額が返金されるぞ。まぁ、入会金がいるんだが。宿の割引も効くし損はないはずだ。あんた、魔術士みてぇだが魔石持ってないか? 持ってるなら買い取り価格も上がる。今は狂乱の月の真っただ中だからな、魔力不足なんだ。いつもより良い値で買ってくれるはずだ」
「そうか。情報助かる」
異世界物の最初の街の門番お決まりのチュートリアルを頂いてしまった。
やはりこの世界にもギルドなる冒険者御用達の施設があるらしい。これは行かねばなるまい。でもって、定番よろしくおすすめの宿を紹介してもらうのだ。
入門を許されたので、城壁にある門をくぐる。
外国の城壁をくぐるのは初めてだ。随分と厚みがあって、まるで薄型のビルのようだ。城門のすぐ内側では兵士たちが城壁の上へとせかせかと物資を運んでいる。魔獣の動きが活発化する夜に備えているのだろう。
「ドリスはこの後どうするんだ?」
「今日は宿をとって休みたいかな。ずっと走って疲れちゃったよ。ヨルはギルド行くんでしょ? ボクも付き合うよ。おすすめの宿も聞きたいしさ」
「それは助かる」
「んー? ふふ、ヨルって意外と世間知らずだもんね」
思わず漏れた本音にドリスが笑う。
少年のような言動と気さくさは、情報源としての有用さをのぞいても居心地がいい。もう少し旅の道連れでいられることをヨルは素直にうれしく思った。
途中、何組かの武装した集団とすれ違いながら、門番に聞いた道をしばらく進むと、街の中心らしき広場についた。広場周辺の建物は石づくりのしっかりしたもので、その中の一軒が目的のギルドらしい。看板に「ストリシア・ハンターズ・ギルド」と書いてある。
(この体、文字も読めるのか……。少し崩してあるように見えるが)
ドリスと初めて会話した時のような違和感を覚えたものの、読み書きも問題なさそうだと安心する。ちなみにギルドは冒険者ギルドでなくハンターズ・ギルドらしい。一狩りいくのか。
ギルドの中に入ると、カウンターに掲示板。それっぽいレイアウトの内側で5人の職員が働いている。受付の混む時間ではないらしく人はまばらだ。
「こちらへどーぞー。ご用件は?」
「ギルドに入会したい」
「はい、入会で…………」
案内のあったカウンターへ向かうと、ヨルの顔をみた受付が半口を開けて固まった。一体どうしたことだろう。
「ごほんっ、んっ、んー」
呆けた受付嬢にドリスが咳ばらいをする。
「……え、あ、す、すいません。ご入会ですね。こちらの用紙に記入をお願いします。あ、代筆は……」
再起動した受付嬢は、失態が恥ずかしかったのか心なしか顔が赤い。少したれ目がちでやや口が大きいが十分にきれいな女性だ。胸元に垂らした髪の毛の先を左手でいじりながらちらちらとヨルを見ている。
差し出されたペンは羽ペン、紙はペン先がひっかかりそうなわら半紙だ。書式はシンプルで、名前と年齢、所属、主な戦闘スタイルくらいしか記載事項がない。
「所属とは?」
「パーティーのお名前をお願いします」
「ないな」
なし、と。代筆を聞いてくるあたり識字率は低いのだろう。書式もざっくりしすぎだし、適当でいいだろう。
(戦闘スタイルは魔術、年齢は……エルフで27歳ってどうなんだ? 空欄でいいか)
「ソロで活動されているのですね。まぁ、魔術士……。あっ、登録料が10万エクトかかりまして、入門証をお持ちでしたら、5千エクトひかせていただいて9万5千エクトになります」
ソロと聞いてちらとドリスと見たあと上目遣いで視線を送ってきた受付嬢は、思い出したように登録料について説明を始めた。10万エクト、大きい銀貨1枚だ。貨幣価値はまだわからないが、マンティコアの魔石が400万だったことを考えると、そこそこ高い気がする。
「ストリシア・ハンターズ・ギルドは他の国にも支店がある信頼と歴史あるギルドでして、登録者の実力に見合った様々なお仕事の斡旋と幅広いサポートをさせていただいております。
この街にも提携のお店がたくさんございまして、魔石をお持ちでしたら買い取り価格を1割上乗せさせていただきますし、提携の宿でしたらランクに応じた割引価格にてご利用いただけます」
受付嬢の説明によると、この世界ではギルドというのは複数あって、どこかに登録すれば全世界で通用するものではないらしい。
斡旋するのはいわゆる冒険者が請け負うような仕事だが、ギルドによってその内容に多少の差がある。このストリシア・ハンターズ・ギルドは魔獣の討伐が中心で、魔獣退治を専門とする戦闘職をまとめてハンターと呼ぶようだ。対して人間――戦争や盗賊狩りをメインとするのは傭兵と呼ばれ、都心部に行けば警備の仕事を斡旋するギルドもあるらしいが、魔獣が跋扈する辺境ではハンターの需要がほとんどだ。
ハンターのランクについては、一番下、見習い相当の『掃除屋』から始まって、ボリュームゾーンの『狩人』、『殺戮者』、『滅殺者』、『征服者』、『聖戦士』、『勝利者』、『至高』と成績に応じてランクが上がり、それに伴い特典も豪華になっていく。『聖戦士』あたりで昇爵に必要な推薦状がもらえたりするのだが、当然必要となる条件は厳しい。ちなみに、現在いるのは『勝利者』までで『至高』はいないらしい。
面白いのは昇級条件が魔石の売却累計額なところだろうか。特典が付くことといい、なんだかクレジットカードみたいだ。身分証くらいあった方がいいだろうし、そういえば道中で倒した狂乱熊の魔石も持っていた。ついでに買い取りもしてもらおう。
入門証と狂乱熊の魔石2個をカウンターに置き、「買い取りを頼む」とカウンターに置くと、受付嬢の目がギラリと光った。キラリ、ではなくギラリである。
「まぁ、立派な魔石。それも二つも」
書類と魔石を受け取った受付嬢は、カウンターの奥にある電子ばかりのような道具の上に魔石を乗せる。魔導具の類だろう。紙やペンは低品質だったのに、こういうものはあるのか。なんだかアンバランスな感じがする。魔人文明と人間の技術力の差なのかもしれない。
「お待たせしました。ただいま魔石の買い取り価格が上がっておりまして、二つで22万エクト、入会者特典で1割増しになりまして24万2千エクト。ここから入会金を頂きまして14万7千エクトになります」
大銀貨1枚、銀貨4枚、銅貨7枚と、金属製のドックタグのようなプレートを乗せたトレイが置かれる。この世界、10倍ごとに貨幣が変わっていく仕組みらしい。そしてこのタグがギルド証なのだろう。『掃除屋』に就任である。
このタグに登録し、銀行のようにストリシア系列のギルドでお金を預けることもできるらしい。高い入会料だと思ったら、このタグが高価なのだとか。恐らくこれも魔人が残した技術なのだろう。無くすと登録しなおしで、預けた金も戻らないから気を付けるようにと言われた。
「おすすめの宿はあるか?」
「えぇ! ございますぅ」
ぱちぱちっと瞬きをして街の地図を取り出す受付嬢。
目にゴミでも入ったのか、ぱちぱち、ぱちまちせわしないし、なぜか語尾に「ぅ」が付いている。
観光地で配られているようなざっくりとした地図には、提携店が掲載されている。宿屋は城門近くに集中しているようだ。
「この『降りしきる星空亭』というところは雰囲気も良くてイチオシですぅ」
「そうか。世話になった」
登録も済んだし宿も聞いて、当初の用事は完了だ。めぼしい依頼がないか確認したいところではあるが、掲示板は先ほどからドリスがチェックしているから後で聞けばいいだろう。
特に声もかけずにギルドの外へ出たけれど、さして間を置かずにドリスも出てきた。
「ヨル、お待たせ。いい宿あった?」
「『賑やかな鶏亭』なんてのはどうだ?」
「あれー? 星空がどうとか言ってなかった?」
いたずら顔で尋ねるドリス。受付嬢とのやり取りをちゃっかり聞いていたらしい。
「そこからはだいぶ離れているな」
日本でこんなにモテた記憶はないが、あれだけ分かりやすくアピールされたのだ。受付嬢がこの宿をお勧めしてきた意図くらいわかる。この世界の女性が積極的なのか、この体がそんなにイケメンなのか。魔石を出してから目つきが変わったから、稼げる男がモテるのは共通事項なのかもしれない。
「あの受付嬢さん、今日は一人で星空見学かー」
「ああいうのはいくらでも代わりを見つけるさ」
宿屋の方へ歩き出すヨル。
「結構オイシソウな娘だと思ったんだけどな」
「好みじゃないな」
男友達とかわすような会話に内心苦笑するヨル。
(ほんと、咲那みたいだな、コイツ)
一緒にいる相手を比較するのは失礼だから考えないようにしていたが、ドリスはヨルの恋人、咲那と性格が似ている。咲那はああ見えて焼きもちやきだから、こんなところを見られたら拗ねてしまうに違いない。もっとも、再び会えたらの話なのだが。
咲那のことを考えていたからだろうか。
「ねぇ、ヨルって恋人いるの?」
ドリスが思わぬ質問を投げかけてきた。うぬぼれかもしれないが、まさかドリスも自分に気があるのではと思わずまじまじとドリスを見てしまうヨル。
「あ、違うよ? ヨルはかっこよくてイイヤツだけど、ボク、婚約者いるし。で、いるの?」
ヨルの疑問を察したのか、サクっと否定したうえに婚約者情報の追い打ちをかけてくるドリス。こう返されると少し残念な気がしてくるから現金なものだ。
「いるよ」
「へぇーっ。故郷に?」
「そんなところだ」
「置いてきちゃったんだ? 帰りたくならない?」
「……そうだな」
あの世界に、帰ることができるのだろうか。
もしも死んでしまっているなら、泣いてくれるだろう人がたくさんいる。
もっと親孝行しておくのだったとか、会社の同僚には迷惑をかけるとか。そんな気持ちもあるけれど、何よりの気がかりは恋人である咲那だった。
咲那のことを考えるだけで、どうしてあの時後先考えず炎に飛び込んでしまったのかと後悔せずにいられない。沈む夕日は地球で見るそれと同じく、空を赤く染めている。
「……ごめん、遠いんだよね」
「随分と、遠いな……」
迂闊なことを聞いてしまったとドリスの気遣う声が聞こえる。咲那を想うヨルの背に、ドリスの視線を感じる。その表情がどんなものなのだったのか、傾く夕日を見つめるヨルは知らない。
「そうだね、ここは聖ヘキサ教国の北の果て、グリュンベルグ地方だものね」
ドクン。
グリュンベルグ――。
恐らく何気なく掛けられたであろうその単語を聞いた瞬間、ヨルの心臓が痛いほどに跳ねた。