007.ルーティエ通信網
おそらくそれは、魔王シューデルバイツの記憶の中でも最悪のものだったと、――そうであって欲しいとヨルは願った。
このホウロウ村は、のどかな農村だ。ガチョウが魔物化し危機に瀕してしまったけれど、村ごと滅びかねない状況の中、被害は一家族程度で済んだ。ミリィの家族も2人だけとはいえ助けることができたのだ。“幸いに”なんて言葉は口が裂けても言えないが、最悪にはほど遠い。
何も言わずに遠くの焚き火が見つめるヨルをどう思ったのか、ルーティエは静かにヨルの隣に座っている。質問に対する答えにしろ、視線や関心を向けられることにしろ、魔王に何かをしてもらえることは配下にとって幸福を感じることだが、何ももらえないことは不幸ではない。彼らの献身に対する対価は魔王の血肉から作られる魔晶石として、配下になった瞬間に与えられているからだ。
平穏で穏やかな時間が流れる。焚き火のそばでサムという少年がこちらをチラチラ伺っているが、そばに寄っては来ないようだ。彼はルーティエの肉体であるミリィの兄だ。妹の面影を認めたのだろう、宴会の途中でルーティエに話しかけていたが、つれないルーティエの対応に別人だと引き下がっていった。
明日になればこの村を立つ。ミリィが家族に会えることはもうないだろう。
「ルーティエ、接ぎ木をしていこう。この村が見渡せるあの丘がいい」
「はい、ヨルさま。……ミリィも喜びます」
唯々諾々とヨルに従うルーティエが、最後にぽつりと付け加えた言葉がヨルにはとても嬉しかった。
■□■
ズゥン……、バサバサバサッ。
空が白み始めるころ、ホウロウ村を見下ろす小高い丘の少し奥から地面が揺れるような音がして、何羽もの鳥が飛び立った。手荒い目覚ましに森の鳥たちどころか、ホウロウ村の生き残ったガチョウたちも異変を察して「グァグァグァ」とけたたましく騒ぐ。
(ドリスは起きたかもしれないな。ミーニャは、……寝てても起きてても変わらんか)
こういう時、事情を知っているヴォルフガングはありがたい。一声かけて出てきているから、ドリスが起きてもうまくごまかしてくれるだろう。
ヨルとルーティエはすっかり広くなった丘の上で、1本残った樹木の魔獣、トレントの方に歩いていく。
ちょっとした森や林の中にはトレントの1,2本は生えているものだが、ホウロウ村の近くにもちょうどいい群生地があった。ここのトレントは人間らしさも知性の片鱗も見られない個体だから、人間が魔獣化したのではなく樹木が変容したのだろう。顔らしき洞を持つ以外は、あたりの木々と変わらない。一番立派なトレントが親株で、倒した残りは親株から増えた子株だ。
ザワザワザワ。
トレントが恐れおののくように幹を震わせる。枝を手足のように動かして攻撃して来る魔獣だが、攻撃できる手足はとっくに切り落としてある。申し訳程度に残した頭頂部の枝では攻撃しようにも届かないから、丸裸も同然だ。
「それでは接ぎ木を始めます」
ルーティエが人差し指を立てると、指先がスススと伸びて枝に変わる。それをぽきりと折って大樹の眉間あたりに枝をドスッと突き刺す。これで接ぎ木は終了だ。
折った枝の切断面からは、スライムであるルーティエの粘体がとろりと見えたから、この枝はルーティエの分体でもあるわけだ。
ザワザワと幹を震わせていたトレントが、見る間に力を無くし、顔のような洞もただの穴に変わっていく。中枢をルーティエに乗っ取られたのだ。
「成功です。この能力のお陰で本体と遠く離れてヨルさまのお供をできるのですから、良い体を手に入れました」
心から嬉しそうに笑うルーティエ。
ミリィとルーティエの分体は融合したような状態になっていて、ルーティエの分体はミリィの身体から出られない代わりに、新しい能力を手に入れている。それが、この接ぎ木の能力だ。
ミリィの身体を乗っ取ったのとは違って、寄生に近い状態らしく、ルーティエ兼ミリィの部分は刺した枝1本分だけ。トレントの魔力を吸って活動できる。
ルーティエの本体はルティア湖一杯に広がる超巨大スライムで、ノルドワイズ周辺ならば切り離した分体を動かすことができるのだが、分体の行動範囲には制限がある。分かりやすく言うなら電波が届かなくなるのだ。
しかし、ルーティエの枝を別の樹木に刺して接ぎ木すれば、中継局として使えるようになって行動範囲が広がるらしい。
「いい場所に樹木系の魔物がいてくれて助かりました。普通の樹木では魔力が足りなくて、あまり範囲が広がりませんから」
道中、トイレ休憩を装ってあちこちに接ぎ木をしているおかげで、ルーティエ通信網は着々と広がっている。ちなみに中継局周囲の状況は、おぼろげに分かるものらしい。分体がいればもっと詳細な情報も得られる。魔人文明全盛期ならいざ知らず、今のアナログ感あふれる魔法世界でこの情報優位性は危険じゃないか。
(まぁ、この世界を網羅的に回るわけじゃないし、メルフィス城までの経路だけならそう問題はないだろう)
このトレントは背が高い。てっぺんからならホウロウ村が見えるから、ミリィはこの村の様子をおぼろげに見守れるだろう。
子供達がガチョウを追いかける、平和でのどかなこの村の様子を。
■□■
(こんな便利な能力を下さるなんて、さすがはヨルさま!)
お約束の勘違いでヨルの株を爆上げするルーティエ。ぜひとも心の声を口から漏らして、ヨルの視線を彷徨わせてもらいたいところだ。
まったくの偶然得られた能力だったが、ルーティエはヨルのスッゴイお考えによって与えられたと思っているし、力が与えられたということは役割も与えられたということで、諸々合わせてミリィと融合したことを心から喜んでいた。
ルティア湖で本体がグリュンベルグ城を守りながら、分体がヨルと共に旅ができるなんて、まさに盆と正月が一緒に来たみたいな感じだ。
(もっと行動範囲を広げて、もっとお役に立たなくては!)
ルーティエはさらに数本の枝を指から折って、接ぎ木をしたトレント近くの茂みにおいておく。
「どうした、ルーティエ。行くぞ、そろそろ出発だ」
「はい、ヨルさま」
主に言われてから動いたり、主に気を使わせるなど、しもべとして三流だ。
新しくライラヴァルという魔人も配下に加わったのだ。所詮はスライムに過ぎないルーティエと違って、ライラヴァルは主の役に立つ方法をたくさん知っているだろう。
(ルーティエはもっと賢くならないと……)
浄罪の塔に向かう時、「人間の何人かは俺にひどいことをするかもしれないが我慢するように」と言われていたのに、我慢できずに暴走してしまった。あの時はヨルが死んでしまったと思ったのだ。
(ヨルさまはお考えがあってあの攻撃を受けられたのに。ヨルさまのお考えも分からないくせに、言いつけも守れなくて……。それで、ヨルさまにお怪我を……)
自らの溶解液で主を傷つけてしまった事がルーティエには何より辛かった。あんなことになったのは、自分が愚かで役立たずなスライムだからだ。魔晶石を頂いてから1000年近くもたっているのに、自分は何をしていたのだろうとルーティエは思う。
ライラヴァルがしょっぱなから必殺技をぶちかましてくると思わずに、受けちゃったのはヨルの浅慮ゆえで、あそこで死にかけるとはヨルも予想外だったなんて、ルーティエは考えもしないのだ。
ヨルたちが立ち去ったあと、ルーティエの枝が置かれた茂みにスライムがひょっこりと現れて枝を呑み込みどこかへと消えていった。遠路はるばるルティア湖からやってきた、ルーティエの他の分体だ。接ぎ木用の枝はミリィにしか作れないけれど、その接ぎ木を適当なトレントに刺すことなら他の分体でもできる。
「ヨルさま、駄ネコがヨルさまを待たずに朝食を食べています!」
「……朝飯くらい勝手に食べさせとけよ」
ホウロウ村ではドリスが食料の買い付けや報酬の受け取りなど雑事を済ませ、出発の準備を終えてくれたようだ。セキトの近くで朝食を囲むドリスたちからは、コーヒーのいい匂いが漂って来る。
「あ、ヨル、おかえりー。コーヒーが手に入ったよ。ヨルも飲むでしょ? ルーティエちゃんはミルクとお砂糖ましましねー」
「ルーティエを子ども扱いしないで欲しいです」
「あ、俺も、ミルクと砂糖ましましで」
「ルーティエもましましです」
ホウロウ村での惨劇が夢だったかのような穏やかな朝の光景に和むヨル。
ヨルはルーティエ通信網をノルドワイズからメルフィス城までの線だと思っているけれど、ことあるごとにルーティエが枝をポキポキまき散らし、スライム分体がせっせせっせと接ぎ木しているから、通信エリアは日々広がりまくっている。分体の魔力供給問題を解決すべく、根っこよろしく地下で触手を繋げる土木工事も進行中だ。
驚異のルーティエ通信エリアがどんどん拡大していることに、ヨルはまだ気付いていない。
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