004.赤い景色
グァグァグァ。
ガチョウたちは夜明けとともに騒ぎ出す。早く餌場に連れて行けと、サムにせがんでいるのだ。
「よーしよし、今連れてってやるからなー」
サムがガチョウ小屋を開けると、妹のエミリとメアリが自分たちのガチョウを連れて出かけるところだった。
「兄ちゃん、おはよ」
「おはよう、兄ちゃん」
「おう。お前ら、今日はどこに連れてくんだ?」
「今日は三角岩の池に行くつもり」
「えー。オレが行こうと思ってたのに」
この辺りは湖沼地帯で、小さな池がいくつもある。どの池もガチョウたちのエサが豊富で、温かなこの時期はいくつかの池に順繰りに連れて行くだけでガチョウは丸々と太ってくれる。ガチョウはこのホウロウ村の名産で、どこの家でもガチョウの世話は子供の仕事だ。
ガチョウの足でも行ける距離にいくつも池はあるけれど、面倒な仕事に違いないから家の近くは取り合いだ。
「こっちはメアリがいるのよ? 兄ちゃんなんだから譲ってよ」
10歳になるエミリは、妹のメアリにガチョウを追う仕事を引き継いでいる最中だ。これからは、嫁に行く姉に代わって家の仕事を手伝うのだ。
「ちえー。じゃあ、カエル池の方にすっかな」
「カエル池は昨日も連れてったじゃない。もう、カエルもいないわよ。そうだ、リンゴ池は? あたしリンゴ食べたい!」
「えぇ!? あそこ一番遠いじゃん。朝飯遅れちゃうだろ」
「ちゃんと兄ちゃんのぶん、とっておくから。お願いね! さ、メアリ行こう」
生意気な妹だ。三つ下のエミリは口が達者で、サムはいつだって言い負かされてしまう。
エミリに呼ばれて、会話に混じらずガチョウ小屋をじっと見ていた下の妹、メアリが二人を振り返る。
「ねぇ、兄ちゃん。今日の卵、ちょっと大きくない?」
「ん? そういわれてみれば……」
「ばかねー、メアリ。どれもおんなじ大きさじゃない。魔獣になる卵は一つだけ大きいのよ! さぁ、早く。あたし、今日は姉ちゃんに料理習うんだから、忙しいの! あーあ、御子さまに選ばれたのがミリィじゃなくてあたしだったらよかったのにな」
「馬鹿な事言ってないでさっさといけよ、二人とも」
「はぁい」
「うん……」
毎日のように生まれるガチョウの卵には、まれに大きな卵が混じる。これは魔獣になる卵で、教会に持っていくと良い値段で買ってくれるのだ。
けれど、生まれるのは年に一つか二つのペースだ。今日の卵は確かに少し大きいけれど、サムの知る魔獣の卵よりは小さいし、どれも同じ大きさだ。若いガチョウより、産みなれたガチョウの方が大きい卵を産むものだから、そのせいだろう。
ピュイと口笛を吹いて、サムは自分の犬を呼ぶ。
この村は良質なガチョウの羽毛と肉が名産で、それなりに潤っているけれど、魔獣除けの魔導具は民家とガチョウ小屋、小さな畑のある村周辺しか守ってくれない。ガチョウたちを連れて行く池にはまれに魔獣が現れるから、弱い魔獣なら追い払ってくれる番犬たちは重要だ。それでもガチョウが喰われることはしょっちゅうで、運の悪い子供が犠牲になることだって珍しくない。
サムには3人の兄と2人の姉、6人の弟妹がいたけれど、兄2人と姉1人、エミリの一つ上の妹が放牧の最中に魔獣に襲われ命を落としている。村を出ていけたのは、一番上の兄と御子さまに選ばれた四つ下の妹ミリィだけだ。
サムの家が特段子だくさんで、特に魔獣の被害が大きいわけではない。
この村ではどの家も十数人子供がいるのは当たり前で、たくさんいる兄弟たちが大人になれずに死んでいくのも昔から変わらない。サムは村から出たことはないけれど、行商人の話を聞く限り、どこの村も大して変わらないだろう。
「やっぱり、リンゴ池は遠いや」
サムは隊列を乱すガチョウたちを操りながら、ようやく見えてきたリンゴの木に溜息をもらす。
小さい池に沿うように真っ赤な林檎がたわわに実った並木が続いている。
赤、赤、赤、赤。赤い景色だ。
「行け!」
バウワウと返事をして駆けだした犬が何事もなく戻ってくるのを確認し、池へと急ぐ。サムもガチョウも腹ペコだ。我先にと池へと飛び込んだガチョウたちは、小魚やカエル、タニシや虫を追い回し、サムもあたりのリンゴの木から、真っ赤に熟れたリンゴをもいで頬張る。
まだ小さいサムの手に収まるほどの小さなリンゴだけれど、滴るほどの果汁と蜜が入ってとても美味しい。この辺りは魔素が少し濃い地域らしくて、自然が豊かで実りが多い。こんなリンゴが春先から秋の終わりまでずっと実っている。この世界で生まれ育ったサムには、この世界の豊かさを当然のものとして享受しているのだけれど。
「リンゴじゃ腹にたまんねぇや。早く帰ろう」
帽子にいっぱいリンゴをもいだサムは、犬を置いて家路を急ぐ。家では幼い弟妹達がガチョウの卵を拾い集めて孵化室へ移し、小屋の掃除を終えたころだろうか。急げば弟妹達が朝食が終わる前にリンゴを届けられるかもしれない。
「今日は父さん、剣の稽古つけてくれるかな? オレも早く一人前になりたいなぁ」
ガチョウの番に畑仕事。そんな仕事から早く卒業し、カッコよく剣をふるって魔獣を退治したい。剣を握ったことはないけれど、一番上の兄はハンターになったのだ。サムにも才能があるはずだ。
ハンターになって退屈な毎日からおさらばする。それがサム少年の夢だった。
目指す街はノルドワイズ。そこで有名なハンターになるのだ。メリフロンドの方が安全な仕事が多いけれど、ノルドワイズを目指すのは、浄罪の塔が近いからだ。
「ミリィのヤツ、どんくせぇからさ。近くにオレがいてやんないと」
エミリの一つ下、サムにとっては四つ下の妹ミリィは内向的な大人しい子だったのに、ヘキサ教の御子様に選ばれて村を旅立っていった。御子さまは神様が御遣わしになった子供で、もう家族ではないと言われたけれど、サムにとってミリィが妹であることに変わりはない。
「知らない奴に囲まれて、泣いてなきゃいいんだけど」
羨ましい気持ちが半分と、お兄ちゃんとして助けてやりたい気持ちが半分。
気持ちは大きく膨らむけれど、子供のサムはノルドワイズどころか村から出ることさえできない。サムは拾った棒切れを振り回し、待ちきれないとばかりに家へと駆けだす。少年は平凡な日常をやっつけたい気持ちでいっぱいだった。
のどかで退屈なばかりのサムの家。そこで彼を迎えたのは、「さっさと朝飯食べちまいな」と笑う母でも、「リンゴ、リンゴ」と群がる弟妹でもなくて、手に盾と剣を握り険しい表情をした父と村の男衆だった。
■□■
「どうしたの? 父さん」
「サム、お前は無事だったか。今すぐ教会へいけ、エヤミドリが出た」
「エヤミドリ? まってよ、母さんは? エミリやメアリは?」
盾に剣やたいまつ、あるいは弓を構えた男衆がサムの家のガチョウ小屋を囲んでいた。父親のもとに駆け寄るサムに、教会へ行けと告げる父親の表情は硬く、周囲に家族の姿は見えない。
グァグァグァ。
連れて出たはずのガチョウたちが鳴いている。
エミリたちと半分ずつ連れて行ったはずなのに。エミリが連れて戻ったのだろうか。
「エミリ、メアリ?」
大人たちの隙をくぐって、ガチョウ小屋へと駆け寄るサム。
「待て、サム。見るな!」
父親がサムの腕をつかむより先に、サムは薄く開かれたガチョウ小屋の入口へとたどり着く。
グァ。
サムに向かって一斉に振り向くガチョウの目。
差し込む日差しに照らされて濡れた姿が赤くひかり、その足元には見なれた形の肉塊が何人も転がっていた。
エミリ、メアリ、弟や妹。彼らを庇って覆いかぶさるように伏せているのは母と姉。
その体にはいくつも大きな穴が開き、喰いちぎられた手足があたりに散乱していた。
「放て!」
男衆の叫びが先か、サムめがけ翼を広げたガチョウが先か。
ガチョウは飛べないはずなのに、首をまっすぐ伸ばしたガチョウは、鋭いくちばしを矢尻、羽を矢羽のようにして、放たれた矢のように突進してくる。サムの前に飛び出した父親は、ガチョウの突撃を受け止めるように盾を前へと突き出した。
「ぐぅ!」
「と、父さん!?」
しかし、突撃してきたガチョウの頭部は父親の構えた木の盾を貫通し、腕の肉を大きく削る。
エヤミドリ、疫鳥。
そう忌まれ呼ばれた鳥の姿を、サムは初めて正確に認識した。
数十年に一度、村を襲う災厄の名前であったはずだ。
どんな生き物も、稀に魔獣になるという。ガチョウの場合は分かりやすくて、卵の時点で判別がつく。そうやって気をつけていれば安全に飼うことができるのだが、数十年に一度のペースでエヤミドリは小屋一杯にあふれかえる。生まれた卵全部が孵ると同時にエヤミドリに変わって、見る間に成長して家主一家どころか村ごと滅ぼしかねない災いとなる。
父の持つ盾を貫通したエヤミドリの姿。矢尻のように尖った口ばしは額と顎を覆う兜のように突出し、長い首の咽側にも逆剝けのように下口ばしが連なっている。濡れそぼった体の赤、錆臭いその臭いはサムの家族の血に違いない。木製の盾をたやすく貫く突撃は、人の柔肌などたやすく貫き通しただろう。
グアァ。ガァ、グワァ。
釣り上げられた魚のエラのように咽一面に切れ込んだ口ばしがバクバクと開閉し、そこから何匹分ものガチョウの声が漏れる。獲物を求めるエヤミドリの目は、血に濡れそぼるその体のように赤かった。
「う、わああああぁぁぁ!」
グァグァグァ。
サムの絶叫、エヤミドリの鳴き声。
盾を貫いたエヤミドリの首はサムの前で落とされて、吹きだした血がサムの服を赤く染めた。
赤、赤、赤、赤。赤い景色だ。
村の男衆の放った矢が、サムの家のガチョウ小屋から続いて飛び出してくるエヤミドリに降り注ぎ、他の男衆が横から小屋の扉を閉める。見る間にガチョウ小屋の周りには薪が積み上げられて火が放たれる。
グァグァグァ。
小屋から聞こえるエヤミドリ達の鳴き声は、炎に巻かれる叫びではなく無力なサムたちをあざ笑うようだ。炎に追われたエヤミドリ達は、小屋の天井を突き破って一斉に森の方へと飛びだした。矢のような速度で飛び去るエヤミドリに、追い打つ矢はかすりもしない。
「逃げられた! 仲間を増やすつもりだ。奴らはすぐに増えるぞ、村中の卵を割れ! 村人を教会へ避難させろ、急げ!」
父親の腕から滴る赤い色、自分の服を不快に濡らす赤い色。
ガチョウ小屋を、サムの家を包む炎の赤と、その奥で動かなくなった家族を包む赤い色。
赤、赤、赤、赤。赤い景色だ。
グァグァグァ。
エヤミドリの嘲笑うような鳴き声が、サムの耳から離れなかった。
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