026.休戦
(やべぇ、どうしよう)
異世界マグスに戻ったヨルは、ものすごーく動揺していた。
地球からこっちに引き戻される時に、ルーティエが泣きながらヨルを呼ぶ声は聞こえていたから、急に仮死状態みたいになってビックリして泣いちゃったかー、位に思っていたのに。
(俺が死ぬとルーティエ闇落ちラスボス化して人類滅亡ルート入んのかよ!?)
ルーティエの本体が暴走しているとは、戻ってきたヨルの方がビックリだ。
超でかい湖があふれて襲って来る時点で恐怖だが、魔王EYEでよく見ると、水しぶきとは違う感じの煙も上がっている。
多分あれ、酸になってる。
進路上の魔物どころか森も大地もジュウジュウとかしながらこっちに来てる。超やばい。
端末をヨシヨシしたら正気に戻ってくれるんじゃないかと、ちょうど騎士らしき人が抱えていたルーティエinミリィを抱っこして呼びかけては見たのだが、アンテナ0本の圏外状態だった。窓際に行ってみたが電波の入りは変わらない。いや、圏外なのではなくて、サーバーが暴走状態なのだが、連絡がつかない点では大差ない。
(わぁ、どうしよう。このまま暴走ルーティエに喰われたら、今度こそちゃんと日本に完全復帰できそうだけど、……そう言う訳にはいかないだろうなぁ。ルーティエ、あんなに泣いてるし。咲那も助けないとだし。ヴォルフは……無事か。魔人である俺のために戦ってくれたんだよな。いいヤツだよな『魔人殺し』だってのに。ヴォルフは娘さんとこに帰してやりたいな、オプタシオも……って、何やってんの、アイツ。脱走? ルーティエに喰われる前に魔獣に喰われそうじゃん)
短時間死んでただけだと思うのに、何か知らんがたいへんなことになっている。
人間、想像を超える事態に直面すると変に冷静になるものだ。魔王ボディーは表情筋が死んでいるから、ヨルの方をじっと見ているオネェ……ライラ何とかには、こんな異常事態にも顔色一つ変えないクールガイに見えていることだろう。さっきから、なんだかポーっとした様子でヨルの方をじっと見ている。惚れられたらどうしよう。美人だとは思うけど、そっちのケは因には無いのだ。
お陰でヨルはいろんな意味でどうしよう状態だ。
(うん。俺一人じゃ手が足りない。猫の手……はいないから、オネェの手を借りるとしよう)
駄ネコはいても役には立たないが、都合のいいことに『魔滅の聖典』もあるし、ライラヴァルはなりかけだが魔人なのだ。
ぶっ殺された間柄だが、向こうだってこのまま死ぬのは嫌だろう。笑顔だ、笑顔。笑顔でいけば何とかなる。
そう考えたヨルは、表情筋の死んだ顔面を笑顔の形にゆがめつつ、背後に立ってじいいいぃっとこっちを凝視して来るライラヴァルの方を恐る恐る振り返った。
■□■
ライラヴァルはピクリとも動かない少女を抱きかかえ、窓際に立つヨルから目を離せずにいた。
彼は魔王だ。それも、839年前に滅んだとされる古の魔王、シューデルバイツだ。
魔王の中の魔王、幾千幾万もの魔人を従え、グリュンベルグの地を血で赤く染め上げた伝説の吸血の王。その名は未だに恐怖の象徴として語り継がれているというのに。
「ルーティエ」
目の前にいるこの男は、動くことない少女に向かって、どうしてそんなに優し気に名を呼ぶのだろうか。例えこの少女が『蠢く湖』であったとしても、魔王シューデルバイツにとっては数多いる配下の一人、城を守らせるだけの魔獣に過ぎないだろうに。
魔王の呼びかけにも関わらず、この浄罪の塔めがけて押し寄せるルティア湖の勢いは衰えない。魔王を失い、怒りと悲しみの坩堝とかした『蠢く湖』には魔王の声も届かないのかもしれない。
湖の方角を見つめる魔王の表情が切なそうに思えたのは、ライラヴァルの願望だろうか。主を失ったと嘆く魔獣を憐れんでいると、魔王には配下を思いやる心があると、ライラヴァルは信じたかった。
(なんて……綺麗)
こんな状況だというのに、ライラヴァルは月光に照らされるヨルの姿に見とれていた。
白い肌を彩る黒髪、滴る血よりも赤い瞳、高い鼻梁も濡れた唇も。彼の感情とともにあふれる魔力がひたひたと空間を侵食していくようにすら感じる。
――この方は、ただそこにいるだけで欠けた世界を完全なものにしてくれる。
これこそが完全な生命の形に違いない。だというのに、その眉はわずかばかりひそめられ、その表情は憂いに翳っているのだ。
「ライラ……。いや魔滅卿」
「えっ、は、はい」
ふいに名を呼ばれて、ライラヴァルは思わずうろたえてしまう。
魔王の復活に死を覚悟していたというのに、まさか愛称で名前を呼ばれるとは。
「魔滅卿、しばし休戦と行かないか。ルーティエ、あの津波と化した湖を止めたい」
「止め……られるのですか?」
まさか。あんなものを? あれは、まるで自然そのものだというのに。
思わずヨルに視線を向けると、そこには慈愛に満ちた表情で微かにほほ笑むヨルがいた。
「魔滅卿が協力してくれるなら」
ライラヴァルはこの瞬間のことを忘れることはできないだろう。
(魔王シューデルバイツは、この方は、我らを見捨てていなかった……!!)
まるで宙に浮かんでいるかのような感覚に襲われたのだ。鼓動が激しく高鳴り、まるで鋭い雷鳴が頭の中で轟いているかのようだった。終始彼を苛んでいた魔人化の痛みも、魔力枯渇によるひりつくような飢えと渇きさえも、ヨルの赤い瞳を見た瞬間に忘れてしまった。時間が止まったかのような感覚、ライラヴァルは真に仕えるべき主を見つけたのだと悟った。
――と言うのはすべて、ヨルの赤眼、魔王EYEによる魅了の効果なのだが。
『魔滅の聖典』による瀕死から甦った今、ヨルの肉体は緊急事態宣言発令中で魔力も結構垂れ流しなら、回復速度もMAXだし、いつもならオフになっている魅了などのパッシブ効果も全開なのだ。
魔力枯渇気味でお疲れモードの新米魔人ライラヴァルがコロコロ転がされるのも致し方ない。
“恋は勘違いから始まる”なんて言葉があるが、忠誠が魅了から始まったっていいだろう。もうちょっと取り繕った言い方をするなら、魅了とはカリスマとも言えるのだから。
「どうぞライラとお呼びください、魔王陛下」
「え?」
とはいえ中身は平均的日本人、田口因だ。
ヨルの“どうしよう状態”がもう一つ追加されてしまった。魔滅卿の名前が「ライラ何だっけ?」状態だったから「ライラ」でいいなら助かるのだが、どうせならもう一度名乗って欲しい。
(……前向きに考えよう。あんまり時間もなさそうだし。細かいことは後だ、後)
とにかく、ルーティエを止めなければ。ここから声が届かないなら、近づいて声を届けるしかない。問題は、普通の移動手段では津波のようなルーティエに近づくことができないことだが、幸いここには『魔滅の聖典』とその使い手がいる。これを使えば、かなり頑張ればルーティエのところまで行けるだろう。正直あまりやりたい方法ではないが、ルーティエがガン泣きしているのだ。
ヨルは腹をくくると、ライラヴァルに頼む。
「助かる。ではもう一度『魔滅の聖典』を使ってくれ。術式は転身の書の真節で。できるだろう?」
「無理よ!」
ヨルが腹をくくったというのに、ライラヴァルに速攻でお断りされてしまった。
さっきまでかかっていた魅了もあっさり解除されている。ぼんやりした状態で使える術式ではないからそこは構わないのだが、諦めるのが早過ぎじゃないか。
「なんで転身の書の名前を知ってるのかは置いとくとして、さっきのでもギリギリだったのよ!? 真節なんてあたしだけの魔力で足りるはずないじゃない!」
悲鳴を上げるライラヴァル。
こういう時は、どうしたらいいのだったか。“諦めんなよ! 諦めんなよ、お前!! どうしてそこでやめるんだ、そこで!!”だっただろうか。
(いやこいつ、まだチャレンジすらしてないな。だったら“やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ”かな)
ヨルは怠けっぱなしの表情筋をフル稼働して余裕気な笑みを浮かぶと、努めて鷹揚にライラヴァルに指示する。
「俺を殺したお前ならやれるさ。気負うことはない。失敗したって皆死ぬだけだ。一度だけ俺を信じろ。まずは奥にいる双子を起こして連れてきてくれ」
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