017.正気の魔人
「……ミリィの願いをかなえる方法が、一つだけある」
外を走り、故郷の皆ともう一度会いたいという願い。それをかなえる方法はある。
その方法に思い至ったヨルは、この体は、自分は魔王なのだなと自嘲する。ミリィの願いをかなえる方法、それはミリィを救う方法ではないからだ。
「旦那、マジかっ!?」
「ホン……ト?」
ヨルの示した希望に、わずかばかりの理性がミリィの瞳に宿った。
「あぁ。だが、ミリィの体はミリィのものではなくなる。今、体を蝕んでいる痛みからは解放されるが、体は自分の意志では動かず、言葉も視界も自由にならない」
魔獣化を止めることなど、ヨルにだってできない。魔王にできることと言えば、魔に堕ちたものを支配することだけなのだ。
「だ、旦那、一体何をする気なんだ?」
オプタシオの目にはわずかな希望の色が見える。
自分たちが行ってきた非道に対して、目の前で繰り返される悲劇に対して救いがもたらされるのではないか。きっとそう考えているのだろう。
けれどヨルの答えは、オプタシオの希望を裏切る残酷なものだった。
「ミリィの内側をこいつに喰わせ、乗っ取らせる。ルーティエ」
「はい、ヨル様」
「なっ、ス……スライム!?」
ヨルに呼ばれてしゅるりとミリィの前に滑り出るルーティエ。
「前に、死体に入って人に擬態したことがあるといったな。ミリィを生かしたまま体を動かせるか?」
「大丈夫です。だいぶん関節が固まっているようですが、樹木系は進行が遅いですから、上手く使えばあと数年は使えると思います。神経を操作しますから痛みからは解放されますし、魔力核と脳、主要な器官をいくつか残せば、生かしておくことも可能です」
ミリィの膝あたりに触れて確認しながらルーティエが答える。
「数年か。使えなくなった後はどうなる?」
口を開いたのはヴォルフガングだ。
娘を持つ彼は、ヨルの話を聞いた後でもミリィを未だ守るべき人間として見ているのか、それとも魔人殺しとして狩るべき魔獣と見做しているのか。
「それ以上はいくら手を加えても人間の姿を保てないですからね。どこかの日当たりのいい場所にでも植えるしかないですね」
これはあくまで動き回れる時間を延ばすだけの暫定処置だ。
体を明け渡す代わりに、魔化の痛みからも人間の血肉を求める渇望からも解放される。ミリィの願いを叶えて、外を走り家族に会うのはルーティエだ。ミリィはその様子をおぼろげな夢のようにただ見ていることになる。
「そんな……。他に方法はないのかよ?」
「ない。魔化した者は人を喰わずにいられない。親もとに帰せば必ず親兄弟を食い殺し、いずれ人に殺される。人のいない森へ逃がすか、それともここで『箱』になるか。俺にできるのは、結末を少し遅らせることだけだ。……ミリィ、どうする?」
残酷な未来を、少女はどう受け止めたのか。もうあまり動かない口が、小さく、けれどしっかりと言葉を発した。
「モウイチド、アイタイ」
父に、母に、兄弟たちに、友達に。生まれ育った空の下、もう一度。
樹木の魔獣と化しつつある少女は、そう望んだ。
自分がもう二度と人間に戻れないことも、その望みの代償も、すべて理解した上で。
「分かった」
ヨルは少女の願いに短く答えると、自らの指先をブツリと噛み千切った。
「ヨルムが命じる。我に宿りし狂い月の血よ。我、摂理を統べし者。至りし者。我が力と意との元、結実せよ」
ヨルの命に従うように、指先からあふれた血は渦を巻くように手のひらの上に集積し、指先ほどの結晶に変わった。これが魔王のみが造りうる魔晶石。魔化に苦しむ者を救う唯一の奇跡だ。
魔晶石を渡すと、ルーティエは体の一部を両手のように変形させて恭しく押し頂き、そのまま内部へと取り込む。
「ルーティエ、脳は喰うなよ。意識は残しておいてやれ。中もなるべく人間に近く、な」
「はい! お任せください」
ぽんっとルーティエが弾んで飛び上がり、ミリィの口へと滑り込んだ。
同時にビクンとミリィの樹化した体が震える。
体中の関節がゴキリ、ボキリと物騒な音を立てながら折れ曲がり、皮膚を突き破って生えていた枝や根がパキ、ポキと音を立てて落ちていく。
まだ動物の部分が残っていたのだろう、枝の落ちた断面は肉のような桃色をしていて、切り口からは血がにじむ。けれど小さな部屋に充満した血臭に鉄臭さはなく、草むしりをした後のような青臭い臭いだ。枝を落とされて生じた傷はすぐに半透明のスライムの肉片でふさがれ、たちまち人間の肌の色へと変わっていく。
ミリィに叫ぶ様子はないが、口を開けたまま白目をむいているところを見ると、痛みに気絶しているのかもしれない。
「お、おい。大丈夫なのかよ」
ヴォルフガングの後ろに隠れながら、オプタシオがうろたえる。
仰向けにのけぞり弓なりに体をそらしたミリィの腹部が、ぼこぼこと蠢くさまに驚いたようだ。ヴォルフガングも眉をひそめて凝視している。
「植物になって固まった関節を、いったん切り離して軟骨やらの足りない部分をルーティエが補っている。まだ血は通っているが、今は根から食事――、血液なんかを吸い上げていたんだろう? 使わなくなった内臓が幹に変わっているから、それも再構築している。……人の血肉は摂れば摂るほど餓え、その分魔獣化も早くなる。人の食事が食べられた方がいいからな」
少女の異様な変貌を、顔色一つ変えず見守るヨル。
その様子にオプタシオはようやく強い違和感を覚えた。
(ちょっと待ってくれよ、この旦那は一体何を言ってるんだ? それにあのスライム。オレっちは一体何を見てるんだ!?)
敵国の将ではあるが『魔人殺し』ヴォルフガングは有名だ。そのヴォルフガングの知り合いなのだから、ヨルはサフィア王国の密偵か何かだろうとオプタシオは考えていた。しかし、これがまともな人間の反応だろうか。あのヴォルフガングでさえも眉をひそめているというのに。
「……ヨルさまのお側に侍るには、顔が平凡ですね。手足も短いし」
植物の枝や根がなくなり人間らしい外見になった少女が口を開いたと思ったら、出てきたのは少女らしさの欠片もない言葉だ。
ボキゴキリ。
次いでミリィの手足から再び嫌な音がして、少し身長が高くなる。四肢の骨を折って手足を伸ばしたのではないか。低かった鼻もぐぐっと伸びて、薄い唇はぽってりと、一重の瞼はパッチリ二重に、目頭と目じりも少し切れて広がったようで、瞳の大きい愛らしい顔に変わっていった。そばかすのあった皮膚は一瞬でじゅわっと溶けたあと、スライムの粘膜でおおわれ、シミ一つないきめ細かい肌に生え変わる。瞳にルーティエの青が混じって、幼い容姿であるのに吸い込まれそうに美しい。
「お待たせいたしました、ヨル様。いかがでしょうか!? これなら並みの魔人と比べても見劣りしないと思われます。それに、樹木系は進行が遅いですから、まだヨルさまのお食事としても使えるかと。変わった味がするそうですので、お口に合うかは分かりませんが、非常時の食料くらいにはなるかと存じます」
こともなげに報告する少女の身体には樹木の片鱗は欠片もなく、同時にかつてのミリィと名乗った少女らしさも感じられない。
(非常時の、食料?)
オプタシオは目の前で起こった樹木の少女の変貌にも、交わされる会話にも理解が追いつかないままだ。そんなオプタシオの様子を気にも留めずにヨルと少女は会話を続ける。
「ミリィの意識は?」
「神経系を乗っ取った時に気を失ったようです。まぁ、樹木系はぼーっとしてますから、寝てても起きてても静かなものですが」
「……そうか。麻酔、眠りの魔術は使えるか? 次からは強い痛みを伴う時は使うようにな」
「? 大丈夫です。私に痛覚はありませんから」
「使うように」
「??? 分かりました」
目の前の少女はすでにミリィではない。ルーティエと呼ばれたスライムに体を乗っ取られている。
(ミリィは、気を失った……だけか? だとしても、こんなに思いやりの欠片もないスライムに……。
……あぁ、そうか。そうか、こいつら……)
ここに来て、ようやくオプタシオはヨルの正体に気が付いた。
「正気の、魔人……」
オプタシオの呟きに、ヨルとルーティエが視線を向けた。
状況によっては、瞬時に殺されかねないとオプタシオは直感した。けれど、恐ろしさは感じなかった。相手の力量は計り知れないが、御せると踏んだわけではない。ヨルと言う魔人は自分が状況を誤らなければ危害を加えないと感じたからだ。少なくともヨルは、オプタシオが共感できる価値観でもってミリィに選択肢を与えてくれた。
(……これが正気の魔人か。そして、これが、魔獣が選べる最良か……)
この暗い地下施設で『箱』の秘密を探りながら、オプタシオはずっと考えてきた。
魔獣化する子供たちを助ける方法はないのかと。妹と同じ境遇の子らに、一体何をしてやれるのかと。
「なぁ、旦那。ここに来た目的を、これからどうするつもりかを、オレっちに教えちゃくれねぇか」
「魔滅卿の持つ聖遺物。あれに用がある。この塔のことは、お前たちが決めるべきだ」
ヨルは最初、『箱』の中身が魔獣化した子供だと確証が得られれば、この浄罪の塔を壊してでも止めさせるつもりでいた。この世界の人間のことを、導いてやらねばならない存在だと、この肉体は考えていたのだ。
しかしオプタシオを見てヨルの考えは変わった。『箱』の真実を知り、魔獣になった妹を『箱』にされたこの男が何を考え、何をするのか。答えの出ない問題に、どういう答えを導くのか。この世界に生きる人々が決めるべきだと思ったのだ。だから残る目的はヨルの切り札になるだろう聖遺物だけだ。
「オプタシオ、いるか?」
考え込むオプタシオを囚人の一人が呼びに来た。
「大変だ、魔滅卿が客人を招きたいと言ってきてる」
ルーティエがミリィの体を乗っ取った時、相当量の魔力変動があった。鋭い者なら気付くだろうと思ったが、やはり魔滅卿に気付かれたらしい。
オプタシオの答えを聞けないままに、ヨルたちは魔滅卿の招きに応じるため、昇降機の間へと向かっていった。
黙ったまま同行するオプタシオは、何かを決意したような、そんな顔をしていた。
前回と今回の挿絵の差……。
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