012.白き月の満ち欠け-①
短いので2話更新です。1話目。
――白い月が満ちていく。
「イ……タイ……」
魔に堕ちる者はみな、口々に痛みを訴える。
たいていの愚か者は、これを罪を犯した罰だとか、悪神テトラに魅入られたからだとか、適当な理由をつけて納得しようとするけれど、これはおそらくこの世の『理不尽』そのもので、運以外の理由がないものだ。
何度も魔に堕ちる者を見るうちに、魔に堕ちるという現象がヘキサ教の教義と異なることに気が付いた。
これは自然の摂理というものだ。弱い獣が淘汰され、優れた生物が繁栄していく理そのもので、こざかしいばかりの人間が劣等種であることを受け入れられずに“魔に堕ちた”などと騒ぎ立てているだけなのだ。
――白い月が満ちていく。
「ク……イタ……イ」
魔に堕ちる者はみな、口々に餓えを訴える。
人の血肉を喰らいたいと、癒えぬ渇きに苛まれるのだ。
人の血肉は痛みを癒す。けれどそれは束の間で、喰らえば喰らうほどに痛みも餓えも強くなる。
魔に堕ちる痛みを例えるならば、全身を内側から溶かされ、侵食され、焼き尽くされるような感覚で、あまりの痛みに肉体が炭のように黒変する錯覚はもはや日常のことだった。
黒変した己の肉体がボロボロと崩れる様に、肉体を失った分だけ痛みから逃れられると安堵に似た息を吐く。それは痛みを紛らわせる錯覚に過ぎず、我に返れば己の肉体はかつてより白く美しい肌に覆われている。しかし、その美しさとは裏腹に、この肉体は飽きもせず傷み続けるのだ。
――白い月が満ちていく。
この苦痛、この飢餓にどうして正気を保てるだろう。
立っているのか伏しているのか、己の状態さえ見失う感覚。
自分は二足で歩いていたか、それとも四足の獣だろうか。地を這う者か、それとも大地のくびきを断ちきり空へと発てるものだったろうか。
失いそうになる自我のなか、喰らうという根源の欲求だけは鮮やかだ。
太古の昔、人が獣の一種であった頃には、捕らえた獲物の柔らかな腹に食らいつき、温かな血肉を味わっていたのだという感覚が蘇る。
望む肉は人のそれ。
すぐそこに、いくらでもいるものだ。
この身を苛む狂った因子が、求める物はすぐそこにある。
この感覚を、己れを狂わせるこの世の摂理を、理解する日がこようとは。
――満ちた白い月が欠けるにつれて、身を蝕み苛む痛みと狂気もわずか程だけ欠けていく。
束の間の安息。
正気を取り戻し、自分はまだ人だと認識できる時間。
しかし、30日の周期で満ち欠けを繰り返す白い月は、やがて再び狂気を運び、この身を絶望に浸すのだ。
身勝手な白い月の光はまるで裏切りのようだ。
柔らかな月光は魔力の源で、この世界のあまねく命を照らす様子は、無償の愛を与えるようだ。けれど無償の愛の本質がごとく、彼が今、望むものを決して与えてはくれない。
繰り返される痛みと絶望のただ中で、彼は、白い月に母の面影を見た。
本日、もう1話更新あります。




