009.赤い月の満ちるにつれて
――赤い月が夜空に昇る。
「護送車の中で魔獣化したから殺したですって? なんて愚かな。コレらにどれほどの価値があると思っているのかしら?」
銀色の長い髪をしたとてもきれいな男の人が、ミリィと御子だった肉塊、そして護衛としてずっといっしょにいてくれた騎士たちを睨んでいた。
コレ、というのはミリィたちのことだろうか。物みたいに扱われるのは、ミリィ以外の肉塊が人の姿をしていないからか。
(わからない……)
ミリィたちは『ヘキサ神の御子』ではなかったか。
聖ヘキサ教国には、人型の魔獣はいないのではなかったか。
一番近くに転がっている男の子だった死体は、耳や鼻がとんがって、肌は緑色になっていた。
その下敷きに転がっている食いしん坊だった子は、一番年下で小柄だったはずなのに、今では大人みたいな大きな体に豚のようにめくれた鼻から血を流している。
おしゃべりな女の子は、みんなと同じ白い服を着ていたはずなのに脱いでしまったのか破れたのか、とりどりの鮮やかな色の鳥の羽で覆われている。とてもきれいな羽が血に赤く染まってもったいないな、とミリィはぼんやり考える。
あの時、馬車の扉が開けられた時、真っ先に飛び出したのも殺されたのも緑色の男の子だった。豚の男の子は遅れて騎士の一人に飛び掛かり、鎧のない顔面に夢中でかぶりついているうちに他の騎士に殺された。
鳥の女の子が歌うと騎士たちはぐらりと体勢を崩したけれど、休憩の時にいつも聞こえていたとても嫌な音がひときわ大きく響き渡って、思わずひるんだ隙に喉を射抜かれて殺されてしまった。
嫌な音の中でも動き回れたのは一番体の大きかった男の子で、角の生えた頭から騎士に突進して何人かを跳ね飛ばしたけれど、護衛の騎士全員に剣を突き立てられて全身を赤く染めて死んでしまった。
ミリィの方に向けられたその子の顔は、村で飼っていた牛にとてもよく似ていた。
――赤い月が夜空に昇る。
せっかく浄罪の塔に着いたのに、ミリィの体は動かない。
「生き残ったのはコレだけか。……随分半端に魔獣化が進んだわね。肉蟲を与えすぎよ!」
銀色の髪の男は浄罪の塔の偉い人らしく、騎士たちはろくな手当も受けないままに、平伏して言い訳じみた報告をしている。
交わされる言葉も、目の前に転がっている肉片も、ミリィにとってはわからないことだらけだ。
(わからない……けど、いいや)
あのおいしかった特別なお肉は、“にくむし”というらしい。
とてもいい匂いがしたけれど、血を流す騎士たちの方がずっといい匂いがする。
(コレ、どけてくれないかな……)
そして、足元に転がる御子だった肉塊からは、少し饐えた――、腐ったような酸っぱい匂いが漂ってきた。
ミリィは動かない体が痛くて痛くて、そしてどうしようもなくお腹が空いていた。
――赤い月が夜空に昇る。
ミリィは浄罪の塔の、半地下の牢屋のような部屋に運び込まれた。
「月光の当たる窓の側に置いて頂戴」
銀髪の男の人がそう言うのを、ミリィは「植木みたいだな」と思ったけれど、自分の手足から樹木のような枝や葉が伸びているのに気づいていたから、「似たようなものかもしれないな」と思い直した。
――赤い月が夜空に昇る。
月の光を浴びるたびに、ぐんぐん体が伸びていった。
骨が伸びるより早く手足が伸びるから、動かない関節がパキポキと音をたててはずれ、縮こまったままの肉が引き延ばされてプチプチ千切れる感触がする。皮膚は固く乾いてしまって、乾いた泥がくっついているみたいだ。泥と違うのは、ひび割れるのがミリィの肉で、皮膚がひび割れるたびに流れる血が体を濡らすことだろうか。そして、まだ柔らかく血を流す肉を突き破って、細い枝が伸びていくのだ。
ミリィの体に起こる変貌はそれ自体も激痛で、どこが痛いのかわからないほど体中のあらゆるところが痛かった。
「痛い」と泣き叫びたかったけれど、ろくに動かなくない口からは、声の替わりに枝が飛び出していた。
――赤い月が夜空に昇る。
――赤い月が夜空に昇る。
月が夜空に顔を出すたびに、ミリィの苦痛は増していく。もう、何かを考えるなどできないほどで、その痛みが和らいでくれるのは、ミリィの足元に餌を撒かれた時だけだった。
与えられる餌は、口ではなくて足元にぶちまけられるのに、ミリィの脚から伸びた根はその餌を上手に摂取できるのだ。そういえば、ずっと立ったままなのに、ちっとも疲れを感じない。もう、牢屋の床の半分くらいはミリィの足の下にある。
本当はもっと深くに潜りたいのに、根っこは石畳の隙間を探るばかりだけれど、隙間を足で埋め尽くせば与えられた餌を残さず平らげることができた。
とてもいい匂いのするミリィの餌。それは、浄罪の塔を目指す間、何度も食べた肉蟲の血肉だった。
――赤い月が夜空に昇る。
――赤い月が夜空に昇る。
――赤い月が夜空に昇る。
赤い『狂乱の月』がまんまるで、月が登るたびに少しずつミリィはおかしくなっていく。
いたい、いたい。体の内側も外側も、体の全部がとてもいたい。
今すぐにでも叫び出したい。大声をあげながら、森の中を走り回りたい。
その痛みは、餌を食べると和らぐけれど、食べても食べてもすぐにまた痛くなる。
(神さま、神さま。ヘキサ神さま。
ミリィはなにか、悪いことをしましたか。
だから、体がいたいのですか。悪いことをしたのなら、あやまります。
神さまの子供として、心正しく生きていきます。
だから、おねがいです。
このいたみをどうか、どうか消してください)
――かみさま、かみさま、かみさま、かみさま、かみさま、かみさま、かみさま、かみさま。
こんなになっても、祈りを忘れはしないのに。
――かみさま、かみさま、かみさま、かみさま、かみさま、かみさま、かみさま、かみさま。
神様の子供として見出されたのに、ミリィの祈りは届かなかいのか。
(悪神テトラにみいられたら、人は魔獣や魔人におちるんだっけ……)
ぼんやりと、村の司祭様の話を思い出す。
聖ヘキサ教国は、ヘキサ神の威光あまねく照らす国。だから、この国には悪神テトラの手も届かずに、人は皆、人のままで生きていけるはずなのに。
――かみさま、かみさま、かみさま、かみさま、かみさま、かみさま、かみさま、かみさま。
(あぁ、かみさまが、おじひをあたえてくれたのね)
今日は、ミリィの村にいた人が部屋にやってきてくれた。
「なぁ、お前ミリィだろ? 俺だよ、トマスだ。昔遊んでやったことがあるだろ?」
「トマ、ス……オジチャン……」
「そっ、そうだ! 覚えていてくれたか! あぁ、こんなになって可哀想にな。助けてやる、今助けてやるぞ。一緒にここを出よう。……俺一人じゃ無理だが、ミリィがいてくれりゃここを出られる!」
――遊んでもらったことなんてあったっけ?
ニヤニヤと笑って近づいてくるトマスを見ながらミリィはぼんやりと考える。むしろ「近づいちゃいけません」とか言われてた人のような気がする。
それでも知っている人に会えたのは嬉しい。助けてくれるならもっと嬉しい。
「オジチャン、タス、ケテ。イタ……イ……」
「おうよ、助けてやるからな、だからおめぇも俺を助けてくれや。こんな場所からさっさとオサラバ……。おい、離せ、何する!」
助けると言って近づいてきたトマスに、ミリィは嬉しくなってしがみつく。
とはいえ自由に動かせたのは、足のつま先だった場所――部屋中に張り巡らされた根っこだ。
絡みついたトマスの足は暖かくて柔らかい。
「離せ、バケモノ! くそ、ヤメロ、ヤメ……ぎゃああああ!」
うれしくなってだきついただけなのに、バケモノなんてひどいおじちゃんだ。
(でもいいよ、たすけにきてくれたんだから……)
ミリィの根っこはトマスの全身をフンワリと包みこみ、次の瞬間、暖かく脈打つ血管にその先をもぐりこませた。
(おいしい、おいしい。すごく、おいしい)
温かい血肉はミリィの全身を満たし、ほんの束の間痛みから解放された瞬間に、ミリィは神の慈愛を感じた気がした。
かみさま――。
――赤い月が夜空に昇る。
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