004.灰燼に帰す炎 *
(“火”って唱えるだけで燃やせそうだけど、「む、無詠唱ー!?」なんてお決まりカマすのもアレだしな。俺は分別あるいい大人なんだし、ここは慎重に詠唱らしきものを唱えてっと)
ツエーをひけらかすのはちょっとばかり気恥しいから、きちんと詠唱をすべく、落ち着いてそれっぽい呪文の記憶をあさる。呪文は吃驚するほど簡単に思い出せた。思い出せたが、今から魔術を使うと思うといい大人でもワクワクする。自称、分別あるいい大人が聞いてあきれる。
「湧きたて螢火 爛爛と舐め啜り 灼爍と蝕め 灰燼に帰す炎」
ゴウ!
「きゃっ」
ヨルが呪文を唱えた瞬間、死体の山は炎に包まれた。急に顕現した熱量に膨れ上がった空気がどっと押し寄せ、木々を揺らしドリスがよろめく。
人体というのは、とても燃えにくいものだと聞いたことがある。火刑はひどく時間がかかるのだとも。
しかし、ヨルが招いた炎はまるで紙束でも燃やすように遺体の山を喰い進み、瞬く間に焼け崩れさせていった。恐るべき熱量だが何らかの魔術的作用が働いているのか、さほど離れていないヨルには焚火程度の熱しか感じられない。ただ、瞼に残るほどの光量が火葬の激しさを伝えていた。
「すごい……」
(あーれー?)
驚きの声を漏らすドリス。慎重を期したというのに、ちょっぴりテンション上がったせいで、やっぱりやらかしてしまったらしい。
気をつけねばなるまい。このままでは“俺、なんかやっちゃいました?”系主人公まっしぐらだ。本音を言うとそういうのも嫌いじゃないが、恥ずかしい以前に、どうにもこの世界は血なまぐさい感じがする。厄介ごとは避けるが吉だ。
「主神ヘキサよ、勇敢なる子らの魂を救済の国へといざないたまえ。リグラ・ヘキサ」
見る間に炭化していく遺体の前で、ドリスが鎮魂の祈りを捧げる。その横で、見よう見まねでヨルも祈りをささげる。この肉体の仲間だったかもしれない人々だ。せめて安らかに眠って欲しい。
「ありがとう、ヨル。これだけ大きな魔術で送ってもらえたら、彼らはきっと救済の国へ迎え入れられたね」
空に届くほど巻き上がった炎だったが、遺体を焼き尽くした後は役目を終えたとばかりに鎮火して、斜めに差し込み始めた日差しに煙の粒子をきらめかせている。
「馬車は……。ダメ、騎獣が殺されてる。遺品だけでも持っていきたかったんだけど……」
荷馬車をさっと確認したドリスがつぶやく。少し先にある宿泊所とやらへは歩いていくしかないだろう。ドリスは遺品を無事な荷馬車に乗せると、雨露にぬれないように適当な布をかぶせた。
「こっちの馬車には、なんだ? ……箱?」
横転した馬車の中には同じ意匠を施された箱がぎっしりと詰め込まれていた。手の平サイズの物からミカン箱程度の物まで幾つかのサイズに分かれている。規格化された工業製品に見えるのに、ヨルにはなぜかその箱が棺のように思えた。
「あぁ、ダメだよ『箱』を開けちゃ。そもそも開かないと思うけど」
「ん? 箱の中身を確認しようと」
箱の継ぎ目を探すヨルをドリスが止める。
「それ、『魔導箱』だよ。聞いたことない? 『箱』って呼ばれてる、聖ヘキサ教国で作られる人工魔石みたいなものの話」
「いや……」
「それは魔力切れのものだね。『浄罪の塔』で再生するために運んでたんだと思う。『箱』は魔石よりずっと長い間魔力の出力がもつ優れもので、配布も回収も教団が管理してる。『箱』を盗ったり開けたりするのは重罪だから気を付けて」
人工魔石ということは、この『箱』は魔力源になるのだろう。この国の重要なエネルギー源ということか。ファンタジーなのかSFなのか、よくわからないが変な感じだ。
「それにね、神の祝福によって『箱』は人々に魔力を与え、さらには穢れを集めてくれるんだって。集めた穢れが逃げないように、絶対に開けちゃいけないんだよ」
機密保持のためだろうか、この『箱』とやらにはパンドラ的な逸話もあるらしい。中に希望が残る代わりに、魔力を与えてくれる。もっと魔力をと欲深く『箱』を開けた者には災いが降りかかる……。神話にありそうな話ではある。
(開けちゃダメなのか……。箱ってなんか好きなんだけどな)
ヨルは昔から、なぜか箱が好きなのだ。つくりの良い箱など見入ってしまうし、空き箱もついつい集めてしまう。この『箱』とやらは、懐かしさに似た魅力があるからもっとじっくり見てみたかったけれど、ヤバイものなら手は出すまい。
ヨルは『箱』をもとに戻して積み忘れの遺品がないか、あたりを確認する。
遺品は剣が多く、数十本となれば結構な重量だ。おいていくということは、どうやらこの世界には無限に物が入るマジックバッグはないか、あったとしてもあまり流通していないのかもしれない。
箱も好きだが袋も結構好きなので、マジックバッグがあればぜひとも欲しかったのだが、ないのならば仕方ない。
「ヨル、気が付いた? こっちの荷馬車には荷物が積み込まれているのに、この馬車の残骸だけ中身が見当たらないの」
少し声を落としたドリスが指さす馬車は、ヨルが最初に衣類を探したものだ。原型をとどめないほどに大破していて、車輪と木片、金属の部品が広範に散乱している。水や食料、それらが入っていたのだろう箱の残骸なども多少は散らばっていたけれど、これほどの数の兵士が護衛するほどの特別な価値のありそうなものは見つからなかった。兵士の荷物運搬用かと思っていたが、言われてみればサイズに対して散らばる荷物の量があまりに少ない。
(これはあれか、秘密兵器的なものが積まれていたとか。ドラゴンの卵とか、精霊的な何かとか。それがマンティコアを倒したとかそういう系の!)
何か手掛かりでもなかろうかと、地面に散らばる荷物に視線を走らせたけれど、ドリスが来る前に漁りまわった兵士たちの荷物以上に価値のありそうなものは見つからなかった。
残骸のなかには、なかなか凝った装飾が施された正方形の黒い板も数枚混じっていたけれど、ヨルが慣れ親しんだサブカルチャーにあるような、不思議な雰囲気の少女であるとか、光り輝く宝珠のような特別感あふれる物は何もない。
(もしかしたら、すでに立ち去ったか持ちさられた後なのか……。いや、落ち着け、俺。常識的に考えて、これ、人が乗る用の車両じゃね?)
この馬車は魔導箱とやらを積んだ馬車とは造りが違うし、人間が乗っていたならマンティコアに真っ先に襲われて大破したと説明がつくだろう。それ以外で考えられるとしたら……。
「兵士たちが乗っていたのでは?」
「その可能性もあるけど……」
「そうじゃないなら、こいつが積まれていたんじゃないか? 少し大きすぎると思うが」
ヨルはマンティコアのいた場所に視線を向ける。マンティコアを移送中のトラブルだったなら、荷がなくても不思議はないが、少々大きすぎる気もする。
「マンティコアがこの辺に出るなんて聞いたことないけど……。そうだよね、大きすぎるよね。やっぱり兵隊さんが乗ってたのかな」
「恐らくな」
ヨルの言葉にドリスは頷く。モノ言わぬマンティコアの亡骸は、脱皮した皮のように色を失って崩れかけ、もはや死因を特定することすら難しい。魔石の結晶化が完了したのだ。
ヨルがマンティコアに手を伸ばすと、灰が崩れるように白化したマンティコアは崩れ去り、小ぶりなリンゴほどの魔石だけが残った。
「若い個体だったようだな」
魔獣は死ぬと魔石を残す。
生きている間は物質として存在しない魔力を溜める器官――魔力核に体中の魔力が集積し、物質化するのだ。同時に体組織も急速に変貌し、灰のような風に吹かれただけで崩れ去るようなもろい物質に変貌する。長命な魔獣の場合、牙や爪、皮といった体の一部も物質として残る。このマンティコアは魔石しか残さなかったから、比較的若い個体なのだろう。
これは、ヨルの肉体が持つ知識だ。昨日の食事を聞かれて思い出すように、折に触れてこうして知識は蘇るのに、この肉体が誰だったのか、記憶と呼べるものは欠片も蘇ってこない。
「いこう、ヨル。今からなら日暮れまでに宿泊所までたどり着けるよ」
ヨルの発言は一般常識だったのだろう。ドリスは特に反応を示さずヨルに道を示した。
ドリスの言葉にうなずき返し、ヨルとドリスは急ぎ足で惨劇の現場を後にした。
明日から1章終了まで毎日20時更新予定です。
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