007.御子
「お父ちゃん、お母ちゃん、サム兄ちゃん、エミリ姉ちゃんにメアリ……。御子様って何だったのかなぁ……。私、どうなっちゃうのかなぁ……」
浄罪の塔の牢獄のような半地下の部屋で、格子越しに覗く青い月を眺めながら、その少女、ミリィはぼんやりと考えた。
ここまで一緒に連れてこられたほかの子たちは、『狂乱の月』のせいですっかりおかしくなってしまった。そして、自分も。
もっともミリィが自分たちの変化を『狂乱の月』の影響だと知れたのは、ノルドワイズ手前の宿泊所で、出立前に護衛の騎士たちが話すのを偶然耳にしたからだ。
前の夜は宿泊所で出会ったかっこいいエルフのお兄さんと、その連れのお姉さんに遊んでもらって、いつもより夜更かししたから、みんなぐっすり眠っていた。
けれどミリィは、道中で仲良くなったメルパに最後にお別れを言いたくて、頑張って早起きしたのだ。そのおかげで、馬車の外で交わされた会話を偶然聞いてしまった。
「御子どもをあまり馬車の外に出すな。狂い月が満ちる前に連行するのが通例だというのに、今は『狂乱の月』だぞ、万一があったらどうする」
「分かっているが哀れでな。サフィア王国が攻めてこなけりゃ、あの地域の宣託の儀も例年通り三月も前に済んで、旅路くらいは快適に過ごせたものを」
「多めに肉でも食わせてりゃ、おとなしくしてるさ。あいつらは……に魅入られちまったんだ。『浄罪の塔』へ送ってやるのが俺たちの務めだろ? そうすりゃ、……だって救済の国へ旅立てる。ほら、気を引き締めていこうぜ、『浄罪の塔』まであと少しだ。リグラ・ヘキサ」
「リグラ・ヘキサ」
(なにはなしてるの? 聞き取れない……)
ミリィが一番聞きたいことは、声を潜められてしまって聞き取れなかったけれど、赤い狂い月が自分たちに何か影響を及ぼすことと、だから村で宣託の儀を受けてから旅のほとんどの時間を馬車から出してもらえなかったのだということを、なんとなく理解した。
(あの時言ってたの、こういうことだったんだな……。でも、なんで? ミリィ、悪いことなんて……父ちゃんのお弁当とどける時につまみ食いしたのがいけなかった? それとも、母ちゃんが呼んでるのムシして納屋でおひるねしてたのがいけなかったのかなぁ?)
10年足らずの決して長いとはいえない日々が、パラパラと蘇る。
目蓋を閉じれば、浮かんでくるのは田舎での退屈で穏やかな光景と、束の間の旅を楽しんだ御子の仲間たちの姿。
そして、彼らの姿がいびつに歪んで、変わり果てていく様子。
(いやっ)
嫌な記憶を振り払うように目蓋を開けると、月光に向かって伸ばしたまま固まった両腕から、幾本もの小枝と青々とした木の葉が生えているのが目に映る。
顔を背けたい肉体の変貌。
けれどミリィの肉体はもはや自由に動くことはかなわず、唯一自由になる目蓋さえもひどく重い有様だった。もうすぐ、目蓋さえ自由に動かせなくなるんじゃないか。
(怖いのは嫌だもん。見ない方がいい、よね?)
樹木へと変貌を遂げつつある少女、ミリィは、すべてを諦めたかのようにゆっくりと目蓋を閉ざした。
■□■
ミリィはよく言えばおっとりとした、悪くいえばどんくさい子供だった。
のんびりと間延びしたしゃべり方で、友達よりも動きが遅い。顔立ちは平凡で、5人の兄弟姉妹の末っ子。村で一番パッとしない女の子だった。
ミリィの村は何もない農村で、兄たちも姉たちも都会にあこがれて村を出たいとしょっちゅう話していたけれど、ミリィは田舎暮らしが嫌いではなかったし、味噌っかすな自分にはお似合いだと思っていた。
聖都やメリフロンドみたいな都会に行きたいと願っても、作物を育てたり家畜を飼うことしか知らないミリィたちにとってそれは夢物語だ。
それくらい、ミリィにだって分かることだ。だから村の子供たちはみな、数年に一度村を訪れるヘキサ教団の託宣の司祭様が10歳前後の子供に授けて下さる託宣で、才能を見出されるのを夢見ている。
託宣の司祭様は特別な魔導具を持っていて、子供たちの中に神様の子供が紛れていないか、村々を回って探しておられるのだという。ヘキサ神様はみんなが幸せになれるよう、国中に御子を誕生させるのだそうだ。
見出された『ヘキサ神の御子』は名前の通り神様の子供で、それまで生まれ育った家族は仮のものだから、家族とはお別れをして、ヘキサ教団に召されて『ヘキサ神の御子』としてのお勤めをする。
御子様たちがお勤めをされているから、この国にはゴブリンやオークという人の形をした悪辣な魔獣がいないのだと、村の司祭様がおっしゃっていた。
だから、『ヘキサ神の御子』様というのは、本当に神様の子供で、特別な存在で、村の子供たちはみんな、託宣の儀式で御子様に選ばれることを夢見ていた。
御子様でなかったとしても、ごくまれに魔術師の才能を持つ子もいるらしい。
魔術師だって十分に珍しい存在だから、大きな街で専門の勉強をさせてもらえる。
魔獣を倒せるような力は神様の祝福で、だから力ある者は神の使徒なのだ。中でも魔術師というのはとても強くて、人々から尊敬される。魔獣と戦うのは恐ろしいけれど、憧れない子供はいない。
もちろん、どちらもミリィの村から出るなんて、ほんとうに滅多にない、夢物語みたいなものだ。
だから、村で一番めだたなかったミリィが『ヘキサ神の御子』に選ばれた時の、村のみんなの顔ときたら!
今日からは、村の子供でも、父母の子供でもないと言われた時は、とっても驚いたし、すごく悲しい気持ちになった。けれどそれ以上に、誰からも期待されてこなかったミリィは、村中の驚きと羨望のまなざしを集めて誇らしい気持ちでいっぱいになった。
「御子様に誉れあれ。聖ヘキサ教国に永久の安寧をもたらしたまえ。光あれ、リグラ・ヘキサ」
村長様でも村の司祭様でも着られない、さらさらした手触りの豪華な衣を着て、村のみんなの前であがめられ、特別な存在として「お勤めを果たしてきます。光あれ、リグラ・ヘキサ」と村を出た時が、ミリィの人生で一番輝かしい時間だったと思う。
神様に祈りを捧げるご挨拶、「リグラ・ヘキサ」は誰でも使っていいけれど、その前につける「光あれ」は司祭様だとか騎士さまだとか、教団の立場のある人しか使ってはいけないのだ。味噌っかすだったミリィが村のみんなの幸せを願ってあげられる立場になれたことがとてもとても嬉しかった。
『ヘキサ神の御子』の乗る馬車は、魔獣に襲われても簡単には壊れないとても頑丈なもので、魔獣が入らないように窓には特別なガラスがはめられていた。乗り込むと、なぜか体の力が抜けて困ったけれど、馬車酔いなのだと説明されてそういう物かと納得した。
体に力が入らなくても、旅の間は広い馬車の中でゴロゴロしていられたし、護衛の聖騎士たちがあれこれと世話を焼いてくれたから問題はなかった。途中から、他の託宣の司祭様たちに見出されたほかの『ヘキサ神の御子』たちと合流して、むしろ楽しいくらいだった。
ミリィの馬車には男の子が3人に、女の子はミリィを入れて2人。もう一台にはメルパという女の子と男の子の2人。別の馬車の二人とは、休憩の時しか顔を合わせられないけれど、物おじしないメルパとおっとりしたミリィはなぜか気が合って、二人はあっという間に仲良くなった。
もっと外に出てメルパと話したかったけれど、騎士様が外は危ないと言って、お手洗いの時以外は外に出してくれないし、何より魔獣除けの魔導具からすごく嫌な音がして、頭が痛くなってしまうから、音が聞こえてこない馬車の中に閉じこもっていることが多かった。
男の子たちはずっと馬車だから、体がムズムズするって退屈していたけれど、ミリィは景色を眺めたりおしゃべりするだけでとても楽しくて退屈なんてしなかったし、メルパから休憩の時に聞く大きな街の話は刺激的で夢中になれるから、体のむずがゆさなんて大して気にはならなかった。
そして何より、出される食事の素晴らしいこと!
あんなにおいしいお肉は食べたことがないと、ミリィは心からそう思った。
村に出てきた時は育ち盛りというやつなのか、どれだけ料理を食べてもお腹いっぱいにならなかったのに、騎士様たちが用意してくれた『ヘキサ神の御子』用の特別な食事は少し食べただけで満腹になった。
ミリィよりいろんなことを知っているメルパも「こんなの初めて!」と言っていたから、あのお肉は御子様だけが食べられる、本当に特別なお肉なのだと思った。
メルパが言うには、『ヘキサ神の御子』様に定められたお勤めはいろいろあるらしい。ノルドワイズの東にある浄罪の塔へ行くミリィと違って、メルパは聖都に行けると聞いてとてもうらやましく思った。
浄罪の塔で一生懸命お勤めすれば、ミリィもいつか聖都に行けるだろうか。
「早く浄罪の塔につかないかな」
ミリィは心からそう思う。
楽しい旅にも少し飽きてきたのかもしれない。体のムズムズがどんどんひどくなって、今では全身が痛いのだ。この狭い馬車に閉じ込められるのは、体がだるくてとてもつらい。
浄罪の塔に着けば、この馬車から降りられる。早く馬車から飛び出して、お月様の光を体いっぱいに浴びたい。
それに何日も馬車の中に閉じこもっていたせいか、今日は馬車の中にノミがいたのだ。騎士様に頼んでも、もうすぐ着くからと取り合ってくれなくて、噛まれてかゆいせいなのか馬車のみんながイライラしている。
男の子たちなんて、食べる以外にすることがないからか、ほとんど生のままのお肉を、食事の時間以外もずーっと食べ続けている。
今なんて、よっぽどイライラするのか、うめき声をあげながら壁をガリガリひっかいたり、お腹がパンパンでもう入らないはずなのに、生のお肉をくちゃくちゃと食べ続けている。
体中が痛くて痒くて、どうしようもなく熱っぼい。なのにずっと力が入らなかった体はとても元気で、今すぐにでも駆け出したいような衝動が抑えられない。
「騎士様、お手洗いに行きたいです。もう、我慢できない」
嘘をついて馬車を止めてもらったのはノルドワイズの街から少し東に入ったところで、馬車の扉の錠が開くや、あれほど夢中になった肉など放り出して子供たちが一斉に扉へと押し寄せた。
本能、というのだろうか。馬車の外にもっとおいしいご馳走があると、分かるのだ。
ミリィも一緒に飛び出していれば、今、こんな牢屋のような場所で怯えていなかったろう。関節が固まってしまったように手も足も動かなくて、だからミリィは馬車から飛び出せなかったのだ。
自分の手足に樹木のような枝葉が生えていることに気が付いたのはその時で、開いた馬車の扉の向こうでは、一緒に旅をして来た友達たち、人の姿を失った御子だったモノたちが血にまみれて転がっていた。
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