006.塔へ
「出発します」
ルーティエが体の一部をみょーんと伸ばして、自動車ならばハンドルのついているあたりに触れると、セキトは待ってましたとばかりに動き始めた。
搬送路は最下層の肉蟲牧場の他、前回脱出に使用した魔導昇降機へも続いている。
外へ通じる魔導昇降機は鉱線虫の巣に突っ込んで壊れてしまって使えないが、セキトはそんなことを意にも介さず垂直の壁面に、尖った足先を突き立てながらガジガジと登っていった。
「簡単に壁を登るな」
「専用の調整をしましたから。それでも通常の個体では、これほどの速度は出ないでしょう。セキトはヨル様の魔晶石をいただいておりますから、この程度の壁面造作もありません。天井歩行もできるかと」
エンジンパワーがものすごいから天井だって歩けちゃうらしい。忍者か。
カニ部分の爪もやたらと硬くて、壁にザックザック突き刺さり、「ヤドカリってこんなにシャカコラ移動したっけ?」という速さで垂直の壁を登っている。なかなかのスピード感で、ぶっちゃけちょっと楽しい。
ちなみに輸送具の中は重力系の魔術でも働いているのだろう、直角に登っていても倒れた感覚がしない優れものだ。
(楽しいけど人前では壁を登らないようにしないとな)
荷運び蟹の標準を知らないヨルにも、セキトがチートだというのはよくわかる。
ヨルがドライブを楽しんでいるうちに、ヨルのヤドカリ、セキト号は、あの深さから縦穴を登り切ってしまった。
「お待たせいたしました。地上に到着しました。廃坑区画を出次第、城へ向かいます!」
「城にはいかない」
「え……」
城へは行かないと告げると、うきうきと弾んでいたルーティエの声が小さくしぼんでしまった。ルーティエの方を見れば、声だけではなく体までぺしゃんとしぼんでしまっている。
(800年以上、一人で城を守ってたんだもんな。そりゃ、魔王に帰還してほしいだろうし、よくぞ守ったって褒めてほしいよな……)
けれど城に戻ったら、ヨルの魔力に反応し、城の様々な魔導機構が眠りから覚めるかもしれない。それでは、人間たちに魔王の復活を告げることにもなりかねない。
「先に行きたいところがあるんだ」
その返事を聞いてしぼんでいたルーティエは、「わかったぞ!」とばかりにぷくっと丸く膨らんで声を上げた。
「人間の街で食事をなさるんですね!」
元気になったのはいいけれど、ぜんぜん分かっていなかった。
「違う」
食事ならルーティエがまっずい肉蟲の血液をホースでたんまり食わせてくれたじゃないか。小さな声で「お口直し……」などと言っているが、口直しに人間を食べに行くとか、ルーティエの思考が魔獣すぎる。
「しばらくは人に紛れるつもりだ。だから人間は食べないよ。ルーティエは、人間を食べず、人間に見つからないでいられるか?」
「この体は分体ですから平気です! 魔力が尽きるまで動かせる、使い捨てみたいなものですので。どうぞお連れ下さい!」
ルーティエが人を食べるなら、ここで別れてしまうのも手だと考えたのに、食べなくても平気らしい。エネルギーが切れたら体を交換するのだろうか。それってどうなんだと思わなくもないが、本人は付いて来る気満々だ。
しぼんだり、元気になったり、ぷるんぷるんともっちりボディーをゆらすものだから、思わず手を伸ばしてなでなですると、「ふわぁ」と声が上がった。撫でられると嬉しいらしい。
(捨て犬とか捨て猫に餌をやっちゃった感あるなー。……ミーニャもこんな感じで付いて来たんだったっけ)
そういえばミーニャはどうしているだろう。
あれから何日たったのか。
「俺が復活するまで、どれくらいかかったかわかるか」
「欠けていた静かの月が満ちましたので、およそ10日ほどかと」
「10日? 長いな……」
あの駄ネコの記憶から抹消されていそうな時間だ。
「お体が、その、随分と損傷しておりましたので。それに長らくお隠れになっておられましたので、まだ本調子ではないのだとお見受けいたします」
(そんなに長く日本に戻ってなかったぞ? 時間の流れが違うのか……)
体感時間でいくと1日の長さは同じだと思うのだが。体のサイズが違うのか、それとも転移のタイミングで時間軸にずれが生じるのだろうか。そのあたりは考えても答えは出なさそうだ。
「ヨル様、人間に擬態してみます!」
撫でた後、しばらく余韻に浸っていたルーティエだったが、うにうにと粘土をこねくり回すように縦横無尽に蠢いたかと思うと、人間の子供の形になって振り向いた。
「どうですか?」
「……人間には見えないかな」
「……見えませんか」
形は確かに人間だ。けれど、いったいどこの世界に、半透明で肌も髪もすべて単色の人間がいるのだ。
何より形は人間だけれど、骨も関節もないから、しょんぼりとうなだれた首はぐにゅんと骨が折れたように曲がっているし、手も指もタコのように本来稼働しない場所が動いているから不自然極まりない。
(これだけ流暢にしゃべるスライムだから、簡単に人化するかと思ったら、まさかの軟体人間か)
ヨルの反応をどうとったのか、少ししょんぼりとしおれたルーティエが小さい声で
「人間の死体があったら中に入ってうまく擬態できるんですが。そうやって人間の街に行ったこともあって……」
などと言っている。それは本当に人間に見えたのだろうか。街はパニックにならなかったのか。
不穏な感じがするので、そこは黙ってスルーしておく。
そうこうする間に、ヤドカリのセキトは廃坑から森へ入った。
「もう出たのか。ルーティエがいてくれて助かる」
話どころか人間もどきに変身しながらも不安げのない安全運転だ。どこかの駄ネコと違って有能すぎる。
……まぁ、あのニャン子、いないと少し寂しくはあるのだが。
ともかくルーティエが付いてきてくれたのは、幸運だったかもしれない。
「はい!」
ヨルに頼られて嬉しかったのか、人化を解いたルーティエはボールのようにまん丸く膨らんで、つやつやと窓に映る外の景色を反射していた。
窓から見える外の景色は目覚めた時と同じく夜で、空にはすっかり細くなった白い月と、僅かに欠けつつある赤い月、そして青い下弦の月が昇っている。
(白い月が細い。狂乱の月が終わり、もうすぐ槍の月か)
世界に降り注ぐ魔素が高まり新たな魔性が目覚める季節は、まだ終わらない。
この世界でヨルがどういう立場をとるか、それを決めるためにも、まずここを確認しなければいけない。
「出発しよう。行き先は、浄罪の塔だ」




