005.聖暦839年
ルーティエが人間程度の知性を獲得したのは、ここ2百年余りのことらしい。
ルーティエの本体は湖ほどに大きくて動けないが、核を持たない分体を森だけでなくノルドワイズにまで忍びこませて、人間の言葉を学び、情報を集めてきたという。ちなみに本体との情報のやり取りは、思念で無数の分体からリアルタイムで得ているらしい。田口因の会社のOA環境はシンクライアントシステムだったが、そんな感じなのだろう。ゲームでいえばクラウドゲームか。端末に当たる分体は非常にプアなスペックで稼働できる。あちこちに基地局とかあるんだろうか。
分体の行動範囲に制限はあるらしいが、ノルドワイズの少し南までカバーできるというから通信エリアはなかなか広い。
ルーティエによると、今は聖歴839年。魔王が滅んで839年目だということだ。
この839年の間、ノルドワイズ北の森は、時折浅いところに人間が立ち入って、遺跡を荒らすことがある以外は概ね平和だった。ノルドワイズの街との境に築いた結界より北側は、奥に行くほど強大な魔獣のはびこる森になっている。この森を抜けて城に至った者は、人間も魔人も皆無だという。
「城にはルーティエ以外いないのか?」
「お城は湖に沈めてありまして、中には入ったことはありません。皆さまがどうされたのかは存じ上げず……」
誰も城を荒らさぬように、残された魔人が城をルティア湖に沈めたのだろう。ルーティエが知能を得て状況を認識できるようになった頃には城はすでに湖の中。そんな場所をよくも800年以上守っていたものだ。
ちなみにグリュンベルグ城のあるルティア湖の大瀑布の断崖の上にも森が広がっていて、そこにはさらに凶悪な魔獣の住処になっている。ルーティエのように知性のある魔獣ではないが、魔王のペット兼警備獣で、これらの存在もまた、グリュンベルグ城を難攻不落なものとしている。
ルーティエや森の魔獣の餌になっているのが、ノルドワイズ北の森に複数ある牧場の肉蟲だ。
肉蟲の魔獣化率を下げるため、複数ある牧場は魔素の薄いノルドワイズの近くに立地しているが、収穫された肉は地下のコンベアを通って森の北へと運ばれている。
十分な餌があるから、凶悪な魔獣たちは魔素の薄い人里まで来ることはない。だからノルドワイズは、北の森の最奥に潜む魔獣から見れば羽虫レベルの魔獣を狩って、そこそこ繁栄できている。
この地域だけ見れば、長きにわたり均衡がとれてきたと言っていい。
「浄罪の塔について知っていることはあるか?」
「『浄罪の塔』……。人間の使う『箱』を作る施設ですね。空になった『箱』とハンターが捕まえた魔獣が運び込まれる場所です。あとは御子とか呼ばれる子供と、時々汚い大人も運び込まれています」
「魔獣に子供、汚い大人? いろいろ運び込まれているな。運びだされるのは?」
「『箱』だけですね」
大人がどう汚いのかが気になるが、とりあえず浄罪の塔は、分かりやすくアウトな施設だ。
そう言えば、ドリスがギルドの常設依頼で魔獣の捕獲があると言っていた気がする。たしか、生け捕りにして浄化すれば救済されるとかなんとか。
「牙岩猪くらいの魔獣も運び込まれるのか?」
「いえ、魔獣と言っても磔蝙蝠のような小物ばかりです。人間は弱いので、牙岩猪を生け捕りにできる者は少ないかと。塔の管理者なら可能でしょうが」
やはり、そうか。
ヨルはこの世界に来てからの記憶を思い返す。魔ダニに集られうっかり燃やしてしまった『箱』。あれは一片50センチもある大きなものだった。箱詰めにするのに手や足は必要ないから、かなり大きな魔獣が入っていたはずだ。どう猛な魔獣は殺すより生け捕る方が難しい。ヴォルフガングやアリシアならば可能だろうが、それほどの手練れが大勢いるとも思えない。
ヨルの悪い予感は、おそらくは真実だ。
「塔に潜入したことは?」
「何度か侵入を試みましたが、結界が強くて分体ではどうしても入り込めなくて。内部のことは分かりません」
『箱』の再生施設である浄罪の塔の真実を知るには、やはり乗り込むしかないようだ。
『箱』が魔獣を燃料とした魔力供給装置であることは、ヴォルフガングに刺される前、中を覗いて理解している。
狭く暗い入れ物の中に、骨を折られ、肉を削がれて閉じ込められて魔力を吸われる。中で暴れないように、生命力のすべてを魔力に変換するように、体中どころか魔力をためる魔力核にまで杭を打ち込まれるのは想像を絶する苦痛だろう。すぐに死ねればよいけれど、『箱』の内側には治癒の魔法陣が刻まれているから、閉じ込められた魔獣は吸い出された己の魔力で死なない程度に体を癒され、命が燃え尽きるまで魔力を吸われ続けるのだ。
『箱』の魔力源として生きたまま苦しむことが魔獣にとっての救済だとは。詭弁もいいところだが、それだけならば、ヨルには関与するつもりはない。
動物愛護という概念自体、この世界にないものだし、あったとしても魔獣には適用されないだろう。それ以前に、魔獣を犠牲にするこの『箱』は、この世界の人類にとってなくてはならないエネルギー源になっている。
浄罪の塔をつぶすということは、発電所をつぶすようなものだ。
代替エネルギーの開発や移行は、この世界の人間が行うべきで、この世界に長居をするつもりのないヨルは関わるべきではない。
(『箱』が魔獣に限られている間は、だがな)
『箱』に込められるのは希望であるべきだ。
それが、『箱』を造り出した者たちの切なる願いなのだから。
これだけは、けっして譲れるものではない。
とりあえずの目標を定めたヨルは、輸送獣の様子を確認するため、培養室へ戻った。
■□■
ガリガリガリ、ズルー。ゴツン。
ガリガリガリ、ズルー。ゴツン。
培養室に戻ると、培養液の抜かれた巨大水槽の壁面を、でっかいヤドカリが登ってはずり落ち、登ってはずり落ちしながら貝殻ならぬ輸送具を床面にガンガン打ち付けていた。
輸送具を背負って運ぶ蟹型輸送獣。水陸両用、立体駆動もお任せなヤドカリだ。
(でっか! つか、そんなにぶつけて、新車に傷が……)
サイズもカラーリングも、ヨルの指定通りなのだけれど、セキトと名付けられた輸送獣は、軽自動車どころか観光バスサイズのヤドカリに仕上がっていた。
貝殻の上部に室内空間があって高さがあるぶん大型の建設機械のような存在感がある。ヨルのところに来たいのか、こちらを向いて脚やハサミを動かしているから、パワーショベルっぽくもある。
(名前、セキトよりユンボの方が良かったかな。ユンボってフランス語だったっけ? どうでもいいけど)
実物を見ると自動車というにはあまりにイカツイが、黒地に幾何学的な赤のラインのデザインは思った以上にかっこよく、ヤドカリだというのに強そうだ。輸送具は貝殻の上に小さな屋敷をくっつけたような外観をしている。ファンタジー感のあるデザインだから黒はどうかと思っていたが、意外なほどの適合ぶりだ。
「完成していたようですね」
ルーティエが操作盤をいじると、培養槽のガラスが上昇し、ヤドカリがガショガショとヨルの側へやってきた。
「セキト」
ガション。
ヨルに返事をするように『荷運びガニ』のセキトがピッと姿勢を正す。足とハサミをそろえて静止しているから、気を付けをしているようだ。ヤドカリなのに。
(塗装は無事か? バンパー……じゃなくて貝殻に傷は……ついてないな。逆に培養槽に傷がついてら)
貝殻ならぬ輸送具の強度も申し分ない。外装はオーダー通りだ。内装はどうだろう。
「どうやって乗るんだ?」
ドアらしきものは見当たらないが、貝殻の中に乗り込むはずだ。まさか、ヤドカリの中身を飛び出させて乗るのだろうか。
(昔、海でヤドカリ捕まえて、貝殻の突端の穴に松葉を突っ込んで遊んだなー)
巻貝をよく見ると、突端に穴が開いていて、丁度松葉が入るのだ。捕まったヤドカリは鋏を蓋にして貝から出てきてくれないけれど、突端に松葉を突っ込むと、「痛ぁい!」とばかりにずるりんと飛び出してくる。まるで内臓を思わせる柔らかそうな腹部がかなり勢いよく出てくるから、おもしろビックリしたことをよく覚えている。
「輸送具に触れて開けろと念じれば開くと存じます。あの、私めに運転をさせていただけませんか」
「あぁ、助かる」
自動車免許は持っているがヤドカリの運転に使えるだろうかと思っていたところに、ルーティエがありがたい申し出をしてくれた。ルーティエとともにセキトの貝殻に触れ、“ルーティエを乗せる、扉を開けろ”と念じてやれば、セキトに伝わったようで、側面の貝殻の一部がカションと縦に開いた。
(おぉ、まさかのガルウィング)
ヤドカリのくせに、いちいちヨルのツボを付いて来る。貝殻はカラーリング以外、在り物から選んだから、こんなにイケているとは思わなかった。
扉の内側にある階段を上ったところが運転室で、心なしか新車のような臭いがする。
シートは前列2シートで、前列が運転席、後列は脚を伸ばして座れるようなゴージャスソファーになっていた。後部座席のサイドには上面をテーブルとして使える棚があり、後ろにはさらにフラットなスペースがある。後部座席を倒せば横になれる程度の広さなのは、なんというか軽自動車っぽい。
しかしその先には狭い下り階段が続いていて、貝殻の先端部分、ヤドカリのお尻の入っていない空間に続いている。ここは荷台で機能重視の作りだが、輸送具というだけあって軽トラック1台分くらいは荷物を積み込めそうだ。
ヤドカリのカニ部分が大きいから、サイズの割に室内空間は狭いけれど、作り付けの家具は桁違いに高級だ。ただの魔人用なのだろうが、過去の魔人というのはなかなかぜいたくな暮らしをしていたのだろう。
ちなみにフロントガラスのある場所にはヤドカリの視覚が投影されているらしく、窓もないのに外の景色がよく見える。まるで大型ディスプレイが搭載された自動運転車両のようだ。
ハイテクだ。しかもある程度は勝手に走る。完全自動運転のレベル5か。異世界どころかまるで未来にきたようだ。
(しかも、エンジン代わりの魔晶石は結構こだわって創ったからな。軽自動車にスポーツカーのエンジンどころか、ジェットエンジン並みじゃね? これは楽しいドライブになりそうだ)
否が応でも期待は高まる。
「とりあえず、ここを出るか」
「はいっ!」
ルーティエの返事とともに、ゆっくりと荷運び蟹セキトは運搬口へと移動を始めた。
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