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【改稿版】俺の箱~かつて、魔王がいた世界~  作者: のの原兎太
第1章 ヘキサ教の乙女たち
32/102

032.帰還

 挿絵(By みてみん)

 

(帰って、こられた……のか……?)


 枕元で(よる)を呼んでいたのは恋人の咲那(さな)だった。

 異世界でもう一度会いたいと願った人が、瞳に涙を浮かべて(よる)の目覚めを喜んでいる。


「……よかった、意識が戻って。うなされていたから、もしかしたらと思って……」

「サ……ナ? ここは……一体」

「覚えてない? (よる)、燃え盛るアパートに飛び込んだんだって。火傷はそれほどでもなかったんだけど、ガスを吸ったみたいで意識が戻らなくて……。でもよかった。本当に。先生呼んでくるから安静にしてて、すぐ戻るから」


 咲那は立ち上がると涙をぬぐい、医師を呼びに病室を出た。


(知らない天井だ……とか、有名な台詞、言っとくべきなのかな……)


 病室の白い天井を見ながら(よる)はぼんやり考える。

 あの世界――マグスでのヨルはどこか正気じゃなかった。記憶が蘇るにつれて、少しずつおかしくなっていた。


 ――人間が、食べたかったのだ。

 けれど何とか食べずに済んだ。知り合った人たちを殺してしまう前に、『魔人殺し』ヴォルフガングの手を借りて自らの意思で死のうとしていたのだ。

 マグスでヨルは死んだのだろうか。だから帰ってこられたのだろうか。


(まぁ、なんだっていいさ。帰ってこられたんだから。

 ヴォルフも、まぁ、ちょっとはトラウマ残るだろうが、元将軍らしいし俺の死とか乗り越えられるだろ。監視もない状態で自由の身になれたんだ。変なことは考えずに、故郷に帰って娘さんと幸せに暮らしてってくれるだろ。

 ミーニャは、……まぁ、にゃん子だし平気だろ。ドリスは友達多そうだしな。皆かわらずにやっていくさ)


 異世界での出来事は生死をさ迷っていた間に見た夢なのだ。それくらいに思った方が、きっといいに違いない。

 すべての謎が解けたわけでも、心に引っ掛かりがないわけでもない。

 けれど、夢とはそういう物だ。つじつまが合わなかったり、理不尽なまま目が覚めてしまうものなのだ。幸いヨルは自らの意思で人の血肉を求めなかった。その味を知らず、知り合った人たちを傷つけずに済んだのだ。それはきっと、あの世界での幸いだったと言っていい。


(夢であってほしいよな。『箱』の中身が……あんななんてさ)


 それでも儚い夢を惜しむように、寝起きに見た夢を思い出すように、あのときの記憶を思い返す。

 ヴォルフガングに刺される寸前、『箱』の中身を見た時は、後頭部を殴られたような衝撃を受けた。


 片手に乗る程度の小箱の中にいたのは、手足をもがれた小さな魔獣だった。

 骨を折られ、肉を削がれ、不自然な姿勢に肉体を折りたたまれて、小さすぎる正六面体の中に詰め込まれていた。その体を固定しているのは、箱から伸びる幾本もの杭。もっとも太い杭が貫いているのは、魔力をためる器官、魔核だった。


 魔核を持つ生物が死ぬと、魔核は魔石に変化する。そうして初めて実体化するのだ。

 つまり、魔核は実体として存在しない。もちろん衝撃や魔力で破壊することは可能だが、魔核の内部に何らかの物質が存在するだけでは、その機能は損なわれない。けれど痛みがないわけでもないのだ。


(あの箱の内側に刻まれていたのは、癒しの魔法陣だった……)


 だとすると、本当に、よくできた魔力供給『箱』だ。

 魔獣の魔石に直接魔導線を突き刺して、強制的に魔力を吸い出す。それも奪った魔力の一部を箱の内壁に還元して、ひしゃげるほど無残に『箱』に詰め込まれた魔獣を死なない程度に癒やしながらだ。

 魔獣は丈夫な生き物だ。餓えただけでは死ぬことができない。骨が折れても肉が欠けても、弱って死ぬということもない。普通の生物よりずっと長い寿命を持つ魔獣たちは、あの状態で『箱』詰めにされたまま、何か月も、あるいは何年も生き続けるだろう。

 中身を知らない人間たちに魔力を供給し続け、耐え難い苦しみを味わいながら。


(魔獣除けの『箱』が寿命が短いって、当たり前だろうがよ)


 魔獣が嫌う音を動力源として至近距離で浴び続けていたのだから。けれど、ほかの『箱』より早く死ねるということは、『箱』の魔獣にとって幸運かもしれない。

 魔獣は死ぬと魔石と素材を残して消えるが、箱に全てを吸われて死んだ魔獣はおそらく何も残さない。しかし『箱』の仕組みを見たならば、聡い者なら『箱』の正体に気が付くだろう。だから使用済みの『箱』は技術と秘密を守るため、穢れた物として教団が回収する。

 何が“神の祝福”だ。何が“魔力を与え、穢れを集める”だ。あの箱に詰まっているのは、人の穢れそのものではないか。

 なんて業が深い『箱』だろう。しかしヨルが衝撃を受けたのは、『箱』の仕組みなどではなかった。


 “あぁ、やはり――”


 『箱』を開けた時、ヨルはそう思ったのだ。

 あぁ、やはり、初めて箱を見た時に感じた通り、これは棺だったのだと。

 そして、こうも感じたのだ。


 “だから、なのか?”と――。


 魔獣を『箱』にする人の業が、『箱』にされる魔獣の悲運が、まるで自分のせいだとでもいうように。

 どうしてそんなことを考えたのか、今の(よる)には分からない。田口(よる)の体にあるのは、生まれてから二十数年間の記憶だけで、どれほど考えあぐねても、真実にたどり着けはしないだろう。

 その事実に、(よる)はひどく安堵した。


(あぁ、やめだ、やめ! 俺は帰ってこられたんじゃないか。マグスのことはもう、関係ないんだ!)


 異世界マグスでのことはうたかたの夢に変わり、これから繰り返していく平凡な日常に薄れていけばそれでいい。


(それにしても、何日眠ってたんだろ。会社、首になってなきゃいいんだけど。あー、アパート燃えたんだっけ。住む所もないのか)


(よる)、落ち着いた? 先生すぐ来てくれるって」


 咲那が病室に戻ってきた。


「なぁ、ここって咲那(サナ)の病院か? 俺、どれくらい寝てた?」

「順に話すね。ここは私の勤めてる病院。でも転院させたわけじゃないよ。偶然ここに運ばれただけ。……良かった。意識が戻らなかったらって少し弱気になってた。アパートの火災は昨日だよ」


 咲那は看護師として働いている。勝手を知った様子からもしかしてと思ったが、ここは咲那の勤め先らしい。それにしても、あの火災からまだ1日とは。マグスという異世界は、時間の流れが違うのか。


「アパートは?」

「アパートは残念ながら全焼。でも、家具とかはまた揃えればいいから。私も手伝うから」

「それより、……他に死傷者は?」


 咲那と話しているうちに、だんだんと記憶がはっきりしてきた。確かあの時、燃え盛るアパートの中から助けを求める声が聞こえてきたのだ。声の主は助かったのだろうか?


「え? 誰も亡くなってないよ? けが人も(よる)だけ。古いアパートだったから火の周りは早かったけど、通気性が悪い分、中にいた人も早いうちに臭いで気付いて逃げたって」

「え……」


 では、あの時の声は一体……。


(よる)さ、なんで火事の中に飛び込んだりしたの!? 通帳とか取りに行こうとしたわけじゃないよね?」


 咲那がすごく怖い顔をしている。助ける声が聞こえた気がしたなんて、とても言える雰囲気ではない。


「……ごめん」

「心配したんだからね」

「……悪かった」

「このまま目が覚めなかったらどうしようって、……すごく、怖かったんだから」


 咲那がきゅっと唇を噛む。その瞳には零れ落ちそうなほどの涙がたたえられている。

 日本に戻ってこられて良かった。この人をこれ以上悲しませずに済んで本当に良かったと、(よる)は心の底からそう思う。


「退院したらさ、お詫びにメシおごるよ」

「すぐそう言ってはぐらかす!」

「ほんと、ごめん。でもさ、あそこ行こう。前、咲那(サナ)が行きたいって言ってたレストラン。咲那の気に入りのワンピース着てさ」


 平凡な毎日を甘受し、ただ流されるまま生きた時間のなんともったいなかったことか。

 ほんの少しの心がけ、ほんの少しの働きかけで、きっと自分を取り巻く世界は大きく変わる。

 咲那と過ごせる平穏な日々を楽しみたいと、(よる)は心から思った。


『賑やかな鶏亭』の客たちが今日を生きていたように、今日を大切に生きるのだ。そうすればきっと、ここで生きる価値をかみしめられる。退屈な今を変え、理想の未来につなげられると、前向きな理想で満たされていた。


「うん。楽しみにしてる。私、(よる)とご飯食べるの好き」

「咲那、メシ行くの好きだもんな」

「違うよ。(よる)がさ、うまい、うまいって美味しそうに食べるのを見るのが好きなんだよ」


 はにかんだように笑う咲那の笑顔。勝ち気で努力家の彼女がたまに見せるこの表情が(よる)は好きだ。

 照れ隠しのように窓辺へ向かう咲那の姿を目で追えば、輝くような笑顔とは反対に、窓からのぞく景色は曇天で、外はしとしとと小雨が降っている。


 彼女とは幼馴染だ。小さいころからよく知っている。その名を何度呼んだことだろう。


(なのにどうして、俺は、咲那のことを……)


 (よる)は窓から外を仰ぎ見る見慣れた背中に目を向ける。

 そう。目覚めた時、因はこう口にしたのだ。「サラエナ」と。

 名前しか知らない異世界マグスのいにしえの聖女。その名をどうして……。


 空を覆う雲は厚くて、季節も時間も読み取ることはできない。

 窓ガラスを伝う雨粒は知らぬ誰かの涙のようで、空の涙をぬぐうこともできない無力な(よる)は、恋人越しに見える曇天をただぼんやりと眺めていた。


「喉かわかない? 何か食べられそう? アイスでも買ってこようか」

「アイス、いいな。高いやつが食べたい」

「高いやつならケーキ屋行かなきゃ。近くのケーキ屋ね、パティシエの人が作ったアイスも売ってるんだ。バニラだよね。先生に知らせたついでに買ってくるよ」

「パティシエの人って、パティシエじゃん」

「あはは、慌てたりすると出ちゃうんだよ、この口癖。じゃ、待ってて」


 そう言って速足で病室を後にする咲那。

 病院内だから走らないだけで、あの調子なら外に出た瞬間に駆け出しそうだ。そんなに急がなくても構わないのに。


 立ち上がり、窓から外の様子を覗いていると、ちょうどここは道路沿いの部屋で、病院の門を出て車道を渡ろうと走る咲那の姿が見えた。


(ははは、やっぱり走ってら。こけるなよ。…………え!?)


 キイイィーッ。ドン。


 横断歩道の真ん中で咲那がよろめいたかと思うと、飛び込んできた乗用車が咲那を跳ね飛ばしていた。


 挿絵(By みてみん)


 

これにて1章終了です。2章は6/20(火)から、日、火、木の週3更新となります。


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[良い点] 超展開で今後が想像できなくて、ワクワクします
[気になる点] どん! [一言] どん!の運転の人は タイミングがすごく難しくて 発信音とピッタリに当てないと 局のほうで大問題となるとか。 知らんけど。 という個人的な空想が わりと気に入ってます…
[良い点] 知らない展開だー! [気になる点] 知らない展開
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