030.追跡者
ノルドワイズの北の森を走る。
熟練の戦士ならば追いつけるくらいのスピードで。
アリシアたちと来た時は、極力魔獣との戦闘を避けるために迂回しつつ進んだが、流石に夜はそうもいかない。
軽トラサイズの熊に狼が襲ってくるのは分からなくもないけれど、巨大な角を帯電させて雷光鹿までも、口の端からよだれを滴らせながら襲ってくる。
(草食じゃないのかよ。まぁ、気持ちはわかるよ。草じゃ腹は膨れないんだろ?)
通常なら草をはむような獣さえ、人の血肉を求めて猛り狂う。
二つの満月が惜しみなくこの世に魔素を降り注ぐ、夜は魔獣たちの時間だ。
本能の赴くままに、欲しいものを、必要とするものを、躊躇なく求めて襲い掛かれる様は、生命本来のあり方のように思えてヨルにはうらやましいとさえ思えた。
弱肉強食を摂理とするのだ、殺されたって文句は言うまい。
牙を剥く魔獣たちが視界に入るより前に、ヨルは血花爆砕で爆裂させ、石の槍で息の根を止めていく。
ヨル一人ならこんな魔獣など倒す必要はない。けれど、ヨルがご丁寧にあたりの魔獣掃除をしつつ森を行くのは、その後ろをずっと付いて来る存在に配慮してのことだった。
1匹くらいならば何とでもなる。けれど、囲まれれば今の彼ではひとたまりもないだろう。
(帰っては、くれないだろうな……)
追跡者は普段であれば状況の分からない男ではない。けれど森の異常に意識を割く様子も見せず、ひたひたとヨルの後を追い続けている理由も察しはついている。
それだけではない。
この世界に来てからの違和感の答えを、今まさにヨルを苛む感覚の答えを、確信にも似た正確さで持ち合わせているのだ。
(ここまで来れば大丈夫だろ、すまんな。ちょっとだけ答え合わせの時間をくれ)
昼に脱出したばかりの場所だ、間違えるはずもない。廃坑に向かってヨルは一気に速度を上げる。
廃坑の入口付近にいた磔蝙蝠は獲物を求めてあらかた外に出ていて、ヨルと追跡者の邪魔をするものは少ない。
「凍れ、凍れ、凍れ、凍れ」
呟くようにヨルが命じれば、それだけで洞窟内の空気は凍てつき、廃坑内に残った磔蝙蝠や逃げ遅れた装甲鼠が天井や床を飾る氷の彫像と化した。すべてを詠唱する必要などない。一度呪文を使ってしまえば、思い出してしまったならば、こんな卑小な魔獣など凍れと念じるだけで、意のままに凍てつかせてしまえる。
服を脱ぎ着するようは慣れた動作で、マンティコアの血を衣類に変えて着こなすように。
(氷の魔術はいい。魔獣の血は、臭いから……)
でも、一番ひどい臭いがするのはきっと――。
白く凍てついていく洞窟を黒い風のようにヨルが駆け抜ける。
根の蛇との戦いで緩んだ地盤を飛び越え、人とは到底思えない魔鳥のような跳躍で小山となった瓦礫の上へとふわりと舞い降りる。
ヨルがずっと確認したかったもの、それはここにあるはずなのだ。
「あった……」
通風孔に繋がる大穴と、激しい戦闘の名残を見せる瓦礫の山。
その瓦礫の隅、大穴のすぐ横にヨルの目当ての物は転がっていた。
「これが、『箱』か」
これは、魔獣除けの魔導具に使われていた『箱』だ。大蛇によって壊され弾き飛ばされたまま、忘れられていたものだ。
この世界で目覚め、ドリスと出会った殺戮の場所、その馬車の中で見かけた時からずっと気になっていた。ヨルが箱好きだからという理由では片付かないほど、ずっと引っ掛かりを覚えていたのだ。
しかし、『箱』はヘキサ教会が管理する重要アイテムで、その管理は厳重だ。うかつに開けるわけにはいかなかった。けれど、アリシアが捨てて帰ったこの『箱』ならば――。
拾った『箱』は、まだ活きているようだが魔力はほとんど感じられない。ほぼ死にかけと言っていい。
どこかで見たことがあるような材質の、正六面体の黒い箱。
手の平に乗るくらいの『箱』を、ルービックキューブでも解く様に両手で転がしてみるが、釘やねじはおろか、板の継ぎ目も見えない。
(これは、再生可能な『箱』のはず。だったら外からなら開くはずだ)
適当に魔力で探りをいれてみると、カチ、と小さな音がした。『箱』内部のかみ合わせが外れたようだ。箱の一辺がほんの少しずれて、何の抵抗もなく。スライド式の蓋が開く。
(あぁ、やはり――)
ヨルの記憶はずっと鍵がかかったままで、『箱』について何も示してはくれなかったが、ずっと予感はあったのだ。付随する記憶の片りんから、そうではないかと予想していた。
そして、ようやく確認できた『箱』の中には、ヨルの思った通りのものが、思った以上の状態で込められていた。
(だから、なのか?)
言葉には出さず、ヨルは『箱』を解放する。すでに終わりかけていた『箱』は僅かな魔力で完全に沈黙し、わずかばかり軽くなった『箱』の蓋をヨルは静かに閉ざした。
――殺気を隠そうともせずに背後に立つ人物が、中身を見ることがないように。
彼は、知る必要などないのだから。
「早かったな、ヴォルフ」
思ったよりも早く追いついた追跡者、ヴォルフガングの方へとヨルはくるりと向き直る。
それと同時に。
コツン、と硬い音を立て、ヨルの手から『箱』が落ちた。
箱を追ったヨルの視線は、『箱』を落とす原因となった自らの左胸、そしてヴォルフガングへと移動する。
欠片も躊躇することなく、ヴォルフガングは剣を抜き、その切っ先がヨルの心臓を貫いていた。
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