003.ドリス・マルタ *
「こんにちは」
ひどく場違いなあいさつに、ヨルは驚き振り返る。
「ごめんなさい、驚かせちゃいました?」
振り返った先にいたのは、にこやかな笑みに人懐っこさが感じられる、旅装束の少女だった。紅葉色の赤毛が風になびいて、それまでモノクロだった世界が急にフルカラーになったような感覚に襲われる。
パツンと揃えられた前髪に子供っぽさが感じられるが、年の頃は十代後半といったところか。パンツルックの旅装束が似合うはつらつとした美人だ。不気味な魔獣の血製ではあるが、服を着ていて本当によかった。
「……君は?」
一瞬の間をおいて返事をしたのは、彼女のあまりに普通な対応に驚いたのと、話す口調になまりのような、初めて聞く若者言葉のような、耳慣れなさを感じたからだ。
聞いた言葉も返した言葉も日本語とは異なるこちらの世界の言語だ。この体の元の持ち主も使っていたからだろう。英語が得意な人は英語で考えると聞くけれど、声をかけられた瞬間に思考がこちらの言語に切り替わる。
「えぇっと、ボクはドリス・マルタといいます。……あのう、これは一体……」
中性的な愛らしさのある少女だと思ったら、まさかのボクっ子だった。
ドリスはこの惨状に気づいていなかったのか、いぶかし気なヨルの様子にあたりを見渡し、ようやく驚愕の表情を浮かべた。
「それって、マンティコア……ですよね? あなたが討伐を?」
「いや」
「それじゃ、偶然通りがかって?」
「そんなところだ」
胡散臭い返事だが、気が付けばここにいたのだから、嘘をついているわけではない。知らぬ存ぜぬを通したほうがマシだろう。
「じゃあ一体だれがマンティコアを……。相打ち? いえ、それよりもあなた、えぇっと」
あたりの惨状を前に、取り乱すでもなくぶつぶつ言っていたドリスは、ヨルを振り返る。
「ヨルムだ」
そういえば名乗っていなかったなと口を開けば、久々の発声に口が回らなかったように「ヨル」に「ム」がついてしまった。
「ヨルムさん」
呼ばれてみると、不思議としっくりくる。もしかするとこの体の名前なのかもしれない。名前が似ているからこの体になったのか。いやそれは、いささか強引すぎる考えだろうか。
「ヨルと呼んでくれ。敬語も不要だ」
「はい、ヨル。あの、彼らの火葬を手伝ってくれませんか。このままじゃ死人還りになっちゃう」
会ったばかりだというのに、ドリスはヨルを警戒していないのだろうか。
ドリスはヨルの返事を待たずに遺体から剣や荷物など身元の分かるものを外してわきによけ、散らばった遺体を集め始めた。
「随分と手馴れている」
まだ悪臭を放っていないとはいえ、誰ともしれぬ遺体に躊躇なく触れ、荷物と合わせて遺髪さえ切り取っていくドリスの様子に、釣られて作業をしていたヨルが声をかける。
(なんだろう、しゃべりづらいな。もっとフレンドリーに話したいのに)
そう言えば、標準語になると途端に寡黙になる関西人の同僚がいた。「なんや、距離感が取りづらいねん」とか言っていたが、それに似たものを感じてしまう。なんというか、フレンドリーな単語がパッと思い浮かばないのだ。幸いなのは、ドリスがややぶっきらぼうなヨルの言葉を気にする様子がないことだろうか。
「学籍とはいえ、これでも神職だから。実務経験くらいあります」
えへんとばかりに胸を張るドリス。累々たる死体の前で、違和感が半端ない。
ドリスは聖都の神学校の留学生なのだそうだ。研究の一環で、この先にあるノルドワイズという街に向かう途中だったという。
ちなみにこの国は聖ヘキサ教国という大陸の東側に位置する大国で、ドリスははるか西方のロロノ・イニルノ王国から聖都にある学校へ留学しているらしい。「聖都にはマグス全土から留学生が来る」と話していたから、この世界の名は「マグス」というのだろう。
「ヨル、手伝ってくれてありがとう。ボクじゃ遺品を集めるので精一杯で。もう少し行けば宿泊所があって兵士さんがいるから、遺品の引き取りなんかはお任せすればいいんだけど。日暮れまでに兵士さんを連れて戻って、ご遺体をお清めするには時間が足りなかったから助かったよ」
ドリスは、日のあるうちに遺体を火葬して、宿泊所に向かいたいらしい。20以上ある遺体を丁寧に弔うにはとても時間が足りないから、遺品として集められるのは剣や荷物袋、あとは遺髪くらいで、鎧などは外さずに遺体を集めて、まとめて焼いてしまうらしい。四肢が欠損しているとはいえ鎧をまとった遺体は重く、ドリスではとても運べない。しかしヨルの肉体は見た目以上に力が強く、何の苦もなく運べてしまった。
「死人還りになるとは?」
さりげなく、気になることを聞いてみる。
「マンティコアみたいな強力な魔獣が死ぬと、あたりの死者に呪いを振りまくって言われてるの。遺体が動き出すんだよ。それが死人返り。ゾンビとか、グールとか言われるやつはそうやって生まれるんだって。勇敢に魔獣と戦って名誉の戦死を遂げた魂が魔に堕ちるなんて……。そうならないように焼き清めるのは生者の務めなの」
マンティコアのような強力な魔獣は、普通人里近くに現れないし、死人還りに遭遇することも今ではめったにない。火葬が一般的になってしまって、理由を知らない人も多いけれど、もし旅先で力尽きた人がいたなら、焼き清めてあげてほしい、などと付け加えつつドリスは話をしてくれた。
神職だからと言ってはいるが、勇気ある優しい娘なのではなかろうか。こんな森の中で、会ったばかりの得体のしれない男と二人でバラバラの遺体を埋葬しようというのだ。それも、どこの誰ともわからぬ兵士を。その証拠に無残な現場にドリスの顔色は会った時より青ざめているし、魔獣を警戒しているのだろう、風が茂みを揺らす音にびくりと体を震わせている。口数が多いのも凄惨な現場に落ち着かないせいかもしれない。
しかし、ドリスとのお喋りのおかげで、ヨルは知らない常識から現在の場所まで情報を得ることができた。遺体、それもバラバラに切り裂かれたそれを気にせず集めることができたのも、ドリスの存在があったからだと思う。お人好しで頑張り屋、困った人には当たり前のように手を差し伸べる――。ヨルの恋人、咲那はそういう人で、ドリスの行動に彼女を重ねてしまったのかもしれない。
ちなみに遺体に血がないことを指摘してみると、
「うーん、変種のスライムでもいたのかな? 今は変なのいないみたいだけど」
そう興味なさげに返された。そういうこともある、といった程度の認識らしい。
遺体をひと所に集め終わるとドリスがヨルに向き直り、当然とばかりにこう言った。
「それじゃヨル、お清めをお願いします」
「清め? 祈りの言葉など知らないが」
それこそ神職の仕事ではないのか。祈りの言葉なんて、般若心経の最初の1行くらいしか知らないのだが。
「あ、お祈りじゃなくて、焼き清めてあげてほしくて。ヨルって、エルフ……だよね? 私も初めて会うから、その、お耳からそうかなって。エルフは全員が魔力核持ちで、魔術が使えるんじゃ……」
そういえば、遺品の剣は傷が多くて鏡の代わりにはならなかったけれど、おぼろげに映った頭部にはとがった耳があったように思う。ただ、エルフと聞いて想像するようなピンと横に長いものではなくて、先のとがった普通より少し大きい耳、といった感じだったが。
「あの、エルフって、隠してたりとか?」
黙り込むヨルにおずおずと声をかけるドリス。
「いや……」
この体はエルフだったのか……?
血の服をさらりと着こなす種族がエルフ?
(絶対に違うと思うぞ)
自分で言うのもなんだけれど、もっと良くない感じのものだと思うのだが、エルフに見えるというならそういうことにしておくべきだろう。知られちゃダメな感じのやつなのは、サブカルチャーに親しんだ日本人の勘が告げている。
おそらくは大きな町である聖都に住むドリスが初めて見たといっているのだ。エルフというのはイメージ通り珍しい種族なのだろう。とんがり耳で魔術が得意とくれば、ヨルの知るエルフのイメージに近いだろうし、そうそうバレはしないだろう。魔力核は初耳だけれど、それがある奴だけが魔術を使える的なファンタジー器官だと思う。異世界でぱんつに困ったヨルだけれど、サブカル知識が役に立つとは……。
「清めには何の術を使う?」
「あぁ、そういうことですか。我々の流儀に合わせてくれるんだね! どんなものでもいいんだけど、この国では火が多いかな」
火。火か。知っている。
血の衣をまとえたように、この体は火の魔術を使えるようだ。