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【改稿版】俺の箱~かつて、魔王がいた世界~  作者: のの原兎太
第1章 ヘキサ教の乙女たち
29/102

029.アリシアの変貌

 昇降機が止まった場所は、廃坑の入口のすぐそばだった。


 昇降機が衝突した衝撃に逃げ出したのか、それともヨルの放った魔力のせいか、磔蝙蝠(クルス・バット)さえいなかったから、そこからの帰路は行きにもまして順調なものだった。アリシアは森を進んでいる間もずっと気を張っていて、魔晶石の入った鞄を抱えて休憩もせず帰路を急いだ。

 一言も口を開かず走り続けるアリシアに合わせて、ヨルも魔獣の気配にすべての思考を集中する。ヴォルフガングからは時折視線を感じるものの、ずっと距離を取ったまま沈黙を貫いていた。

 めぼしい魔獣とも出くわさない帰途は葬列のような静けさだったが、今のヨルにはそれがむしろありがたかった。


 何も考えず、ただ進む。

 道が続いている間は、前に進んでいける間は、そうして歩いていたかったのだ。


 そうすれば空腹さえも感じずに済むから。


 けれど、道はやがて街へとつながる。

 日が傾く前にノルドワイズの城壁をくぐってようやく、アリシアは緊張の糸が切れたように微笑んだ。


「ヨル、本当に、本当にありがとう。貴方がいなければ、生きて戻ることも、目的の物を手に入れることもできなかったでしょう。心より感謝します」


 ヨルの目を見つめながら感謝の言葉を重ねるアリシア。

 ヴォルフガングはもの言いたげな視線をヨルに投げたが、何も言葉を発することはなく、ミーニャを連れてすたすたと宿屋に向かって去ってしまった。だから今は、ヨルはアリシアと二人きりだ。


(後は若いもん同士で、というやつか。そうなのか!?)


 もちろん、ヴォルフガングにそんな意図などないのだが。


(美少女に見つめられたら、そりゃ動揺しちゃうよな! 落ち着けー、落ち着けー、俺)


 そんな自分を茶化しながら、風に氷の仮面で取り繕うヨル。表情が変わりにくいというのも存外役に立つものだ。


「依頼を果たしたまでだ」

「いいえ。この魔晶石がもたらしてくれるものは、そんな言葉で済ませてよいものではないのです。私は、貴方が……貴方がこの国の民でなくとも、この感謝の気持ちだけは真実であると伝えたい」

(やばい)


 ヨルは思わず息を呑む。

 別段危険な状況ではなく、むしろラッキーといっていい。アリシアの反応は、どう見たって恋する乙女のそれだろう。

 育ちの良い美少女が頬を紅潮させ、ガラス玉のような瞳を潤ませる様子に心動かない男はいまい。警戒心の強そうな彼女が、今は手を伸ばせた届く距離まで近づいている。


(異世界転生モノらしく、モテ期がやってきたかもしれない。頑張った甲斐があったな! これくらいは浮気にならないだろうし。感謝されて嬉しくないやつはいないって)


 モテちゃってるのだ、仕方ないと、心中で繰り返すヨル。まるで、何かを誤魔化すようだ。


(……いい匂いがする)


 ほぼ2日、森を抜け廃坑をさ迷って汚れているのに、アリシアから漂う柑橘類を思わせる甘く爽やかな匂いはむしろ高まるばかりだ。思わず生唾を呑み込んでしまいそうなほど、ヨルの理性はグラグラ揺れる。


(落ち着けー、落ち着けー、俺。相手はたぶん未成年。この世界ではどうか知らんが、地球ではアウトだぞー。いいことしたなー、良かったなーで終わるべきだ。

 つーか、俺、日本に彼女いるし。咲那一筋だし。浮気ダメ! 絶対!)


 こうまでも年甲斐もなく動揺しまくっているのは、自分が平凡でくだらない田口(よる)だと確認したいからかもしれない。落ち着かない気持ちをこの感情で誤魔化しながら、ヨルは明後日の方向に視線を向ける。

 いつもならいいタイミングで邪魔をしてくるにゃん子は、ヴォルフガングに連れられてはるか先を歩いている。


 傾きかける太陽の中、吹き抜ける風が放課後の匂いを運んでくるようだ。

 沈黙が、どことなく甘酸っぱい。これはそういう記憶にとどめるべきだ。

 だから。


「良かったな。これで教皇の目が治せるな」


 それを聞いたアリシアの瞳が色をなくしたことに、明後日の方向を向いたままのヨルは、全く気付くことができなかった。


 ■□■


挿絵(By みてみん)

 

「うまうまにゃー! どんどん持って来るにゃー!」

「……そうだな」


『賑やかな鶏亭』で落ち着きなく料理を掻き込むにゃん子と肉料理を中心にゆっくりと口に運ぶヨル。テーブルの上には大量の料理が並んでいる。

 どう見たって二人分の量ではない。

 打ち上げだと聞いたミーニャがメンバーが揃ってもいないのに見境なく頼みまくるのを、ヨルはあえて放置した。空腹なのももちろんあるし、刹那の生を謳歌するこの店の客たちのように、羽目を外してしまいたかったのだ。

 あの後、アリシアに向き直り、『賑やかな鶏亭』で打ち上げを提案したヨルに、「遅れるので先に始めていてください」とアリシアは笑顔で答えた。


(着替えとかしてるんだろうか……)


 どうしてだろう、腹が減っているはずなのに並ぶ料理に食指が伸びない。


(ワクテカしすぎだからな。胸いっぱいというやつだよな)


 酒の肴になりそうなものを軽くつまみながら、店で一番いいぶどう酒を飲みつつアリシアたちの到着を待つ。


(従者連れのお嬢様に何かする気は微塵もないけどな、好感を持ってくれてる美少女を待つっていうのは心が躍るな!)


 今のヨルは気付かない。

 不自然なまでに自分が浮かれていることに。浮かれるように自ら暗示をかけていることに。

 別れ際のアリシアは笑っていたけれど、その笑顔は田口(よる)の見慣れた、感情の伴わない儀礼的な笑顔だったことに。

 あの時のアリシアに台詞を後付けするならば、「ご一緒にポテトはいかがですか?」というのが一番しっくりくるくらい、見事な愛想笑いだったのだ。


「お待たせしました」

「いや。……もう、発つのか?」


 ほどなくして『賑やかな鶏亭』を訪れたアリシアを見て、ヨルの浮ついた思考は一気に現実に引き戻された。

 アリシアは着飾った装いではなく、鎧と旅装束をまとい、今から出立しようといういで立ちだった。初めて会った時と同じく、従者のアリアンヌとアルベルト、その後ろにはフードを目深にかぶったヴォルフガングを従えている。


「はい。夜明けを待とうかとも思いましたが、時間が惜しいのです。発つ前にお礼と、……お願いがあって伺いました。ここでは何です、部屋をお借りできますか? アリアンヌ、アルベルト、ミーニャのお相手をなさい。ヴォルフガングは共に」

「……分かった。俺の部屋でいいか?」


 アリシアの表情はどこか決意めいたものに感じられて、ヨルは『賑やかな鶏亭』の2階にとった自分の部屋へアリシアとヴォルフガングを案内した。

 ベッドが一つと簡素な机と椅子が1脚ずつだけの狭い部屋だ。アリシアは勧められた椅子を断り、扉の前に立ったまま窓際に立つヨルを見つめた。


「話とは?」

「ヨル殿、貴殿のおかげで目的を果たすことができました。こちらがお約束の依頼料です。途中で入手した魔石も全てお納めください。ヨル殿がいなければ、こうして生きて聖都へ戻ることもなかったでしょう。貴方の働きはこんな金銭のお支払いだけで報いていいものではありませんが、……我々には一刻の猶予もないのです。

 我々は夜明けを待たずにここを発ちます。夜の森は危険な道行きですが、魔除けの魔導具もありますし、スレイプニルの全速ならば魔獣も寄せ付けません」


 アリシアがテーブルの上に置いた小袋が、重い金属音を立てる。

 この世界の通貨に疎いヨルではあるが、小袋にはずっしりと硬貨が詰まっていて、約束の金額よりずいぶん多いように思われる。


「ヨル殿、落ち着きましたら聖都においで願下さい。我がストリシア家をあげて歓待致します。

 ……それまでは、ヨル殿を主としヴォルフガングをお付けしたいと思います」

「待て、ヴォルフは……」


 アリシアは一体何を言い出すのだろう。


「主と言っても聖都にたどり着くまでの仮のものです。あれほど秀でた魔術士であるヨル殿に盾など不要かもしれませんが、前衛としてお役に立つと思います。急がれる必要はございません。そちらの依頼料には十分な旅費も入れております。ごゆるりと旅路を楽しんでください」


 まるで台詞でも読むようにすらすらと話すアリシア。

 たしかに、俊足を誇る8本足の馬ならば昼夜を問わず進めるだろうし、3頭しかいないのだからヴォルフガングを連れていけない理由もわかる。

 しかし、ヴォルフガングは敵国の将軍ではなかったか。

 今はアリシアの実家、ストリシア家預かりになっていたはずだ。

 彼の首には忌まわしい、けれど希少な隷属の首輪が付いていて、魔術的な契約によって囚われの身の上なのだ。アリシアたちが離れても隷属の効果が続くように、仮の主を定めるというのも分からなくはない。

 けれど、どうしてヨルなのか。

 一度依頼をこなしたとはいえ、ヨルは会ったばかりの身分の不確かな男に過ぎない。


「スレイプニルは3頭のみ。ヴォルフガングを連れては行けないのです。ギルドか教会の者に依頼しようかとも思いましたが、敵国の将であるヴォルフガングをよく思わない者もいるでしょう。その点、ヨル殿はこの依頼の間に随分親交を深められたようですから、安心してお任せできるのです」


 敵将ヴォルフガングを厭わないから、と言うけれど、そもそもアリシアはヴォルフガングを気遣っていただろうか。


 けれど、ヨルがその疑念を口にするより早く、ヴォルフガングが口を開いた。


「頼む」


 抑揚のない声だ。彼は、どんな心境でヨルにこの言葉を伝えたのだろう。

 ヴォルフガングの表情は目深にかぶったフードに隠れて、(うかが)うことはかなわない。


「……分かった」


 ヴォルフガングに頼まれたのだ。疑念が晴れたわけではないが、ヨルには断ることなどできなかった。


「ありがとうございます。では、ヴォルフガングの隷属の首輪に触れて魔力を流してください」


 アリシアが首輪に触れやすいようにヴォルフガングは片膝を突く。フードを取らないヴォルフガングの首元に手を伸ばすと、ひやりとした石材のような首輪に指先が触れた。


受諾せよ。(インキュラー)肉体の権限を此方へ(・ウル・イズム)。我、第2位権威行使者、アリシア・ストリシア。第3位権威行使者としてヨルを定める」


 魔力を流して探ってみると、隷属の首輪というのは2種類の魔導回路を繋ぎ合わせた魔導具だった。

 核となるのは背中側に組み込まれた隷属の魔導回路で頚髄(けいずい)を経由して対象の行動と一部の思考を支配する魔人時代の遺物だ。

 それとは別に権威行使者、つまり主を定める魔導回路が別にあって、こちらは隷属回路と比べると作りも強度もお粗末なものだった。まるでヒューズやブレーカーの無い電子回路のように、過剰な魔力を流せば、第2どころか筆頭権威行使者も書き換えてしまえるだろう。


(あっぶな。魔力ちょびっとでいいのか。危うく権威行使者上書きするとこだった……)


 空腹のせいだろう、魔力のコントロールが狂いそうになってヨルは少し慌ててしまう。

 隷属の首輪というのは、魔人文明の遺物だと謳っているが、魔導具を核として人間が人間を支配するために作り上げた道具だ。


(人間も魔人もろくなもんじゃないのかもな……)


 隷属の首輪を調べている間に、ヨルは無事ヴォルフガングの3人目のご主人様として登録された。


「変わらず接してくれ、ヴォルフ。……ヴォルフ?」


 登録が終わり立ち上がったヴォルフガングはあいかわらず口数が少ない。

 不審に思ってフードの中を覗いてみると、目の焦点は合わず、口も薄く開いていて、放心状態にあるようだ。


「権威行使者の登録を行うと呆然自失の状態になるのです。1晩休めば落ち着きますので」


 ヴォルフガングの処遇を憂うようなことを言っていたのに、アリシアはヴォルフガングの顔さえ見ようとはしない。多少なりとも罪悪感があるのだろうか、それとも。


「見送りは不要です。どうぞ宴をお楽しみください。ヨル殿、本当にお世話になりました。貴方の尽力、このアリシア、決して無駄には致しません。リグラ・ヘキサ(神のご加護を)


 そう言い残すと、アリシアは遺跡を探索していた時の親しさが嘘のようなそっけなさでノルドワイズを後にした。

 彼女の残した祈りの言葉は、満月を隠す流れ雲のようだと、ヨルはなぜかそのように感じた。


(まぁいいか。面倒が減ったのは喜ぶべきだ)


 それにしても腹が減った。いい加減、ちゃんと食事を摂らないと。

 人の臭いの残るこの部屋は、ヨルを落ち着かない気持ちにさせる。

 ヨルは茫然自失のヴォルフを部屋で休ませて、一人ニャン娘のいる食堂へと戻った。


 そして、夜の帳が下りる。

 どれ程月が明るかろうと、夜更けに出歩く人は少ない。

 なぜなら人は昼の生き物だから。


 月夜を愛する不良にゃん子も、今夜ばかりは暴飲暴食のせいで深い眠りに就いている。

 そんな中、『賑やかな鶏亭』を後にして、北壁の警備の手薄なあたりにロープを垂らして飛び降り森へ進む人影が一人、いや、それを追うようにもう一人。


 二つの人影が影絵のようにノルドワイズの街を渡っていった。



お読みいただきありがとうございます。

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