024.穴の底
「ブニャッ」
尻尾をつかまれたミーニャが間の抜けた声をあげるのもかまわず、ヨルはミーニャごとアリシアを引き寄せた。落下の恐怖に硬直したミーニャの爪がガッツリとアリシアの服に絡みついていたおかげで、二人同時に回収できた。
(静かだと思ったら、気絶してるのか……)
錯乱してしがみ付かれるよりも随分ましだ。ヨルはアリシアの腰から魔剣カルタナを引き抜く。
(魔力はほとんど溜まっていないが……俺の魔力でいけそうだ)
魔剣に一気に注ぐと、あっけないほど容易く魔力が満たされる。
充電ならぬ充魔力に箱型の鞘で1日かかると言っていた割には、随分とあっけない。
「ヴォルフ!!」
ヨルたちの下方、大蛇に巻き込まれるように落下していくヴォルフガングは、ヨルの声に顔を上げる。
説明をしている余裕などない。恐ろしく深い縦穴だったから名を呼ぶ暇があっただけだ。穴の底が近いことは、微弱で、けれどあたり一面を埋め尽くすほど大量の魔力反応が告げている。赤潮が発生した海面に落ちるような気味の悪さに鳥肌がたつ。
「吹きすさべ、風の魔剣カルタナ!」
ヨルが魔剣に命じると同時に、激しい上昇気流が落下するヨルたちを受け止め、落下していくベクトルを上方へと持ち上げた。
魔剣カルタナから生じた暴風は、ヴォルフガングのわきを抜け、大蛇に当たって跳ね返り、キリキリと渦を巻きながらヨルたちの落下を止めたのだ。
それは大蛇が通風孔の底に落ちる僅か前。間一髪のタイミングでヨルたちは地面に叩きつけられるのを免れた。けれど、急激な速度の変化に見舞われたヨルたちの体は、木っ端の如く空中をきりもみしながら飛ばされて、したたかに壁面へと叩きつけられる。
「ぐっ」
壁面に衝突した衝撃でヨルは思わずうめき声を漏らす。
ヨルはアリシアとミーニャをかばったおかげで衝撃は3倍、いや、にゃんこは意外と軽いから2.5倍というところか。大した痛みは無いけれど、にゃん子の頭が鳩尾にクリーンヒットで「うえっ」となってしまった感じだ。
(初めて東京の通勤ラッシュに巻き込まれたのを思い出すな。この世界に痴漢冤罪なんてないだろうな)
意外と大丈夫そうな感想を抱くヨル。
アリシアは軽装とはいえ防具をまとっているから、柔らかいナニカが当たってラッキーなイベントは発生しない。にゃん子の石頭がひたすら鳩尾を圧迫するくらいだ。さすがはにゃん子、邪魔しかしない。
壁に叩きつけられた後の落下距離はしれていて、床には落下と魔剣の暴風でズタボロになった大蛇の屍がクッション代わりになってくれたから、スタンと軽やかに降り立つことができた。
「平気か、ヴォルフ」
「なんとかな。それにしても、無茶をする」
暴風に弄ばれて眩暈がするのか、軽く頭を振りながらヴォルフガングが立ち上がる。こちらは打ちどころが悪かったのか冷や汗を流していて、見れば右腕があらぬ方向に曲がっている。口の端からも血が流れていて、今にも「ゴフッ」とか吹きそうだ。
「再誕する鱗、天空の秘儀、我が力を糧に再生の雫を 命脈の息吹」
慌てて癒しの呪文を唱えるヨル。するとヴォルフガングの折れた腕がみるみる戻り、足取りもしっかりしたものに変わった。それでもダメージは体に残っているようで顔色が悪いままだから、出発前に買っておいたポーションを渡すと、疲れたおっさんがちょっとお高い栄養ドリンクをキューっとやるように飲み干していた。サイズも瓶の形もなんだか栄養ドリンクを彷彿とさせるものだ。
「ふぅ、助かった。癒しの魔術まで使えるとはな」
途端に元気になるヴォルフガング。
一人ダークファンタジーを繰り広げる自分に癒しの魔術が使えたのはヨル自身でも驚きだが、どうも、攻撃魔術に比べたら極端に苦手な気がする。ほかの魔術なら過剰なほどに出る効果が、なんというか常識的だ。癒しの魔術よりポーションの方が効いた気さえする。ちなみにポーションは売っている中では一番高い、1本10万エクトの物だ。
(異世界の栄養ドリンクすごそうだな)
1本10万エクトは安くはないが、栄養ドリンクがこんなに効くなら、異世界マグスのブラック職場はどれだけ真っ黒なのだろう。
手当に追われるヨルのそばでは、落下の恐怖で固まっていたミーニャがようやく再起動して小さな声で鳴きだした。
「みゃっ……みゃー、みゃー、みゃー」
「……うぅ」
常ならぬ可愛らしいミーニャの鳴き声にアリシアも意識を取り戻したようだ。勝手に使った魔剣カルタナは、アリシアが意識を取り戻す前にこっそり鞘に戻しておく。
(よかった、全員無事みたいだな。それにしても、ここは一体……)
大蛇が現れた通風孔は、直径10メートルはありそうな円形の立坑だった。壁面はコンクリートのような構造物で造られている。
地下深くなると地熱で温度は上がると聞くが、温度調整されているのかやや暖かい程度で魔素濃度さえノルドワイズの街程度。北の森とは思えない低さだ。何らかの機構が働いているのは確かだろう。相当古い遺跡だと聞くが、ここはまだ生きているのだ。恐るべき技術水準の高さだと言えよう。
明かり一つない暗闇だけれど、暗視魔術のおかげで周囲の様子は把握できる。切り立った垂直の壁面には階段などはないから、他に登れそうな場所を探すしかない。
「気を付けろ、大蛇が消えるぞ」
魔石の結晶化が完了したのだろう、穴の底にぐちゃぐちゃに潰れて詰まっていた大蛇の肉体が、栓のあいた浮き輪のように皮だけのこして消えていく。
この大蛇は巨大なだけあって長く生きた個体らしい。魔石の他に皮を素材として残していった。
大蛇が消えヨル達の脚が地底に着くと、円形の穴の一方向が崩れてどこかへ通じているのが分かった。ちょうどいいタイミングでアリシアも意識がはっきりしたようで頭を振りながらも起き上がる。幸いアリシアに怪我はないようだ。
「……ヨル? 大蛇はどうなって? ……ここは!?」
起き上がったアリシアがヨルに尋ねる。
「落ち着け、アリシア。大蛇は倒したが、坑道も壊れて通風孔の底へと落ちた。ここは、この廃坑の一番底だ」
「廃坑の……底!?」
地図などない、恐らく誰も踏み入れたことのない、魔王の遺跡の底の底。
そんな場所だと告げられて、アリシアは息を呑む。大蛇に喰われることは無かったけれど、状況は全く好転していない。事の重大さに一同が口を閉ざす中、一人、いや一匹だけが口を開いた。
「底ってことは、これ以上は落ちにゃいにゃ?」
「……まぁ、そうだな。上がるのが大変だがな」
「頑張るにゃー」
「お……おう、頑張れ」
落下のショックから立ち直り、いつもの調子を取り戻すミーニャ。恐ろしくポジティブだ。
奈落の底とも思える深い穴から、“頑張って”上がるつもりらしい。
しかも蛇の魔石どころか皮まで持って帰るつもりらしく、ヨルに入れろと差し出してくる。
「……それでは、階段を探しましょうか」
「とりあえずは、あの横穴だな。大蛇の通り道のようだ」
ミーニャの様子に恐怖と緊張がほぐされたのか、アリシアが立ち上がり、ヴォルフガングも通風孔の底に開いた横穴の方へと歩き始めた。
「気をつけろ、この階には恐ろしく大量の生物がいる」
地上から感じた小さな無数のツブツブとした魔力反応は、地の底まで落ちてしまうと横方向に広がっていた。恐ろしく広い空間に、大量の生命がうごめいている。
ここまで来れば、さすがに分かる。これは、鉱線虫などではない。
一つ一つは弱い人間程度のもので、さほど脅威ではない。けれどこれほどの数が集っていれば……。
まるで、地底に築かれた大帝国に来たようだ。
ここは光もささぬ廃坑の底で、巨大な大蛇が這いずる場所だというのに、一体何がいるというのか。この魔力探知が間違いであればと思わずにいられない。
眉をひそめるヨルの様子に、危機を察したヴォルフガングが剣を抜く。
「魔獣か?」
「みゃー」
「いや、ずっと弱い、魔力核を持たない人間程度の反応だが、数がおびただしい」
「みゃー」
「鉱線虫でしょうか」
「みゃー」
「分からん」
「みゃー」
「警戒を」
「みゃー」
「……どうしたミーニャ」
「みゃー、なんか食べてるにゃ」
「!!?」
鳴きやまないにゃん子の思わぬ発言に慌てて耳を澄ましてみると、開いた穴の向こうからシャグシャグ、シャグシャグと微かな音が聞こえてきた。
シャグシャグ、シャグシャグ。シャグシャグ、シャグシャグ。
一つ一つは紙の擦れ合うほどに小さな音だが、それが大量に重なって雑踏の中にいるような落ち着かない気分になる。
ヨルの魔力感知は間違ってはいなかった。
ここには、確かに何ものかがいる。それも大量に。
「鉱線虫……でしょうか?」
「いや、奴らに……歯はない」
アリシアの問いに答えたヨルは、自分の返事のおぞましさに口をつぐんだ。
咀嚼しているのだ。この先にいる大量の生物には歯があって、こんな廃坑の底の、一片の光もささない場所で何かを貪り喰っている。
「行ってみればわかる」
先陣を切ろうとするヴォルフガングに、ヨルはアリシアたちを守れと目配せすると、大穴の中へと一歩足を踏み出した。
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