002.血の衣 *
――拝啓、お父様、お母様、大好きな咲那。あと、異世界冒険譚を話してやったら「マジっすか!? マジモンのマジでマジっすか!?」と語彙力低すぎるリアクションをしてくれそうな後輩の竜司。
俺のアパートは火事で焼けちまったぽいですが、皆さま、ご健勝でお過ごしでしょうか。文化的な生活は営めていますか? 健康で文化的な最低限度の生活は大事です。日本国憲法、すっげぇイイコト言ってんなって異世界に来て痛感するとは思いませんでした。それよりなにより、異世界に来て真っ先に困ることが、まさか……まさか、ぱんつとは。
普通、もっと他に困ることがあると思うんですよ。お金とか、言葉とか、「俺、なんかやっちゃいました?」みたいなのとか。特に3番目、お前、全然困ってないだろと言ってやりたい。だってあいつら、ちゃんと服着てるんですよ。なのに、なんで俺マッパなの?
いや、初めはさ、バッキバキに割れた腹筋とか彫刻かって感じの肉体見てちょっぴり嬉しくなったりしたよ。現実でこんな体だったら海とか行きまくって見せびらかしちゃうねとか一瞬思いましたよ。でも、それもパンツあっての話だろと。あと、周りも似たような格好をしてるって前提ありきだよ。
今の俺を取り巻いてるのは、大森林、THE・大自然。しかも死屍累々の死体山盛りで、それをやったと思われるマンティコアの死体デコレーション付き。みんなも服とか破れまくりで、体どころか内臓見せちゃってるけど、ZE・N・RA俺だけ。この惨状が参上みたいなシチュエーションのせいなのか、単にマッパが悪いのか、心許なさMAXでちょっと泣きそう。
そりゃね、全裸スタート作品だってあるよ。ゲラゲラ笑って読んでたよ。でもそれ、意味ある全裸だと思うんだよ。全裸でも生きていけるサバイバルスキルあるとかそういう。アウトドア系の趣味ない俺を脱がす意味なんて、ないと思うんだよね。無意味な全裸はただの裸族、いやただの変態でしかないだろ。
人間は爪も牙も持ってないから、道具使って生き残ってきたんだよ。なのに、生まれたままの姿なんて。魔獣、いや普通の犬とかでも出くわしたら死ねるね。あぁ、出会うのが人間でも死ねるかも。社会的に。いや、社会的で済むかな? 死体の服装見た感じ、鎧とか着てるから中世ファンタジーっぽいんだよな、この世界。
そういう世界のわいせつ物陳列罪ってどういう扱いなんだろ。確かカトリックの世界じゃ、社会規範や倫理観に反する行為として、厳しく取り締まられてなかったっけ? 社会的に死ぬだけじゃなくて、生物的にも死んじゃわないか? まずいまずい、まずいって――。
全力で現実逃避してみたヨルだが、現状は変わらない。まずは服を探さなくては。
ヨルは全裸だったが、そこら中に二十人は下らない数の惨殺死体があるのだ。死体の身ぐるみを剥げば衣類はすぐに手に入るが、それは最終手段だ。
マンティコア周辺の肉片は揃いの兵装をしていて、騎士隊だとか軍隊のような、公の戦闘集団に見える。落ちている腕は剣や槍を握っていたから、マンティコアと戦い、殺されたのだろう。こんな化け物に果敢に挑んだ勇者たちの亡骸を辱めることはできる限りしたくない。もちろん、死体のパンツを脱がして履くとか、絶対に嫌なのも本音だ。
「亡くなった兵士の皆さん、ごめんなさい。あとでちゃんと弔うので許してください」
代わりに少し離れたところで横転している馬車の荷物を拝借することにする。散乱した荷物の様子から日帰りではなさそうだし、そうであるなら着替えも持ってきているだろう。
「ぱんつ、ぱんつ、ぱんつ……。うぅ、臭い」
風呂上がりのオッサンのようにパンツを求めてさまようことしばし。
見込み通り何着か着替えは見つかったのだが、そのどれもが使用済みの、それも何日も着っぱなしにした後のような、見た目も臭いも不衛生甚だしいものばかりだ。ちょっと醗酵してるんじゃなかろうか。白さなんてかけらもない。
原型をとどめないほどに破壊された馬車らしき残骸と、下着の概念を打ち砕くぱんつ。さらに離れた街道らしきところには、横転したり巨木に突っ込んだ状態の荷馬車が数台残されているから、馬車へ襲い掛かられそのまま戦闘になったんだろーなー、なんて思わず思考が横道にそれる。
「状況確認してる場合かよ」
今、確かなことは一つだけ。
清潔なぱんつはない。それだけだ。
「畜生め、よくわからんがきっとお前のせいだ、マンティコア」
醗酵しかけのユーズドぱんつか、死体が着ているユーズドぱんつ。そんな究極の選択を突き付けられたヨルは、半ギレでマンティコアに中指を立てる。
「あぁ……。<血鮮布、わが身を飾れ>。……え!?」
半ば無意識で漏らした言葉は日本語ではない。けれどヨルにはその意味が分かった。
同時に口から発した音声に、音以外の何かが込められていることも。
これは詠唱。つまり魔術というものだ。そして、ヨルの詠唱に呼応するように地面を染めていたマンティコアの血液が渦を巻いて立ち昇り、蜘蛛の糸より細い線に変わったかと思うと、彼の体を包んでいく。
一瞬の後には、周囲に立ち込めた不快な臭いは消え去って、ヨルは鎧付きのロングコートにマントといういで立ちに変わっていた。黒を基調とした色合いから一見地味だけれど、細部はシンプルながらも洗練された意匠で高価そうだ。なによりも素晴らしいのは。
「……よかった。ちゃんと履いてるし、清潔そうで臭くない」
超常現象を体験した後の第一声がこれとは、自分でもどうかと思うのだが、衣食足りてなんとやら。ヨルはようやく落ち着いた気持ちになって現状を認識することができた。
「死体の山を築いた魔獣の血で、装備とか……。これって、悪い意味で絶対バレちゃいけない系じゃねぇ?」
神様的な存在に説明を求めたいところだが、そういった存在とは一切接触していない。
日本で火災現場に飛び込んだら、異世界の殺戮現場で素っ裸で意識を取り戻した。目の前には原因らしき魔獣の死体があり、誰が倒したかは不明。わかっているのはそれだけだ。
(この体の持ち主はマンティコアとの戦いで死んでしまって、そこに俺の魂が入ったのか?)
違う体で異世界に爆誕したなら、思わず漏らす声は「おぎゃあ」がいくらかましだったとは思うけれど、その解釈が一番しっくりくる。
20人分を超える血のない死体と、それらを惨殺したと思しきマンティコアの死体。
明らかに異常だが、最も考えねばならないのは、そこではないだろう。
――一体何者がマンティコアを倒したのか?
周囲には、ヨルのほかに生き物の影はない。ここにいる兵士たちと刺し違えたのか、何者かが倒して立ち去ったのか……。
考え込んでいたせいだろう。
「こんにちは」
背後から、そう声をかけられるまで、ヨルは近づく人影に気が付かなかった。
この顔でパンツ漁るとかwww