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【改稿版】俺の箱~かつて、魔王がいた世界~  作者: のの原兎太
第1章 ヘキサ教の乙女たち
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019.魔王の名

 北側の森は南側よりさらに生命力に満ちているようにヨルには感じられた。


 滅多に人が踏み入らない森は、少し分け入っただけで樹齢数百年はくだらない巨木が生い茂っていて、昼だというのに随分と薄暗い。間伐のされていない茂るに任せた森だけれど、樹木の幹はどれも抱えきれないほど太くて、高さも天を衝くほどだから、歩いてみると想像したより広々として開放的だ。


(あー、なんだろ。気持ちいい。マイナスイオン? 学生の頃、屋久島に行ったけどこんな感じだったなー。やっぱ、大きい樹木っていいな。なんだか懐かしい気分になる……)


 暑くもなければ寒くもない穏やかな季節を象徴するように、地面には乏しい日光にもかかわらず下草が花をつけ、小さな茂みには木の実がたわわに生っている。

 意識を集中してみれば、森は小動物の命が溢れるほどに満ちていて、吸い込む空気は森の香りが清々しい。魔獣が潜んでいなければ、最高のトレッキングだ。

 そんな森の中をヴォルフガングを先頭にアリシア、ミーニャ、最後尾をヨルが並んで進んでいく。ヨルの魔力感知で、強い魔獣を極力避けての静かな移動だ。


「アリシア殿は魔王の遺跡について、どれくらい知っている?」

「探索の間はアリシアと。私もヨルと呼ばせてもらいます。遺跡についてですが、特段詳しいわけではありません」

「認識を一致させておきたい」

「そうですね。では……」


 認識を一致させたいなどと、それっぽいことを言ってはいるが、情報を引き出すための方便だ。

 危険な森の中だという緊張もあったのだろう。アリシアは自分の知っている遺跡の情報を惜しげもなく話してくれた。ちょろい。


「長きにわたる平和と繁栄のお陰で、最近では今の元号、聖歴が何を基準にしているか知らない者もいるらしいですが、ヨルは当然知っていますね」

「無論。ミーニャはどうだ?」


 ヨルの「無論」は「無論、知るわけないだろう」の後半を割愛したものだが、会話を振られたミーニャは元気に答えを教えてくれる。こちらもちょろい。


「聖女さみゃが魔王をやっつけたんにゃ!」


 意外にもミーニャが答えを知っていたから、これはこの世界では常識なのだろう。


「ミーニャはおりこうね。そう、ヘキサ神のご加護を受けた聖女様は、今より八百有余年も昔にこの地グリュンベルグの魔王を倒し世界に平和をもたらされました。

 この聖ヘキサ教国の興りでもあるし、宗派の違いはあれどマグス全土でヘキサ教が信仰される由縁でもあります。

 その後、聖ヘキサ教徒の中でも信仰厚い選ばれし者達は聖女様から聖遺物(アーティファクト)を賜り、世界中の魔王、そしてその配下の魔人たちを亡ぼして人の時代を築き上げたのです。

 しかし、魔人たちが滅んでもその領地の周辺は未だに魔素が濃化したままで、恐ろしい魔獣がはびこっています。主無き廃墟を守っているのかもしれません。

 事実、一部の遺跡では古の魔導設備が未だ稼働していて、魔導生命体(ゴーレム)たちがそれを守っているといいます」


「魔導具の類はあらかた採りつくされたと聞いていたが、狙いは遺跡の魔導生命体(ゴーレム)だったか。中には破壊してもしばらくすると再生する物もあると聞くが。狙いは魔導生命体(ゴーレム)の核――、魔晶石か」


 意外なことに、アリシアの話にヴォルフガングが加わってきた。今まで会話らしい会話がなかったのだろう、アリシアは少し驚いた顔をしたけれど、軽くうなずき話をつづけた。


「そうです。我々が向かうのは採掘場跡地の遺跡です。発見された当初から鉱脈は枯れて、深部は鉱線虫の住み処になっていると報告にありました。

 入り口付近は4枚の翼をもつ磔蝙蝠(クルス・バット)の巣になっていますから、他の魔獣は奴らと共生できる装甲鼠(アーマード・ラット)くらいしかいません。

 ですが、この遺跡には稀にガーディアンゴーレムが現れるそうです」


「こんなに森の浅い場所の、しかも廃坑に未だにゴーレムが出るというのか」


 ヴォルフガングの反応を見る限り、ゴーレムというのは難易度の高いダンジョンに出没する敵らしい。ヨルの予想を裏付けるように、アリシアが頷きながら言葉をつづけた。


「そのとおり。探索に見合う宝がないというのもあるでしょうが、この廃坑は恐ろしく深くて地図は半ばまでしか完成していません。鉱線虫の状態から見て魔人文明の途中で廃坑になり放棄されたと考えられています。恐らくは、未探索の坑道のどこかに何らかの無人施設があり、廃坑になった後も稼働を続けているのでしょう。

 通常では考え難いことですが、ここはあの魔王の領地ですから。本当に、恐るべきというほかありません。

 ……原初の魔王、不滅なる鮮血の魔王シューデルバイツは」


 ドクン。


 ――シューデルバイツ。

 アリシアの語ったその名前に、ヨルの心臓が雷に打たれたように跳ね上がる。

 また、この感覚だ。己の中で何者かが覚醒し、記憶の箱が開きそうになる。

 シューデルバイツという名前。この体はその名を知っているのだ。


 この記憶は、禁断の『箱』だと自分の中の何かが告げる。決して開けてはならないと強引に蓋をする。この体に秘められた記憶がどんなものかは分からないけれど、ろくなものではないだろう。

 ただひどく、ひどく不快な気持ちが湧き上がる。


 それは強い後悔であるとか、離別の悲しみであるとか、理不尽への怒りであるとか、そういった自分ではいかんともしがたい運命に対峙した時のような苦くて辛い感情で、ヨルはその嫌な気持ちを洗い流すように、清い森の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


(落ち着け、落ち着け。呑まれるな……。俺は田口(よる)、日本人だ。

 今は仮初めの体で一時的にこの世界にいるだけだ。俺は帰れる、きっと、帰れるんだ。こんな世界じゃなくて、日本へ。こんな、世界、こんな……)


 帰れる、日本へ。日本へ帰る。ここじゃなく、こんな世界じゃなくて日本へ。

 なぜ、これほど強く帰りたいと望むのか。なぜ、この世界を厭うのか。

 それさえヨルにはわからなかった。

 ただそれだけが救いであるかのように、帰りたいと強く願った。

 繰り返し、繰り返し。

 そうでもしなければ、蘇ってしまうかもしれない。この体に封じられた何かが。

 もし、蘇ってしまったならば、もう、元には、日本人の田口(よる)には戻れない、そんな気がして、ヨルはただひたすらに、戻れると帰れるのだと、心の中で繰り返した。


(こんな世界は嫌なんだ。こんな……)

「ヨル、どしたんにゃ?」

 ヨルの異常に気付いた、ミーニャが声をかけてくる。

「サラエナが……」


 思わず漏れた己の声にヨルは慌てて唇を噛むけれど、彼の声は森の静けさの中でアリシアの耳に届いてしまった。


「そうです、聖女サラエナ様は古の魔王を封じ、この世を去りました。けれど、その教えはヘキサ教に、我が主、教皇エウレチカ様に受け継がれております」


 ――聖女サラエナ。

 その名を、どうして忘れることができようか――。


  挿絵(By みてみん)


(だめだ、だめだ、だめだっ!)

 溢れそうになる記憶と、それを押しとどめようとする強烈な意思。

 自分の中にある、自分の知らない激しい情動。その奔流にかき乱されて、頭はぐらぐらと揺れ意識が途絶してしまいそうだ。

 半ば錯乱したヨルの意識に呼応するように、周囲を探知していたヨルの魔力探知は際限なく範囲を広げていた。まるで、帰りたいと願う日本が、この森の先にあるかのように。

 けれど、ヨルの意識に届くのは、この森に満ちる得体の知れない生命の息吹ばかり。

 この森が、狂乱熊フレンジー・グリズリーなど相手にもならないような恐ろしい魔獣の棲み処であると伝えるばかりだ。


(!! なんだ!?)


 森の中の進路を間違えば出くわしかねない近い位置にいた魔獣の群れが、意識の乱れたヨルの魔力感知に気付いて攻撃に転じようとした瞬間、群れごと一瞬にして消え失せたのだ。


「どしたんにゃー? どしたんにゃー?」


 心配そうにヨルの足元にすりよってくるミーニャ。

 この急に起こった異常状態と、常時おかしなにゃん子のおかげで、ヨルの意識は正常な状態へと引き戻された。


「魔獣の群れが、一瞬にして消え失せた。代わりに……なんだ? ひどく薄い……」

「薄い? まさか、“蠢く湖”!?」

「やばいにゃー」


 表情を曇らせるアリシアと、危険を感じたのか毛を逆立たせるミーニャ。

 特に尻尾がもふもふだ。


「“蠢く湖”とはなんだ?」


 この辺りの魔獣に詳しくないのだろう、ヴォルフガングが尋ねるけれど、アリシアは答えず「先を急ぎます」と速足で移動を開始した。


(余計なことは考えるな。まずは遺跡にたどり着かないと)

 ヨルが“蠢く湖”を視た(・・)ように、“蠢く湖”もまた、こちらを視て(・・)いる。


(この視線、ノルドワイズに着いた時にも……)

 視線に敵意は感じられない。距離を詰める様子もない。


 グリュンベルグの森に潜む、得体の知れない魔獣のお陰で、ヨルは未だ何もわからない田口因のまま、アリシアたちの後を追いかけた。



お読みいただきありがとうございます。

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[良い点] 読み進めるごとに味わい深くなります。みなキャラが立ってていきいきしてます。ワーニャンコ空気読めない感じいいですね
[良い点] 確かに。 記憶をまさぐりながら 読み進む感じが なぜかヨルの心境を同調して いわく言いがたい感覚を覚えます。 [気になる点] でももう認めるかどうかはともかく そろそろ察してもいいと思うw…
[一言] ヒロイげふんげふん しっかり覚えてる単語とすっかり忘れてるシーンで記憶を思い出しているヨルに共感してます
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