018.ヴォルフガング
「貴殿も名のある術師と見たが、俺を知らぬか。
俺は、ヴォルフガング・エッシュバッハ。サフィア王国の将軍だった」
ヨルの失言に名乗りで返したヴォルフは、ここまで言えばわかるだろう、とばかりに話を切った。
しかし、この世界に昨日来たばかりのヨルには、それだけでは情報が足りない。
困惑するヨルの様子に気付いたのだろう。
「サフィアの魔人殺しと言っても……わからぬか」
わずかに苦笑を滲ませて、ヴォルフは空気を緩ませた。
(よかった。隷属の首輪の失言も流してもらえそうだ)
それにしても『魔人殺し』とは、なかなかに厨二心をくすぐる二つ名ではないか。
幸い仕事を放棄しっぱなしのヨルの表情筋はピクリとも動かなかったけれど、ヨルが知らないことは伝わったようで、ヴォルフガングは軽く肩をすくめて話をつづけた。
「広大な領地をもつ聖ヘキサ教国の北の果てからすれば、あの戦など異国同士の諍いのように縁遠いものかもしれんな……。
もう、半年になるか。我が国サフィアは聖ヘキサ教国に戦を仕掛け、そして敗れた。無能なる敗戦の将は捕らえられ、領地は侵略され、解放の条件として賠償金が請求された。
聖ヘキサ教国側は教義によって支配地の虐殺も略奪もしなかったし、賠償すれば領地も返すと言っている。紳士的な条件だ。しかしな、サフィアの王はこれに応じなかったのだ」
もともと勝ち筋の見えない無謀な戦いだったらしい。
将軍ヴォルフは開戦を避けるよう王に進言したけれど、臆病者のそしりを受けるばかりで、ついにサフィア王国側から戦の幕は切って落とされた。
ヴォルフガングが任されたのは最も過酷な戦線で、寡兵を鼓舞し、戦術を駆使して善戦したけれど、他の戦線があっさりと崩されたのを皮切りにサフィア王国はあっさりと敗北を喫した。
「わが国のあまりに見事な敗走ぶりに、うっかり敵地に取り残されてこのざまよ」
やれやれと言った様子でヴォルフは茶化して見せるけれど、一人でも多くの味方を生きて逃がすために、最後まで戦ったのかもしれない。
後日、停戦協定が結ばれたが、サフィア王国の一部、都市ベルヴェーヌとその一帯は聖ヘキサ教国の支配地となったままだし、敗戦の将ことヴォルフガングに至っては身代金の支払いすら拒否されているのだという。
「停戦したなら、有能な武人は返して欲しいはずだろう?」
聖ヘキサ教国側が解放しないならまだわかるが、サフィア王国側が身柄を引き取らないというのはどういうことか。
「平民上がりの俺は現王には嫌われていてな。
身代金が支払われなかったのだ。戦奴が賠償に充てられるのは当然の習いだな。
“将軍の身代金が支払われない”などという事例が今までなかっただけのことだ」
ヨルの疑問にヴォルフガングが自嘲したように答える。
(あー。これは俺でもわかるぞー。よくある感じのヤツだ。
ヴォルフは前王のお気に入りで、平民から貴族にまで取り立てられた。それが気に入らない無能な血統主義者の現王に嫌われてるとかだ。戦争を仕掛けた理由はわからんが、無謀な戦をヴォルフにやらせて、負けたことにも駄々こねて、ヴォルフさえ引き取らないってことかー)
なるほど。強くて有能な捕虜を拘束するために、ヴォルフは隷属の首輪なんて物騒なものを嵌められたわけだ。それでもヴォルフガングは平民から将軍にまで上り詰めた男だから、自由には行動できないにせよ、装備を取り上げられることもなく、ここ聖ヘキサ教国でもそれなりの待遇が受けられたらしい。
ヴォルフは多くを語らなかったが、隷属の首輪なんて物騒なものがある世界だ。情報の収集など、やるべきことをやるべき者が実行した上での現状だろう。
今はいつか祖国に帰れるようにと、他国に支店を持つストリシア・ハンターズ・ギルドを営むストリシア家預かりとなり、食客にちかい待遇にあるという。それを、ひろーく解釈したストリシア家のご令嬢、アリシアが親にナイショで連れてきたのが今回の顛末らしい。
淡々と話すヴォルフガングの身の上話は、概略だけの短いものだったけれど、なんだか気まずい気分になってしまった。ヨルは黙ってヴォルフガングのコップにぶどう酒を注ぎ、ヴォルフガングは「気にするな」とばかりにそれを飲み干した。
(俺の失言を安酒で流してくれるとは……流石将軍、大物だ……)
ヴォルフガング自身は、当然自由の身になって祖国に帰りたいだろうに。どうにも暗君が王らしいサフィア王国側の事情やら戦争の経緯からすれば、有能なヴォルフガングを留め置いた方が聖ヘキサ教国にとって有利に事が運ぶだろう。今回の依頼でも、隷属の首輪も手伝ってそれなりに働くつもりがあるのだろうし、アリシアがヴォルフを手元に残した理由も納得できる。
ヴォルフガングの状況は理解できたが、問題は……。
(アリシア、大丈夫か……)
上司にナイショの遺跡探索に、親にナイショでヴォルフガングを連れ出すとは。
(よっぽど成果を挙げない限り、帰ったらお尻ペンペンじゃすまないぞ)
あの箱入りお嬢様が尻をぶたれて涙目か……。
(それはそれでアリだな……)
そういうのも嫌いじゃないとヨルがくだらない想像を巡らせている間に、ヴォルフガングは2瓶めのぶどう酒を飲み干してしまったらしい。
「おい、準備はいいのか?」
ヨルに出発を促すヴォルフガング。酒が切れたらすぐこれか。
「ダガーや装備を買っておきたい」
「その程度なら、途中の武器屋で調達できるだろうが、そろそろ時間だ。出た方がいい」
「分かった」
ヴォルフガングにせかされて、席を立つ。荷物などほとんどないから準備なんて必要がない。
「お釣りだよ。戻ってきたら、また贔屓にしとくれね」
席を立つヨルたちに女将がお釣りと言ってよこしたのは、硬貨ではなくぶどう酒の入った皮袋だった。本当に気の利く女将だ。帰ってきたら、絶対またここに泊まろう。
女将のくれた酒の袋をヴォルフガングと一つずつ持ち、ヨルたちは街の北門へと出立した。
ダガーを購入するために入った商店街の店は思いのほか品ぞろえが良く、ダガーやらポーション、基本的な冒険セットを買いそろえるのに思わぬ時間がかかってしまった。この街で売っているポーションのうち、一番高いものは10万エクト。栄養ドリンクみたいな見た目だが、これで骨折くらいは治るらしい。当然購入しておく。虫よけも重要だ。昨日の魔ダニの二の舞はごめんだと、店一番の虫よけも忘れない。ベルトや鞄に吊るすタイプで、封を切って半日程度は効果があるらしい。
ほかにも野営用の薄くて保温性の高い毛布に、金属のカップ。魔力で動くコンパクトなライトは、上に載せたカップが加熱できる優れものだ。
腐りにくい安全な飲み物は必要だろうと酒も追加で買っておく。ノルドワイズは穀倉地帯だがぶどうも取れる。ビールもワインも安くてうまい。『賑やかな鶏亭』の女将お勧めの酒屋は種類が豊富で、ヴォルフと二人、あれもこれもと試飲しながらいくつか選ぶ。食料は用意するといっていたが、干し肉もチーズも名産とくれば買わない訳がないだろう。酒のつまみではないったらない。
二人で持てば邪魔にならない程度の量だが、実に楽しい買い物だった。必需品だから仕方ない。準備は大切なのだ。
おかげで、ヨルとヴォルフガングが北門に着いたのは、約束の時間をほんのすこし過ぎてしまった頃だった。真面目そうなアリシアのことだから、時間前には到着していてたっぷり文句を言われるのではと内心焦ったヨルだったけれど、アリシアたちが到着したのはヨルより少し後だった。
「遅れました」
「お待たせにゃー」
急ぎ足でやってくるアリシアと、リュックを背負って手を振るミーニャ。
騎乗はしていないから、全員徒歩で向かうのだろう。
ミーニャはドライフルーツの入った袋を握りしめ、水筒代わりの水袋を斜めがけしている。
遠足か。
おやつは300円……300エクトまでなのか。
そうツッコミたいのに、ヨルの体は“遠足”という単語を知らないようで、じっとりとした視線を向けるしかできない。
準備万端なミーニャに対し、道中の食糧を準備すると言ったアリシアの方は武器と腰のポーチ以外は持っておらず、随分と身軽ないでたちだ。食料は現地調達するのだろうか。この世界の魔獣は倒すと消えてしまうから、食料には適さないと思うのだが。
「ワー・ニャンコの収納力は想像以上ですね。アリアンヌの勧めるままにいささか詰め込み過ぎてしまいました」
「にゃっふー」
荷物はにゃん子リュックにあるわけか。
いい笑顔のアリシアと、ドヤ顔でのけぞるにゃん子。
どうやら胸を張っているらしいが、食べ過ぎた朝食のお陰でぽんぽこに膨らんだお腹が飛び出している。
「ヨルたちの水筒も入れるにゃ?」
「この袋を頼む」
毛布やカップ、ライトの入った袋だけを渡すヨル。水筒は渡さない。
中身は酒だからな。
口には出さずヴォルフガングと視線を交わし合うヨル。男二人の小さな秘密だ。
毛布の入った袋を入れてもミーニャのリュックは少し膨らんだくらいで、とても4人が数日食べられるだけの食糧が入っているとは思えない。
馬の入れない場所で身軽に行動できるメリットは計り知れない。ワー・ニャンコというふざけた人種は、ただの駄にゃん子ではなかったようだ。古の聖女とやらが可愛がった理由も、もしかしたらそのあたりにあるのかもしれない。単なる猫好きという線も捨てきれないのだが。
「では、出発しましょう」
「おでかけにゃー!」
身軽な一行が通り抜けた北門の外は、南側よりも深く幅の広い堀が掘られていて、見通しのよい広い平地を挟んだ先、森との境に再び高い塀が築かれていた。
南側は穀倉地帯になっていたのに、北側の平地では羊が青々とした牧草を美味しそうに食んでいる。
「ノルドメリノか……」
ヴォルフガングの呟きをミーニャが拾う。
ここは魔素が濃い場所だから、牧草の成長速度も速いのだろう。それを旺盛な食欲で喰らって年に何度も刈り取れるほど羊毛を生やすのがこの羊の特徴だ。
「いっぱい食べて、すごくふかふかににゃるにゃ。滅多に血が腐らにゃい良いメーにゃん」
「血が腐る?」
確かに魔物の血液は饐えた臭いがするのだが、そのことだろうか。ヨルの疑問にはアリシアが答えてくれた。
「悪神テトラに魅入られた獣や植物は魔獣になりますが、それを“腐る”と表現しているのでしょう。魔獣の肉体は死ぬと魔石を残して塵と化しますし」
「腐ってるなら臭いで分かるのか?」
「さぁ? そういった話は聞きませんが。ミーニャは分かるの?」
「うにゃ? わからにゃーにゃ」
そうか。猫でも分からないのか。
(……だったらなんで俺は異臭を感じるんだ? にしてもやっぱり普通の生き物が魔獣になるのか)
魔素の濃い地域には強い魔獣がたくさん生息する。ならば魔素の濃度と魔獣化に関係があるだろうことは、素人でも予測がつく。
(だったら人間は……? 人間が魔獣化したらどうなるんだ?)
思い出されるのは、人類が及びもつかない文明を築いたという“魔人”という存在だ。
魔人と呼ばれる者たちが一体どういう種族なのか。魔獣たちの様子を見れば、想像がつかないわけではない。
でもそれは、科学技術とサブカルチャーが発達した日本で育ったからこそ想像がつくもので、剣と魔法の世界、マグスでは受け入れられない考えかもしれない。特にここ、聖ヘキサ教国では。
(聖ヘキサ教国には、人型の魔獣はいない……か)
今は聖騎士のアリシアもいる。迂闊な発言は控えるべきだろう。
(俺の想像が当たるとは限らんしな)
余計なことは考えないように、そしてそういう者にも出会わないようにと祈りながら、ヨルは森へと入っていった。
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