014.歩く教義書 *
「おい、あれ噂の聖騎士様じゃねぇ?」
「お、ほんとだ。別嬪じゃん」
「こんな遅くまでご苦労だねー」
『賑やかな鶏亭』の酔っ払いどもが声を上げる。立場のある人間は、手続きやら何やらがあるのか、それともどこかで歓待された帰りなのか、『賑やかな鶏亭』の前の大通りを聖騎士ご一行様が通って行った。通りに面した宿の窓には、ここと同じく酔っ払いどもがへばりついて、噂の聖騎士様を無遠慮に眺めている。
「どれどれ~」
「にゃ~」
ドリスもミーニャもその例に倣って窓に寄って行ったまでは良かったが。
「げ、アリシアじゃん」
ドリスが慌てて逃げ帰ってきた。
「知り合いか?」
「うん。神学校の知り合い、みたいな」
狂乱熊と対面した時よりも、嫌そうな表情を見せるドリスに「嫌な奴なのか?」と聞いてみる。
「うーん、悪い人じゃないんだよ。学生しながら教皇様付きの騎士もやってるすごい人だし。でも、すごく真面目っていうか、歩く教義書って呼ばれてて……」
「ほう」
“歩く教義書”。なかなかのあだ名だ。それだけでどういう人物か想像がつく。
「あー、もう、せっかく休みとってノルドワイズまで来たのにー。なんでこんなとこまで来るかなぁ。だいたいノルドワイズは魔滅卿の管轄区じゃん」
「魔滅卿?」
「あー、聖ヘキサ教国には教皇様の下に6人の枢機卿がいてね、ノルドワイズはその一人、魔滅卿ライラヴァル様の管轄区なんだけど、アリシアのお兄さんは安寧卿ミハエリス様なんだよね。まぁ、ボクみたいな学生レベルじゃあんまり関係ないんだけど、アリシアは教皇様の騎士でもあるし、別の枢機卿の管轄区をフツーうろちょろしないよね」
聞きなれない単語ばかりでいまいちよくわからないけれど、エライ人の妹でエライ人付きのエライさんが別のエライさんのとこにいてビックリみたいな感じらしい。若い女性が騎士をしているということは、教皇はずいぶん若い人物だろうか。それとも好色な親父だろうか。
どちらにしてもヨルには関係のないことだ。
「もし出くわしても、問題ないだろう?」
ドリスもただの学生らしいし。放っておけばいいだろうと思っていたけれど。
「おおありだよ! ボクが魔王の歴史を知らべてるなんてバレたら、お説教十時間コースだよ。でもって、卒業するまで教皇様親衛隊に入れられちゃうよ! それに、あの教皇様至上主義のアリシアが教皇様から離れてこんなところまで来てるんだよ? なんか目的があるんだよ。もし見つかったら、絶対手伝わされちゃう! 『教皇様もお喜びになります』ってにっこり笑う顔が目に浮かぶよー」
「うなー?」
頭を抱えるドリス。心配したミーニャが横に座っても気が付かない慌てようだ。
自分を魔王の歴史に関心がある異端児だと言っていたけれど、お説教で済むとは良心的だ。それより教皇様親衛隊ってなんだ。女子高生っぽい響きで興味がそそられる。
「あの人ね、教皇様とヘキサ神さまを同一視してるんじゃないかな!? でないとそんな台詞出てこないよね!」
さすがに分別は残っているのか、声を潜めてひそひそと文句を付け加える。
「なるほど」
アリシアとはかなり面倒な人物らしい。聖騎士の肩書といい、ヨルとしてもやっぱり関わらない方向でいきたい。
「決めた!」
「にゃっ」
頭を抱えていたドリスがばっと立ち上がる。
「ボク、明日、朝一でここを発つよ。ノルドワイズの近くにね、温泉の出る村があるんだ。ボクのもう一つの目的地。ここで調べ物ができないのは残念だけど、今回は温泉だけで我慢する。それなら、万一ここにいたことがばれても、立ち寄っただけだって言い張れるし」
「そうか……。世話になったな」
調査目的でわざわざノルドワイズまで来たのだろうに断念してしまうとは、どれだけアリシアが怖いのか。そして、思ったよりも早い別れがやってきてしまった。
ドリスには本当に世話になった。よくわからない異世界で、彼女のおかげで得られた知識は計り知れない。本当は付いて行きたいくらいだが、ノルドワイズが目的地だと告げているのだ。それを反故にして付いて行くとは言い出せない。次の目的地とやらが温泉ならばなおのこと。婚約者のいる若い女性と温泉旅行に行けるほど、ヨルの頭はのぼせていない。
「それじゃあ、ミーニャを連れていけ」
ポンとミーニャの背を押すと、間髪入れずにドリスが捕獲する。
「ミーニャたん、一緒にいこ? 温泉だよ~」
「おフロ、やーにゃー!」
するりと腕から抜け出してぴゅっと逃げ出す駄ネコ。あわよくばと思ったけれど、風呂は嫌いらしい。やっぱり猫は猫だった。
「あはは、嘘だよ。でも、今日でお別れだからもう少し一緒にいたいな」
「うなん」
ドリスがチラ見せした小魚の干物につられて、てちてちと近づいてくるにゃん子をふんわりと捕獲する。
もふもふ、ふかふか。ミーニャをモフりながら、ドリスはヨルにささやく。
「用事が済んだら聖都に来てよ。転移門の件、調べとくからさ」
「あぁ、必ず行く」
短い付き合いだけれど、ドリスはいい奴だ。いい友人としてこれからもやっていけると思う。
「じゃ、明日早いから」
そう言って餌で捕獲したミーニャを抱えて客室に上がっていくドリスをヨルは見送る。
明日は見送りにいこう。だが、その前に。
ヨルは静かに席を立つと、店の外に出た。
(日も落ちた。戦場も南に移ったな。今なら城壁の外へ出られるか)
北の森の固有種、雷光鹿が現れたなら、結界とやらに何かがあったに違いない。
明日、ドリスが発つというならなおのこと、原因を調べなければなるまい。
■□■
――いい夜だ。
未だ酒宴の続いている『賑やかな鶏亭』を抜け出して、ノルドワイズの暗がりを一人音もなく移動していた。
体の隅々にまで月の恵みが行き届き、すべての細胞が活性化していく。
生まれ変わるようなこの感覚を、この体は、いや俺は知っている――。
体に満ちる魔力を感じる。
白い月――『移ろい月』の光とともに魔素は世界に降り注ぎ、赤い月――『狂い月』の光はそれを増幅する。
魔素は魔力の元となりあまねく命を強化する。
魔力とは簡単に言えばエネルギーで、同時に波の性質もある。まるで光のようだと思えば、自分の魔力の波長さえ自在に操れることに気づく。
人の眼球が可視光しかとらえられないように、人の耳が一定範囲の音波しか聞くことができないように、魔力の波長にも人が感知できる範囲がある。
その範囲を超えて波長を上げる。高く、高く。
そうして世界を感知すれば、壁も人も動物も植物も、魔力探知を阻害するあらゆる障害をすり抜けて、ずっと遠くまで世界を識れる。
昼間は視界より狭かった魔力探知が、今はこの街全体を包み込むよりなお広い。
小さな魔力が集まっている。
瞬くような儚いきらめきは、群れて舞飛ぶ蛍火のようだ。
城壁辺りでは魔獣と人の戦いが続いていて、あまたの小さな魔力たちが、ぱちぱちと小さく弾けて光る様子は、線香花火を思わせる。
「きれいなものだ……」
「てれるにゃ」
思わずもらした声に応えるこいつは……。
「ミーニャ。お前、ドリスの部屋に行ったんじゃないのか」
「お散歩にゃ」
どうやら窓から出てきたらしい。なんて自由な生き物なんだ。
「ミーニャは街のお散歩マスターにゃ。案内してあげるにゃ」
「お前な……。いや、まてよ」
確かにこの街に来たばかりのヨルより、ミーニャの方が街の造りに詳しいだろう。しかもこの猫っぷりだ。街の人間も知らない猫の散歩道を知っているかもしれない。
「街の人間に見つからずに、街の外に出られるか?」
「かくれんぼにゃ? 余裕にゃん」
かくれんぼではないのだが、ミーニャが嬉しそうに耳をピンと立てているので、無言でうむと頷いておく。
「見つからず外に出て少しだけ狩りをする。街の皆には秘密にできるか?」
「まかせるにゃ!」
自信満々に返事をするミーニャ。
人目に触れず城壁の外へ出られそうだが、ちゃんと秘密にできるだろうか。朝いちばんに「ヒミツにゃー」とか言い出しそうだ。
「魚代を稼ぐぞ」
「おさかにゃ!? わかったにゃ!」
念のため、好物の魚で釣っておく。恐ろしく脈絡のない会話だが、にゃん子との会話に脈絡なんて最初からない。今までで一番の反応を見せるミーニャ。
これで明日の発言は「お魚にゃー」に書き換わってくれそうだ。
「行くぞ」
「にゃん」
二人は音もなく、夜の街を駆けていった。
「ここにゃ」
ミーニャのお散歩コースとやらは、予想通り屋根の上やら塀の上を中心にした、猫の散歩道だった。幸い高く不安定な場所が中心で狭い場所はなかったから、今のヨルなら何の苦も無く付いて行くことができた。
そうして辿り着いたのは、城壁の下をくぐって外へと流れる用水路の流出口の一つ。
魔獣が集まっている場所から遠く、人影もない。確かにここなら誰にも見つからずに、城壁の外へ出られそうだ。
城壁の下にアーチ形に作られた流出口は、外部から魔獣や動物が入ってこないように鉄格子がはめられているが、1本朽ちて外れた場所があってミーニャの頭がギリギリ通れそうだ。水は枯れていないけれど、メンテナンス用か水中に石柱が何本か立っているから、身軽なミーニャなら濡れずに外に出られるだろう。
なんといってもワー・ニャンコは時空魔法の使い手で、頭が通る隙間ならするりと通り抜けてしまうらしいから。
(ミーニャが出れても、俺は無理だけどな)
このにゃん子、思考はやはり猫並みだ。
「出にゃいにゃ?」
ひょいひょいと水面に出た石柱の上を渡って、鉄格子の隙間をするんと通り抜けるミーニャ。通り抜ける瞬間に、肩幅がぬるんと細くなったようにも、格子がうにゅんとゆがんだようにも見える。まるでだまし絵だ。
(これが時空魔法か。魔力を消費しているようだが、詠唱が必要ないから魔術ではなく魔法なわけか。種族固有のユニークスキルだろうな。再現は少々手間だ。時間がない、手っ取り早くいくか)
ひらりと鉄格子の前まで飛んだヨルは格子の向こうのミーニャを呼ぶ。
「ミーニャ、来い」
「にゃ?」
再びするんと格子を通り抜けて戻ってきたミーニャを、ひょいと肩車するヨル。
「高いにゃ~♪」
ご満悦なミーニャを肩車したまま、ヨルは格子の隙間にミーニャの頭を先頭に潜り込んでいく。
するり、ミーニャのしがみ付いたヨルの頭は何とか抜けたが、いくら接触しているとはいえ、ミーニャのユニークスキルの効果がヨルの体まで及ぶはずはない。ヨルの体を通すには、魔力量が圧倒的に足りないのだ。もちろん、これは想定内だ。
「うな?」
どうしたのかとぺちんと動かした尻尾を、ヨルはむんずと捕まえると、
「うにゃにゃっ!」
そこから魔力を流し込み、一気に格子をすり抜けた。
すり抜けた側からすると、自分の体には特に変化は感じられないが、周囲がゴムか何かのようにゆがんで広がった感覚だ。
「にゃにするにゃ!」
尻尾を通じて急に流し込まれた魔力に驚いたミーニャは、ヨルの肩を飛び降りる。飛び降りざまに思いきり顔を引っ掻かれたが、うまくいったので良しとしよう。
「電源ケーブルだ」
「うな?」
この世界の人間は、エネルギー代謝の一環として魔素を魔力に変換して肉体を強化している。だから魔力を流す回路はあるのだ。けれど魔力を貯める魔力核、バッテリーのような器官はごくわずかな個体しか持っていない。特に獣人には皆無だ。
(足りない分は電池――魔石で補うか、電源に繋げばいいわけだ。せっかく便利なケーブルが付いてるわけだしな。……言っても分からないだろうけど)
肝心のミーニャはヨルがあの隙間を通り抜けられたことにまるで疑問を持っていない様子で、尻尾をぶんぶんと大きく振って口を尖らしている。魔力を流されたこと以上に、尻尾を握られたのが不快だったらしい。猫の尾は、バランスをとったり、コミュニケーションをとったりするための重要な器官だと聞いた気がする。帰りも同じ方法を使うつもりだが、今度はもう少しそっと握ろう。
「いくぞ、見つかるなよ」
「! かくれんぼだったにゃ!」
すぐに機嫌を直したミーニャを連れて、ヨルは城壁近くの畑を駆け抜け、森の中へと入っていった。