013.ワー・ニャンコ *
「ワー・ニャンコは居心地のいい場所を見つける名人なんだよ」
「猫だからな」
思わず真顔で本音がこぼれるヨル。
「魔力の高い人だとか、食事をくれる人に懐く習性があるから、ヨルに懐いたんだと思うよ」
「にゃんと!」
「お前が驚くのかよ!」
ちょいちょい合いの手入れてくるにゃん子に、思わずヨルの突っ込みが入る。
飼い猫と間違えて野良猫に軒を貸したら住み着かれた感じだろうか。
「野良猫の誇りを思い出せ、ミーニャ」
「うなん?」
知らんぷりで毛づくろいを始めにゃん子。確信犯め。
「あはは、もう息ぴったりだね。ワー・ニャンコはすっごく役に立つんだよ。時空魔法が使えるから荷物をたくさん運べるし、情が深いから懐いた相手を裏切らない。こんなにかわいいし。ボクのところに来てくれたらよかったのに。ヨルがうらやましいよ」
「どうぞどうぞ」
「やーにゃー!」
「こればっかりは本人の意思がねー」
ミーニャは本気でヨルに懐いたらしく、脚にガッシとしがみついている。これは、本格的にあきらめた方がよさそうだ。
「おやおや、ミーニャ。ようやくイイ人が見つかったんだね」
「にゃん!」
にやにや笑顔で話に乱入してきたの宿の女将に、駄ネコが元気に返事をしている。「イイ人」ってなんだ。わざとか。
「………………」
「やだよ、こんないい男に見つめられてら、おばちゃん照れちまうじゃないか!」
ヨルのジト目に頬に手を当てウィンクで返す女将。熟練者過ぎて太刀打ちできない。
「仕入れの仕事も手伝ってくれたし、ミーニャ狙いのお客さんが来てくれて、ほんとミーニャ様様だったんだけどねぇ」
駄ネコとの攻防でスルーしていたが、ワー・ニャンコが時空魔法が使えるというのは本当のようで、ワー・ニャンコを仲間に引き入れたい連中がやってきてはミーニャに食事を与えていたらしい。もはや招き猫さまだ。
「ミーニャ、女将がここにいて欲しいらしいぞ?」
「ミーニャ、ヨルと行くにゃ」
正直困った。二足歩行して人語を解するとはいえ、ヨルの脳はミーニャを人より猫に近い生き物として認識している。動物は好きなのだ。ここまで懐かれてうれしくないはずがない。しかし、ヨルはいつか日本へ帰るつもりだ。最後まで面倒を見られないのに、猫なんてとても飼えない。
ヨルはしゃがんでミーニャと目線を合わせると、最後の説得を試みる。
「ミーニャ、俺はいつか国へ帰る。そこへはミーニャは連れていけない」
「ミーニャ、ちゃんとついていけるにゃー……ぁふー」
その自信はどこから来るのかと聞きたいが、後半あくびをしていたから、おそらく適当なのだろう。まじめな話をされると眠くなるのか、それとも腹が膨れたからか。
「お客さんいい人だね。ワー・ニャンコ欲しさに嘘をつくヤツなんていくらでもいるってのに。心配しなくたって、ワー・ニャンコは気まぐれだからお客さんに万一があったらすぐに別の仲間を探すよ。これって人が見つかんなくても、どこでだって楽しくやってけるもんさ」
優し気に目を細めて笑う女将。良い飼い主に会えたと喜ぶ保護猫カフェのひとみたいだ。
「ほら、ミーニャ。眠いんなら部屋でお休み」
「ナー」
部屋の鍵を渡す女将に受け取るにゃん子。ちらりと見えた部屋番号の末尾はヨルの部屋と同じだ。
(それ、俺の部屋の合い鍵じゃないだろうな)
この女将、揶揄ってみたり絆されたふりをしながら、ぐいぐい来すぎだ。
「はぁ。勘弁してくれ」
ヨルはため息を吐くしかできない。
「よぉ、色男。うまいことやったな。まぁ、いっぱいやれよ」
そんなヨルを、生暖かい視線を向けていた男がカウンターへと誘った。ワイルドなイケメン風の男で、頭の上に狼の耳があるから狼人だろう。人間より毛深めで、頭髪は人より細くて量が多くフカフカして見える。尻尾も耳もあるけれど、髭や眉毛をのぞいて顔に毛は生えていないし、何より人間の顔立ちだ。彼が標準的な獣人ならば、ほとんど猫と変わらないワー・ニャンコは特殊な種族なのだろう。
「ヨルは、顔もいいけど性格もいいんだよ。だからあんなに懐かれたんだねぇ」
ヨルより先に酒を受け取り会話の輪に参加するドリス。こうなっては、ヨルも参加せざるをえまい。
「もらおう。払いはこれで」
「よし来た、ホンっといい男だねぇ! さあさ、みんなもミーニャの門出を祝っとくれ!」
こうなりゃヤケだ。ミーニャはあれでも成人らしいし、この人気だ。いざという時は自分で何とかするだろう。
ヨルが差し出した10万エクトの大銀貨を皆に見えるようにかざして受け取る女将。奥から旦那らしき恰幅の良い男性が100リットルは入りそうなビール樽を2樽担いできて、店の中央の空いたテーブルにどどんと置く。これで好きにやれということだろう。
手持ちの杯を開けるや、歓声を上げてタダ酒に群がる店の客たち。
「乾杯!」
ガシャーン。
「かんぱーい!」
ガシャシャーン。
始まる絶え間ない乾杯コールに、たちまち店内は夜明けの鶏小屋のように騒がしくなる。
「かーっ、まさかミーニャがオゴリ初回の新人に懐くとは思わなかったぜ!」
騒々しい酔っ払い連中の話によると、獣人たちの国、ビスタニアは聖ヘキサ教国の南にあるそうだ。聖ヘキサ教国は広大で特に南北に長い。ここノルドワイズは北端に位置するから、かなり南方から来たらしい。
獣の特徴を持つ獣人を『魔獣もどき』と蔑む国もあるが、この国では国教であるヘキサ教が獣人を差別していないし、上層部に取り立てられている者もいるから、ビスタニアとの関係は友好で、一般的に身体能力が高い獣人はハンターとして多くこの国で暮らしているという。
身体能力が高いといえば聞こえがいいが、獣人は総じてあまり賢くはない。その中でもワー・ニャンコのおつむの出来は別格だ。
「猫系の獣人は寒いのが苦手だから、北には行きたがらないんだがな。まぁ、ワー・ニャンコはな、……オツムの方があったけぇからな……」
狼人がやれやれといったポーズで片手を上げる。同じ獣人だというのになんとも酷い言い草だ。獣人の中でもワー・ニャンコは希少性も能力も性格も外見も、すべてが珍しいのだという。特に貴重なのが時空魔法で、そんな高度な魔術を使える獣人種は他にいない。ワー・ニャンコが身に着けた鞄は容量も重量も無視して大量のものを入れられるらしい。いわゆるマジックバックだ。
おつむが弱くて貴重とくれば。
「悪人にさらわれるだろう」
悪い大人に連れていかれたらどうするんだと心配するヨルに、
「その結果がこれなんじゃねぇ?」
と別の男がゲラゲラ笑う。
「うまいこと騙したり食いもんで釣ってワー・ニャンコを連れ出せたってよ、ワー・ニャンコは気まぐれだからな、すぐにさぼるし、寝るし、忘れるし、勝手にどこかへいなくなる。本当になついた相手じゃなけりゃ、持たせた鞄をポイって捨ててすぐにどっかへ行っちまうんだ。残されんのは、魔法が解けて破れた鞄とあふれた荷物だけっつーのはよく聞く話らしいぜ」
「暴力に訴えようにも、身体能力だけは獣人並みで、瞬発力はかなり高いからするりと避けて強制もできん。時空魔法の効果で頭が入る程度の隙間に潜り込めるらしいしな」
「あんなに可愛いのに手を出すなんて、普通はできないよね」
「なぁ」
「あれで成体とか、反則だよな」
「照れるにゃ」
この世界の住人達も、十二分にお人好しで猫好きなのかもしれない。
同じ獣人からもペット認定される謎生物。猫が狭いところに入り込めるのは、時空魔法の恩恵らしい。
「明日になったら、ミーニャに鞄をやるんだぜ? あんたの側にいてくれる間はその鞄を身に着けててくれる」
「くれにゃ」
「あぁ、魔石を持たせるのを忘れずにな。俺ら獣人は魔力核なんてねぇから、魔力を蓄えらんねぇ。身体強化で精いっぱいだ。時空魔法を使わせるには、別に魔力源がいるらしい。それさえありゃぁ、ミーニャはいくらでも荷物を運んでくれるだろうよ」
「おさかにゃ運ぶにゃ」
「……ミーニャ、お前、寝たんじゃないのか」
『賑やかな鶏亭』の喧騒に、いつの間にやらミーニャも混じって、合いの手ならぬ猫の手を入れてくる。
「ミーニャたん~」
「にゃっ」
そしてそのミーニャに抱き着こうとして逃げられるドリス。
大騒ぎだ。飲酒を覚えたばかりの若者のような乱痴気ぶりだ。
そういえばこの店の、いや、この街で見かけた人間は皆若かった。
「くはーっ、うめぇ! やっぱ城壁のある街はいいな! 安心して酔っぱらえる」
誰かが漏らしたそんな言葉は、安全が当たり前だったヨルにはひどく新鮮で、そしてこの世界の状況を如実に表している。
魔獣が跋扈し、人が簡単に死ぬ世界。
そんな世界で、みんな、死なないために生きているのだ。
戦って生き残り、今日をつないだことを心から歓喜する。腹が減ったから、それがうまいから食うのではなく生きるために食らうのだ。そんな食事は喜びに違いない。今を生きている実感さえ噛みしめて味わっているのだ。
胃の腑に注がれる酒は、安酒といえど、どれほど染みわたるだろう。
だからこそ、今を最高に楽しめる。
こんな風に声を上げて、楽しそうに笑いあう光景なんて、いつぶりに見ただろう。
上司、同僚、取引先。
そういった人間社会のしがらみに向けた愛想笑いなんかじゃない。
見ているだけで気持ちがいい、こちらまで楽しい気分になってくるそんな笑顔がそこここにあふれている。
安全で平凡で昨日と同じ今日なんてここにはきっと存在しない。
けれど彼らは今、間違いなく生きている。
その実感が、なぜかヨルの胸を締め付けた。
強い光にあてられたように、大切なものを見つけた気がした。
挿絵ミーニャが別猫だったり衣装違ったりは気にしない方向で。