012.ニャンコの首輪 *
猫耳の少女はよほどお腹が空いていたのか、それとも単に魚が好きなだけなのか、一心不乱に魚を食べている。
その様子をつまみにぶどう酒を飲みながら、ヨルの思考は加速していく。
(食事も与えずほったらかしなんて、コイツの主は何をしてるんだ?
はっ、ここは宿屋だ。もしかしたら、コイツの主は思ったよりは変態じゃなくて、現在上の部屋でセクシーにゃん娘とお楽しみの真っ最中とか!?
まてまて、もしかして、コイツは美人局的な客寄せにゃん子で、チンピラが店の影から出てきて絡まれるんじゃないだろうな……)
ごくり。この世界に来て初めて喉の渇きを覚えた気がする。
ぶどう酒を呑み込んだヨルは視線だけを動かして店内の様子をうかがい会話に耳を澄ませる。
けれど目の前のにゃん子がガリゴリと魚の骨を咀嚼する音が邪魔をして、店内の会話は聞こえてこないし、ざっと見た感じ尻尾をふりふり魚を貪るにゃん子とヨルに向けられる視線も、若干生暖かいのが気になるものの胡乱な輩は見当たらなかった。
(気のせいか……。ドリスは、……あかん、完全に猫カフェの客状態だ。まぁ、周りのリアクションから見て犯罪じゃないんだろうな)
よく見るとこのにゃん子、毛並みも悪くないようだし、服も少々汚れているものの動きやすそうなそれなりのものを着ている。
迷子だったら店の女将が放っておくはずはないし、もしかしたらただの待ちぼうけにゃん子かもしれない。
「お前、名前は?」
魚を食べ終わってペロペロと毛づくろいを始めたにゃん子に聞いてみる。
「ミーニャはミーニャにゃ!」
「かーわーいーいー!」
脳が溶け始めたドリスのことは放っておくとして、このにゃん子、名前はミーニャというらしい。ナ行がニャ行になるようだから、もしかしたらミーナという名前かもしれないが。
自分のことを名前呼びしながら、下っ足らずな調子で誇らしげに名前を名乗るにゃん子。
食事をごちそうになったのに、微塵も申し訳なさそうにしないあたりが猫っぽい。しかも見事に野菜を残していて、魚しか食べていない。一体どこまで猫っぽいのか。
「ミーミーニャーニャー?」
おっと口がすべったぞ。まだ、こちらの言葉には不慣れなのだ。けっしてイタイケなにゃん子をからかいたくなったわけではない。
「違うにゃ! ミーニャはミーニャにゃんにゃー!」
にゃんが増えただけだった。
「ミーニャハミーニャニャンニャンミャー?」
「にゃっ! ミーニャはミーニャにゃんにゃ! ミーニャにゃんにゃんにゃ!」
いじるとにゃんが増殖するのか。
「きゃーわーいーいーっ」
にゃん子のにゃんを無限増殖してみるのも楽しそうだが、すでに少し尻尾を膨らませて「フー」とお怒りモードに入っているし、ドリスも興奮状態で「ふーふー」言い出しそうなので、からかうのはこの辺にしておこう。
「そうか、ミーニャか」
「にゃん」
満足そうにうなずくにゃん子、いやミーニャ。
ピンと伸ばした尻尾が機嫌よさそうにゆらゆらと揺れている。
頭をなでてやると、ぐるぐると喉を鳴らして愛らしい。それを見たドリスがテーブルの向こう側から手を伸ばしては猫パンチされている。
「にくきゅうぷにぷにぃー」
爪を出さないミーニャの優しさに、ドリスはすでにメロメロだ。
ヨルもなんだか野良猫に餌をやったような気分になる。
しかし、このにゃん子は飼い猫だ。自由のない身の上は可哀そうだが、先ほど会ったばかりのヨルにできることなどないだろう。夕食をおごってやるくらいがせいぜいだ。
「ところでドリス、明日からどうするつもりだ?」
「ミーニャたん~。……はっ! えぇっと、予定? とりあえず教会に行って蔵書を見せてもらうつもりだよ」
「ミーニャはおさかにゃ」
「そうか。……異なる世界からの来訪者の伝承を知らないか?」
「んー、転移門がらみ? ……魔王の時代にはあちこちにあったらしいね」
ひそ、と声を落としてドリスが返す横で、にゃん子が「ミーニャは獣人の国からきたんにゃ」などと言っている。にゃん子には聞いていないのに。
「転移門ではなく……。いや、そうだな、転移門か」
離れた場所に転移できる魔術なら、日本へ帰る手がかりがあるかもしれない。
「んふふー。ヨルも遺跡に興味が出ちゃったかんじ? 何か分かったら教えるね」
「頼む」
「にゃっ!」
任された! とばかりになぜかにゃん子が手を上げる。人語をしゃべってはいるが、本当に通じているのだろうか。
にゃん子はともかくざっくりした方針は定まった。転移門がらみはひとまずドリスに任せるとして、生活基盤を整えるべきだろう。働かざる者食うべからず、とりあえずは仕事だ。
幸いこの体は魔術が使えるから、魔獣を狩って魔石を売るか、防衛任務とやらに就いてみるのもいいかもしれない。
(早めにこの体の性能を確認しておく必要があるな)
一日中走っていたからドリスも眠そうだし、少し早いが部屋に戻ろう。
「ドリスも疲れたろう。そろそろ休め」
「うん、そうするよ。また明日ね、ヨル」
「あぁ」
「にゃあ」
自然な感じで席を立つヨル、ドリス、そしてミーニャ。三人は客室のある上階への階段へ流れるように向かう。
「……ちょっと待て。なぜ付いて来る」
「にゃん?」
あまりに自然で流されそうになったが、なんでミーニャが付いて来るのか。
「俺は部屋で休むんだ」
「ミーニャも寝るにゃ」
ミーニャの部屋も上にあるのだろうか。
「先に行け」
なんだかとても嫌な予感がするのだが。
「鍵、ちょうだいにゃ」
「なぜ!!?」
このにゃん子、とんでもないことを言い出した。
(俺は見かねて食事をやっただけだぞ!? はっ、もしや食事の礼とでもいうのか? このガキンチョにゃん子が!?)
さも当然といった様子で、鍵をよこせと手を出すにゃん子。
ピンクの肉球がぷにぷにもちもちしてそうだ。なんというトラップか。思わず手を伸ばしそうになるじゃないか。
ちびっ子と猫の愛らしさを足し合わせたような破壊的なかわいらしさだが、ここで肉球の誘惑に負けたりでもしたら、始まったばかりのヨルの異世界人生が早速終了してしまいそうだ。
(はっ、そうだ。ドリス、ドリスがいるじゃないか)
ばばっ、と音がしそうな速度で振り返ると、ドリスは期待に満ち満ちた顔で鍵を差し出している。
「ミーニャたん、ボクの部屋へおいでよ~」
その発言、美少女じゃなければ完全アウトだ。
ふんかふんかふんか。
差し出された手の匂いを嗅ぐミーニャ。
「んな…」
微妙な顔をするにゃん子。
ふんかふんかふんかふんか。次いでヨルの匂いを嗅ぐ。
「嗅ぐなっ」
「んなっ!」
「フレーメン現象やめてくれ!」
眼も口もぱかんと開けたその表情。ショックだからやめて欲しい。
気が付いていなかったけれど、この体は臭いのか? 加齢臭ではない……と思いたい。
「ふれえめ……?」
首をかしげるドリス。そこに反応しなくていいから、このにゃん子引き取ってほしい。
「にゃ! ヨルにゃ!」
ものっすごい納得顔で断言するミーニャ。
受付嬢を避けてこの宿屋を選んだら、幼女にゃん子が釣れてしまった。いらんのに。
「いいなー」
ドリスはうらやましそうに指をくわえている。
「よくない!」
「にゃあ!」
状況は混迷を極めてきた。いかにして、この場を乗り越えるか。余計な思考をぐるぐる回転させながら、ヨルはマッハで考える。
「ミーニャ、お前は主の下へ帰れ」
ようやく口にできたのはそんなありふれた一言だったが、ミーニャはきょとんとした表情でヨルに聞き返した。
「主ってにゃんにゃ?」
「……お前の飼い主のことだ」
「ミーニャはミーニャのミーニャにゃ?」
また、ミーミーニャーニャーか。話にならない。
幼女にゃん子相手に言葉を選んできたけれど、周りの視線も集まってきた。ここははっきりさせるべきだろう。
「……その首輪、お前、か……飼い猫だろう? 主人の下に戻れ」
いたいけなにゃん子に酷なことを言ったかもしれない。そう思ったヨルだったが。
「失礼にゃ! この首輪はワー・ニャンコの戦士の証にゃ!」
ぷんすかと、ミーニャが怒り出した。
「戦士……だと?」
そのちまいナリで? このにゃん子が野良猫だった事実より、そっちの方が衝撃だ。野良猫だから戦士なのか? 首輪を付けるのは飼い猫だろう。
ツッコミどころがありすぎて、ヨルは完全に混乱している。
「当然にゃ! ミーニャはミーニャのミーニャにゃ!」
相変わらず分かりにくいが、ミーニャはやはり野良らしい。
「紛らわしい……。首輪なんてつけるからてっきり飼い猫とか、ど、奴隷とかそういうのかと……」
「やだなぁ、ヨル。隷属の首輪なんて魔王文明の遺物の中でもレアなものだよ。重要な捕虜に使うならわかるけど、こんな子が付けてるはずないじゃん。それに奴隷なんて魔王時代の悪習、この聖ヘキサ教国にあるわけないよ。いくらエルフだからって、そんなこと言ってたら騎士様に捕まっちゃうよ」
いいところでドリス先生のチュートリアルが入った。周囲の耳眼に対するフォローもあるのか「エルフ」のあたり少し声が大きめだ。
「すまん、司祭見習いの前で失言だった。これからもいろいろ教えてほしい」
ホント、お願いしますドリス先生。ヨルはいつも助かってますと感謝を込めて頭を下げる。
ドリスへの謝罪だというのに、なぜかドヤ顔でミーニャがしゃべりはじめる。ドリスの百分の一も空気を読まない駄にゃん子だ。
「そうにゃ、失言にゃ! これは由緒正しい獣人の戦士の首防具にゃ! これがにゃいと、首根っこ掴まれたら、きゅってにゃって困っちゃうにゃ!」
さすがはにゃん子。首根っこ掴まれるときゅっとなって大人しくなっちゃうのか。
今まさに、首根っこ掴んできゅっと大人しくさせてやりたいが、首輪が邪魔でつかめない。確かにいい働きをする防具のようだ。
「ドリス、お詫びに、このワー・ニャンコを進呈しよう」
「やーにゃ!」
「チッ」
これだけ邪険にしているのに、ヨルにまとわりつくミーニャ。
「あー、懐かれちゃったねぇ」
「同じ皿の飯を食ったら、もう仲間にゃ!」
うらやましそうなドリスと、謎理論を振りかざすにゃん子。ヨルは思わず天井を仰ぎ見る。
「なんでそうなる……」
誰か説明してくれ。
そんなヨルの心の声に答えるように、再びドリス先生のチュートリアルが始まった。
この挿絵のミーニャが今のところ一番かわいいです。