10.鬼ごっこ
「うん、来たよ」
明かり一つない暗い坑道の中で、誰かがルーティエの左腕を掴んだ。
(誰!? いつの間に?)
思わぬ状況に固まるルーティエ。
いつの間に近づかれたのか。安寧軍の撤退に気をとられ、気付くことができなかった。
「子供がこんなところで一人でいちゃ、あぶないですよ」
「ただの子供がこんな所にいるわけないだろ。魔力遮断のついでに視力まで遮断したのかい、ミレーナ」
「誰が瓶底眼鏡のド近眼だ、眼鏡外しても素朴な顔立ちで悪かったな!」
ルーティエの腕を掴んだ男は片手で小柄な女性を担いでいる。ミレーナと呼ばれた女性が騒いだとたん、彼女がかけていたらしい魔力遮断が緩んで、ぶわ、と男から魔力が溢れた。
なるほど、これだけの魔力を持つ者なら、ルーティエが慌てて掴まれた腕を振り払おうと力を入れても、まるで樹木化が完了してしまった様にビクともしないはずだ。
樹木系とは言えルーティエの寄生しているミリィは魔獣だ。ヨルやライラヴァルには及ばなくとも、ただの人間との力比べに負けるほどは弱くない。
それにミレーナの方も要注意だ。魔力は低く戦闘向きではなさそうだが、他人の魔力を遮断するのは相当に難しい。この男の魔力を坑道までの接近に気付かないほど完璧に遮断していたなら、かなりの技巧派、頭脳派だろう。
彼らは危険だ、ただものではない。
ルーティエの直感は、腕を取った何者かの放った次の一言で確信に変わった。
「パパかママかマオウはどこにいるのかな?」
「……ツッ」
ミシミシッ、ボキイッ。
鈍く湿った音を立て、掴まれていたルーティエの腕が肘の関節から折れて取れる。
折られたのではない。ルーティエが自ら折ったのだ。
「ちょっと、子供の腕折るとか鬼畜ですか!」
「僕じゃない、僕じゃないよ、ミレーナ。でも、これは驚いた。君、魔人に見えたのに、樹木と……なんだろう、このドロッとしたの」
人は見た目に囚われる。相手は魔人、見た目通りの存在ではないと思っていても、腕を切り捨てて逃げるなんて判断を、少女の姿をした存在がするとはさすがに想定外だったのだろう。
腕を掴んだ男が驚き怯んだ隙を逃さず、ルーティエは坑道の奥へと走り出す。
逃げる前にちらと確認した姿。
暗がりでもわかるきらきらした金髪に整った顔立ち。そして何よりあの魔力量。
「おーい、忘れ物。うーん、これってくっつくのかな?」
「知りませんよ!」
「まぁいい、ついでだ。届けてあげよう」
「じゃあ、私はここで。魔力遮断はもういらないでしょうから」
「何言ってるんだい、この迷路みたいな鉱山で僕を迷子にする気かい?」
「いーやー! 文官を前線に連れまわさないでー」
「そういや、帝都に進学している弟君、留年したって?」
「そうなんですよ! まったく遊び惚けやがって、誰が学費出してると思ってるんだ! ってことで、査定よろしくお願いします」
しょうもない会話を交わしながらも瞬時に追撃態勢に移ったその人物こそ、見つからないように隠れながらグリマリオン鉱山に釘付けにするべき相手、安寧卿ミハエリスであり、ミハエリスの進行速度に全くついていけないせいで荷物よろしく担がれているのが副官のミレーナだ。
余裕のあるミハエリスとは逆に、子供の手脚で必死に走るルーティエは未だ動揺から抜け出せない。
「どっ、どうして、いつの間にっ」
『わっ、わぁ、ビックリしたー。テントたたんで帰ったのって、だましだったんだねぇ』
油断した。相手の気を引いていたのは、ミハエリスたちも同じだったのだ。
魔力を出しているということは、場所を知らせているようなもの。迷路のような坑道を移動して、見つからないよう気を付けていたのに、軍の撤退に気を取られて背後を取られてしまうとは。
撤退に気付いた時にライラヴァルに相談すべく引き返していれば、計略を見抜けたかもしれない。少なくとも見つかることはなかったのに。
「でもまだです。坑道の地図は覚えてるです!」
後悔より先にすることがある。
ルーティエは細い坑道に飛び込む。歩幅はミハエリスの方が広いから、広い道ではすぐに追いつかれてしまうだろう。けれど体はルーティエの方が小さいのだ。幸いこの坑道には大人がかがまなければ通れないような細い通路や、崩れた岩盤の隙間がいくつもある。
そういうミーニャなら潜り込んだきり永住しそうな隙間を、ルーティエは丹念に調べて頭に叩き込んでいた。
坑道でミハエリスを撒いて外まで逃げる。それができればルーティエの勝ちだ。
出口は正規の入口の他に、通気口や偶然貫通した穴がいくつもある。
ヨルやライラヴァルが使うのは、そんな中の西側の一つ。だからルーティエは反対の東側に向かってかけていく。
(たとえ捕まることになっても、ヨルさまのところに敵を案内するなんてヘマは絶対におかせないです。ルーティエはヨルさまの一番の配下ですから!)
細い通路を右へ左へ。事前に頭に叩き込んでいた逃走経路を逃げるルーティエ。
ミレーナのナビのお陰で迂回して追随できてはいるものの、追いつきそうになる度、地形に邪魔されるミハエリスはしだいに苛立って来る。
「ちょこまかとすばしっこいな。うーん、腕を切って逃げたってことは、脚を落としても平気だよね。火球、火球、火球」
「ちょっ! ここ、坑道! 空気の循環悪いし、地盤緩いから! あと、可燃性ガスとか出てるかもだから! 火とか厳禁! だめ、だめ、やめてー!!!」
「あはは、大丈夫。僕、運はいいんだ」
「私は運悪いから!」
「あー、確かにそんな感じする」
「誰が、君といると俺まで運が悪くなりそう、だー!」
「前の彼氏にそう言って振られたの?」
とんでもないことを言いながら、バンバン火球をブッ込んでくるミハエリスと、こんらんするミレーナ。
ミレーナの制止も一切聞かず、ミハエリスは火球をぶっ放す手を止めない。
流石はアリシアの兄貴。頭のネジがぶっ飛んでいる。
躊躇なく少女の脚を吹き飛ばそうとしてくることももちろんだが、可燃性ガスが出ているかもとか、粉塵爆発が起こる可能性だとか、酸素が無くなるかもだとか、教えられたリスクを丸っと無視して火炎系の魔法をブッ混んでくる。
これにはルーティエも突っ込まずにはいられない。
「こっ、鉱山で火とか、バカなんですか!? 爆発とか、するかもでしょ!?」
「おしゃべりするなら立ち止まってくれるかな? それにしても馬鹿とは失礼じゃないか。爆発なんてしてないし、明るくなってちょうどいい。こういう煌びやかな魔法が僕は得意なんだよ。はっはっは」
結果論を振りかざし、笑いながら追いかけて来るミハエリス。
ヤバイ。こいつ、本物だ。ルーティエは怖くなってきた。
(ライラも変だったですけど、こいつはもっと変ですぅ! ヘンタイですぅ! ニンゲンの国、おかしいですぅ!!)
聖ヘキサ教国の枢機卿のバラエティーの豊かさにおののいている場合ではない。
逃げろや逃げろ。
だがしかし、このヘンタ……違ったミハエリスの追跡力は大したものだ。
ルーティエが崩れた岩の隙間に飛び込めば、ミハエリスは土砂ごと吹っ飛ばし、吹き飛ばせない岩の亀裂に身をねじ込めば、ルーティエがよちよち進んでいる間に、猛ダッシュをかましてミレーナが指示した迂回路から回り込んでくるのだ。
ここは、魔素枯渇地帯。魔力の回復が見込めない場所。必死に逃げ回るあまり、ルーティエの魔力が切れそうだ。
だが、それはミハエリスも同様だろう。こんなに魔力を使っているのだ。消耗は、ルーティエより激しいはずだ。
「はぁ、はぁ。もうそろそろ、魔力が切れてもいいはず……」
「ん? 魔力切れを狙っているのかい? 残念。魔素枯渇地帯に侵入するんだ、十分な『箱』と魔石を持ってきているよ」
「ミハエリス様はお金と魔力だけはあるんですよ」
「ミレーナ、”だけ”は余計だよ」
じゃらりーん。
余裕しゃくしゃくのミハエリスが上着をめくって見せて来る。
上着の裏に鎖帷子のように魔石が縫い付けられているとか、それを装備者の魔力に変換する魔法陣が描かれているとか、そういうことはどうでもいい。
上着をめくりながら追いかけて来る様子は、完全にヤバイ人ではないか。
「いやあああぁ!」
『きゃあああぁ!』
シンクロするルーティエとミリィの叫び。
コワイ、コワイ。なんだかよくわからないけれど、スゴクコワイ。
二人の心は今、完全に一つだ。
(あっ、あそこの隙間、通れたはずです!)
『右足ねらわれてる!』
(うん! 地面は平ら、滑り込める!)
「おっと、惜しい。逃げられた」
「あれ、急に動きが良くなりましたね?」
ルーティエとミリィは一つの車に乗車するドライバーとナビゲーターのように協力し合って、ミハエリスとミレーナコンビの攻撃をかわしながらどんどん差を開いていく。
(空気の流れ! この先に出口があるです!)
この先には通風孔がある。穴のサイズは小さくて大人では出入りできない。
だから通風孔まで逃げきれば、ルーティエたちの勝ち。ルーティエはヨルの下に帰れる。
しかし希望という灯火は、灯ったばかりの火のように儚くて、小さな風で消えてしまうものである。
「逃がさないよ」
「ちょ、ミハエリス様!」
『ルーティエ、避けて。天井、壊すつもりだ』
暗い坑道が、一瞬明るく照らされた。
ミハエリスたちの声と、ミリィの叫び。そして、ドォンという爆発音と共にルーティエの前方から粉塵交じりの熱風が吹きつけ、ガラガラ岩石が降って来る。
「わぁっ。《守りの大盾》!」
とっさに防御魔術を展開したおかげでルーティエにダメージはない。けれど頼みの綱の通風孔は、崩れた砂礫で埋まってしまった。
(出口が……。爆破すれば石ころをのけられるけど、もう、魔力が残ってないです……!!)
安寧卿ミハエリスたちを引き付ける当番に、追いかけられて逃げている間、そして先ほどの防御魔法でルーティエの魔力はほとんど空に近い。
正直、走り回るのもつらい状態だ。
「残念だったね。魔人こっごは終わりだよ。うーん、魔人が人間で人間が魔人ってあべこべだね。面白い」
「いや、ミハエリス様。崩落さすとか鉱山の損害、分かってるんですか。ちっとも面白くないですよ」
ミレーナのツッコミはスルーして、カツコツと余裕を持った足取りで安寧卿ミハエリスが近づいて来る。
まるで遊びの魔人ごっこをしているような無邪気な笑顔だ。
右手に炎を浮かべているのは、明かりの代わりか、それともその炎球でルーティエの脚を吹き飛ばすつもりだろうか。
(ヨルさま……)
この先は行き止まりになってしまった。後ろからは安寧卿ミハエリスが迫って来る。
ルーティエは目の前が真っ暗になるのを感じた。
捕まって、酷い目に合わされたって、ルーティエは敵をヨルの所に案内するつもりはない。それはつまり、もうヨルに会えないということではないか。
そう思うと体の芯が寒く冷たくなってくる。
まるで、寒い冬の夜のルティア湖のようだ。
真っ暗で、一人ぼっちで、すごく寒い。
もしもこの身体を壊されてしまえば、ヨルさまと一緒に旅することができなくなる。ルティア湖で、ヨルが帰ってきてくれるのを、ずっとずっと待つしかない。
それは、なんて寂しいことだろう。
『どうしよう……』
不安そうなミリィの声に、ルーティエははっとなる。
(あきらめちゃダメです。今はミリィもいるんです。こんな、暗くて魔素もない場所に、ミリィを置いくなんて、あんなヘンタイにミリィを渡すなんて、ぜったい、ぜったいダメなんです!)
体を借りているのだ。それに、ルーティエの方がずっとずっとお姉さんなのだ。
自分がしっかりしなければ。
ルーティエはミハエリスを刺激しないよう、じっとしながらも、何か方法はないものかと意識を研ぎ澄ます。
ここは、ヨルの野営地とは反対側の通風孔。ルーティエしか通れない出入り口だ。
この場所を知っているのはたぶんルーティエだけで、助けなんて来るはずがない。
通風孔は埋まっているし、ルーティエは魔力切れだし、目の前には安寧卿ミハエリスが迫ってきている。常識的に考えて諦めるしかない状況なのに、ルーティエはなぜだかひどく冷静だった。
“諦めなければ案外、道は開けるものだ”
そんなこと、ヴォンゲンが言ってたな、なんて思い出した時。
「ルーティエちゃん、いるんでしょ? 頭を保護してしゃがんでちょうだい!」
塞がれた通風孔の向こうから、ライラヴァルの声がした。
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