08.魔王の所業
「それでミレーナ、鉱山はどういう情況かな?」
野営地に到着して数時間後。まだ設営中だというのに、退屈そうな安寧卿ミハエリスの様子に、ミレーナは吐きそうになったため息を深呼吸で呑み込んだ。
すーはーすーはー。
深呼吸は需要だ。魔素枯渇地帯でも頭が少し冴えて来る。
ミレーナの経験上、エライ人というのはせっかちだ。
頭の回転が速いからか、それとも生き急いでいるからなのかは知らないが、ミハエリスの場合は飽き性だからに違いない。面倒だからと放っておくと脊髄反射で行動して後始末が面倒になる。
ミレーナはちょうど手元に届いた報告にさっと目を通すと、ミハエリスの相手をすべく設営の指示を中断して報告をした。
「まず鉱山入口の居住区ですが、焦土と化していたそうです。焼け焦げた木造の小屋の残骸からは、未だに焦げ臭いにおいが漂い、地面には壊れた手押し車や折れたツルハシなどが散乱していたと。
鉱山の入口付近の大岩は割れて崩れているとのことで、焼け跡の残る残骸が坑道の入口ををふさいでいます。幸い崩落は表面だけで、瓦礫を多少取り除けば侵入が可能になるとの公算が大きいですが……」
確かここ、ひっどいあばら家ばっかりだったよな、と報告をしながらミレーナは考える。寝床なんかノミや虱、南京虫がたっぷりの不衛生な状態だったはずだ。いくら罪人を働かせているとはいえ、可哀そうだったのだ。近くを歩くのも嫌だったから、焼けてくれてかえって良かった。
(虫だらけだから強火で燃やしすぎて、慌てて氷結魔法で冷やしたら大岩が割れちゃったとかなら面白いのに)
ミレーナの想像は、だいたい当たっている。
鉱山を制圧したヨルたちが居住区を視察したところ、ミーニャが「かいかい」言い出したので、汚物は消毒しちゃったのだ。魔王の視力が良いせいで、ぴょいーんぴょいーんと跳ねる何かを見てしまい、火力がちょっと強火になってしまったのも、マグスに来てからやらかした中では控えめな方だろう。死傷者は出なかったし、森に延焼しないようにちゃんと消火したから大丈夫なのだ。入り口付近の大岩が割れたのにはびっくりしたが、いい感じの襲撃跡に仕上がってヨルは結構満足している。
そんなことなどついぞ知らないミハエリスは、派手な壊されぶりに興味がひかれたらしい。
「じゃあ、取り返したら宿舎を立て直さないとね」と、領主らしい意見を述べてくれた。
「少しは衛生的に暮らせるものを立てさせましょう。虫とか湧かないような」
「そうだね。で、生き残った者はいたのかい?」
ミハエリスがうんと頷いてくれたので、ミレーナは「言質とったぞ」とばかりに手元の書類に手早く案を書き止め、承認済みと書き添える。
「生き残りの情報はありません。鉱山奴隷や監視は全員……。代わりにその、……坑道の内部に大量の骨があったと」
「全員? 魔人に喰われた?」
「それがあったのは骨だけで身元の分かる物はなかったと」
「……ずいぶんきれいに食べたんだね。よっぽど空腹だったのかな」
「……まるで、鉱夫たちが獣でも与えられたみたいですよね」
そう言えば、報告書には骨は人間のものではないと書かれていたな、とミレーナは思い出す。
(いやいやいや、鉱山を襲撃しといて、鉱夫に肉をご馳走する魔人がどこにいるんですかぁ!)
ここに居る。正確にはミレーナたちの南西数キロ地点に。
だって、鉱夫たちはみんなガリガリだったのだ。ただでさえ魔力の補助がない魔素枯渇地帯でこんなにやせ細っていて、逃げ切れるはずがない。彼らには襲撃事件の真相を長くうやむやにするために、逃げ延びていただかねばならぬのだ。
だから、ヨルたちは手分けをして少ない獣を狩りまくり、彼らに調理させて食べさせた。幸いみんな腹ペコで、グルメな奴はいなかったから、骨だけ残してペロリである。
ここでもまた、ミレーナの勘は絶好調だ。
本人が、全く気付いていないのが残念だ。
「他に鉱山内部の状況は? なにかこう、疫病や毒を使った痕跡は?」
「それなら!」
あった、あったぞ、ありました。不潔で邪悪っぽいやつが。
ミレーナは嬉々として報告書をめくる。確かこの辺りだ。
「悪臭漂う場所があったそうです!」
「ほう!」
ミレーナのテンションにつられてミハエリスもノッてきた。不潔とか邪悪とか、そういう物に興味がわいちゃうあたり、ミハエリスの精神年齢の低さがよくわかる。
「入口からさほど遠くない脇道が激しく崩落していたそうで、そこから耐え難い悪臭が漂ってきたと。崩れた岩の間に滲む腐汁には蛆が湧き、ハエが群がる様はまさしく……」
「……まさしく?」
「…………」
ごくり。
こんな報告していいのかと、逡巡するミレーナ。勢いで読み上げてしまったが、ちゃんと最後まで確認してから報告するのだった。
「どうした、ミレーナ。続けたまえ」
わくわく顔で聞いて来るミハエリス。
こう言われては仕方ない。ミレーナは、ミハエリスの顔色をうかがいながら小さな声でこういった。
「……坑道横に掘られた、排泄場所の竪穴が、爆発によってつながったみたいですね。で、汚物が流入したようだと」
「……うん、排泄、場所?」
「はい、便所」
「トイレ?」
「厠」
「お手洗い」
「雪隠」
「化粧室」
「憚り」
「…………」
ミハエリスの視線が語る。イロイロ言い方を変えてみても、意味は一緒ではないかと。
正論過ぎて言葉も出ない。あと便所の類義語も尽きてきた。
「く、臭かったんですかね? で、汚物は消毒だーって火を放ったら、ガスに引火してドカン、みたいな」
あははははー、まさかですね、と笑うミレーナ。
まぁ、真相はそのまさかだったりするのだが。
だってしようがないじゃないか。すごく臭かったんだもん。
爆風の衝撃であれやこれやが飛び散って、防御魔術を張り遅れたライラヴァルは不幸な犠牲だったというほかない。幸い集落に水場があったから洗って綺麗になったけれど、しばらくミーニャの距離が遠かったからちょっと臭かったのかもしれない。
もちろんそんな悲劇の真相をミレーナたちは知る由もないし、ライラヴァルがガチギレするので知らせるつもりもないのだが。
「ま、まぁ、襲撃者は未だに鉱山に立てこもっているみたいですし!? 真相はとっ捕まえて聞けばいいんじゃないかなーって」
そんな魔人、いるわけないじゃないかとミレーナは思う。
ここまで全問正解を叩きだしているというのに、何とも残念なことである。
破天荒なミハエリスの補佐官に任ぜられたくらいには、ミレーナは常識的な人間なのだ。
そのミレーナに対し、珍しく真面目な顔をしたミハエリスが質問をした。
「その襲撃者だけどね、襲ってくる様子もなければ隠れる様子もない。今も分かりやすく魔力を発しながらも、見つからないように逃げ回っている。襲撃者の正体と目的は? この情報を合わせて、ミレーナの作戦を聞かせてくれるかい?」
普通ならばかばかしいと一笑に付す報告の数々。それをミハエリスは笑わない。
そして彼の補佐官ミレーナは、頭脳だけは明晰で、ミハエリスとは実はものすごく相性がいい。
「あくまで私の所見ですが……。襲撃者はおそらく正気を保てる高位の魔人、それも複数です。目的はミハエリス様をここに釘付けにすること。ですが、動機がまったく分かりません、いえ、理解できない。魔人の行動とは思えない。
ですが、もしそうだとすれば、一番有効な作戦は……」
ミレーナの予測ともいえない見立てと作戦。
それを聞いたミハエリスは子供のような笑顔で「それでいこう!」とニカっと笑った。
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