010.ノルドワイズ防衛戦ー2 *
「火球、火球!」
「火球」
必死の形相で火の玉ドッジボールをする魔術士を横目で見ながら、同じくらいの威力でヨルも火球を放つ。
(意外と難しいな)
弱すぎて、逆に難しい。
炎とは可燃性の気体が燃える時に発生する光と熱のことだ。燃料がなくなればすぐに消えてなくなってしまう。
この魔術は魔力の球の外側を炎に似た光と熱に変えている。魔力自体、エネルギーの塊みたいなものだから、変換自体は極めて容易で術師のイメージ一つで一定時間燃え続ける火球ができる。
もっとも、燃えているのは表面だけで、魔力の密度が低いから熱量は高くはない。ろうそくの火にゆっくり手を近づけると熱いけれど、手のひらで叩けばたやすく消せるようなものだ。この程度の火球なら、小さなやけどはするかもしれないが、空気の層が緩衝してすぐに消えてしまうだろう。
実際、運よく魔獣に当たっても、硬質な毛皮に燃え移ることもなくかき消されている。魔獣は本能的に火を恐れるから牽制には使えるが、魔獣を倒すだけなら投げナイフの方が効率がいいのではなかろうか。
ダーツなら学生時代にやったことがある。当時は咲那とは付き合っていなくて、モテたい盛りの因はこっそり練習したのだ。何しろオシャレ感があるではないか。
薄暗いダーツバーは外見の平凡さをフォローしてくれそうだし、慣れないお酒と雰囲気に酔ったところで、ストンストンと的に当てれば普段は会話もはばかられる美人さんから「スゴーイ」の一つも頂けそうだ。
残念なことに不純な努力が実ることはなく、二十歳以降の行きつけは小洒落たバーから、から揚げの美味しい居酒屋に変わったが、この店のから揚げは咲那のお気に入りである。無駄な努力に終わったダーツは黒歴史として心の中にしまわれていたが、この体なら魔獣の眉間にぷすりと命中できそうだ。
(やらんけど)
フラグ、大事。守るべき。この“一人だけダークファンタジー・ボディー”でダーツなんてしたら、絶対に血の雨が降る。
先ほどの雷光鹿だって、後ろ脚に穴をあけるつもりだったのに、見事に脚が吹き飛んでいた。幸い誰も気づいていないが、幸運はいつまで続くかわからない。
(ほのぼの日常系が好きなんだよ)
人畜無害に生きていきたい。ヨルは戦闘のさなか、的外れなことを願う。
その願いとは裏腹に、雷光鹿を倒したというのに魔獣の勢いはとどまることを知らない。雷光鹿を相手に魔力や武器を浪費したのがじわじわと効いているようだ。
城門前までたどり着いた魔獣がいるのか、ガリガリと門を引っ掻く音がする。
城門は分厚い金属製だから、少々引っ掻かれたくらいでは破れはしないのだろうが、空堀で魔獣の速度がそがれていなかったら、突進の勢いで破られていたかもしれない。
「門に取りつかせるな!」
隊長らしき兵士が叫び、門めがけて槍が降る。
魔獣が離れたのは束の間で、攻撃を抜け城壁に至る魔獣は後を絶たない。
「プギィ!」「ピギィ!」
魔獣にしては甲高い叫びをあげたのは二匹の牙岩猪だ。
致命傷には至らない魔術士の火球に驚いたのは、まだ子供だからだろうか。中途半端に子供を攻撃したのが良くなかったのだろう。
「グギャオオオォ!」
ドッドドと大地を震わせて、森から巨大な牙岩猪が飛び出してきた。
(おいおいおい、熊よりでかいとかサイズおかしいだろう)
狂乱熊もサイズがおかしかったけれど、このイノシシはさらに大きい。突進する母イノシシはまるでトラックだ。
追い打ちとばかりに連弩が2匹の子猪を仕留めたけれど、母猪の怒りに油を注ぐだけだった。怒り狂って突進してくる母猪めがけて、弓が、槍が、まだ稼働している連弩が攻撃を仕掛けるけれど、怒りのオーラで表皮を強化しているのか、わずかに矢が刺さる程度で母猪の勢いはそがれることがない。
母猪は狼の魔獣さえ跳ね飛ばしながら、真っ直ぐ城門めがけて突進してくる。これほどの勢いだ。空堀など飛び越えて、攻城兵器の一撃の如く、城門を破ってしまうのではないか。そうなれば、そこここにいる魔獣が人間の詰まった城壁の中にどっと押し寄せ、阿鼻叫喚の地獄絵図になることは予想に難くない。
ヨルの脳裏にこの世界で初めて見た、死屍累々の光景が思い出される。
もしも扉を破られたなら、被害はあの比ではないだろう。
(まずいな。仕方ない、焼くか)
ヨルが平穏をあきらめて魔術を放とうとした瞬間。
「斬り裂け、風の魔剣カルタナ!」
白銀の鎧をまとった若い女の叫びと共に、巨大な竜巻が発生し、巨大な牙岩猪の身をわずかではあるが浮き上がらせた。その身を取り巻く竜巻は風の刃でもあるのだろう、勢いを失った牙岩猪は、風の刃に切り刻まれ、竜巻は噴き出す血潮に遠目で見ても分かるほどに赤く染まった。
「ヴォルフガング、残党を狩れ!」
風の魔剣を使った女騎士が命じる。彼女を守るように、スレイプニルに騎乗した女性騎士が前に出て、馬車を操る男性騎士がボウガンを構えた。
そしてその馬車の後ろから、ヴォルフガングと呼ばれた壮年の男が大剣を片手に竜巻の収まらぬ戦場へと駆け出した。
(あのおっさん、すげぇ……)
ヴォルフガングと呼ばれた男の戦いぶりは、まさに圧巻の一言だった。
アクションゲームかと目を疑う大立ち回りで、竜巻から逃れた魔獣をバッタバッタと切り捨てていく。牙をむく獣はその口蓋から頭蓋を斬り飛ばし、爪をふるう魔獣は爪の先から腕を縦に割り、そのまま袈裟斬りにしたのだ。
今のヨルにはヴォルフガングの身体強化が全身隙の無い見事なものだと理解できた。その速度は狼よりも素早く、その一撃は熊より重い。厳つい風貌に見合った力強い戦闘に、城壁に詰めた兵士もヨルも思わず釘付けになる。
竜巻を放った女騎士と、護衛らしき二人の騎士も遠距離攻撃で魔獣を倒しているけれど、派手さもキルカウントもヴォルフガングに及びもつかない。
最後は勢いを緩めた竜巻から落下してくる魔獣のうち、まだ息のある数体の首をはねてフィニッシュだ。
周囲が赤くくすむほどの血風に魔獣たちの侵攻が一時収束した隙に、騎士の一団はノルドワイズの城門を目指した。ヴォルフガングはただ一人徒歩で、残りは騎馬や馬車に騎乗したまま。
さんざん活躍をしたヴォルフガングが大剣を鞘に納める横を、3人の聖騎士が通り過ぎていく。一緒に来たというのに、労う様子は見られない。
聖騎士たちが門へと近づくと、魔獣の出没する夜だというのに跳ね橋はゆっくりと下ろされていった。
「教団の聖騎士様が来られたとは! あぁ、でも助かった。『箱』が切れた時はどうなることかと。貴方もお疲れさまでした。リグラ・ヘキサ」
最悪の襲撃を乗り越えた安心からか、近くで火球を打っていた魔術士兵が声をかけてきた。
ハグでもしてきそうな気やすさだ。参戦していた魔術士は少数だったし、魔術士自体がレア職業だから、傲慢不遜な奴らなのかと思ったら、炎のドッジボウラーはなかなか気さくないい奴だった。
(聖騎士様……か。なんて、面倒そうな響き。一人だけ格好の違う強キャラ親父と言い、フラグ臭やば過ぎだろう。なるべく会わないようにしよう)
とりあえず聖騎士様御一行がこの街一番のお宿にチェックインするまでは、城壁で時間をつぶした方がいいだろう。危険はひと段落したが、夜はこれからなのだ。
ヨルは「警戒を続けますよ」といった仕草を崩さず森へと視線を送る。
(ん? いかん、第二陣が来やがった)
もしかしたら、聖騎士たちの後を追ってきたのかもしれない。跳ね橋が下ろされるより先に森の方から魔獣の影が見えた。聖騎士も、一人だけ徒歩で進むヴォルフガングも、まだ街の中には入れていない。
感知できた数は10ほど。さほど多くはないが、中にはヨルが途中で遭遇した狂乱熊の影も見える。
聖騎士の指示によるものか、ヴォルフガングは一人剣を抜き魔獣の前へと歩きだす。聖騎士たちが街の中へ入るまで安全を確保するつもりだろう。
「大地鳴動」
ヴォルフガングがズンと大地を踏みしめる。
その大地を蹴るような一歩の前に、魔獣たちは地震にでもあったようにぐらりと体勢を崩した。その隙に、手近な数匹を次々と叩き斬るヴォルフガング。
(へぇ。大地を通じて魔力を通し、三半規管を揺らしたのか)
ようやく体勢を立て直した数匹が、攻撃態勢に移るより早くヴォルフガングの一撃が襲い、剣を振り上げるより先に飛び掛かってきた狼は、剣から離した左手にいつの間にか握られていた短剣で突き殺す。
ほれぼれするほど見事な手腕だ。残るは狂乱熊と、狼が2匹。
どっと大地を蹴って駆け出した狂乱熊を右に飛んで躱し、躱した先の狼を切り捨てる。同時に飛び掛かってきたもう一匹の狼は、再びヴォルフガングの方へと駆け出してきた狂乱熊に向かって蹴り飛ばし、そのままそこに突っ込んでいく。
狂乱熊の左手は、ヴォルフガングが蹴り飛ばした狼が当たって邪魔をしている。右手から振り下ろされる狂爪を躱して首をはねればたやすく勝負はつくはずだ。
そう判断したヴォルフガングが狂乱熊の左手側へと体をそらし、その首めがけて大剣を振り抜こうとしたその時。
メキョリ。
邪魔な狼の腹を突き破って、狂乱熊の左手がヴォルフガングのがら空きの胴体めがけて伸びてきた。
「危ない! 火球」
それはとっさの判断だった。
夜でも遠くがよく見えるヨルの瞳は、ヴォルフガングと狂乱熊の戦闘を余すことなくすべて見ていた。狼を蹴りつけられた狂乱熊の左手が、狼の体など何の障害ともせずヴォルフガングヘ伸ばされるところも。
あまりに見事な戦いぶりだったから、思わず見入ってしまっていたのだ。
だから、思わず助けてしまった。
ドンという着弾音は、普通の火球に比べるとひどく小さかった。投石くらいの火の玉が、矢よりも早く飛来して狂乱熊の左腕に命中した。それだけならば、誰にも気付かれなかっただろうに。
鉄球でも投げつけられたかのような衝撃に、狂乱熊の左手がはじけ飛び、ヴォルフガングの大剣は見事その首を叩き落としていた。
狂乱熊の首が大地に落ちると同時に、もう一つ、ドサリと落ちるものがあった。
狂乱熊の左腕だ。
ぶすぶすと煙を上げる切断面は、月の光でも明らかなほど真っ黒く炭化していて、焦げた臭いをあたりに漂わせる。高密度に凝縮したヨルの魔力が、着弾と同時に一気に熱へと変換されたのだ。ヨルの火球が、魔術士の火球とは次元の違う効果を見せたのも魔力の密度ゆえだろう。
(やっべぇ、思わずやっちまった)
ヨルは慌ててしゃがみ込み、城壁の陰に隠れたけれど、遠く離れたヴォルフガングと目があった気がした。しかも近くの魔術士にまで見られてしまったらしく、驚いた様子で自分の杖とヨルを交互に見ている。そして。
「ノルドワイズには強力な魔術士がいるのか?」
「はっ、そのような連絡は受けておりませんが……」
城壁の上へと視線を向けながら、聖騎士の先頭を行く女性、アリシアが、迎えの兵士長に向かって何やら指示を出すのだった。