狐の思惑、狼の叫び
むすー、私怒ってますからね! なんて雰囲気を隠そうともせずに睨んで来る姉さんには悪いと思わなくもない――――いや。
なにそれ可愛い、もっと見ていたい可愛さ、といった所だ。
艶めく黒髪に、へにょりと垂れた狼の耳。そしてたれ目気味な人を安心させる美貌の女性がそんな顔をしているのだ。
観察せずにいられるだろうか。いや、いられない。
とはいえ、あの騒動からしばらくしてカジノへ顔を出して、途端に妙な空気を察知したテレージアさんへ顛末を説明しながらの観察だ。
微妙に堪能しきれないもどかしさを抱えながらも、それでも何とか堪能しようと横目でチラチラやってたら涙目で牙を剥かれた。可愛い。
まぁそんな姉さんの可愛さを、事態を把握したテレージアさんは呆れたような溜息一つで済ませてしまったが。
「いつまでそんなふくれっ面してんだいジークリンデ。たかが下着を見られた程度でそんなに恥ずかしがるなんて情けないねぇ」
「たかがって、あんな公衆の面前で開帳されれば恥ずかしいに決まってるじゃないですか!」
「聞いた話じゃあ、そもそもお前はそのコートの下にシャツがあるつもりで賭けたんだろう。自分だけ安全圏に置いた賭けなんぞ下らん真似をしおってからに」
「うぐ、うぅ」
「そちらの意味では確かに、そうさなぁ…………恥を知れ! と言ってやろうかねぇ」
からからと笑うテレージアさんだが、それはあくまでも声だけの話である。
目は爛々と怒りの色を湛え、笑いを収めた先に残るのは鋭く剥いた牙の光る形の良いお口である。
少々まずいかもしれない。これは本気で怒ってる時の顔だ。
私に飛び火するのかね、これは。
勘弁して欲しいものである。
「ウルリカ、正直に言いな。どの程度本気だった?」
「昨日から今日にかけて、姉さんの勧誘に大分熱が入ってたからなぁ―――半々って所かね」
「ほぉ、半分もあったのかい」
「探索者にって言われた時にさぁ、それも悪くないかもしれないって考えが頭を掠めはしたんだ」
「ふむ、続けな」
「そいでまぁ、あんまりにも勧誘が続くからさ、本気で考えてみたわけよ。何ができて何ができないのか」
ジークリンデ姉さんも途中で引くに引けなくなったという空気を出していたから、気兼ねなく言葉を右から左へ受け流しながら。
私は探索者になってやっていけるのか? 私に何ができる? そもそも何がしたい? なんて。
ああ、やっていけるのかと問われたなら、やっていけると答えるだろう。
私の種族である狼人は戦闘向きの種族であるし、バルトルトの職業訓練のおかげで少しは動ける自信もある。
駆け出し探索者としてそう悪いものではないのだろうとも思う。
流石に高ランクの探索者に分類されるジークリンデ姉さんやテレージアさん程動けると思うほど驕ってはいないが。
「話に聞く限り、とりあえず上層の魔物なら遅れは取らないんじゃないかね。実際は出たとこ勝負、ルーレットのボールはどこへ落ちるのかってね」
「待ちな、のっけから怪しいじゃないか」
「流石に実体験を伴わない確信を抱くほど夢の世界に生きちゃいないよ」
実際に対峙してもいないのだから。
どの程度硬いのか、どの程度力があるのか、どの程度知能があるのか。
私は持っていないのだ、それらの実体験を。
「ウルリカ、腕ぇ貸しな」
それ故の自信の無さに不安を覚えたせいなのかもしれない。
しばし悩んだ様子だったテレージアさんが、手ごろなテーブルを引き寄せてそこへ腕を置いたのは。
腕力に自信のある野郎共が良くやる、力比べ。
テレージアさんは狐人であり、種族的には腕力に劣るとされているが、さて。
ダンジョンの魔物は打倒する事で力を残して逝くと聞く。
その力を受け取った人は、自らの限界を超えて強靭になっていく、とも。
生憎と探索者稼業に鞍替えするつもりは無かったのでそれ程詳しくはないが、高ランクであると聞いているテレージアさんは如何程のものなのだろうか。
純粋に興味が沸いたし、狼人としての血も騒ぐ。そう、やらない手など無いのだ。
「ほれジークリンデ、合図出しな」
「えー。むしろ私がやりたいんですが」
「聞こえなかったかい? いいから出しな!」
「あーもう、はいはい分かりましたよ!」
テレージアさんの手を握り込んで、真正面から睨み合う事で改めて思った事がある。
ああ、これほどの美女から一直線に睨まれるというのは。
「双方見合って見合って! 行きますよー?」
滾るなぁ。ああ、何とまぁ、滾る事か。
輝かんばかりの黄金色、強靭な意思を漲らせた瞳、見定めてやると言わんばかりに吊り上がっている頬!
これは気張らねばなるまい!
持ちうる限りの渾身で、答えねばなるまい。
そうでなければテレージアさんに茶番を演じさせる事になってしまう。
右も左もおぼつかないような子供の頃から私を見守ってくれた一人に、茶番を演じさせてしまうのだ。
許せる事ではない。あぁ、そんな事になれば、私は私を許せなどしない。
――――時間が引き延ばされる感覚。
始め、と響くジークリンデ姉さんの声が酷く遅く感じる。
遅く、遅く、遅すぎて、響き終るのが待ち遠しくて、気勢が削がれてしまう。
駄目だ、そんなのはいけない。テレージアさんに全力で応えなければならないのだから。
「ッ!」
タイミングを外した状態で始まってしまった。
ぐい、とあっけなく体の外側へと腕を持って行かれた自分が情けない。
情けなくて、情けなくて、ぶわりと毛が逆立つ感触がする。
あってはならなかったのだ、こんな醜態など!
引き延ばされた時間の中で、刻一刻とテーブルへと傾いていく私の腕。
あぁ、あぁ、待て、行くな、待て。
「何だい、泣きそうな面ぁしてんじゃないよ」
テレージアさんの苦笑が見えた。
苦笑が、見えたのだ。度し難いことに、それを浮かべさせてしまったのは私なのだ。
思わず情けなく半開きになっていた口をがちりと閉じて、牙を剥く。
「――――!!」
怒りで真っ赤に染まった視界の中で、今度こそ文字通りの全力で腕へと力を込める。
これでようやく土俵に立つ事ができた。
「んなっ!?」
「よーしその調子ですよウルリカちゃん!」
刻一刻と傾いていた腕が止まった。勢いは殺せた。
ならば後は向きを変えてやるだけだ。
地に着けている足から脚へ、腰へ、背へ、肩へ、そして腕へ。
全身を捩じり、再び腕から先へ掛け値なしの全力を投じれば、驚く程あっけなくテレージアさんの腕は倒れていった。
「いやおい、嘘だろお前」
「いよっしゃぁ! 良くやりましたよウルリカちゃん!」
ずがん、と鈍い音を響かせて倒し切ったテレージアさんの腕を見ながら、そんな二人の言葉が耳へと滑り込んできた。
「いくら狐人より膂力に優れる狼人だからっておい、これは無いだろ、ウルリカよぉ。こっちは探索者だぞ」
「フルプレートメイルの胸部だなんて、いっちばん硬い所を打ち抜けるなんて言ってたのは伊達じゃないんですよ! よーしよしよし!」
「何だいそりゃあ。聞いてないよ!?」
「私だって昨日初めて聞きましたもの。いやぁ残念でしたねテレージア。最初にかましておこうって思惑が外れて!」
きゃあきゃあ喜びの声を上げながら抱き付いて来てはわしゃわしゃと髪をかきまぜるジークリンデ姉さんのおかげで、ようやく実感できた。
勝ったのだ、高位探索者の腕力に。テレージアさんに、テレージアさんの期待に応えられたのだ。
「――――――――――――――!!」
「うぼぁ……!?」
「うぉふっ!?」
思わず吠えてしまうのも仕方あるまい。
純粋に自身の能力で勝ちとれた勝利というのは、これ程までに爽快な気分を味合わせてくれるのか。
――――――しかしながら思わず出てしまったとはいえ、遥か遠方まで響き渡る事で知られる狼人の咆哮だ。
そんなものを至近距離から叩き込まれて、妙な声を上げて耳を押さえたテレージアさんと、押さえる直前の妙な姿勢で固まってしまったジークリンデ姉さんには申し訳ない事をしたと思う。
獣人はすべからく五感に優れているのだから、然もあらん。
反省。
Tips:獣人の種族
犬系:犬人(基本)、狐人(魔力特化傾向)、狼人(身体能力特化傾向) ワン!
犬人:身体能力は人以上。魔力は人以下。認めた相手には素直な者が多い。集団行動は人並み。
狐人:身体能力は人と同程度。魔力は人以上。良くも悪くも賢しい者が多い。集団行動は苦手。
狼人:犬人よりも更に身体能力に優れるが、魔力は更に劣る。人見知りの者が多いが、認めた相手には非常に素直な者が多い。集団行動は大得意。
猫系:猫人(基本)、虎人(力特化傾向) ニャー!
猫人:力は人以下だが非情に身軽で夜目が効く、魔力は人以上。気まぐれな傾向。気分が乗らなければ、それが例え有益な事でも無視する。集団行動は苦手。
虎人:人より力に優れるが、猫人程の身軽さはなく、魔力は全種族の中でも最底辺。俺より強い奴を探しに行く傾向。強さこそが至上。認めた相手ならば集団行動も許容する。
熊人:クマー、力強いクマー。
基本的にのんびり屋。ただしプッツンすると嵐の如く暴れる種族。おこらせては、いけない。全種族中最も力に優れるが、基本的に争い事は嫌い。鍛冶とか大好き。集団行動も好き。
樹人:いわゆるエルフ的な耳長系美形。結婚したい種族不動の1位。
おっとりした優しい性格の者が多い。身体能力は人以下。非情に高い魔力を持つが、魔人程ではない。
魚人:いません。
竜人:いません。
鳥人:いません。