2
「転職しようかな………」
毎日毎日そればかり考え朝を迎える。入社日に思ったが、それが今まで覆ることは一度としてなかった。新卒で営業職に就職。取り立て取り柄のない僕は、ぱっとしない人生をノロノロと歩いていた。
そんなノロマな僕は上司から鉄拳制裁をくらう。鉄拳制裁というとまるで僕がミスをしたように誤解されるから呼び方を変えよう。これは上司が勝手に呼んでいるだけだ。もっとシンプルな表現をするならばこれは「理不尽な暴力」以外のなにものでもない。今日も僕は殴られて後ろに三歩分くらい吹っ飛ばされる。そして転げた僕の横腹をトーキックされるのだ。「ナイスキック」とでも言えばいいのだろうか。いや、火に油を注ぐだけか。
この会社で働き続けてる理由は二つある。
・特にやりたいことがない
・この調子で仕事を続ければ精神か肉体のどちらかが壊れることが出来るだろう。そしたら生きることを嘆く正当な理由を獲得することが出来るだろう。
主に後者に期待して、今日もお叱りという名の人格否定を受け入れる。
何のために生きているのだろう。
ずっと考えても未だに見つからないので、とりあえず死ぬ理由を作るために生きている。ということにして目標をたてている。未だにこの世からおさらばするための理由は見つかっていない。どうせなら「それなら自殺しても仕方ないよね」と周りに納得してもらえる理由が欲しいものだ。しかし心身ともに貧弱な僕はそのレベルまで到達することは出来なさそうだ。この二年で七キロ痩せた。いい調子だ。このまま消えてしまえればいいのに。だんだんとシャープに尖る自分の顎と、目つきが鋭くなる表情を見てたまに自分の顔を忘れてしまう。この鏡の前にいる汚い奴、誰?
転職と同じだけ自殺の方法を調べてはいるが、楽に死ねるのはなかなかないようだ。でも人身事故で遅延するたびに、いいなぁと思う自分が確かにいた。昔にはなかったSNSに今日も自殺を仄めかすことを投稿し、精神の安定をはかる。構ってもらいたいわけじゃなくて、ただ吐き出したいのだ。正常者たちがその日一日生きて「楽しかった」と投稿するように。異常者がその日一日生きて「死にたい」と投稿する。なんの間違いもない正しい使い方だと自負している。
しかしどうやら正常者たちの目に異常者の考え方は目に余るようだ。
陰で「かまってちゃん」やら、「ヤバいメンヘラ」だとか好き勝手に推測されるが、僕にとったらちゃんと生きれて楽しんでいるアンタたちの方が十分おかしい。多数派が正義だというのは数の暴力であり苛めと同じだ。なぜ吐き出させてくれないのか。イヤならば縁を切ればいいし、僕みたいな人間は害しか与えないのだから、関わらないほうがいいだろう。
まぁ、よく考えればメリットがないわけではない。僕みたいな出来損ないで、一般的に不幸と呼ばれる人生を歩んでいる人間を常に観察しておけば、よい精神安定剤になる。僕も自分よりも下の人間を見つけてよくやっていることなので、それを否定する気はないし、実際安定剤に使われていることは知っている。悔しくはないけれど、自分の命の程度を再確認してしまう。何度もいうようだけど、僕は鈍感でもないし、嫌なことは嫌だし、普通に傷つくのだ。だからあまり気持ちの良いものではない。
そんなことをハッキリ自覚しているが、たまに涙が出るのは死ねない自分の情けなさからなのか、はたまた違う理由なのだろうか。泣いてスッキリしろというが、泣いたところでこの気持ちは変わらないのだ。じゃあ死ねばいいじゃないか。と言われてもジェットコースターも乗れない自分にはまだまだ自殺のハードルは高い。よくみんな自殺できるな。
年間自殺者推定十八万人。日本では変死は自殺に入らないので、自殺だと死因が断定出来る人だけ自殺者の数に入れる。その数は三万人。変死は逆算で十五万人にのぼる。このクソ平和な日本でそうそう変な死に方っていうのはないだろうから、一日だいたい四百人が自殺して、一時間に二十人以上が自殺して、三分に一人が自殺してる。僕が何万回と聞いた曲を何気なく聞いて、それが終わるころには誰かが絶望の中で自殺しているのだと思うと、少しだけ背筋が寒くなる。それだけたくさんの人が勇気を出してこの世界に「バイバイ」と告げているのに、僕は未だに死ぬことが出来ていない。まぁバンジージャンプも絶叫系アトラクションもウォータースライダーも出来ない僕にはもしかしたら一生出来ないかもしれない。臆病なのは防衛本能が強いからだというが、僕はどれだけ自分自身を愛しているのだろうか。
そんな無駄な日々を永遠に繰り返して浪費している。
たぶん自殺出来たとき思うのだろう。
「どうだ見たか! 自殺出来たぜ! これで自由だ! こんな生きにくい世界からようやく解放されたぜ!」と。死にながら言いたいな。生きている人に向かって。そしたらそのときくらいは、この世界のことを愛しく思えるのかな。それくらいにならないと好きにならない世界なんていらないけれど。誰かが頑張って生きていても僕には関係がない。僕がどれだけ苦しんで泣いていても、その頑張って生きている人に影響がないのと同じように。