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「この世はなんて生きにくいのだろう」
周りと違うということを自覚したのは中学生のときだった。
人と同じように生きられないことを知った。それを教えてくれたのは保健室前に貼られたポスターだった。
「このチェック項目に当てはまる数が八個以上なら鬱病の可能性があります」
十個中九個当てはまった。唯一当てはまらなかったのは性欲だけ。
そのポスターはご丁寧なことに、僕に現実というものを叩きつけてくれた。自分が他の人と比べて汚い生き物であること、自分が異常者だということ。それだけで思春期の僕の心は簡単にへし折れた。
そのときに、みんなが楽しそうに生きている意味を知ることが出来たのだ。自分にはないもの。
希望。
生きていくために必要なものを
僕はどこかで拾い忘れてしまったらしい。
なるほどなるほど。
病気なら仕方がない。
自己肯定出来る理由を手に入れた感情は両手をあげて喜んだ。そしてそいつは僕の中の一番大きい部分に陣取った。そのとき初めて希死念慮という思考回路に出会ったのだ。
僕はみんなみたいに生きられない。
そのことを受け入れるのは早かった。
そうすることで納得することが出来たし、頑張って他人と関わることを放棄した。誰も自分の気持ちは理解出来ないし、それと同じだけ僕も他人の気持ちなんて理解出来ない。僕は一人だ。でもそれは嫌いじゃなかった。ずっと生きにくいと感じていた理由は、僕が一人じゃなかったことが原因だろうから。
誰にも言えない秘密を抱えて、僕はクラスの一人を演じる。もうこの教室の中には自分の居場所はなかった。教室だけではない。学校にも、学校の外にも、初めから居場所なんてなかった。どこかでずっと期待していたんだろうな。自分は普通に生きていけるのだと。だから、ショックなんて受けてしまったんだろうな。ショックを受けていることは誰にも知られたくない。きっと今更気づいたの? と笑われるに決まっているから。
そんな僕に気をかける物好きな奴も中にはいる。
爽やかに楽しそうにやりたいように生きてる。正統派な生き方をしている。そんな所謂「正常者」の名前は岡崎幸
見るだけで眩しいみんなの太陽だ。岡崎は僕にも話しかける。みんなと同じように分け隔てなく。顔色を伺わないと話せない僕にも。クラスメイトの一人という大役を任された僕は、最低限の義務を果たそうとした。話しかけてくる人には普通に返事をする、という唯一の自分ルールがあるからだ。
それに僕は異常者で死にたがりではあるけれど、鈍感というわけではない。他人が傷つけばもちろん嫌だし、そのせいで最悪傷つくこともある。つまり、どう考えても話しかけてくれた人には最低限の礼儀を持って接することが一番良いのだ。
その延長線として、帰りを誘われても基本的には断らないようにしている。もっとも、一緒に帰ろうなんて言ってくれる奴は岡崎くらいだけど。
「上野今日なんか暗くない?」
上野とは僕の名前だ。
今日というかいつも暗い。
帰り道くらい人の顔色を伺わないで溜息を吐きながら帰りたいのだが、それをこいつは許してくれない。そういう奴だから、僕と帰ってくれているのか。いや、それはさずがに考えすぎか。そこまでコイツも暇でもないし、愛他的な人間でもないだろう。分からない。でも、どっちでもいい。これが同情から生まれた誘いであっても、真実は分からないし、真実はいつも僕の首を絞める。
「別に普通だけど」
そう普通なのだ。
異常者にとっては死にたいことが普通。むしろ生きたいと思えることが異常である。つまり僕から見たら、この世界で笑顔でいられる人間の方が異常者だ。そんなこと死んでも口には出来ないけれど。
「お前はいつも楽しそうだな」
「楽しいっていうか普通じゃない? 友達と話せば普通に楽しいじゃん?」
正常者にとっての普通の日常なのかと、僕はバレない程度に溜息を吐く。
「幸せが逃げるぞ」
ばれてしまった。
「逃げるような幸せなんてねーよ」
猫背の僕に対して、岡崎は姿勢も正しく堂々と胸を張って歩いていた。まるで二人の生き方を象徴するかのようだった。二人で帰っていると同じクラスの奴とすれ違うこともあって、そのときソイツは「バイバイ」と言ってくれるんだけど、たぶんそのバイバイはそこにいるのに僕には向けられないから、聞こえないふりをいつもしている。
「ほら、ジュース奢ってやる」
「なんでだよ……」
「それ飲んで元気だせよ。疲れてんだよ。糖分とってよく寝て、明日話せば元気になる」
元気にねぇ……。
元気なんてどこかに置いてきてしまった。笑うことすら素直に出来やしない。笑うと口角が引きつりそうになるし、なぜか眉間に皺が寄って、挙句の果てには泣き出しそうになる。たぶん、笑うことはもう僕のストレスの一つになってしまっているのだ。感情は狂っている。
友達もそのコミニティがなくなったらリセットする。そんなことをしているから友達の数は常に一定だ。友達の数が積み重ねられるとうことはない。というよりその時その時のキャラ作りを思い出すのがめんどくさいのだ。僕は自分に自信がないから、いつも人気者の話し方や接し方の真似をする。バレないようにしているつもりだけど、もしかしたらバレてしまっているかもしれない。というわけで僕の中には僕はもう随分昔からいないのだ。僕は自我をもうとっくに殺している。どこにも僕はいない。
嫌われるくらいなら、自分を殺す。
人に期待しない。
その二つが僕の処世術なのだ。それがうまく機能していたことがあったかは別として、僕はそうすることでしか生きられない困った人間なのだ。社会不適合者とかそれっぽくてかっこいい名前なんていくらでもあるけれど、単純に僕は自分のことを子供だと考えている。泣けば誰かが助けてくれると未だに心のどこかで期待してしまっているのだ。卒業アルバムを真っ白な状態で帰宅するくせに。
そんなこんなで時はあっという間に過ぎる。自分は停滞しているのに時間は待ってくれない。人として成長しないどころか退化を続ける僕は社会人二年目の春を迎える。