第六章 転機
第六章 転機
プルルル、プルルル、
一志は携帯電話のコール音で眼を覚ました。
祝賀会の後、まっすぐ家へ戻りベッドに横になった。紗奈にメールをしようかと悩んでいたら、アルコールのせいもあったのだろう、いつの間にか寝ていた。
音を頼りに携帯を探す。体の真横に置きっぱなしになっていたのを拾い上げた。
(誰だ?)
携帯を見ると「新条 母」と表示されていた。首を傾げる。電話が掛かってくる理由がわからない。とはいえ出ないわけにはいかない。躊躇は一瞬で、すぐに電話に出た。
「もしもし」
『よかった繋がって』
紗奈本人と聞き間違えそうなほど似た声。間違いなく彼女の母親だった。
『ごめんなさいね。こんな夜中に。そこに紗奈は居ませんか?』
夜中? と時計を見る。時間は0時。確かに夜中だ。
「いえ、いませんが……?」
『そう……いえね。帰ってこないのですよ。連絡も無くこんな時間まで帰ってこないのは今までなかったもので。今日は一緒にいましたよね? 何時ぐらいまで一緒でした?』
「え……と……飲みの後別れたから確か九時ですね。そのまま皆、まっすぐ帰ったと思ってたんですが」
あんなことがあったから、どこかで気晴らしでもしているのだろうかと考えた。まったく連絡が無いのは少々気になるが。
『あの子、二度ほど誘拐されかかったでしょう。ひょっとしたらと思うと心配で……』
半分寝ていた一志の脳みそがオーバークロックされ、一瞬で全プロセスが起動する。
「え? 誘拐?」
『あ、聞いてません? あの子、大学入る前と七月ぐらいに一度誘拐されかかってるんですよ。幸い事なきを得てますが』
「な……」
『ですから、篠山さんというボディーガードをお願いしたのです』
なるほどと思った。いくら有名人でもボディーガードは大げさだと感じていたが、そんな理由があったのとは。
「この場合、身代金とかそんなのは……?」
『ありません。ですからどうなっているのかわからなくて……』
心配そうな母親の言葉に一志は無言で決意した。
「わかりました。心当たりを回ってみます。何かありましたら連絡しますので」
『申し訳ありません。こんな夜中なのに。よろしくお願いします』
一旦電話を切ると、紗奈に掛けてみる。母親もかけただろう。案の定出ない。
とにかく出ようと上着を拾って羽織る。帰ってきたままの格好で寝ていたので、すぐに出かけられる。
部屋を飛び出して、ふと気づいた。
(……心当たりって、どこだ?……)
自分が紗奈の細かな部分を、まったく知らないことに気づいた。一人の時の話など、プライベートな事はほとんど話していない。彼女を知っているのは、大学での彼女と、家での彼女だけだった。
(これでサプライズとか考えていたのか、俺は!)
相手のことを知りもせずに、自分の考えを押し付けていたことに腹が立った。もっとちゃんと話をしていれば。今日のことも、なんとなく五人でいたので話すのを避けてしまっていた。二人で話せばすぐに仲直りできたかもしれないのに。
「……反省は後だ」
まずは紗奈を見つけないと。
少し考え、おもむろに修に電話する。菜々美に電話して心当たりを聞こうと思ったが、電話番号を知らなかったからだ。彼なら知っていると思えた。
『もしもし?』
ちょっとくぐもった声。寝ていたのだろうか。
「夜遅くにわりぃ。ちょっと聞きたいんだけど、大林さんの電話番号わかるか?」
『?……どうした?』
「ちょっと聞きたいことがあってな」
『急用か?』
なんとなく歯切れが悪い。一志は余裕がないので、段々焦ってきた。
『勝手に教えるのもなんだしな。代わりに聞こうか?』
「急いでるんだ。新条と連絡がとれなくてな。どこか寄りそうな場所とか知らないかと」
『この時間だから家だろ?』
「それが、お母さんから連絡があったんだ。まだ帰ってきてないらしい」
『!』
修が息を呑んだのがわかった。一志の焦りも伝わったのか、電話向こうでバタバタと音がした。
『飲みの後、そのままか? おまえにも連絡は無かったんだな?』
『ん?……どうしたん?』
『ちょっと携帯見てくれ。新条さんから連絡入ってないか?』
電話越しに別の声。一志はあることに気づいた。
「ひょっとして……大林さん、一緒にいるのか?」
『あ、うんまあな』
一志は溜息をついた。こういう奴だよな、と改めて思う。
『なんていうか……送り狼って、ヤツ?』
「自分で言うな!」
思わず突っ込んだ。
『ないで。なんかあったん?』
男二人が馬鹿話をしている間に、携帯を確認してくれたらしい。
『ないってよ』
「そうか……どこか心当たりはないか?」
『心当たりな……そうだ。ナビ使え』
「は?」
『相手の位置情報がわかるやつ』
「……そんな設定してないぞ」
機能としてあるのは知っているが、あれは家族とかで設定するやつだ。他人である自分の携帯で紗奈の居場所がわかるとは思えない。
『できるぞ。設定してある』
「はい?」
『あれ、両方が設定してれば有効だけど、片方が切れば無効になるからな。前に新条さんに許可もらって遊び半分で設定してみた』
「お前の携帯にか?」
少し腹が立った。なぜかは気付かない。
『いんにゃ。お前の携帯』
「……いつのまに?」
『この間。無造作に置いてあったからな』
悪びれも無く言う。笑えた。笑うしかなかった。いつもなら一言ぐらい怒鳴っていただろうが、今回ばかりは感謝した。
「わかった。サンキュー」
電話を切ってナビの操作をする。
地図情報、違う。緯度経度、違う。近所のお買い得情報、ちがう。乗り継ぎ、チガウ。
どこだどこだと操作する。慌ててるので、時々操作自体を間違う。
はっと気づいて電話帳まで戻る。新条紗奈、設定、位置情報。あった。選択するとナビへの接続を聞いてきた。当然許可。
ほんの2秒程度で、地図がダウンロードされて表示される。
「ここは……」
目的地はわかった。一志は走りだす。だが徒歩四十分の距離。
三分後、自分の体力がたった一キロも走れないことを思い知らされる。足が、身体が重い。
大通りに出る。暗くて見えないが目的地は視線の先にあるはずだった。ただし、まだ線路の向こう側。
運よくすぐにタクシーが通りがかった。一志は両手を上げて止める。
「すみません、大平大学まで!」
「う……」
紗奈は眼を覚ました。なぜかとんでもなく息苦しい。身体もあちこちが痛い。
(どうしたんだろ……?)
いつのも寝起きのように思考が回らない。動こうとして、とんでもなく狭いことに気づいた。
「あ」
自分がうつ伏せの状態で吊り下げられていた。目の前には割れて壊れた液晶ディスプレイがあり、その向こうはコンクリートの壁、否、床だった。吊り下げているのは四点式のシートベルトだ。体重で胸が圧迫されているので苦しいのだろう。
倒れた韋駄天の下。座席周辺のフレームが曲がりながらもなんとか耐え、残った空間に彼女はいた。
手足を動かしてみる。幸い下敷きになったりはしていない。骨も大丈夫のようだ。打ったらしくズキズキするが、大怪我はしていない。ジーパンに長袖の上着を羽織っていたので、酷い擦り傷もなさそうだった。倒れたとき、あまりの恐怖に身体が硬直して下手に動かさなかったのが幸いしたらしい。
「血?」
目の前のディスプレイに赤い点々が付いていた。腕を回り込むように動かし、なんとか手前まで持ってくる。
「痛っ」
額を触ると鋭い痛みがした。目の前のディスプレイにぶつけた時に怪我をしたのだろう。血はすでに止まっているので、こちらも大きな怪我ではないようだった。
二百キロもの韋駄天の下敷きになった割には軽症だった。問題は脱出できそうにないことだが。
(! あ、やだ……)
一通り身体を確認していてようやく気づいた。
足の付け根あたりがぐっしょりと濡れていたのだ。
倒れる時か気を失っている間か、どちらか判らないが、漏らしてしまったのだった。なんとか自力で出なければ、こんな姿誰にも見せられない、と思う。
そして、さらにそれよりも重大なことに気づいた。
「韋駄天が……」
ディスプレイが割れ、フレームが歪んでいる。見える範囲だけでも無残だ。全身がどうなっているかわからいが無傷ではないだろう。
大平祭にでれなければ、予算が無くなるといっていた。それは研究が終るということではないだろうか。
「私のせいで……」
興味本位で乗ったことを激しく後悔した。
(せっかく作ったのに……)
ポタポタと涙が溢れて割れたディスプレイに落ちていく。
(私が拗ねなければ……)
そうすれば携帯電話を忘れてても、取りに来ることはなかっただろう。そうすれば韋駄天に乗ることも無かった。
(私が素直になっていれば……)
泣いたところで自体が好転するわけではない。判っているが涙は止まらない。
(私が……私が……)
自己嫌悪でどうにかなりそうだった。
バタン!
(え?)
突然の扉の開く音に驚いた。
「新条! いるか!」
声を聞いて、なお更驚いた。
今、一番会いたくなくて、そして一番会いたい相手。
(先輩……どうして……)
気持ちが耐え切れなくなり大泣きを始めてしまう。
「新条! 大丈夫か!」
倒れた韋駄天、そこからの泣き声で場所がわかったのだろう。すぐに覗き込んできた。走ってきたのか息がかなり乱れている。見れば十月の夜だというのに一志は汗まみれだ。
紗奈はしゃくりあげるだけで声が出せない。何と言ったら良いのか判らない。
「どこか怪我してるか?」
泣いているのを見て心配したのだろう。怪我は、痛みは、と聞いてくる。紗奈は首を横に振ることしかできなかった。
「待ってろ。すぐに助け出してやるからな」
一志は韋駄天から離れると、ガレージの主電源を入れる。二百キロの物体、倒れた韋駄天を持ち上げるにはガレージのクレーンを使うしかない。
クレーンを一旦下ろし壊れたハンガーを外す。太いチェーンを持ってきて、韋駄天の右肩に巻きつける。それをクレーンに引っ掛けた。
「右側を持ち上げる。ゆっくり上げるから、何かあったらすぐに声を出してくれ……手を振っても良い」
紗奈が声を出そうとしてしゃくりあげるのを見て、一志が言い直した。
「いくぞ」
ウィィン……ウィィン……
ゆっくりゆっくり持ち上げていく。韋駄天の右半身がギシギシと嫌な音を立てながら持ち上がっていく。
下に入って助け出せそうな程度まで上げたところで止める。一志はチェーンがしっかり巻きついて固定されていることを確認すると潜り込んだ。
「シートベルトが……」
紗奈の身体は今シートベルトで吊り下げられている。下手に外したら彼女は落下してしまうだろう。
「ちょっと待ってろ」
一志は一旦下から出ると、すぐに工具を持って戻ってきた。
「右下のシートベルトを切る。少しだけフレームを持って耐えてくれ」
紗奈が首を縦に振り、歪んだフレームを持つ。
ビ、ビ、ビ……
シートベルトの繊維を少しずつ切っていく。韋駄天がいつ落下してくるかわからない状況だが、一志はそれを考えてないかのように、一心不乱に作業をしている。待っている紗奈の不安はどんどん高まってくる。
「よし切れた」
一瞬ガクンと紗奈の身体が落ちたが、すぐに腕に力をいれて支えたので、落下は免れた。
一志は紗奈の両脇の下に手を入れると、引きずるように紗奈を引っ張り出す。ズルズルと引っ張り、韋駄天の下から救出した。
「ふう」
引っ張り出した紗奈を一旦床に座らせる。
「怪我は、大丈夫か?」
額の傷に気づいたのだろう、髪の毛を掻き揚げて傷口を確認しはじめた。
「ちょっと切ったかな。大丈夫だとは思うが、一応明日病院に……」
「ごめんなさい……」
紗奈はごめんさいと繰り返し口にする。それしか言葉を知らないかのように、繰り返す。ボロボロと涙が溢れ頬を伝う。
どうしたらいいかわからない。大変なことをしてしまった。それでも謝るしか判らない。
ふわっと優しく抱きしめられた。
「無事で良かった」
一言だけ。それだけで十分に一志の気持ちが紗奈に届いた。
(私は馬鹿だ……)
先ほど泣いたが、それでもいくらか理性が働いて抑えていたのだろう。一志の胸に顔を埋められたら、その理性が切れた。涙が枯れる勢いで溢れ出し、声をあげて泣き出す。
(先輩は、私を探してくれた……)
時間は判らないが、汗だくになるほど走り回ってくれたのだろう。私がここにいることなんて判るはずがないのに。
(先輩は、ずっと謝ってくれていた……)
今日のことは脅かそうとしただけではないか。それを私が勝手に除け者にされたと思って拗ねていた。
(先輩は、私の話を聞いてくれた……)
素人の大学一回生の言葉を、先輩はきちんと聞いて考えてくれた。
(先輩にとって韋駄天は大切なものだ。それなのに私を気に掛けてくれている……)
韋駄天がどれほどのダメージを受けたのか判らないが、下手をすれば研究自体ができなくなるかもしれない。
(それなのに……)
涙はいつまでも止まらなかった。
トゥルルルル、ガチャ
『はい! 新条です!』
待っていたのかだろう。ワンコールででた。
「紗奈さん、居ました」
『ど、どこでですか!』
「大学です。何か忘れ物を取りに戻ってたみたいです」
『そ、そう……良かった。もう少しで警察に連絡するところでした』
安堵が電話越しに伝わってくる。よほど心配していたのだろう。もう少し遅かったら本当に警察に連絡していたかもしれない。
『あの、紗奈に代わって貰えますか?』
「あ、今側にいないんですよ」
『? どういうことです?』
「戻ってきたらすぐに電話するように言いますので、すみませんが五分程度時間をもらえませんか?」
『は、はあ……なるべく早くお願いしますね』
電話を切る。
(まあ、大事が無くて良かった)
怪我は幸いたいしたことが無かった。額を少し切ったが、それ以外は骨折や捻挫のような大怪我はしてなかった。しかし精神的に大分まいっているようだ。泣き終わってもなお顔は暗いままだった。
(しょうがないか……)
倒れたままの韋駄天を見る。クレーンを戻してまた倒した。そのほうが安定しているからだ。
乗るところ周辺のフレームは下敷きになって歪んだものの実際それほど問題になる箇所ではない。割れたディスプレイも交換すれば良い。壊れたかどうかは動かしてないので判らないが、汎用基盤も同様だ。前を向いて倒れたので背部のタンクやコンプレッサーは無事。エアーマッスルも壊れたのがあるかもしれないが、ゴム製品なので衝撃には強いだろう。壊れた数が少ないならスペアと交換すればそれで済む。
問題は骨格フレーム。もともとギリギリの強度だったのだ。倒れたときの衝撃に耐えられたとは思えない。直すにしても、一月がかりで組み付けた部品を全て外し、修理し、また組み付けなければならない。大平祭まで後一月。厳しい時間だ。
紗奈もその考えに至っただろう。泣きながら謝り続けられた。
ガレージの奥を見る。彼女は今、そこにいる。
シャワーの音が聴覚を埋め尽くす。
額の傷は絆創膏でとりあえず応急処置しているので沁みない。身体のほうも擦り傷はないので大丈夫だった。少し打ったのか、両腕が痛かったが青染んでもいないので大したことは無いだろう。
(……身体の痛みがあったほうがマシかもしれない……)
そう思うほど、心が痛かった。
罪悪感に押しつぶされそうだった。それに加えて、泣きじゃくった後のクシャクシャの顔とお漏らしを見られて、これ以上ない程の恥ずかしさが上乗せされている。
穴があったら入りたいとは、正にこのことだ。
十月の夜にしばらく韋駄天の下敷きになっていたため、身体が冷え切っており、シャワーの暖かさは心地よかった。しかし心は冷えたままだ。
ガレージの奥に耐水カーテンで脱衣所と仕切られた簡単なシャワー室。そこに日本では馴染みがないが、給湯器にシャワーが直結したような装置がつけてあり、大き目の排水溝の上に仕切りのカーテンをつけてあるだけ。一志が入学するより前からあったらしいので、かなり年代物かもしれない。
スイッチを切ってシャワーを止める。操作は簡単だ。水温調整用の摘みと、オンオフのスイッチしかない。
カーテンを開けて脱衣所のタオルを取る。身体を拭き、一志が用意してくれた服を身に付ける。前も夕立に濡れた時にジャージを借りたが、今回はジャージが無かったので適当な服、その上、下着まで借りている。
脱衣所の横にある古びた洗濯機が、ゴウンゴウンと音を立てて回っていた。とりあえず彼女の濡れた服は今洗われている。脱水まで終ったら袋に入れて持って帰るつもりだ。
まだビニールに入っていた新品のトランクスを取り出して穿く。
(うわ、スカスカ……)
生まれてはじめてトランクスを穿いた感想。サイズが大きいのもあるだろうが、女物なら短パンでもここまで風通しは良くない。よく男の人はこれで平然としていられるものだと思う。とはいえ穿かないわけにはいかない。ティーシャツを着てチノパンを穿く。少しはましになるかと思ったが、これも腰周りが大きいのでブカブカだ。トランクスもろともずり落ちそうなので、自分のジーパンに付けていたベルトで無理やり締める。
灰色のセーターを着て袖を何度も折り返すと、ようやくまともな格好になった。何もかもオーバーサイズだがとりあえず外を歩ける程度にはなっただろう。
靴を履き、扉を明けようとして少しだけ躊躇する。扉の向こうに居る一志に会わせる顔がない。しかしこのまま立ち尽くしているわけにもいかない。
数秒の間。
ガチャ、と扉を開ける。正面は見れない。少し下を見たまま一志がいるであろう、韋駄天の側まで歩いていく。
「先輩……ありがとう、ございました」
一志を見る前に、まずお辞儀をした。どうしても正視できない。心がまいっているのが自分でもわかるが、どうしようもなかった。
「ん。お母さんが心配してたから、まず電話したほうが良い」
「あ、はい……」
置きっぱなしだった自分の鞄から携帯電話を取り出す。着信履歴を見てびっくりした。全て母親で埋め尽くされていたからだ。ほんの数分おきに掛けている。よほど心配したのだろう。
着信履歴から母親を選んで、全部母親なので選ぶ必要すらないが、コールする。
プルルル、ガチャ
『紗奈!』
「あ、お母さん。ごめんなさい。心配かけて」
『良かった。どうしたの? 大学にいるらしいけど?』
「うん。携帯電話を、忘れてて、取りに戻ったから」
話していると、段々感情が高ぶってきた。言葉と一緒に心の奥から何かでてくるようだった。
『側に荒川さんがいらっしゃるの?……もしかして何かされたの?』
「違う!」
涙声になっていく娘を心配しての言葉だろうが、紗奈の心は強く反発してしまった。
「あ、ごめんなさい。大丈夫。ちょっと……帰ったら、また、話すから」
『そう……今日は帰ってくるの?』
言われて時計を見る。
(もう1時……)
電車はもうない。タクシーを使えばいつでも帰れるが、今はそれよりもするべきことがある。
「ごめなさい。帰れない、かも……大丈夫。何かあるわけじゃない、から」
『そう? 荒川さんにあまりご迷惑かけるんじゃないわよ』
母親自身が植物と言い切った相手だ。男女の関係にはなりづらいと考えているのかもしれない。
「うん。それじゃ。おやすみなさい」
『おやすみなさい』
電話を切る。とたんに一志を意識する。二度深呼吸をした。そうしないと彼のほうを見れなかったからだ。
「すみません。終わりました」
「はいよ」
一志は倒れたままの韋駄天をあちこちから見ている。損傷具合を確認しているのだろう。時々ドライバーを差し込んだり、叩いたりしていた。
「あの……」
「ん?」
一志が紗奈を見る。それだけで言葉が喉で引っかかった。頭が真っ白になる。言おうと思った言葉が霧散した。
「……」
「お母さん、どうだった?」
「あ、あの、まあ、とりあえず、安心した、みたいです」
「そうか」
一志はまた作業に戻った。
沈黙。
紗奈は立ち尽くしていた。どうしていいかわからない。まだ罵声や怒りをぶつけてくれたほうがマシだった。空気の流れすら止まり、酸欠になっているかのような錯覚すら覚える。
「よっと」
一志が立ち上がる。一通り見たのだろう。ドライバーをブラブラさせながら紗奈の側まで歩いてきた。
「一つだけ聞きたい」
声は冷静だ。ちょっと聞いた程度では彼が平静だと思えるだろう。しかし紗奈にはわかった。これは彼が感情を押さえつけているのだと。感情ごと声のトーンまで押さえつけられているのだと。
「……なん……ですか?」
「何で、乗った?」
眼を合わせられない。自分の好奇心が、わがままが原因だから。それでも言わなければならない。非は自分にあるのだ。
「……乗りたかった、です……」
細かく言えばもう少し言い様もあるが、これが根幹だ。
一志が大きく溜息をついた。
「いつから?」
「……最初から、です……設計図を見て、私の体格に、合わないのは、判っていたので、口にださなかった、ですけど……」
淡々と聞いてくる一志がとても怖い。でも逃げ出せない。逃げてはいけない。
コン!
「痛!」
いきなり硬いもので頭を叩かれた。ちょっと遅れてドライバーの柄だと気づく。
衝撃は軽かったが、痛みで眼が潤んだ。その眼で一志を見る。彼はあきらめたような、落胆したような、暗い表情で見ていた。
「二つ言うことがある」
「は、はい」
強めの言葉で言われて、思わず背筋が伸びた。
「まず、人と話すときは目をちゃんと見ろ」
「あ……」
まるで小学生の叱られ方だ。思わず唖然とする。
「それと、誰も居ない時に乗るな。今回は幸い軽い怪我で済んだけど、手足でも下敷きになったりしたら命に関わっていたぞ」
その言葉で紗奈は一志の弟の話を思い出した。事故で重機の下敷きになり片足を無くした弟の事を。紗奈が起こしたことは、身内の大事故と重ねられる事柄だ。怒って当たり前だった。
「……ごめんなさい」
深々と頭を下げた。完全に自分が悪い。
「以上。次からするなよ」
もう一度ドライバーの柄で叩かれた。今度はかなり軽くだったので大して痛くない。
紗奈はしばらく眼を瞬いてから聞き返した。
「それだけですか?」
「ん? ああ、韋駄天のことか?」
頷く。本命はそれではないのかと思う。
「これは新条が壊したわけじゃないからな。たまたま新条が乗ったときに壊れただけだし」
もう一度眼を瞬いた。いまいち意味がわからない。
「あれ」
一志がそう言って指差した先には、いつもクレーンに付けられていたハンガーがあった。今は無残に壊れている。
「あれ、韋駄天一号から使っているやつなんだ」
「はあ……」
「韋駄天四号の重量は二百キロ。俺が乗ってだいたい二百六十キロぐらいか。新条が乗ったからといって、それより重くはならないだろう?」
それはそうだ。背丈のある一志に比べるまでもなく紗奈は細身で小柄だ。
「韋駄天一号は総重量六十キロのスチールフレームの塊だった。天王寺先輩が乗っても百五十キロは無かったはずだ」
天王寺先輩を思い出す。体躯はしっかりしていて身長もあるが、太っているわけではない。筋肉質だがどう見ても八十キロ前後だろう。
一志は困った風に頭を搔いた。
「つまり、あのハンガーは二百五十キロ程度の重さなんて想定してなかったんだよ。余裕をみて耐加重二百キロぐらいの設計はしてあったかもしれないけど」
「……つまり、作成中は、ギリギリ耐えれる、重さだったのに……人が乗ったら、許容を、超えた?」
一志は頷いた。今日の実験開始時に小さい異音を聞いたことも告げる。
「だから、新条が乗ったから壊れたわけじゃない。たぶん次に俺が乗ったときにも同様な結果になっただろう。むしろハンガーの耐加重に気付かず、異音を忘れて放置した俺のほうが悪いんだよ」
頭を思いっきり掻く。一志なりにかなり参っているらしい。
「新条さんのほうこそ怒るべき、なのかな」
「そんな……」
怒る理由なんてこれっぽっちも思い浮かばない。壊れる可能性があったとはいえ、勝手なことをしたのは間違いない。
「いえ、やっぱり悪いのは、私です。勝手なことしたのは、事実ですし。おかげで、先輩や母に、心配をかけましたし」
もう一度深々と頭を下げた。
「ごめんなさい」
「いやいや、俺のほうこそ。たまたま軽い怪我で済んだけど、大怪我、いや死んでいたかもしれない過失なんだ。こちらこそ申し訳ない」
一志も頭を下げた。
しばらくお互いに、ごめんなさい、申し訳ない、すみませんと言い合った。
「……なんか前にもあったな。こんなやりとり」
「……ですね。いつ、でしたっけ?」
下げてた頭をお互い上げる。しばらく見つめ合う。なんとなく笑いが込み上げてきた。
しばらく二人で笑い続けた。沈みきった心の防衛反応なのかもしれない。笑いが収まると、少しすっきりした。
「さて。謝り合戦はこのぐらいにしておくか」
「はい」
二人は韋駄天を見下ろした。
「少し建設的な話をしよう」
「こりゃまた。大惨事だったな」
修がガレージに来るなり大きな声で言った。
昨夜、一応紗奈が見つかったことのついでに韋駄天が壊れたことは告げてある。ここまでとは思ってなかったようだが。
「ほんま。よく無事やったね。良かったわ」
一緒に来た菜々美は紗奈の手を取り無事を喜んでいた。額の絆創膏は気になったようだが、紗奈が大丈夫と言うと納得したようだ。
一志はあえて二人が一緒に来たことと、昨夜の電話の向こうのことは触れなかった。単に余裕があまりないからでもある。
「ざっと調べたところ、フレームが逝ってる。他はまあ部品交換程度で済みそうなんだがな」
細い鉄パイプで倒れたままの韋駄天をつつく。左肩、腰部、右足の付け根、左膝を順番に。
「満身創痍だな。こりゃ」
「ああ」
「……直せるんやんね?」
一志が自嘲気味に笑う。
「時間をかければ、ね」
「大平祭まであと一ヶ月……無理か?」
「部品を外すのに一週間。すでに調整は終ってるから組み立てに二週間としても、骨格フレームを一週間で直さないとだめだ」
重い沈黙。時間ばかりはどうしようもない。
「俺や紗奈ちゃんが手伝っても、か?」
「それ込みで考えた期間だ」
実際は、紗奈や修は講義があるのでずっと手伝えるわけではない。また一志自身も少ないがいくつか講義があるので、作業できる時間は減る。どこかで無理をしないと実際の作業期間はもっと延びるはずだ。
「昨夜、いろいろと新条と話し合ったんだが、結局いい解決策はでなかった」
二人は昨夜そのままガレージに泊まりこんだ。
次の日も平日なので、紗奈は遅く帰って仕事のある母親を起こしたくなかった。
一志は歩いて帰るのが面倒だった。
という二人の意見が尊重され、ガレージに泊まることとなった。寝袋が一つだけ持ち込まれているが、十月の夜は寒い。しかしそれは大して問題にならなかった。
二人とも寝なかったからだ。寝れる精神的な余裕はなかった。
ずっと韋駄天の事を話し合っていた。どうすれば直せるか、どうですれば大平祭に出せるか等々。
徹夜して、結局良い案は出なかったわけだが。おかげで二人とも徹夜と精神疲労でかなり疲れていた。
「うーん……それは参ったな……」
修が困ったような顔をする。彼自身、韋駄天が大平祭に出るのを楽しみにしていたので、落胆気味だ。
「なあ、うちようわからんけど、骨格フレームってそんなに手間かかるん?」
菜々美が修に聞く。明らかに昨日より立ち位置が修に近い。一志と紗奈はなんとなく二人から視線を外した。
「俺はほとんど手伝ってないから手間はよくわからないけど、荒川は作るのにまるまる一月以上かけたよ」
「けど、一からなら一月以上でも、直すんならもっと短くならへん?」
「どうだろ?……荒川、その辺説明してくれ」
呼ばれて、外していた視線を戻す。
「壊れ具合はどうあれ、一度曲がったスチールフレームは使い物にならない。矯正しても金属分子自体に歪みが残るから、強度は大幅に落ちる。だから壊れた箇所を丸ごと交換するしかない。昨夜調べた限りだが、胴のメインフレーム、右太腿、左足フレームは少なくとも歪んだ箇所を溶接で切り離して新しいフレームを付け直す必要がある。それも設計図通りにならないと、また強度不足を引き起こす」
「ええと、つまり壊れた箇所は交換するてこと?」
「そう。で、交換部品はないから作らないといけない。全部を作るよりは早いだろうけど、それでも手間は掛かる。その上壊れているのが他にもある可能性が高い」
「そんなら、誰かに頼んだらあかんの? 機械科の人なら溶接得意そうやけど?」
「……実は八幡にそれを聞きたかったんだ。俺の知り合いに機械科はいないから。八幡はいそうだし」
振られて修は、しかし難しそうに腕組みしていた。
「確かに知り合いにはいるが……この時期、全員大平祭に向けて何かしら作業しているからな。俺がねじ込んだものは実習の納品物に丁度良いから、と教授が採用してくれたものだし……聞いてみてもいいが、期待はしないでくれよ」
そうだよな、と一志は頭を搔いた。予想していたとおりだ。それでも一縷の望みだったのだが。
「ほなら、町工場とかに頼んだら? フレーム繋ぐだけやったら、そんなに高くなさそうやけど」
一志と修は二人して難しい顔になった。二人とも長いこと研究しているだけあって、一度は考えたことだった。かつて相談し、そして予算との折り合いが付かないことは判っていた。
「それでも高いんだよな……」
「だよな。荒川がアーク溶接を独学で覚えたのって、それが理由だからな……」
ロボット工学科にも溶接の実習はある。しかしそれは三回生の実習内容であり、二回生から研究室にいる一志は、二号の骨格フレームを作るために、必要に迫られ独学で取得した。理由は、そのほうが安いからだ。
「ほな、手詰まりなんか……」
菜々美の声が沈む。修が宥めるが、彼の声も沈みがちだった。
「それです!」
紗奈が突如大きな声を上げる。何事かと全員が彼女を見た。
「昨日話していて気づかなかったですけど、その手がありました」
「その手って?」
「天王寺先輩の工場なら、四日でできるんでしょう?」
ああそういえばそんな話もあったな、と一志は呟く。
「でもお金が無い。二千万……あれは没の四号のか。今の四号の骨格フレームはそれより簡単な構造だけど、数百万はかかるよ」
あきらめた口調。お金の問題は彼自身にはどうしようもない、だから昨夜も言わなかったのだろう。
紗奈も言わなかった。手間の問題だと思っていたから。
「払えます」
「え?」
「数百万、いえ、二千万ぐらい、でしたら、すぐに用意できます」
「え? え? いやしかし、少ない額じゃないよ? 二千万はとんでもない大金……」
一志が当惑している。紗奈が何か勘違いをしていると思ったのだろう。しかし修はすぐに理解したようだ。
「そうか、そうだった。いや、でも、いいのか?」
「直接の融資に、問題があるなら、スポンサーになります。私のロゴ、でも入れてもらえたら、それで通ると思います」
大平大学の研究室の仔細な規則は知らないが、スポンサーの制度はあるはずだ。以前、原田教授から聞いたことがある。
「ロゴって……紗奈はん、そんなんあったっけ?」
「無いですけど……これを機に、考えても、いいかもしれません。私の作ったシステムには、必ずどこかに、『SANA SYSTEM』、って入れてますので、それ用に」
「ど、どういうことだ?」
未だに一志だけ付いていけてない。
「忘れたのかよ」
修がおいおいとあきれ口調で言った。
「彼女は、白銀のウィザード。世界屈指の情報技術者。その収益はかなりのものだと言うぜ?」
「ふうん。良いんじゃないかな。スポンサー制度はあるし、学生がスポンサーになるのは禁止なんていう規則もないし」
原田教授はあっさり承諾した。
あの後、一志は少々ごねた。弟の事故のため、金銭で解決することに言い様の無い心の抵抗があったし、そもそも紗奈に二千万なんて大金を出してもらうのに躊躇いがあった。
紗奈は必死に一志を説得した。償いたいという想い、金銭での解決に対する抵抗、時間の問題などなど。半ば泣きながらの訴えに、一志は折れた。
そもそも解決策が他にないのだから、あきらめるかどうかの二択と言って良い。あきらめるということは、紗奈に重荷を背負わせることだろう、と修に諭されたのも効いた。
決まった後、全員で手分けして動き出した。
紗奈は銀行にお金の用意を頼みに。修が天王寺先輩に連絡して工場の状態を確認してもらう。菜々美に紗奈の代返と見学を頼み、一志は教授に許可をとるため走り回って、講義に行く途中の教授を捕まえ事情を説明した。
「それよりその調子だと、レポートは厳しいかな? まとまりきって無くても良いから、四号に関するものを出して欲しいのだけど」
「……なんとかします」
「そうか。じゃ、頼んだよ」
そいうと教室に向かって歩いていく。いつも余裕を持って行動しているので、この程度は慌てる必要がないのだろう。
プルルルル、プルルルル
タイミングよく携帯が鳴った。修からだ。
『よう。そっちはどうだ?』
「今、許可をもらった。問題ないだろうって。そっちは?』
『紗奈ちゃんが銀行に掛け合ったんだが、さすがにいきなり現金二千万は無理っぽい。五百万までならすぐだそうだ。で、天王寺先輩だけど、工場のラインに空きはあるらしい。手付けさえ振り込んでもらえればすぐに押さえてくれるって』
「じゃあ、新条に頼んで振り込んでもらうのか?」
『それなんだけど、先輩が言うには、期間と金額をきちんと書類にしないと製作には入れないらしい』
「なんで?」
『さあ? 会社が、いや社会がかな? がそういう仕組みなんだろう』
自由な学生の身から考えると、なんてまどろっこしいとは思うが、先輩だからまだ融通を利かせてくれているのだろうとも思う。学生がいきなりその辺の工場に持ち込んでも、期日の厳しさもあり相手にしてもらえないだろう。
『それでな。設計図とかの確認のために、一度こっちに来るそうだ』
「え?」
『二千万の仕事だからキチンと契約しにくるとよ』
一瞬、一志の思考が停止した。修が、この場合は先輩が、勘違いをしているからだ。
「ちょっとまってくれ。四号じゃなくて、没案のほうを考えているのか?」
『さあ? けど、そんなことを言ってたぞ。来たときに話したら?』
「……まあ、そうだな。いつ来るって? 明日か?」
今日中に準備しておこうかと思った。徹夜しているので少々厳しいということもある。
『もう工場出たってよ』
「へ?」
『新幹線乗り継いでくれば四時間ぐらいだから、夕方には来るんじゃね?』
「よう久しぶりだな!」
ガレージに二年ぶりに天王寺勇武が現れた。前に会った時のような作業服姿ではなく、きちんと背広を着て、上物のネクタイをしている。また控えめながら実用と見栄えを兼ね備えた、これまた上等なビジネスバッグを持っていた。当然髭も剃り、髪もキチンと整えてある。腕時計も機械式の高価なものだ。完全な営業モード。一目見たときは勇武と判らないぐらいだった。営業して仕事を得たり、会社に仕事の話をしに行くときは、これぐらいの格好をする必要があるのだろう。
一志、修、そして紗奈が出迎える。菜々美は紗奈の代返で講義に行っていた。
背広の勇武に対して、修は普段着とはいえマシな格好だが、一志は昨日から着たきり雀のままだし、紗奈に至っては男物を着ている。彼女の服は昨夜から干しておいたら乾いていたはずなのだが、話に夢中になり洗濯機に入れたまますっかり忘れていたため、まだ乾いていないのだった。
「お久しぶりです」
「こりゃまた大変なことになったな」
倒れたままの韋駄天を指差す。骨格フレームを注文できるなら、危険を侵して持ち上げなくても、このまま分解してしまうのが安全なので、倒したまま放置中だった。
勇武が適当に鉄パイプを手に取り、韋駄天の周りを回りながらこついていく。音を聞いているらしいと気づいたのは、半周まわってからだ。
「あちこち逝ってるな。エアーマッスルがゴムだからか? ちょっとくぐもって聞こえづらいが、響き方が途切れる箇所が四箇所はあるな。左肩、腰、右足の付け根、左足の膝ぐらいか。他にも鈍い音がするから、歪みは酷そうだな」
一志が修に詳細を話したのか? と聞いたが、修は首を横に振った。思わず紗奈が手を叩いていた。さすがと言うべきだろう。工場などで品質を見抜く必要があるために、身についたスキルなのかもしれない。
「確かにこいつは作り直したほうが早いな。他の部品は大丈夫なのか?」
「はい。既製品の交換はいくつか必要ですけど、エアーマッスルのスペアもありますし、そっちは問題はなさそうです」
「骨格フレームさえ手に入れば、大丈夫と?」
「はい」
「いつまでだ?」
「大雑把ですけど一週間で作ってもらえれば、十分大平祭に間に合います」
「なるほど」
言いながら修は、ガレージの奥に入っていく。勝手知ったるなんとやらだ。作業台に置かれた設計図を見る。
「おい。これは強度不足のほうだろう? もう一つはどうした?」
「……それなんですが……」
一志は没案を作るつもりがないことを説明した。お金の問題もあるし、時間の都合もある。それにその骨格は五号で採用するつもりだった。一度没にしたため、どうしても四号で使うには抵抗がある。使ってしまったら四号でなくなるからだ。
「なら五号にすればいいだろう」
一言で返された。
「……えーと……」
「妙に固執するのは、お前の良いとこでもあり、悪いところでもある。問題のある四号より五号を作ればいいだろう? 欠陥がわかっているものを直すのは愚の骨頂だぞ」
「いや、しかし」
「新条さん」
一志の言葉を遮る。
「二千万は安くはないが、スポンサーとして聞きたい。四号と五号、どちらなら金を出す?」
「……えと……」
紗奈はちらりと一志を見た。言って良いものかどうか迷っているようだ。
しばしの葛藤。
「私は、幸い、お金がだせました。償いの、気持ちもあります……できるなら先輩の、荒川先輩の、考える通りにして欲しいです。けれど……」
「けれど?」
「お金を出すから、ではありませんが……私が、お金を出すことで、より良いもの、安全なものができるなら、そっちのほうが、いい、です」
紗奈と眼が合い、一志は黙った。安全云々を言っていたのは自分ではないか。金銭をケチって危険なものを作るのは確かに間違っている。
「節約と、ケチは違うぞ」
心を読んだかのように勇武が言う。修も口添える。
「良いものを作るなら金を出すとスポンサーが言ってるなら、それでいいんじゃね? なあ紗奈ちゃん」
「はい」
一志は頭を搔いた。正しい選択はどれか、もう判っていた。
「五号でいきましょう」
ガレージ内の雰囲気が活気づく。
「でも、その設計図は使いません」
その一言で時間が止まったように静かになった。
「ここですか……?」
紗奈は開いた口が塞がらなかった。目の前には築五十年の木造二階建てのアパートがあった。修が戦前から建ってるかもと言っていたので覚悟はいしていた。テレビなどでボロボロの木造アパートが紹介されていたのを視た事があったので、そのようなものだろうと思っていたのだ。
その期待を、良い意味で裏切った建物だった。
使ってある木材がちゃんとしたものなのだろう。かなりの年代を経ているのに、劣化どころかむしろ使い込まれて渋さがでている。手入れもキチンとされているのだろう。玄関の扉は綺麗に磨かれ、汚れや埃は一つも無く、木の部分が黒光りしていた。
明治から建っていると言っても通りそうな重厚な雰囲気を持ちながら、古さを感じさせない。近代の和の建築に、洋の要素を少し混ぜたような不思議なデザイン。まるで文化財のような建物だった。
大平大学第四男子寮。駅徒歩二十五分。大学まで四十分。六畳一間、風呂無し、キッチン、トイレ共同。建物と道路の間は狭く、そこに塀があるので自転車置き場すらない。そのためまず学生が入居しない寮だ。実際、紗奈と菜々美が知っていた寮は第三まで。話にすら聞いたことが無い。
まるで都市伝説が、目の前に現れたかのようだった。
「ただいまっと」
数少ない住人の一志が、寝袋を背負ってコンビにの袋をガサガサ言わせながら入っていく。紗奈は一瞬呆気にとられていたものの、早足で追いかけた。
中は外観に負けない、否、それ以上だった。
木の床は顔が写りそうなほど綺麗に磨かれており、壁も汚れどころか日焼けも判らないほど綺麗な状態だ。柱や階段の手すりなどは当然のように磨かれ、黒檀のような輝きすら放っている。廊下側から入り込む光りは多すぎず少なすぎず、建物の雰囲気にあった分だけ取り入れられていた。
一志が玄関で靴を脱ぎ、部屋ごとに割り当てられた下駄箱にしまう。紗奈の靴も同じところにしまった。代わりに下駄箱にしまわれていたスリッパを二足出す。どうやら素足は禁止らしい。建物に似つかわしくない百円ショップとかで売っているような粗末なものだが、彼の所有物で、役割的に十分なのだろう。
玄関を入ってすぐ目の前にある階段で二階に上がる。玄関側が廊下になっている造りで、階段も途中で百八十度曲がり玄関の真上の廊下に繋がるようになっている。少し木造特有の軋む音がするが、古い建物によくある鶯廊下のような鳴り方はしない。
踊り場で一志が窓を、外を指差した。
「綺麗……」
窓の外には庭が広がっていた。庭園といっても差し支えないほど綺麗に整えられた和風の庭。小さいながらも橋のかかった池まであり、錦鯉が優雅に泳いでいる。
庭は周囲を建物と塀で囲まれていて、出入り口は無い。おそらく唯一この建物から出入りできるのだろう。ひょっとしたらここは元々大きな屋敷の一部だったのではないかと思えてくる。周囲の宅地化と道路の整備によって徐々に削られ、今のような建物と庭の良さとはチグハグな不便さが出てしまったのかもしれない。
「部屋からこの庭が見えるのが、ここの良いところかな」
そう言って一志が残りの階段を上がっていく。二階の一番端の部屋。そこが彼の部屋だった。
入り口はこれまた重厚な扉で、開錠に使った鍵も、今時のステンレスの板にギザギザが付いたようなものではなく、真鍮製の棒に襞状の凸が付いた古い鍵だ。なんだか本当に半世紀ほどタイムスリップしたような錯覚を覚えてしまう。
「ごめん。ちょっと待ってて」
一志が言い残して扉の向こうに消える。
繁華街からも主要道路からも外れたこの辺りは、静かな住宅地だった。中で何かを片付ける音が良く聞こえる。
「どうぞ」
扉を開けて中に入る。入ってすぐが畳になっていて、入り口の場所の少しだけが板の間だった。スリッパはここで脱ぐようだ。
部屋は畳の六畳だが、収納が押入れではなくクローゼットになっており、壁や窓のデザインなど、やはり洋が混じっている。そこに鉄パイプのベッドと小さい机が置かれており、机の上には二十インチのテレビが置かれていた。机は古い木製のもので細かな装飾もあり、どうやら備え付けの一品らしい。衣類はベッドの下に並んだ引き出し型の衣装ケースに収められているのだろう。もう一つ、安物のと一目でわかるガラステーブルが置いてあり、コンビニの袋はその上に置かれていた。
紗奈も持っていた袋をガラステーブルの上に置く。見回すがあとは小さい一つドアの冷蔵庫だけ。他には何も無い。ノートパソコンすら見当たらない。クローゼットに色々押し込まれている気もするが、そこはスルーする。
「ごめん。座布団一つ無くて……適当に座って」
「あ、はい」
言われて畳の上に直に座る。掃除はそこそこしてあったらしく、埃っぽさは無かった。
「さて、どうしよか」
一志がコンビに袋から缶コーヒーを取り出しながら頭を掻く。そもそもなぜ紗奈がここに来ることになったのか。寝不足の頭で思い返す。
勇武との契約は、とりあえず仮契約という形になった。急な話であるのと、材料集めから始めるので製作に四日とはいえ、作り始めるのに数日かかるというも理由の一つだった。しかし最大の理由は、一志が設計図を書き直すと言い出したからだった。
なぜなら四ヵ月以上も前に没にした図面では信頼度が低いことと、四号から得られたデータを載せたいからだった。勇武は渋い顔をしつつも、設計作業時間はを三日とすることで承諾した。基本大きく変更はないだろうと推察できる期間であり、材料調達期間とも合致する。
一志はすぐにでも作業に取り掛かりたかったが、なにしろ徹夜明けだ。頭が回らない。寝不足で設計ミスをしては話にならないので、とりあえず一眠りすることになった。
紗奈も同様に一旦帰ることになったのだが、誰かが送らないとまずいくらい彼女はふらついていた。徹夜に慣れていないのだろう。
修が送ると言い出したが、何せ昨夜の前例がある。さすがに紗奈も承諾しかねた。
一志一人ならガレージで寝るのだが寝袋は一つしかない。そのため紗奈もガレージで寝るわけにはいかない。
またこんなタイミングで紗奈の母、桜から電話があり、急遽仕事で北海道に行かなければならないことになったそうだ。
帰っても一人になる。
まだ日は沈んでないし、家の前までタクシーを使うので危険はないが、一志は誘拐の話を聞いただけに心配だった。
しばらく話した結果、修の「なら荒川の部屋で寝てしまえ」という一言で決定された。普段なら反対する気力も意識も、睡魔の前には簡単に駆逐されてしまった。
「すみません。ご厄介に、なります」
一度欠伸をかみ殺してから、紗奈が深々と頭を下げた。
「気にすることないよ。それより、ベッドと寝袋どっちがいい? お勧めはベッドだけど」
「いえ、どちらでも。ご厄介になる身、ですし」
「いやいや。後輩の女性に寝袋で、というのも変だし、気にならないならベッドで寝て」
「……いいんですか?」
「うん……臭いとか、大丈夫だと思うんだけど……」
すみませんそれじゃ、と言って紗奈はベッドに座る。彼女はまだ一志の服のままだ。昨日の服は乾いていたけれど、着替える気力がなかったのだ。大学から寮近くのコンビニまでタクシーで来たが、幾度か意識を失うほどの睡魔だった。一刻も早く横になりたかった。
一志が寝袋を出していると、横から寝息が聞こえてきた。見ると紗奈がすでに寝ている。ベッドに座って一分ともたなかった。布団を被る時間すら睡魔は与えなかったようだ。
十月なので日が沈むと結構冷える。建物は古いが隙間風はない。それでも秋の夜は寒い。一志は起こさないように紗奈に布団をかける。
(無防備にもほどがあるよな……)
信頼されているのか、心を許しているのか、それとも何もしないと確信されているのか。なんとなく最後っぽい気がする。
(俺も寝よう。まずはそれからだ)
ベッドと寝袋の間にテーブルが来るようにして、一志も寝袋に潜り込んだ。
普段なら女性と二人きりで部屋にいる状態では、落ち着いて寝ることはできなかっただろう。しかしこの時、睡魔が彼の意識を奪うのに羊を三匹数える必要もなかった。
『図面受け取ったぞ』
電話越しに勇武の声。あれから三日経ち、新設計の韋駄天、五号の設計図をメールに添付して送ったのがついさっきだ。その受け取りの連絡だった。
「すみません。時間ギリギリで」
『間に合ったから、いいさ。それよりざっと見たが、まあ大して変更されてないな』
一志は頭を搔いた。結局三日ではできることが限られて過ぎていたのだ。修正後の強度の計算、動きの計算等、やるべきことは多い。実質修正時間は二十四時間も無かった。
「それでも四号のデータは反映させたつもりですよ」
『データと言っても、ほとんど感覚かアイデア程度だろう? 分析している時間は無かったからな』
その通り。一志は内心で同意した。それでも入れたかった仕様があったのだ。
『ま、この短時間で脱出機構の追加とハンガー無しで待機可能にしたのは褒めてやるよ』
「どうも」
それこそ一志が拘ったものだ。紗奈の事故から、自力で脱出可能にすることと、ハンガーを必要としなくなる事が必須だとわかった。そのため、この三日でそれを押し込んだ。
『これならこっちの仕様変更も最小限だ。納品は予定通り出来るだろう』
「よろしくお願いします」
『まかせろ。スポンサー様に納品時に小切手の用意を頼んでおいてくれ』
一志は、スポンサーこと紗奈を見る。わかりましたと言って電話を切った。
「どうでした?」
紗奈の問いに、一志は問題無かったことと、納金の事を伝えた。
「わかりました。銀行に、伝えておきます」
そう言って、急須からお茶を煎れてくれた。立ち上る湯気が鼻腔をくすぐる。お茶の良し悪しはわからないが、寝不足の頭に染みる良い香りだった。
ありがとうと言って一口飲む。乾いた喉に熱いお茶はなかなか格別だった。
ここは紗奈の部屋だ。設計は本来ならガレージか大学のコンピューター室で行う作業なので、実際初日はそこで作業していた。しかし大学のパソコンのスペックではCADを使った稼動範囲のチェックはまだしも、強度計算を行うには大学のサーバを借りなければならない。分散処理型のサーバの処理能力はパソコンの比ではないが、そこそこの時間を要する。同様に使用要望が多く、三日の期間では一度も借りる予約が取れなかった。
困った一志は、しかし夏休みの紗奈の部屋で見た処理能力を思い出し相談した。データを渡して計算してもらうだけでも十分だったが、彼女は是非とも使って欲しいと家に呼んだのだった。
三日という期間を考えれば、処理能力の高いコンピューターを使って作業できるのはありがたく、一志は断りきれなかった。
結果、昨日から泊り込ましてもらって作業を行い、今に至る。
「本当に助かった。ありがとう」
「いえいえ。いいんです。間に合って、良かった」
頭を下げる一志に、紗奈が笑顔で返答する。
時計を見る。十七時。納品の期限。本当に紗奈のコンピューターを借りれなければ間に合わないところだった。大学のサーバには敵わないとしても、個人所有ではとんでもない高スペックのシステムおかげだった。彼女の技術を活かすにはこのぐらいの代物が必要なのだろう。
「さて、次は韋駄天をバラさないとな」
まだ倒れたままの韋駄天の姿が脳裏によぎる。湯飲みを置くと立ち上がった。
「ご馳走様。それじゃ」
「え、帰るんですか?」
紗奈が意外そうに聞いてきた。一志は目をぱちくりさせる。
「そりゃ、終ったし。いつまでも居るわけにもいかないだろう」
年頃の男女二人が一つの部屋に居る。しかも一泊した。緊急事態として感情を押し込めていたが、理性は長居するのはよろしくないと考えている。
実際、桜にも怪訝な顔をされた。深々と頭を下げつつ、事情を話してなんとか納得してもらったが、その事情が片付いた以上、帰らなければならない。
「時間が時間、ですから、夕食ぐらい、食べていってください」
「いや、それはさすがに厚かましいよ」
「そんなこと、ないです。それに、このまま帰ったら、またコンビニ弁当か玉将、でしょう? 疲れた身体で、しかもすぐ寝ると、それだと、胃にきますよ」
「……まあ、そうだけど」
一志は頭を掻く。彼女の指摘どおり、適当に食事を済ませてそのまま寮で寝るつもりだった。
「一時間ぐらいで、できますから、食べていってください。倒れたら、元も子もないですよ。なんでしたら、そこで、仮眠を取ってください。」
紗奈は自分のベッドを指差した。疲れているのは確かだが、そこだと逆に寝れない気がする。
「い、いや、いいよ」
「でしたら、居間のソファとか、どうですか? 待っている間、テレビを見てもらっても、構わないですよ」
何が何でも食べてもらうとう意思が伝わってくる。
少し厚かましく考えれば断る理由は皆無なのはわかっていた。彼女の作る食事は非常に美味しい。身体にもいいだろう。向こうから言っているのだから断ったらむしろ失礼な気もする。それでも一泊二日、コンピューターを使わせてもらい、何かと世話を焼いてくれてた彼女に、さらに食事を用意してもらうのは申し訳なく思ってしまう。
黙っていると、不意に紗奈が視線を外した。
「……ほんとうに、ご迷惑なら、いいんですけど……できれば、食べていって、欲しいです……」
一志は折れた。
次の日から韋駄天の分解作業が始まった。
ガレージで一志一人が黙々と作業を続ける。
修は講義が終ったら顔を出すと言ってた。紗奈は手伝いたそうだったが、見学期間はともかく、それが終れば一回生はほぼ一日埋まるだけの講義がある。彼女は代返で済まそうとしたが、一志がそれを許さなかった。実際彼女は協力者という立場にある。研究室的に講義まで休まれては問題だった。そう指摘すると渋々頷いてくれた。
が、講義以外なら問題ないですね、と次の日にはスポーツバッグに着替えと生活用品を押し込み、買ったばかりの寝袋を抱えて押しかけてきた。
一志はガレージに泊り込む気だったが、紗奈もそうするつもりのようだった。唖然としつつも一度は帰るように諭した。しかし、一日中講義があり手伝えるのは夕方以降になること、手伝うと暗くなるので夜道が危険なこと、むしろガレージに泊まるほうが安全で何かと都合が良いことなどなどで反論された。論破しようとしたものの、大平祭までの期間限定ということで、またしても一志が折れた。実際、猫の手も借りたいほどの状況なのだ。
分解作業は最初こそ牛歩の歩みだった。解体と違い、分解した部品はそのまま五号に使うので、丁寧に外さなければならない。またモノによっては動作確認も必要だ。エアーマッスルは一度空気を入れて抜けないか確認しなければならず、弁や耐圧チューブも同様だった。
それでも要領がわかってくると随分はかどった。分解前に部品にタグを付けていちいち順番を整理する手間を省き、動作チェックも耐圧チューブはまとめてジョイントに繋げ水につけて穴を探す等、作業を最適化してく。倒れているので下敷きになった前面は分解しづらい。そこは部分部分をクレーンで持ち上げたり、フレームごと外して別途分解したりした。
一週間後、ガレージには箱に入れて積み上げられた部品の数々と、無残にところどころ歪んだり折れたりしている骨格フレームに分けられた。
「……これを修復することを止めてよかったな」
「ですね」
一志が呟く。紗奈も同じ意見だった。
骨格フレームは予想以上に痛んでいた。最初から判っていた四箇所が折れているのはいいとしても、倒れた衝撃を受け止め吸収したからか、ほぼ全身が多少の差こそあれ歪んでいた。もともと強度に問題があるのは判っていたが、これほど脆いとは予想外だった。
「おーす」
しばらく四号の骨格フレームを眺めていると修がやってきた。手には大きな袋を持っている。
「外装パーツ、もらってきたぞ」
袋のまま他の外装パーツを置いてあるガレージの端に置く。これで四つ目。両手、両肩が揃った。あと両足用に四つあるそうだ。
素材構築の実習用に修が教授に提案して採用された案。実習自体は人数の関係で数人ずつのグループに分かれて行うが、設備の関係で一斉には行えない。そのため週ごとにグループが入れ替わる。そのためそこそこ複雑で、前のグループのが使いまわせないものが必要だった。四部位、左右反転で八つ。設計図在り、評価後の作品の回収も無料で有りという条件はうってつけで、八グループ分の設計図で頭を悩ませていた教授は、修の提案を採用したのである。
精度は学生の実習なのでいまいちな部分はあるが、飾りなので十分だった。白地なので色でも塗れば見栄えがするだろう。
「あと四つ、あるんですよね……大平祭まで、あと三週ですけど、間に合います?」
「ああ、そこは大丈夫。もう六つ目まで教授のところにあるよ。単に評価前だからもらってこなかっただけ。大平祭までには全部もらえる約束をしているし。それより天王寺先輩から連絡があったぞ」
「先輩から? 八幡に用事か?」
一志の言葉を聞いて、修が溜息と共に首を横に振った。
「お前が全然電話に出ないからだろうが」
「え?」
慌てて置いてあった携帯電話を見る。確かに履歴に五回の着信があった。
「あちゃ……しまったな。で、先輩は何て?」
「納品に来るってさ」
「そうか。いつ?」
「今何時だよ?」
「ん? 四時すぎだが?」
「俺が最初に連絡受けたのは昼前だが、すでに高速を走ってるって言ってた。さっき連絡を受けた時は、もうじき着くという連絡だった」
思わず一志と紗奈が顔を見合わせた。と、いうことは?
その時、見慣れないトラックが坂を上がってくるのが見えた。電気駆動の二トントラックが、静かにガレージ前に停車する。その側面には「韋駄天工業」と書かれていた。
「わ!なんかすごいな」
講義が終わり、ガレージに寄った菜々美は感嘆の声を上げた。
ガレージの前にはトラックが停まり、そこから四人の男性によって梱包された部品が運び出されていた。いつものどこか長閑な場所が、いきなり商業的な雰囲気に包まれている。
「こんにちは~」
菜々美が挨拶すると、四人が一斉に彼女を見た。一志と修、勇武と知らないおじさん。口々に挨拶を返してくれる。
「あ、こんにちは」
奥から紗奈も姿を見せた。手にはクリップボードを持ち、ボールペンを握っている。納品物のチェックをしているようだった。
「これが韋駄天のフレーム……ですか?」
近づいて見て、菜々美は違和感を覚えた。透明なエアークッションに包まれているが、綺麗に巻かれているので中身が多少見える。無骨な黒いスチールフレームを想像していた彼女にとって、白いそれはフレームに見えづらかったのだ。
「そうだよ。持ってみな」
修が開封していた五十センチほどのそれをひょいと渡す。太さが結構あり、菜々美の手では持てるが握れない太さだ。重さを予想して両手に力を入れて受け取った。
「うあ、軽い!」
力を入れすぎてて、思わずフレームを眼前まで持ち上げてしまった。
真っ白な色と微妙なカーブ。部分部分に工学的なボルト用の穴があったり、角ばった構造物が出ていたりするが、全体のイメージは骨に近い。
「材質は、スチールじゃなくて強弾性セラミックファイバーっていうやつ。簡単に言えば伸びるセラミック繊維をまとめたもの。動物の骨と同様に微妙な隙間があって、見た目よりは軽い。それなのに強度、耐久力はスチールの五倍近いという代物だよ」
「へぇ」
菜々美は情報工学科なので、材料工学はまったく関わっていない。こんなものもあるのかと、ただ驚くだけだ。
「もっとも加工難度は高くて、専用の機械がないとまともに成型できないのが、最大の問題点かな」
「ということは、天王寺先輩の所では、加工する機械があったってことですか?」
「おう」
勇武が最後の一つを地面に置きながら応える。
「こういう他が加工できないものを加工できる設備は売りになるからな。注文は頻繁にはないんで一ラインしかないが、丁度空いていたのは良かったよ」
「おかげで、間に合いそう、です」
紗奈が最後の一つを確認して書類に印を付ける。問題なし。最後に一志が書類にサインする。納品終了だ。
「それじゃ、これで」
紗奈が懐から封筒を取り出す。中身は千五百万円の小切手だった。大事なものなので、銀行からずっと懐にしまってあった。五百万円は先払いしてあるので、これで合計二千万円。
「・・よし。確かに」
勇武が納品書と小切手を確認して、領収書を切る。
「これで契約完了だ。仕事をいただき、ありがとうございました」
深々と頭を下げる勇武に、紗奈が慌ててしまう。
「いえ、あの、私は、お金を出しただけ、ですから……」
「お金を出す人が、一番偉いんやで」
菜々美の言葉に一志が笑う。勇武が大きく頷いた。
「さて、あとは組み立てだな……っと、ハンガー直してないのか?」
壊れたままのハンガーがガレージの片隅に置かれている。溶接箇所がまるごと引き剥がされているのが痛々しい。
「分解するのに精一杯で、直している暇が無かったんですよ」
「そうか……なあゲンさん」
ゲンさんと呼ばれたおじさんは、トラックの荷台の片付けをしていたが、呼ばれて「なんです?」と聞いてきた。
「悪いけど、ちょっと溶接してもらえないか?」
「いいですよ。ガスかアーク、あります?」
一志が慌てる。そこまでしてもらうことは無いと思うのだが、勇武がサービスだと言って勝手にガレージの奥からアーク溶接用の工具一式を持ってきた。
「じゃ、ちゃっちゃとやりますかね」
てきぱきと用意して溶接を始める。
「ゲンさんは溶接工でな。キャリア三十年のベテランさ」
勇武が言っている間に、火花を散らしつつ剥がれた部品を付けて行く。学生がする溶接と異なり、無駄もムラも異音も無い。見てる間に壊れたハンガーはキチンと直された。
「すげぇ」
一志と修が驚く。自分達が四苦八苦して行う溶接作業を、まるで苦もなく終えてしまった技量に対し、ただただ単純に感動した。
「耐加重も前よりあるだろうよ。これで組み立て作業できるな」
「ありがとうございます」
一志が深々と頭を下げた。ゲンさんは、はははと笑いながら、てきぱきと片付ける。
「それじゃ、私はこれで」
ゲンさんが一礼してトラックの荷台を片付ける。ほとんど終っていたのですぐに運転席に乗りこんだ。勇武もそれに続いて助手席に乗り込む。
「本当は、組み立てもしたいんだがな。明日も仕事なんでな」
「いえいえ。十分です」
トラックは発車する。勇武が手を振りながら去っていった。
骨格フレームの組み立てはスムーズに行えた。四号のフレームは製作者は一志だったので、技術不足で発生した微妙なズレがあり、それを修正したり補正したりするのに余計な時間がかかった。しかし五号のはさすがは商品。まるでプラモデルを組み立てるかのようにパーツが嵌っていく。ほんの二時間で組みあがり、ハンガーに引っ掛けてクレーンで持ち上げる。
「……恐竜の化石みたいや……」
菜々美の感想が的確にそれを表現していた。
白いフレームで組み上げられた韋駄天の骨格は、まさに骨の標本だった。微妙なカーブと、エアーマッスルなどが付いてないせいもあるが、四号よりも各部がスリムになっているので、なお更生物的な印象がでている。
「結局、力学を突き詰めていくと、ロボットは生物に近づくんだよ」
一志の台詞に、修が聞く。
「だれの言葉だ?」
「だれか。論文か何かで読んだ……と思う」
「まあ確かに、そうですよね。生物って、何億年も、試行錯誤して進化してきたわけ、ですから、ノウハウの、塊、みたいなもの、ですよね」
紗奈が頷く。
「これって、前より強いんやんね?」
菜々美にはどうしても見た目の印象から強そうに見えないのだろう。
「かなりね。シミュレーションでは、走るだけじゃなく、跳んだり跳ねたりしてもまったく問題無かったよ」
走っただけで足が折れるシミュレーション結果だった四号とは、桁違いの強度になっている。強度不足の心配はもはや無くなったと言って良い。
大平祭まで後三週間。なんとかなりそうだ。
「最後通達、だとよ」
部屋に入ってきた男が、そう言いながらソファに座った。
潰れたカラオケボックス。その奥の部屋に男達は居た。防音のため窓は無く、電気も来ていない。暗い部屋の中、電池式の電灯を置いて明かりにしていた。
こんなところに集まっている時点で真っ当な人間ではない。社会に適応できずにあぶれた者同士が徒党を組んでいるのだ。
「最後……ですか」
帽子を被った男が呟く。まだ若いが、どこか粗暴な感じがする。それでも目の前に座ったスキンヘッドの男に比べれば、おとなしく見えた。
「……そう」
離れた場所で携帯ゲーム機で遊んでいた男が、一言だけ言い、ゲーム機に視線を戻す。極めて無愛想で、大して関心が無いらしい。
「代わりにこんなものを渡された」
スキンヘッドが机の上に包みを置いた。ゴトっと音がして、結構な重さのものだと思える。
「?」
帽子の男が包みを恐る恐る開いていく。手ごたえから金属の塊のようだ。
「!」
中身を見て息を呑んだ。
拳銃が二丁。それと弾をまとめた小さい包みが一つ入っていた。
「すげぇ……」
細かい銃の型番とかは判らないが、上部がスライドするオートタイプの拳銃だ。薄明かりの中でもはっきりわかる金属の質感に圧倒された。
ゲーム機で遊んでいた男が、近寄ってきて無造作に持ち上げた。なかなか手馴れた手つきで弄繰り回し、マガジンを取り出す。マガジンを見ればモデルガンではなく、実弾を込める本物だと判る。それを確認したらしく、すぐに戻した。
「……いわゆるトカレフ。質は良くない」
評価を一言だけ言うと興味をなくしたのか、またゲーム機を掴んで離れた場所に座った。
「殺すわけじゃないからな。あの護衛の女を脅せればそれで良い」
腕力も刃物も敵わないが、これなら近づかれる前に倒せる。
「で、いつやります?」
「……最近、大学に篭っている。登下校中は狙いづらい」
「ああ……けど、もうじき大学の学園祭がある。それのロボットのショーに出るらしい。学園祭なら出入りのチェックも警護も緩いだろう」
「ですね」
スキンヘッドの言葉に、帽子の男は同意する。もう一人はゲーム機を見たまま無言。
「今度こそ、攫ってやるさ」




