第二章 新入生
第二章 新入生
4月。
大平大学の入学式が執り行われた。
大勢のスーツ姿がキャンパスのあちこちで見られた。記念撮影をする者もいれば、各校舎を見て回っている者、旧知なのか集まって楽しそうに談笑している者、式の後はさまざまな流れが生まれていた。
紗奈はその中に居た。晴れてこの日から大平大学工学部ロボット工学科の一回生となった。
実は大学側は少々ごねた。彼女を情報工学科に欲しかったからだ。しかしすでに自他共にトップクラスの技術を持つ彼女が、この学校で学ぶ事があるとは、彼女自身考えづらかった。もちろん情報技術が日進月歩なのは理解しているが、その分は今までのやり方でついていける自負がある。
「あの……どこまで、付いてくる……ですか?」
紗奈は自分の後ろを振り返った。言葉がつっかえる。いつも一人でいたから、しゃべること自体が慣れていない。
彼女は小柄で細い体に、安物のリクルートスーツを着ていた。スカートにパンプスという、今この場所では女性に一番普及している格好で、新入生の雰囲気を纏っていた。アルビノ特有の白髪と眼の赤さが一種異様ではあるが、その他大勢とさほど違和感はない。日除け用に日傘を持ってきたが、曇っているので差していないのでなおさらだ。
しかし彼女が話しかけた相手は、女性ながら男顔負けの長身で引き締まった身体を高級そうなスーツで覆い、靴は本皮ではあるが動きやすい濃い色のレザーシューズ、さらにサングラスをかけるという、およそこの場所にそぐわない格好をしていた。
「護衛ですから、どこまでも」
護衛と称した二十代半ばの彼女は、硬くはないが、柔らくもない、まさに無機質な口調で応える。
彼女の名は篠山夕。大学側が雇った紗奈専属の護衛である。
『護衛なんて、いりません』
と一度はごねたが、世界的に有名なプログラマーであること、そのプログラムの権利権による収入で億万長者になっていること、さらにか弱い女性であること、実際に一ヶ月前に誘拐騒ぎがあったことなど不安要素が多く、大学側が無用なトラブルを嫌い彼女を雇ったのだ。
「……事務手続き、だけして、帰ります……家まで、来る、ですか?」
「護衛ですから」
紗奈はため息をついた。夕からはこのように事務的な返答しか返ってこない。それが朝、家を出てから今までくっついているのだ。楽しい会話を望んでいるわけではないが、気が滅入ってしまう。
一号館、別名「事務棟」と言うらしい、に向かう。
紗奈の真っ白な容姿や護衛を連れていることから、時々妙に視線を感じる。しかし決して話しかけたりはされない。紗奈は多くの同じ新入学生の中で、多大な疎外感を覚えていた。
「え~と、17R112と……原田さんですね。こちらが書類一式になります。提出期限が書類によって異なりますので、ご注意ください」
一号館の一階、事務の受付などがある場所に臨時に机を並べて、アルバイトの在学生が各学科の受付をしている。
その中のロボット工学科の受付で、荒川一志は受付のアルバイトをしていた。
「もっと沢山くるかと思ったら、意外と暇だな」
一志の横の男が、だらしなくパイプ椅子に腰掛けながら呟いた。入学式直後だからか、書類、履修申込書や健康診断の申し込みと講義の説明等、を受け取りにくる新入生は少なかった。今日中でなくても受け取れる事も、人の少なさに拍車をかけているのだろう。
「八幡、暇なのはわかるけど、もうちょっとちゃんとしたほうがいいぞ」
一志が軽く注意する。彼の名は八幡修。一志と同じ学部の三回生である。一志は彼に誘われてこのアルバイトを申し込んだ。普通のバイトより日当は低いが、なにぶん楽だし、拘束時間を考えれば時給は悪くない。競争もそこそこあるはずだが、修は結構顔が広く、コネやツテをうまく使って確保したらしい。
「今年も男が多いな。もうちょっと華やかにならないものかね?」
修が名簿をピラピラさせながら言う。セキュリティのため、アルバイトにコピーが容易な電子データは渡されない。そのため昔ながらの紙を手渡しされた。
「それなら情報工学科の受付しろよ。あっちは半分女子だろ?」
「それはさすがに無理。別学科は人手がない限り捻じ込めん」
そういうもんか。簡単に答えて、やってきた新入生の対応をする。学生証を見せてもらい、リストに印をつけて、封筒にまとめられた書類の束を渡して期限の注意を言う。簡単な仕事だ。
「当てが外れたかな」
「当て? 当てなんてあったのか?」
修が女性目当てでこのバイトをしているのは明白だ。おそらく一志が誘われた理由も、単に知らない人間と組んで受付業務をするとナンパできないからだろう。
「知らないのか? 白銀のウィザードがロボット工学科に入学したのを」
「ああ、それか」
今年の初め、つまり昨年度の終わりに一時期ネットで話題になったことだ。世界的なプログラマーが二流の私立大学の、しかもロボット工学科へ入学したと、コンピュータ系のウェブニュースで結構取り上げられていた。
「別にいいだろ。誰がどこの大学のどの学科にいこうか、俺らに関係あるか?」
「あるに決まってるだろ!」
一志のドライさに、修は信じられないと声を出す。半分は演技だ。一志のこの性格を修はわかっている。
「そりゃ別の大学に入ったならまあいいさ。けど同じ大学、同じ学科だぜ? 写真も結構美人だしな」
「ふーん」
あまりの無反応さに、少々面食らう。
「……美人だってとこぐらい同意してくれよ」
「知らん」
「は?」
「見たことないから、知らん」
修は絶句した。さすがにここまで無関心とは思ってなかった。確かに現在の日本の法律上、未成年の写真をネットに載せるのはご法度だ。しかしそこは無法地帯のインターネット。海外サイトに掲載されたものなどが個人的にアップされていたり、掲示板にリンクが張られてたりして、ちょっと調べる気があれば簡単に見ることができる。
つまり一志にとっては、ちょっと調べる気にすらならない事柄だったということだ。
「機械馬鹿もここまでくると、救いようがねぇなぁ」
修が自分のスマートフォンを弄りだした。彼女が写った画像の一つでも探し始めたのだろう。
メールの着信音がしたので一志も携帯を取り出した。こちらはガラパゴスとも言われる類の携帯電話だった。
「まだそんなの使ってるのかよ?」
「……コンピュータは怖いしな。それに別に困らんぞ?」
ネットやアプリを活用しないのなら、確かに機能は十分だろう。一般にはネットやアプリは活用すべきものだが、その必要が無い人、そう考えない人も一定数いるため、この手の携帯電話はまだ現役だった。
「メール、誰からだ?」
「ポイントカードの広告」
「……」
修は、一瞬でも一志の女関係を期待した自分に落胆した。
(本当にコンピューター嫌いの、機械馬鹿だからなぁ)
幾度か合コンにも誘ったが、流行の話も、芸能人の話も、ブランドや衣服、食べ物の話等、およそ女性の気を引く話がまったくできないため、当然良い話になりようがなかった。一志に女関係が発生する確率は、どこかでニュートリノが原子に衝突するよりも低そうだった。
「で、見つかったか?」
「待てよ。もうちょい……」
一志と修が話していると、一人の新入生が前に立った。
「あの……ロボット、工学科……は、こちらですか?」
「あ、はい。そうです。学生証を提示していただけますか」
一志が反射的に応える。修が相手を見て硬直してることには気づかなかった。
そのスーツを着た新入生は、この学科には珍しい女性だった。そして、まるで護衛のような長身の女性が後ろに控えるように付いている。何より彼女の髪は真っ白だった。
「……17R067、新条紗奈、です」
一号館に入ってから、周囲の人の視線を感じていた。
(嫌、だなあ……)
真っ白な髪という目立つ容姿をしているのはわかっている。有名なプログラマーであることも自覚している。今は護衛も連れているのでなおさらだろう。
しかし、人の好奇な眼にさらされるのは慣れなかった。自分自身に何か問題があるのでは、不備があるのではと考えてしまう。孤独感を、注目を浴びることで益々強く感じてしまう。
(さっさと帰ろう)
それだけを考えることにした。多くの新入生は、友達を作ったり、サークルや部活の勧誘を受けたりしているが、知ったことか。私には不要だ。
「あの……ロボット、工学科……は、こちらですか?」
「あ、はい。そうです。学生証を提示していただけますか」
受付の男性が事務的に応答する。
「……ぃ……17R067、新条紗奈、です」
「はい。ちょっと預からせてください」
男は学生証を受け取ると、手元の新入生リストから探して印を付ける。
(あれ? この人……)
周囲に注目されている状態なのは理解している。男の隣に座っている同じ受付をしている長髪の男は、あからさまに驚いた表情をしていた。それなのに受付の男はまったく気にした素振りがない。それは真っ白な紙に、黒い点が付いたような違和感を感じさせた。
「17R067と……新条さんですね。こちらが書類一式になります。提出期限が書類によって異なりますので、ご注意ください」
何事も無かったように学生証と一緒に書類の入った封筒を渡された。
それだけだった。
(もしかして、知らない?)
自分が工学では有名人だと自惚れていたが、ひょっとしてこの人は知らないのではないだろうか。また真っ白な髪も気にしてないようだ。
(あ……)
むしろ紗奈のほうがこの男を知っているのに気づいた。
「韋駄天の……」
オープンキャンパスで転んだパワードスーツ。見学に来た学生が撮っていたのだろう、映像がネットに上げられており彼女は何度も見た。搭乗者の顔ははっきり写ってなかったが、繰り返し見たためイメージが脳裏に残っていたらしい。受付の男性とそれが繋がった。
「え? ああそうです。良く知って……ネットの映像ですかね」
「え、あ、はい」
オープンキャンパスで直に見ているのだが、ネットの映像なのも確かだ。
「引っ繰り返った映像で、お恥ずかしい。ちゃんと歩ける三号を研究中なんで、完成したら見てやってください」
「あ……はい……」
是非に、といいたかったが、口ごもってしまった。
何か言おうと思ったが、何を言っていいかわからなかった。
「ロボット工学科の受付はどこだ?」
「この辺じゃね?」
後ろからの声。見ると五人ぐらいの集団がこちらを目指して歩いてきていた。
「あ、あの……」
(何してるの? 私……)
男のほうもちょっと怪訝そうに見ている。何か話したいが、話すことが思い浮かばない。
(何か、何か、何か……)
ぐるぐると、思考が無限ループに入る。
自分が何をしているか、益々わからなくなっていく。
「あ、新条紗奈だ」
集団からの不躾な言葉を聞き、我に返る。振り返るとすぐ後ろに来ていた。
反射的に踵を返すと、封筒を抱えて受付の前から移動した。逃げ出すように。
(あ、馬鹿)
話の途中だったのに、失礼なことをしてしまった。周囲も見ていたはずである。恥ずかしさのあまり、駆け出したかった。
一瞬だけ振り返る。
全員がこっちを見ていた。実際は全員ではなかったかもしれないが、多くの人が見ていて、そう思えてしまった。
つらかった。
(私は、どうして、いつも……)
気持ちが沈む。孤独感を超えて罪悪感が圧し掛かってくる。
ふと見ると受付の男が軽く手を振っていた。顔が微笑んでおり、振り方も優しかった。
(ありがとう)
無意識に頭を少し下げていた。少しだけ救われた気がした。
「一志、うまいことやりやがって」
集団を捌いたあと、修が言ってきた。
「なにが?」
「あの白銀のウィザードと話した上、韋駄天をダシにしやがって」
「ダシもなにも、向こうから話してきたんだろ?」
一志は不思議そうに応える。
「たく、機械馬鹿だな。彼女、韋駄天が気になってるみたいだぜ?」
「ほんとか?」
韋駄天に興味があると言われて食いついた。
「俺もネットの韋駄天の映像は見たけどよ、ほとんどお前の顔なんて映ってないんだぞ。それなのに気づいたって事は、結構な回数見ているはずだ」
「なるほど。プログラマーなのにロボット工学科に来たのは、そういう理由なのか」
「……」
絶句。
「お前じゃあるまいし、そんな事あるか」
修があきれる。一志が此処に入学した理由が韋駄天そのものなのを知っている。が、そんな変人が二人も三人もいるはずはないとも思っている。
「ところで」
「?」
「結構可愛かったろ」
修の言葉に、一志は素直にうなずいた。
入学式が終わり、講義が開始される。とはいえ、履修する講義を選ぶための見学期間が一週間あるため、本格的な講義は来週からとなる。
新入生にとっては最初の執念場だ。二回生以上はそれまでに情報を集められるし、サークルや部活に属している者は上級生から講義や講師の仔細を聞けるので、この期間はほとんど最後の確認程度の意味しかない。しかし新入生にはそれらがない。一部、サークルや部活の見学時に教えてもらったりはできるが、情報としては少ない。またほとんど必須科目とはいえ選択肢はそれなりにあるし、できるなら厳しい講師、単位の取りづらい講義には当たりたくない。そのためほとんどの新入生にとっては真剣な期間だった。
同時に二回生以上にとっても、サークルや部活の勧誘が活発な時期であり、ある意味学校全体が活気づく時でもあった。
「ラクロス、興味ない?」
「半分飲みサークルなんだけどさ、どう?」
「テニス、運動場の横のコートでやってるから、見学に来てよ」
「遊びのサークルでさ、花見から海、紅葉狩り、スキースノボーまで、季節に合わせていろいろするよ」
エトセトラえとせとら。
紗奈は大学の門をくぐってから校舎に入るまでに、実に二十近い勧誘を受けた。太陽光対策の鍔広の帽子に色眼鏡を掛けていても隠し切れない、白髪と赤い眼という容姿的に目立つ要素もあるせいか。鞄に入れるまもなく次々に渡されるので、十何枚もの案内用紙を手に持ったままだ。
門をくぐるまで差していた日傘も、人込みのため差していられず、また片付ける事もできずに用紙と一緒に手に持っていた。
とにかく人が多い。紗奈にとっては、生まれて初めてかもしれない密度だった。
普通に歩いた時の三倍ぐらいの時間をかけて、目的の校舎にたどり着く。校舎に入ると勧誘がピタリと止まった。どうやら勧誘活動をしていいのは校舎の外だけらしい。
(つ、疲れる)
登校一日目でいきなり弱音が出てしまった。勧誘もそうだが、このごった返す人込みも、集団に慣れない紗奈には疲れの原因になる。しかもキャンパスが高台にあるため、駅から正門をくぐるまでにかなりの段数の階段を登ってきていた。勧誘を受け始めた時点で体力が限界に近かったのも、弱音の一因だった。
「飲みます?」
夕が小さなペットボトルの水を差し出してきた。見た目にも弱っているのだろう。
彼女も護衛として紗奈と同様に歩き、人ごみを抜けてきたはずなのに、息一つ乱れていない。運動らしい運動をしてこなかった紗奈とは基礎体力が違うのが良くわかる。
「だ、大丈夫、です」
強気に断ると、持っていた紙類を鞄に押し込んで、目的の教室を目指した。
そして四階建ての校舎にエレベーターが無いのを知って愕然とした。
(つ、疲れた……)
なんとか四階の教室に辿り着き、空いている席に座ると、どっと疲れが出た。四月初めの陽気な日とはいえ、まだ肌寒さが残る気温なのに汗もかいていた。眼鏡を外して思わず帽子を団扇代わりにして仰ぐ。
大平大学は他の大学と同じで、講義によって生徒が部屋を移動する。高校までのように定まった席があるわけではないので、その日必要な教科書や筆記用具等は、全て持ち歩かなければならない。校舎は山のほうのも含めると十以上あり、当然校舎間の移動もある。
幾度もあの人ごみを抜けるのは疲れるし、さらにここのようにエレベータが無い建物もあるだろう。講義を取れるだけ取るつもりだったが、いきなり心が折れそうだった。
夕がトンと先ほどのペットボトルを目の前に置いた。彼女は紗奈の隣に座っている。見るともう一本同じペットボトルを懐から取り出し蓋を開けて飲み始めた。
目の前で水を飲まれると、意識してなかった喉の渇きが、一気に自己主張をはじめたのが判った。
「あ、あがとう、ございます」
紗奈はペットボトルの蓋を開けて中身を口に含む。ただの水だが心地よく喉を通っていく。
(明日から水筒を持ってこようかな……)
半分を一気に飲むと、代金を払うために財布を取り出そうとした。しかし夕は手を振って不要だと言った。彼女的には護衛対象が倒れられると困る程度の配慮なのかもしれない。
次々に学生が入ってきてどんどん席が埋まる。しかし微妙に避けられていると感じるのは思い込みだろうか。いつまでたっても隣の席が埋まらない。声を掛けようかどうしようかという男子のヒソヒソ話も聞こえてきた。
(やっぱり学校って嫌だな)
不登校をしていたころの感覚がもどってくる。何かが人と違う故に受ける圧力は、直接精神を圧迫する。学校以外でもこの白い髪と肌は付いて回る。結局家にいるのが一番楽だった。
「すいません。隣、よろしいですか?」
そんなネガティブな考えとは無関係に、普通に声を掛けられた。
この教室の机は三席を一つの机にしてる。左右どちらがどかないと真ん中の席に座れない。
「ぁ、は、はい」
紗奈が立つと、女性は一礼して真ん中の席に座った。
ノートや筆記道具を出して用意してるのを見ていると、彼女がこっちを見て眼が合った。
「新条紗奈さんやんね? 情報工学科の大林菜々美いいます。よろしゅう」
そう言って、いきなり握手を求められた。
「は、はあ」
面食らいながらも握手に応じると、手を離す前にブンブンと振られた。
「ロボット工学科やってな。噂聞いてびっくりしたわ。情報工学系の人やと思ってたから。ああ気ぃ悪ぅせんといな。人がどの道進もうがその人の勝手やんな。興味持ったことしたらええと思てるし」
「は、はあ……」
「なんやなんや、ほんまこっちの人はしゃべらんな。静かなほうがいいんかいな。ええやん、賑やかなほうが」
眼鏡をかけたショートカットの女性、いや少女のほうが近い、だった。しゃべりに合わせて両手と頭が忙しく動く。ほぼ無意識なのだろうが、紗奈にしたら言葉は多い、速度は速い、見た目の動きが大きい、と処理能力を超えるインプットを押し込まれたような感じだ。もともと話すのは不得意だが、アウトプットする以前に脳が処理しきれない。
「お、講師入ってきた。ほなまた後で」
シュタっと手を挙げた挨拶を最後に、ピタリとしゃべりをやめた。いきなり静かになった気がする。
(な、なんなんだろう。この人)
彼女、大林菜々美は、話し方のとおり大阪から親元を離れてこちらの大学にやってきたタイプの学生だった。もともとパソコンとかが好きで、独学でプログラムもしていたらしい。大学もその方面を考えていたが、国公立は軒並み落ちてしまい、寮がある等、条件が良かったこの大学を受けたのだという。
なぜ彼女のプロフィールをこんなに詳しく知っているかというと、講義の後、なんだかんだと話をして離れなかったからだ。さらには次の講義も同じだったらしく、一緒に受けていた。
「いやぁ、地元から離れてぜんぜんわからんわ、知り合いもおらんわで、どうしようかと思てたんよ」
「は、はあ」
ほとんど一方的に菜々美のほうから話し続けている。紗奈は彼女の話に付いていくのが精一杯で、相槌以外まともな応答は返せていない。しかし彼女は相手の素性がわかっているからか、曖昧な相槌でも話すのに問題ないようだった。
「ところでこちらはどちらさん?」
ようやく気づいたのか、紗奈に付いている夕のことを聞いてきた。
「護衛だ」
夕がいつも通り簡素に応える。
「ほう、すごいな。さすが有名人」
かなりオーバーアクションでわざとらしいが、菜々美にとっては普通に驚いたらしい。今までの話し方で、なんとなくそれがわかる。
「で、次、講義あるの?」
「あ、え、えと……無いです」
「私もやねん。ちと早いけどお昼にせえへん? ほら、人多いし、ずらしたほうがいいと思うんやけど」
確かに。校舎の中も外も学生で溢れ返っている。どうやら一回生の全学部の他、二回生とかの上級生もいるらしく、食堂の許容量はあっさり超えそうだ。
そうですね、と同意した時だった。
「よう偶然」
いきなり男から声が掛けられた。ロン毛でいかにも軽薄そうな男だ。年上に見える。上級生だろうか。
ツイっと紗奈は無視して横を通り過ぎようとした。菜々美も同じように動く。夕はさりげなく紗奈と彼の間に入るように動いていた。
「あー、韋駄天のことなんだけどさ」
ピタリと紗奈の歩みが止まった。
「これから見に行くんだけどさ。偶然会ったのも何かの縁、一緒に行かないかとおもってさ」
紗奈が睨むように彼を見た。明らかな警戒の視線。
「あ、覚えてね? 受付のとき、韋駄天の話をしたろ? あの受け付け係り、俺の友達でさ。隣に俺も座ってたんだぜ?」
記憶をたどると、確かに受付は二つあり、片方に座っていたのがこの男だったような気もするが、さすがに曖昧で確証はない。しかしあの時した韋駄天の話を知っているということは、少なくとも側にいたのだろう。
韋駄天には強い興味があった。落ち着いたら研究室を探しに行くつもりだった。そういう意味では願ったり叶ったりの話だ。
「あんた誰や?」
菜々美も強い警戒心を顕にしている。
「おっと失礼。名前は八幡修。ロボット工学科の三回生。講義の下見に来て、これから韋駄天いじっている友人に会いに行く予定。偶然見かけたんでね。そういえば韋駄天に興味があったなあと思い出したんで、声を掛けたのさ」
「偶然だと?」
紗奈と菜々美がなるほどと納得しかけたが、夕が割り込むように修の正面に立つ。それなりに背の高い修に負けないほどの長身の彼女。威圧感は凄まじかった。
「同じ学部と判っているなら、講義のスケジュールは把握できるだろう。どの講義を受けて、そしてこの時間に空きができることも予想できる。さらに空き時間に昼食をとろうと学食の方に移動することも予想できるだろう。彼女は見た目に目立つからな。講義のあった校舎と学食を結ぶ拓けた場所、つまりここで張っていれば見つける可能性は高い。これを偶然というのか?」
一瞬修の顔が引きつる。図星だったらしい。
「ま、まあ、それは置いといても、学部の上級生から情報をもらうのは有意義だとおもうけど。どう?」
「あいにくウチは情報工学科なんや」
「そうか。どこの学部の女性かと思ったけど。けど、ロボット工学科とは一回生はほとんど講義が重なってるぜ」
「……う」
「なあ、どう?」
夕ごしに紗奈に意見を求める。
少し考えて。
「……ぁ、あの、すみません……昼食を先に、と思って……また、今度に……」
「それなら、なおさら山キャンパス……実習棟の方の学食がいいぜ? こっちは人だらけで、まともに食べられないから」
「どゆこと?」
紗奈の意見をあっさり否定した修の意見に、菜々美が反応する。
「今週はほとんどの在学生が、ほぼ全部の講義のため登校してくるから、学食とかの許容を超えるんだよ。一回生二回生は特に一般講義が多いからな。こっちのキャンパスに集中するんだ。時間を少々ずらしても無駄だぜ? 山キャンパスの方は三回生の何割かと単位を落とした四回生ぐらいしか居ないから、全然人数が違うんだよ」
なるほど。講義以外にもなにかと聞いたほうが良さそうな気がする。
(ナンパ目的なのが、あからさまですけど……)
菜々美と少し相談すると、結局ついていったほうが有益だと結論がでた。夕がいるので、危険なことはないだろうとも思う。
「ほんまに人居らんな」
先ほどのキャンパス、麓キャンパスと呼ばれている、を離れて、道沿いに山キャンパスに辿り着くと、菜々美の言葉どおりの状況が広がっていた。人が居ないわけではない。結構な人数が目に付く。それでも先ほどの混雑に比べると、居ないと言えるぐらいだった。
モノレールが在るのに歩いた理由は、修曰く時間がかかるから、だった。本数が少なく、一両編成のモノレールは乗車待ちをすることが多々あるそうだ。それなら十分掛かるが歩いたほうが結果的に早いそうだ。実際、一度モノレールが抜いていったが、外から見てもわかるぐらいの満員電車状態だった。乗れなかった人も多いだろう。
「良ければ、先に韋駄天を見にいかないか? そいつも飯に誘いたいんでね」
紗奈と菜々美が顔を見合わせる。十分とはいえ山の道だ。舗装されているが少し上り坂になっていたので、だいぶ疲れている。できれば先に昼食にしたいところだが。
「そこから学食は近いから。呼んでもいいけど、見たくない?」
「まあ、近いなら……」
その意見で、先に韋駄天のほうと決まった。
そして少し後悔した。
途中が急坂になっていたからだ。
(つ、疲れた)
登りきる頃にはすっかり息が上がっていた。菜々美も同様で、肩で息をしている。
慣れているのか修はなんともなく、夕も基礎体力の差だろう、まったく疲れた様子は無い。
「見えたぜ」
修が指を指す方向。大きなガレージか何かの建物があった。一般家庭のガレージではなく、工場のような外見の大きな建物。今では設置するのが一般的な太陽光発電パネルすら無く、壁や屋根はそれなりの古さを感じさせる波打った板で構成されている。
それのシャッターが開いており、何かが立っているのが見えた。
(あれは!)
紗奈は見たことがあるシルエットに疲れを一瞬忘れた。重かった足を動かし、近づいていく。
(韋駄天……)
近づくとはっきり判る。韋駄天だ。ガレージ内のクレーンに吊り下げられている。
「なんや……これ?」
ペースが上がった紗奈についてきたからか、菜々美が息絶え絶えに言う。
「今期初公開。これが韋駄天三号さ」
修が自慢げに親指で指し示した。
吊り下げられているから立っているわけではないが、その姿勢に限りなく近い状態だろう。高さは二メートル半程度なのは二号と同じ。腕部は変わってないようだが、脚部が明らかに以前と異なる構造をしている。以前のはモーター駆動らしいまとまった形だったが、これの足にはゴム製のチューブのようなものが人間の筋肉のように付いていて、そこから伸びた管のようなものが腰の背後あたりに集中している。ぐるっと回り込んでみると、酸素ボンベのようなタンクと何かモーターと一体になった部品とが取り付けられていて、そこに管が集中している。また人の足が乗る場所には、何本もの固定用のベルトが着いていて、それで固定される基礎の骨のようなものから、それぞれの筋肉のようなチューブにむかってワイヤーが繋がっているようだ。そして、相変わらず電子部品が見あがらない。電気系は腰のモーターと背部のバッテリーぐらいだった。
「すごい……」
ほんの四半世紀前には実在したが、電子技術の普及で消えてしまった失われた技術があるという。オーパーツではないが、これはそれらを集めたかのような不思議な魅力があった。
「けったいな代物やなぁ」
菜々美の意見は概ね正しい。夕も怪訝な顔をしている。普通の反応はそんなものなのだろう。それでも紗奈には、何か惹きつけられるものを感じてしまう。
見上げると肩の所に「韋駄天三号」と書かれていた。見覚えのあるパーツ。「二」を無理やり「三」にしたような不自然なバランス、おそらく二号の部品の多くを流用しているのだろう。
チューブ部分に思わず手が伸びだ。勝手に触れるのはよくないと理性は言うが、好奇心が抑えられない。
「さわるな!」
いきなりの怒声に、反射的に手を引っ込める。
「勝手なことするな。危ないだろ!」
ガレージの奥から男が現れた。油汚れなどでかなり汚くなった作業用のツナギを着、さらにぼさぼさの髪に無精髭の相乗効果で、本人はかなり汚く見えた。
「す、すみ、すみません……」
謝る紗奈に、離れろ、と言う。素直に従うとそれ以上は何も言わなかった。
(危ないから、注意されただけ?)
触れられるのに怒ったわけではないらしい。
「荒川、そっちに居たのか」
修が反対から出てくる。呼びに行ったのだが、入れ違ったらしい。
「八幡。何の用だ?」
「言ってたろ。飯の誘いに来たんだよ」
一志が三人の女性を見る。
「新入生連れて?」
修がニヤリと笑う。
「おう。だからその汚いナリをなんとかしてこいよ。あ、飲み物何かあるか?」
「その冷蔵庫にサイダーとコーヒーあるぞ」
入り口側の冷蔵庫を指して、奥に戻っていく。
「あ、その辺のベンチとか、適当に座ってよ。冷たいもの用意するから」
良く見ると、ガレージには色々なものがあった。韋駄天関係だけかと思ったら、冷蔵庫に机と椅子、ベンチやソファー、車用のタイヤなどなど。用途不明の道具や機械は文字通り山のように。
紗奈と菜々美は勧められるままに入り口の横のベンチに座る。やっと一息つけたからか、どっと疲れが出た気がする。程なくして修が紙コップに入れたサイダーを持ってきてくれた。喉を通る炭酸が心地いい。
「篠山さんはコーヒーとサイダーどっちが良いです?」
韋駄天の前に立っている夕が、ちらりと修を見る。
「私はいらない」
それだけ言って懐からペットボトルを取り出し、韋駄天に視線を戻す。
(興味、あるのかな?)
さっきは怪訝そうに見ていたが、何か気になることでもあるのだろうか。
「これは動くのか?」
夕から修に聞く。
「え? あ、さあ? まだ未完成とは聞いてますがね。荒川の奴は今月中に動かすつもりらしいですよ。興味がおありで?」
「ああ」
水を一口含む。
「こういうものが襲ってきたら、どうやって撃退しようか、無力化しようか考える。一種の職業病だな」
(なるほど。それで見てたのか)
側で聞いていて紗奈は納得した。
「それなら、押したら倒れますよ。なんせバランスがまともにとれないから」
「今は、だろう? いずれ体当たりでもビクともしなくなるんじゃないか?」
修が肩を竦める。なんとも言えないというジェスチャーらしい。
「いずれ、どころか近いうちにそうします」
奥から声がした。一志が着替え終わって出てきたようだ。
汚いツナギからジーパンと白のシャツに着替え、革ジャンを羽織っている。髪はぼさぼささは変わってないが、一応ブラシをとおしたらしく、先ほどよりはまとまっていた。髭が綺麗にそられており、これが一番印象を変えていた。
小汚い格好から、まともな格好に変わったことで、女性達の見る眼があきらか変っていた。残念ながらプラスではなく、近寄りがたいマイナスからゼロに上がった程度であるが。
「自信があるんだな。何か良い実験データでも?」
「あ、いえ。単なる目標です」
夕の問いに、一志は視線を逸らす。彼女が少しだけ含み笑いをこぼした。
(初めて、見た)
紗奈は彼女が感情を出すのを初めて見た。いつも護衛として機械的な印象しか受けたことがない。
「ごめんな。せっかく見に来てもらったのに、まだ動かせなくて」
一志が紗奈に謝った。いきなりのことで紗奈は反応できずに固まってしまう。それをどう取ったのか、彼が言葉を続ける。
「受付の時に言ってたのにな。なんとか今月中には動かすから」
(あれ? 確か、完成したら見に来て、って言ってたような?)
紗奈が固まっていると、一志が困ったように頭を掻いた。
「申し訳ないんやけどぉ」
紗奈の横に座っていた菜々美が、サイダーを飲んで一息ついたのか、やっとという感じで声を出した。
「お昼食べながら話さへん? もうペコペコなんですけど」
修の行ったとおり、韋駄天のガレージから学食は近かった。ガレージ横の小さい階段、素人が作ったような不恰好で降り辛い階段だったが、を降りたら学食の裏にでてきた。眼と鼻の先と言えるぐらいの距離だった。
実習棟側の学食は、確かに人が少なかった。韋駄天を見ていた分時間がずれたこともあるだろうが、普通に六人が座れるテーブル一つを確保できた。
「明日もこっちに食べに来たほうがいいかもなぁ」
菜々美の感想に紗奈も同意できる。麓キャンパスのあの人数が学食に流れ込んだら大混雑だろう。多少歩いてでも、こっちのほうが良いと思う。
食券を自動販売機で買って、食べ物ごとに分かれたカウンターへ出すと料理を渡してもらえて、片付けも返却カウンターへ自分で持っていく、いわゆるセルフ式。その代わり菜々美が「めっちゃ安いな」と言ったほど低価格だ。紗奈のきつねうどん百五十円を筆頭に、菜々美のカレーライス二百十円、修の日替わり定食二百八十円、一番高かったのが、一志のカツ丼味噌汁つき三百五十円也。
「篠山さんは食べないんです?」
修が聞くと、夕は苦笑しながら懐からカロリーメイトと水を取り出した。
「護衛対象と同じ物を食べないのが鉄則なんでな」
彼女が言うには、もし食事等、口にするものに毒などが盛られていた場合、護衛を守れないからだそうだ。基本は自分で用意したもの。やむ終えずレストランなどで護衛対象と同席しなければならない場合も、できるだけ材料から異なるメニューを選ぶそうだ。
「きっつい仕事やんなぁ。私なら目の前でいいもん食べられたりしたら精神にくるで」
半分ほど食べて息を吹き返した菜々美が、しみじみ言う。
なりたくてなった仕事だからな、と夕は軽く返す。
食べながら、なんだかんだと談笑をして過ごした。そのうち、一人二人と食べ終わる。
「ぁの……一つ、聞きたいんですけど……ぃぃですか?」
食べ終えた紗奈が一志に質問する。彼はすでに食べ終え熱いお茶を啜っていた。
「なんでも、どうぞ」
「荒川せ、先輩……三回生、なんですよね?……でも去年韋駄天に、乗っていた……二回生で、研究室に……?」
先ほど簡単な自己紹介を受けた時に感じた疑問だった。てっきり三回生の修と仲の良い四回生だと思っていたのだ。
「こいつは特例だよ」
一志が答えるより先に、修が割り込む。
「なにせ、一回生二回生と学科の次席だからな」
紗奈と菜々美が、おおとどよめく。一志が困ったように頭を搔く。
「韋駄天を研究するのを条件に、二回生から研究室に所属してるんだ。基本は研究室には三回生からしか関われないんだけど、韋駄天の研究室、本来は大型パワーアシスト系の機械の研究なんだけど、俺が一回生の時には少子化の影響で四回生の人が居なくなっててね。研究室の変更をしない、成績を次席以上という条件でなんとか教授に許可をもらったんだ。大学院に残ってた人は居たけど、その人も居なくなると、ほら、研究が途切れるから」
「なるほどぉ」
菜々美がお茶を飲みながら相槌をうつ。
「ぁれ?……八幡先輩は、研究室に入って、いないって……別のけ、研究室、なんですか?」
「そりゃ、やる気のある優等生は三回生から研究室に出入りできるけど、普通一般の学生は四回生からだから。こいつが異常なんだよ」
修がパタパタと手を振って答える。
「なら、是非とも良い講義と単位の取り方をレクチャー願いたいとこやね」
菜々美の眼がキラリと光った気がした。
「いいけど、八幡のほうがそういうのは詳しいよ。情報網が半端ないから」
「もちろんお二人にですがな。なぁ」
あまりにあからさまな菜々美の態度に少々引きながらも、紗奈も内心同意見だった。
二人は食器を横にどけて、情報工学科とロボット工学科の講義表を広げる。
「おお、ほんまにほとんど同じやな」
「ほ、本当……」
紗奈と菜々美がお互いの講義表を見ながら、そのあまりの同一ぶりに驚く。「工学部の一回生は、実習とか以外、ほとんど全学部同じだよ」という修の言葉通りだ。
「じゃ、月曜から順番に、お願いします!」
夕が我関せずと水を飲んでいる横で、四人の講義チェックが始まった。
「おっはよ」
菜々美が講義室に居た紗奈にあいさつする。毎日何かの講義で一緒になる。そしていつも菜々美から挨拶している。室内では帽子を脱ぐし、外でも長身の夕が一緒に居るため、どこからでも見つけやすいのだろう。
「ぉ、おはよう」
最初は菜々美の勢いに引いてしまっていたが、彼女の裏表のない性格、普通なら隠しておくような裏のことをすんなり表に出してくるだけなのだが、のために紗奈は普通に、しゃべりはたどたどしいが、話せるようになっていた。
紗奈には彼女以外友達は居ない。ロボット工学科にもともと女子が少ないこともあるが、彼女自身、コミュニケーションが下手なのが原因だ。またそのため菜々美のように普通に接してくれないため、紗奈のほうから壁を作ってしまうのだ。
一度、菜々美が情報工学科の仲の良いグループの食事会、と言う名の飲み会、に誘ってくれたが、やはりというか、奇異な眼を向けられ、壁を作ってしまった。
菜々美に非常に申し訳ないと思い、後から謝ったが、彼女は「こっちこそごめんなぁ」と謝り返されてしまった。それ以来一応誘ってはくれるが、声を掛けるにとどめてくれている。
(ほんとに、どうしたらいいんだろ)
自分で壁を作ってしまうことも問題だが、コミュニケーション能力が欠如しているのを自覚してしまう。長い間一人でいたため、どうすればいいのか判らない。なにしろ、ずっと一緒に居る夕とも打ち解けていないのだ。他の人と早々に打ち解けられるわけがない。
携帯を見る。着信、メール受信は無い。
(あれから二週間か……)
一志達と会ってから二週間が過ぎていた。あの後、メアドの交換をしたが、メールはあまり来ない。修は一週間ほど毎日メールをくれたが、ナンパ目的な内容だったので返信をまったくしなかったら今週から来なくなった。一志は経過報告のような簡単なのが一通来たきりだった。
(こっちから書いた方がいいんだろうけど……)
何を書けばいいのだろう。下手に送って不快に思われたくない。文章だって上手くない。そう思うと二の足を踏んでしまう。
講義を受けているが、半分も頭に入ってこない。一人で黙々と勉強していた時は、時間を忘れるくらい集中できたのに。
ジリリリリリ……
講義終了のベルが鳴る。話途中だった講師が適当に切り上げるのにあわせて、学生が次々に席を立つ。紗奈も次の講義へ行くために、いつもの鍔広の帽子と色眼鏡を掛ける。
ピロリロリーン
不意に携帯が鳴った。ロクに設定していないため、初期設定のままのメール着信音。
ピロリロリーン
もう一度。二通来たらしい。
メアドを教えている相手は限られている。母親と菜々美と夕、そして一志と修だ。菜々美と夕は側にいるし、一通が母親だとしても、もう一通は一志か修のはず。
ドクン
心臓が不整脈のように不安定な鼓動をうつ。変に緊張しているのが自分でもわかった。
なぜか震える手で二つ折りの携帯を開く。
意外にも彼女が持っているのはスマートフォンではなく、ガラパゴスと言われるタイプの携帯だった。しかし機能を限定することでの簡単な操作性や、組み込み型故の高いウィルス耐性のため、現在も普通に新規機種がでている程度には需要があるのだ。彼女もほとんど家にいたせいで、電話とメールができればい良いのと、高ウイルス耐性が気に入って愛用している。
画面に表示されたメールマークをボタン操作でアクセスする
受信メールを見る。
一通目。
送信者:荒川一志
件名:韋駄天動かします
内容:明日十五時に韋駄天三号を動かします。良ければガレージまで見に来てください。
簡素な内容。用件のみの言葉。来たことは嬉しいが、もう少し文章がなんとかならなかったのかと思ってしまう。
二通目
送信者:八幡修
件名:韋駄天動くよ
内容:お久しぶり。今回は朗報です。明日、十五時に韋駄天が動くよ。その時間の講義なかったよね? 是非とも見に来て。またこけるかもしれないけど、まあ温かく見守ってやって。ではでは、明日に。
こちらは平素書き慣れてるのだろう。なんだか軽い言葉が並んでいる。一通目との来たタイミングを考えると、急いで書いたのかも知れない。
「なあなあ、メール見た?」
菜々美が嬉々として聞いてくる。
「ぇ、はい。今読み、ました」
「いやぁ八幡はん、ナンパな人やと思ってたけど、することはきっちりしてくるなぁ。明日行くやろ?」
「ぇ?」
「そやから、明日、韋駄天見に行くやろ? 一緒に行こうな」
「ぁ、はい。い、行きましょう」
「決まりぃ!ほなウチ、バイト行くさかい。また明日なぁ」
菜々美は手を振りながら行ってしまう。次の講義を彼女はとっていない。また数日前からファミレスでバイトしている。走って行ったところを見ると、時間に余裕がなかったのかもしれない。
(八幡先輩、だけ? 荒川先輩のメールは私だけ?)
簡単な文面だったから彼女的には修のメールを主と考えたのかもしれない。
首を少々傾げながらも、しかし人との繋がりを実感できたことが、素直に嬉しかった。
翌日。午後からの講義も終わり、紗奈、菜々美、夕の三人が韋駄天のガレージに向かって歩いていた。
一日の講義用の教科書やらが入った鞄を抱えて、しかし紗奈の足取りは軽かった。ワクワクするというのはこういう感覚だろう。菜々美も同じようだった。
夕だけはそんな二人を見つつ、いつも通りついて歩く。しかし彼女達を見て少しだけ口元が綻んでいるのに、二人は気づかない。
以前歩いた急坂を登りきると、ガレージが見えて来た。
その手前に、白衣を着た見慣れないご老人が立っていた。禿げ上がった頭に、白衣と下駄という取り合わせはなんとなく奇異に見える。
「こんにちはー」
「やあ、こんにちは」
見た目とは裏腹にやわらかい口調だ。
「君達かな? 韋駄天を見たい一回生というのは」
「そうですー。大林と言います」
「し、新条、です」
「……篠山だ」
ご老人が順番に見ていったので、夕はなんとなく流れで名乗った。やわらかいのに抗いがたい雰囲気を持っている気がした。
「僕は、笹原といいます。ロボット工学科で教授なぞをやらせていただいています」
教授と聞いて、大林が少々ばつが悪そうに頭を下げた。馴れ馴れしかったかと少し反省しているようだ。笹原教授は、はははと軽く笑って構わないよと流してくれた。
「韋駄天、大丈夫なんですか?」
「さあねえ」
紗奈の疑問に教授は曖昧に返す。
「今日はこの線」
と言って足元のアスファルトに貼り付けた白いテープを指して言う。ガレージからだいたい十メートルぐらいだろうか。
「まで来て、ユーターンして戻るだけ。シミュレーションでは上手くいったけど、何が起こるかわからないから実践テストするわけだしね。ちゃんとクリアしてほしいものだけど」
見ると乗り込んだ一志が、修に何か言っていた。手足を固定し始めている。そろそろ動き出すのかもしれない。
(動く)
そう思うだけで紗奈の胸は高鳴った。
「ほい、固定終了」
修が右手の固定ベルトを巻き終わる。作業ツナギ姿に自転車用のヘルメットを被った一志が、手足を動かして加減を見る。電源が入っていないので脚部はビクともしないが、張りぼての腕部が腕に合わせて動く。
「よし。起動する。八幡、フックの解除準備を頼む」
「はいよ」
修が離れてクレーンのスイッチを持つのを確認すると、一志が腰のところのメインスイッチを左手で入れる。韋駄天も同じように左腕が動く。
フィーン……
バッテリー残量を示す電圧メーターが振れる。
「バッテリー良し」
今度は右手で腰のところの起動スイッチを入れる。韋駄天の右腕も同じように動く。端から見てると、何やら踊っているようだ。
フォン、フォン、フォン、フォ、フォ、フォフォフォフォフォ
モーターが回り、コンプレッサーが空気を取り込み始める。
「圧力上昇確認……」
左前に設置したボンベの圧力メーター、修がスキューバダイビング部から中古をもらってきた、の針が上昇していく。メーターの表面ガラスに何本かマジックで線が書かれている。これを超えるのを待つ。
「五十パーセント……七十五パーセント……もうちょい……よし!」
自分の両足に立つ力を込める。
シューーーーー
動きに合わせてワイヤーが引っ張られ、手製のエアーマッスルの弁が開き、圧縮ボンベからの空気が流れ込む。韋駄天の脚部に力がはいる。
エアーマッスルは空気圧で膨らむ袋で、膨らんだ分外側が引っ張られ、全長が短くなるような構造をしている。空気ボンベから必要時応じて圧が送られ、不要になれば排出弁から圧を抜く。構造的に軽く、生物の筋肉のようにアナログな制御ができるのが特徴だ。しかしこの韋駄天に使われているのは、その動作原理をまねて一志が自転車のチューブで作ったお手製だった。特徴はほぼ同じだが出力重量比は製品レベルからは程遠い。それでも空気圧でチューブが膨らむと張力を生み出し、搭乗者と合わせて二百キロを超える重さを持ち上げる。
カシャン
少し曲がっていた膝が伸び、吊るしていた鎖が緩んだ。
「ハンガーを頼む!」
一志が声を張り上げる。モーターとコンプレッサーの駆動音でかなり喧しいのだ。
修が手を挙げて応えると、クレーンのスイッチを操作する。ガレージの天井に据えられたクレーンが奥へと移動し、吊り下げに使っていたハンガー、太い鉄パイプを溶接して作った韋駄天の両肩に引っ掛ける頑丈なフックだ、が韋駄天から離れていく。
離れた際、引っ張られたのか多少ふらついたが、両手でバランスをとる。
韋駄天三号が初めて自立した瞬間だった。
「バッテリー、空気圧問題なし!」
バランスをとるために、無意識に足に力を入れてしまうのだろう。シューシューと空気がエアーマッスルに送られ、また排出される音が聞こえる。
(さて、今回こそ、ちゃんと見せないとな)
一志が正面を見る。教授の横に三人が来ているのは気づいていた。
オープンキャンパスの時の汚名を雪ぎたいところだ。
「韋駄天三号、歩行開始します!」
一呼吸置いて、右足を前に出す。シューシューと言う音とともに、韋駄天の右足がそれに合わせて前に出る。
一歩。
浮いた足が大地を再び踏む。問題なし。
今度は左足を前に出す。先ほどより移動距離が長い。しかし韋駄天は左足を一志の動きどおりに前に出す。
二歩。問題なし。
(よし。モーターと違って、足の動きを再現できている。問題ない)
二号より明らかに歩きやすい。これなら転ばない。
三歩、四歩と危なげなく進んでいく。
「おお。すごいやん!」
菜々美が感嘆の声を上げる。紗奈は感極まって声すら出せないでいた。
シューシューと音を響かせて歩いてくる韋駄天三号。オープンキャンパスで見た時とは、明らかに動きが違った。機構の変更でここまで変るのかと素直に驚く。
「……喧しいな」
夕は動きそのものより、その騒音が気になったようだ。徐々に近づいてくるから、なお更うるさくなってくる。
一歩、一歩、歩く動きはゆっくりだが歩幅が広いため、見た目より移動速度が速い。すぐに五メートルの線を超えた。
「ちょっと下がろうか」
教授に促されて、少し白線から離れる。
シューシューと音を立てながら、韋駄天が目標の白線に辿り着き停止した。
「おお」
紗奈と菜々美が拍手で迎える。教授はうんうんと頷いていた。
一志は手を振って応えると、方向転換を開始する。
二号は九十度回るのにその場で何度も足踏みしなければならなかった。しかし三号は人の足の筋肉を模しているため、脚部の付け根の自由度が高く、稼動範囲も広い。両足合わせて六歩分の動きで向きを百八十度変えることができた。傍目にもかなり滑らかだ。
(すごい、すごい!)
紗奈は声こそ出してないがとんでもなく興奮していた。眼がキラキラしていたことだろう。
韋駄天は再びガレージに向かって歩いていく。もちろん問題なさそうに。
再び五メートルの線を超えるのに時間は掛からなかった。
誰もがこの実験の成功を確信した。その時。
ゴン
韋駄天の背中に何かがぶつかった。
跳ね返って転がるそれを見る。野球のボールだった。硬球だろうか。かなり盛大に場外ホームランになったらしい。
それだけなら問題なかっただろうが、タイミングが少々まずかった。片足を上げた瞬間に外力が加わったため、崩れ始めたバランスをとるのに、上げた足を下ろすのに時間がかかってしまったのだ。
見た目に判るほど傾きだした韋駄天。しかし、エアーマッスルで動かされた脚部は搭乗者、荒川一志の動きに応え、大きく踏み出すと一気に足を踏みおろす。人がふらついた時にする足の動きと同じだ。これなら倒れない。
ダン、という足音とともに韋駄天は踏みとどまった。
全員が安堵する。
ところが、時間が掛かった分韋駄天自体が傾いていたため、それを支えたエアーマッスルに過度の負荷が掛かった。負荷はそのまま圧力の上昇を招き、強度の低い箇所に集中する。空気を送るチューブが数本、エアーマッスルの繋ぎ目から弾けとんだ。
「く!」
スペック的には耐えられるはずの負荷だが、一志のお手製エアーマッスルでは耐久力が低かったようだ。
シューーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
外れたチューブから一気に空気が抜け、圧力メータが見る見る下がっていく。
韋駄天三号のエアーマッスルは、その名の通り空気圧で動いている。一つのボンベですべての圧をまかなっているから、圧力が抜けると体中の力の抜ける。
一志が自分の筋力でなんとか支えようとするが、搭乗者の体重も含め二百キロを超える韋駄天三号を支えるのは不可能だった。
グワッシャ
ゆっくりではあったが、三号もまた、二号に続いて地面に伏してしまった。
「失敗だったね」
実習棟の方の学食は、狭さを補うため天気がいい時は外にテーブルと椅子を用意し、ロール状の布の日よけを引き出してオープンカフェのように営業している。
そのうちの一つのテーブルに四人が座っていた。
教授がコーヒーを飲みながら、残念だね、と言った。他に紗奈、菜々美、夕が座っている。一志と修は韋駄天の片付けをしている。
「でも、ボールが、ぁ、当たったり、壊れたり、しなけ、れば、成功、してました、よ」
紗奈が少しむきになって反論する。一志の失敗とは思えないからだ。
「機械は安全であることが第一だよ。ロボットでもなんでもね。タラレバは通用しない。想定外のことが起こったから事故が起こった、じゃ済まない話なんだよ」
「ぅ……」
「まあ、情状酌量の余地はあるけどね。ふらついても、ちゃんと足を踏み出してこらえようとしたし。予算が無くて、ちゃんとした製品のエアーマッスルが使えなかったから、手製で補ったのもしかたないことだし」
「そんなら、合格?」
菜々美の問いに、しかし教授は首を振る。
「百メートル走の本番でゴール直前まで一位だったなら、靴紐が切れて転倒して順位が下がっても一位になれるかい? そういうことさ」
「でもさっき情状酌量の余地あるて」
「あるさ。だからとにかくレポートにまとめて提出だね。研究ってのはそういうものさ」
「……」
さて私は用事があるから、と教授は席を立つ。三人は見送るしかなかった。
「きっついなぁ。あんなん合格でも誰も文句無いで。なぁ」
「ぅ、うん」
菜々美の意見には同意するし、教授の理屈も正しいとわかる。なんとなくどっちつかずな気持ちだった。
「甘いな」
ずっと黙っていた夕が口開いた。
「失敗は失敗と受け止めるべきだ。でなければ同じ失敗を繰り返す」
「せやけど」
「研究なのだろう? 研究なら失敗した原因を突き止め、修正し、失敗して、を繰り返すものだ。逆に言えば、繰り返せるから失敗を受け止められる」
妙な実感が篭っていた。その言葉の重さに菜々美は反論できなくなる。
「……なにか……あった、ですか?」
聞いてはみたものの、応えてくれるとは思えなかった。夕も、まあな、と曖昧に言葉を濁す。
「……」
誰も喋らなくなり、空気が重くなった。困ったものの、紗奈には状況を打破することはできそうに無かった。
「いたいた。教授はもう帰ったのかな……あれ? どったの?」
修がいつもの軽さで現れた。しかしすぐに空気の重さを感じ取ったらしい。
「ごめんな。せっかく見に来てもらったのに、こんな結末で」
修が軽く話すからか、それほど重大なことではないのではないかと思えてきた。
(そうよね。失敗は成功の母って言うから)
紗奈もプログラミングで、それこそ数え切れないほどのトライアンドエラーを繰り返してきた。そう考えれば、少し気持ちは軽くなった。
「ぁれ? 荒川、先輩、は?」
まだ片付けとかしてるのだろうか。
「珍しく落ち込んでやんの。まあ、しばらくほっといてやって」
ガタン
紗奈は反射的に立っていた。
「話……できない、ですか?」
「うーん……さっきの今だからな。気分的にキツイと思うよ」
修がキツイというのは話すほう話されるほう両方にとってだったが、紗奈は自分がキツイだけだと思った。だからそのままガレージに向かって歩いて行く。
夕もまた無言で彼女の後を追う。
修と菜々美はそのまま席に座っていた。菜々美は紗奈についていっても良かったが、まあ成り行きだった。修一人残していったら、待っていた意味が無い。
「四号、作るんですか?」
単なる疑問。修は肩を竦める。
「さあ? 俺は手伝いだからね。荒川しだい、かな」
学食の裏の階段を登ればガレージに着く。登りづらい階段だが、距離はそんなに長くない。すぐに登りきった。
しかし紗奈はそこで立ち止まる。
(あ、でも、何を話せば……)
勢いで来てしまったが、細かいことは考えてなかった。
やっぱり止めようかと考え、振り返る。
「篠山さん……すみませんが……」
夕は紗奈の言葉を待たずに、登りきったところでフェンスにもたれかかった。
「元気づけてやるといい」
そう言って片目を閉じる。
「ぇ……?」
彼女の反応に紗奈は困惑した。止めようかと思ったのに立ち止まられても困る。それに元気付けるって?
「男は単純だからな。ちょっと調子に乗せてやれば、すぐに復活するさ」
(あれ? 何か勘違いされてる?)
すごく困った。彼女自身単純に話したかっただけで、元気付けるとか考えがあったわけではない。だいたい何を話せば元気付けられるのか、まったく思いつかない。
「なに。護衛として見える位置にいるが、会話を聞く気はない。存分に語ってくるといい」
立ち止まっていると、なお焚きつけてくる。
立ち去るという選択肢は夕の脳裏にはないらしい。
そして自分の意思を押し切る強さは……紗奈には無い。
「ぁ、はい。……あ、ありがとう、ございます」
なんとなく一礼して、ガレージに向かって歩いていく。なぜか手足がギクシャク動く。
ガレージの正面、シャッターの開いた大きな出入り口の横に一志が居た。
どこからか、たぶんガレージ内にあった、丸椅子を持ってきて座っている。これ以上なく力の抜けた座り方だった。
「ぁ、あの」
少し声を掛けるのを躊躇ったが、側に来ても気づいてないようだったので、思い切った。
「え? ああ。新条さん」
ばつが悪そうに頭を搔く。二回ほどため息をついてから、ようやく言葉を続けた。
「ごめんな。せっかく見に来てくれたのに。呼んだのに、こんな結果になって」
「そ、そんな……ことは……」
様子がおかしい。いつもの、そんなに会っていないので初対面の印象ぐらいしかないが、一志らしくないと思う。
「やっぱり、無理なのかな……」
「ぇ?」
「電子制御なしで、こんなものを動かすのがさ」
こんなもの、韋駄天三号が元通りクレーンに吊り下げられていた。表面的な傷はあちこちにあり、完全に折れた右腕が痛々しい。
韋駄天を「こんなもの」と言う。今の一志からはマイナスオーラしかでていないようだ。
「……どうして……コンピューターを、導入、しないんですか?」
紗奈は、前からあった疑問を口にした。
一志は、彼女を見る。何か迷っているようだ。頭を搔き、少し言いにくそうに口にした。
「コンピューターが信用できないからだよ」




