始まりは憧れだった
愛紗と潤が結ばれて1時間。オヤジはリビングのソファでうおんうおんと泣き叫び、潤は帰っていった。
「潤くーん、へ、へへへへ」
そして、愛紗はオヤジの横でクッションを抱きしめながら悶えていた。唇の端からおつゆがたれている。大丈夫か、あいつは。
「う、う、う、う、う、う、う」
「えへへへ~し・あ・わ・せ~」
渡辺家は、オヤジの泣き声と愛紗の照れ笑いで満ちていた。
「カオスだな……」
ん、カオスと言えば……カオス・クロニクル! せめて今日くらいはインしないと。一応、昨日のことを皆に謝っておこう。左手がふさがった状態じゃ、普段通りの狩りはできないだろうけど……。
俺はPCの電源を入れると、FキーとJキーの上に手を乗せようとした。
「あ」
やっぱり……思ったとおりだ。指先は自由に動かせるけど、肘の角度がギプスで固定されているので、相当やり辛い。まあ、カオス・クロニクルはマウスの右クリックでほとんど操作ができるから、まったくできないわけじゃないけど……。
でも、ヴァンガードのオン・オフはF1キーに登録して、ショートカットしてるんだよな。今PVPをしたら格下でも負けるぞ、これは。早く今の俺の状態に適した操作環境に慣れること、それが急務か。
「やー! みんな、こんにちは!」
椛でログインして、元気に挨拶。金曜の夜以来だから、二日ぶりか。ギルドハントをさぼってしまったのだけでも、謝っておかないと。
しかし、誰からも返事が無かった。ログインしたアジトにも人影がない。
おかしいな。日曜の夜っていったら……皆いるはずなのに。何かあったのか?
「”椛! 何やってたんだ! もう要塞戦始まってるぞ!”」
突然ウィスでスレイんからお叱りの言葉が飛んでくる。
あ。そうだった。今日、要塞戦の日だった!? やば。もろに忘れてた。
正直、ゲームどころの話じゃなかったし……しかし、これはマスターとしては重大な失態だぞ。マスター専用挨拶(単なる普通のソーシャルの組み合わせだけど)で誤魔化しきれるものではないし……。
「”ごめん、スレイん。今すぐ行くよ!”」
俺は椛を灰色の狼の所持する要塞へと移動させる。移動しながらスレイんとチャットし、現状の把握に努めた。
それにしても、チャットもすこぶるやり辛い。骨折なんて、するもんじゃないな。
「”仕掛けてきたのは、大手のギルドじゃないから大丈夫だろうけどな。てか昨日もどうした。ギルドハントもすっぽかしやがって。彼女でもできたのか?”」
「”悪い! ちょっとケガしちゃってさ。大したことないから、そんな気にしないでくれ。彼女は欲しいけどサ”」
「”何だ、タンスに頭でもぶつけたか? 少しは学校の成績上がるといいな”」
「”車にはねられて腕折れちゃった、てへへ”」
深く考えたら、てへへ。で、済む問題じゃないよな、これ。車にはねられたって聞いたら、やっぱかなり大事だったんだなあーあれ。と、今更ながらしみじみ思った。
「”大事じゃないか! ったく、お前は~。てかそんな状態でゲームやってるなよ”」
「”悪い悪い。けど、俺はマスターだからさ。どんな時でもどんな状態でも、俺はゲームにログインするよ。カインが戻ってきて、一緒に狩ができるようになるまで”」
「”この廃人が”」
ま、確かに廃人だよな、俺。でも、カインのためにできることは全てしたい。
カインが俺を育ててくれた恩は、倍にして返す。灰色の狼をこのサーバー……いや、全サーバー最強のギルドにして、カインに戻ってきてもらうんだ。
カインに対する風当たりが強いなら、俺がカインの盾になる。昔、体を張って俺を助けてくれた、あのかっこいいカインのように……今度は俺がカインの盾になれれば、な。
椛がフェイブナイトを選んだのも、カインに憧れたからだった。本当は、『ナイトってかっけー! よっしゃ、ナイトにしよっと! フェイブかわいい! 胸もでけー! お近づきになりたい! じゃあ、フェイブナイトの男にしよう』と、説明書も何も読まずにものすごく安直な理由で選んだだけで、思い入れもなかったんだけど、カインのナイトとしての振る舞いやスキルを見て憧れたんだ。
俺もあんな風になりたい。
いつか、俺もみんなを守れる強くてかっこいいカインみたいな、ナイトになりたい。
そして、今度は俺がカインを守るんだ。それが椛を続けている最大の理由である。
カインと一緒に狩りに行って、よくヘイトをミスって怒られる度に、そう言ったものだ。カインと育んだ男の友情は、それだけ大きい。
「”そうか。だがな、椛。もう来なくていいぞ、要塞戦”」
「”え、何でだよ! 俺は邪魔だっていうのかよ! 見せてやるぜ、俺の愛と情熱のブレイブフォースヘイトを!”」
「”いや、もう要塞戦終わったから”」
「”げ”」
「”おつ”」
結局俺、何もしてない……。
それから俺は、みんなに謝罪を込めてマスター専用挨拶をし、許してもらった。
翌日。
朝飯の準備を終えて、愛紗を起こしにいこうと階段を昇り終えた時。
「潤くんのバカ! 嫌い! もう、別れる!!」
「うお!?」
愛紗が急に部屋から飛び出して、俺をぶっ飛ばして階段を下りていった。
何だ、潤と何かあったのか? まったく、一日でスピード破局とは……ま、愛紗の本性を知ったら誰でもこうなるか。
しかしまあ、潤がこのままじゃかわいそうだ。フォローしておいてやるか。潤は可愛いギルメンだからな。
「おい、愛紗。何かあったのか? お兄ちゃんが相談に乗ってやるぞ」
俺は洗面所で洗顔中の愛紗に声をかけてみた。すると、愛紗は携帯を取り出して、俺の顔先に突き出してくる。
そこには、やたらと大量に『大好き』という単語が張り付いていた。目が痛くなる。
しかもタイムスタンプが深夜の物ばかり。まさか、一晩中メールのやりとりをしていたのか?
「潤くんがね! あたしのほうが潤くんのこと好きだって言ってるのに、潤くんは『ぼくのほうが愛紗ちゃんのこと好きなんだ!』って言って、譲らないの! 好きな思いはあたしのほうが上なのに!! ……メールも、一分以上帰ってこないし……きっと、新しい女ができたんだよ!」
「はあ?」
何言ってんだ、こいつ。
「潤くんなんて……大好きだけど、大嫌いだけど、大好き! だけど、大嫌いで大好き!」
意味不明すぎる。
「いや、要するに好きなんだろ。なら、それでいいじゃないか……んなことより、さっさとトースト平らげろ。トーストくらいなら今の俺でもできるから、やっといたぞ」
「そんなこと!? バカ翔にとってはそんなことかもしれないけど! あたしと潤くんにとって、とても大事なことなんだよ!? 2人の人生において、これほど重要なイベントは無いよ!?」
付いていけん。
「はいはい。もう勝手にやってろ。俺はもう行くからな」
洗面所を去ろうとした時、急に愛紗の携帯がうるさく吼えた。どうやら、潤から着信があったようだ。
「あ、潤くん!? 潤くん、すぐに出るよ、だから嫌いにならないで、あたしのこと!!」
愛紗は泣きながら電話に出た。朝からほんと忙しいな。
『愛紗ちゃん』
「潤くん!? あたし、あたし」
『ごめんね』
「ごめんなさい! え?」
『ぼくが悪かったよ。愛紗ちゃんもぼくもお互いを愛し合っている。それでいいじゃないか。ぼくの全ては、愛紗ちゃんの物で、愛紗ちゃんの全ては、ぼくの物なんだから』
「ううん! あたしも悪かったの! そうだよね、あたし達は愛し合ってるんだもんね! あたしの全ては潤くんの物で、潤くんの全ては、あたしの物だよ!」
『愛紗ちゃん……』
「潤くん……」
『愛してるよ』
「あたしも、銀河系の誰よりも、宇宙で一番潤くんを愛してる!」
おいおい。ぶっ飛びすぎだろ。でもまあ、よかったな愛紗。
『違うよ、宇宙で一番愛紗ちゃんを愛してるのは、ぼくだよ』
「違うよ!! この宇宙で一番潤くんを愛してるのはあたしだよ!!」
ん?
『愛紗ちゃんのバカ!! ぼくのほうが愛紗ちゃんを愛しているのに!』
「潤くんのバカ!! あたしのほうが潤くんを愛しているの!」
うぜえ。
『でも、ぼくは……そんな風に愛してくれる愛紗ちゃんが一番好きだ』
「あたしも……そんな風に愛してくれる潤くんが一番好き」
『愛紗ちゃん……』
「潤くん……」
「お前ら一生やってろ」
俺は寝ても起きてもバカップルになった妹を洗面所に残し、トーストにかじりついた。
ちくしょう。俺もいつか相羽さんとあんな電話してみたい!




