真理奈の気持ち。翔の気持ち。
「そろそろ私、帰るね」
「えー? もう行っちゃうの!? やだよ~、真理奈ちゃん。ずっとここにいてえ。お菓子全部あげるから! 美文、一生のお願いです! そうだ! 真理奈ちゃんも入院しよう! 風邪ひいたことにして!」
「ちょ、ちょっと。美文さん!」
別れを告げると、急に美文はあたふたと慌てだして私の袖を引っ張った。
「ごめんね、美文さん。家族に黙って飛び出してきちゃったから、心配してると思うの」
諭すように、美文の泣きそうな目をじっと見つめてそう言う。
「……寂しいよ。真理奈ちゃん。絶対、また来てくれるよね? ね?」
「うん。また来るよ。絶対。今度は、弟も連れて来るね」
大きく頷くと、美文はようやく袖を離してくれた。
「うん! 潤ちゃんだね! いいなあ、可愛い弟……でも、美文にだって、暁の空っていう家族があるんだから! よーし、今日はエルくんといっぱいお話しよっと。真理奈ちゃんのこと話したら、羨ましがるかもね。は!? エルくんが真理奈ちゃんに興味を持ってしまったら……真理奈ちゃん。美文は負けませんよ! 真理奈ちゃんは友達で、恋のライバルなのです!」
美文は途端にキッと睨んできた。自分を巡って美文と争うのか、私。
いつか、ちゃんと言わないといけないな。私のこと。……カインのことも。隠し事が多すぎる、私は。
「それじゃあ、元気でね。美文さん」
笑顔は崩さず、頭の中で思考しながら美文に別れを告げる。
「ばいばい! またね、真理奈ちゃん!」
手を振って、バイバイ。またね、か。
扉を閉めながら、私は自然と顔をほこらばせていた。また会おうね、美文。次はカオス・クロニクルで。
病院を出て、バスに乗って家に帰る。
早く、帰らなきゃ。潤も、お母さんも心配してるだろうな。
……そういえば、渡辺くん。大丈夫かな。片手がふさがったまま生活するなんて、きっと不便だろうし……何か、私にできることがあったら、してあげたい。
――って、別に家族じゃあるまいし、心配しすぎか。考えすぎだ。
私はバスの中から外の景色を見つめ、大きくかぶりを振った。
バスが停止し、バス停に飛び降りる。辺りを見渡せば、もう完全に真っ暗だ。暗黒が立ち込める住宅街は、不気味で心細い。
冷たい風が私の体を貫いて、思わずその場に立ち止まった。着の身着のままで飛び出してしまったんだな、そういえば。
「お帰り~」
「おう、ただいま」
私と一緒にバスから降りた男性が、女性に気付いて駆け寄る。2人は手をつないで、夜道を歩いて行った。とても、仲が良さそうに。その後姿は、幸せに満ちていた。
途端に、渡辺くんの笑顔が頭の中に浮んできた。前を行くカップル。その後姿に、渡辺くんと私の姿を重ねてみる。
……!! ちょっと待ってよ。何で、そんなこと考えちゃったんだろう。しかもどうして、渡辺くんなんか! ふざけないでよ、私。
突然、目の前のカップルは立ち止まった。体を寄せ合い、2人の距離が0になる。そして、顔と顔が近付いて……唇が触れた。
再び浮んでくる渡辺くんの顔。能天気な笑顔。でも、優しいその瞳に吸い込まれそうになる。そして、渡辺くんの顔が近付いてきて――。
……!! 瞬間、私の中で何かが爆発する。いてもたってもいられなくなって……私は駆け出した。
気付いてしまった。認めたくはなかったのかもしれない。
けど、ようやく理解した気がする。
私は、渡辺くんが好きだ。
その気持ちを抑えられずに、あまり余ったエネルギーを足に集めて大地を蹴りつける。
私は、渡辺くんが好きなんだ。
止まらない。信じられないくらいに力が湧いてきて、どこまでもこのまま走れそうなくらいに……私の心は、制御不能な未知の感覚に突き動かされていた。
気が付くと、家のすぐ近くまで来ていて……ぼんやりしながら、息を整えていた。
とにかく、落ち着かなきゃ。冷静にならなきゃ。
深く呼吸をして、自分を鎮める。
……うん。とりあえず、コーヒーを飲もう。熱くて苦い、ブラックを。
*****
ようやく家に帰ってこれた。外は真っ暗で、もう晩飯時だ。
「バカ翔。出来たよ~!」
相羽さん……何で病院にいたんだろう? もしかして……相羽さん……俺のこと。
「冷めるよ~? バカ翔の分、無くなっても知らないからね」
相羽さん、やっぱり昨日のことまだ怒ってるんだろうな。さっきも、濡れた相羽さんの私服の隙間から見える白い素肌を、ガン見しちゃったし。微妙に下着も見えたしな、専用挨拶が炸裂したけど、それを喜んでたら、すっごい怒られたし。
ああ……100%、嫌われてるな、俺。きっと、俺に文句の一つでも言おうと思って病院までわざわざやってきたんだ。
ああ……過去に戻りたい。やり直したい。くそう、俺のバカ!
「冷めるっていってんでしょ! ケガ人のクセに生意気だよ!」
「うおおおお!?」
いきなり、愛紗が襲い掛かってきた。素早く繰り出されたケリが俺の頭部を捉え、直撃――しなかった。
変わりに焦げ臭い、黒一色で統一された、見る者全てを戦慄させる産業廃棄物が目の前に差し出され、思わず顔を背けた。
「うわ」
「ケガ人は黙って食べる! 骨折してるんだから、いっぱいタリウム摂取しなくちゃならないんだから! ほら、あーんして!」
「ちょ、待て! 愛紗よ。なんだその暗黒物質は!? それにタリウムって言ったら、強い毒性を持つ重金属だぞ! 俺を中毒死させるつもりか、お前は!?」
「カルシウムの間違いだった、ごめんごめん」
「いや、それは別にいいんだけど。何だ、それ?」
「愛紗特製のカルシウム盛りだくさんの病人食よ! これを食べて、さっさとよくなってよね!」
愛紗は小さな胸を張って、どうだ。と言わんばかりにダークマターを見せびらかしてきた。異臭とヘドロ状のそれからは、病気が治るどころか、食ったら病気になるような感じがする。
本当にタリウムが入っていそうだ。
「ほら、食べる! バカ翔の腕が治るまで、あたしが家事をやることにしたからね」
「何!?」
死の宣告だ。くそう、こうなったらオヤジに毒見させるか。
「おい、オヤジ! 愛紗の手料理だぞ。本当は今すぐかき込みたいが、オヤジに毒見、いや、味見させてやる。オヤジファーストだ! いい息子だよな、俺って」
しかし、オヤジの姿はどこにもなかった。
「あれ?」
「あ、お父さん。トイレだよ。すごくおいしそうに食べてくれたの!」
「何だと?」
すると突然リビングのドアが開いて、オヤジがやってきた。顔は今にも死に掛け……かと思っていたが、そうでもない。すっきりと晴れ渡っていて、天にも昇りそうなくらい清々しい笑顔のフレッシュオヤジだった。
「翔。何だ、お前。まだ食べていないのか、愛紗の手料理。愛紗、ありがとうな。俺はこんな可愛いくて、料理のうまい娘を持って幸せだよ」
「えへへ! 愛を込めて作ったからね! お父さん大好き!」
愛紗はダークマターを指差して、オヤジに抱きついた。
いや、違うだろ。これ、殺意とか狂気とかこもってるだろ、絶対。でも、オヤジは思ったよりも元気みたいだし……もしかして、悪いのは見た目だけで、本当にうまいのか?
……そうだよな。考えてみれば、妹が健気に慣れない料理を作ってくれたんだ。愛がこもっているはずだ。
よし。騙されたと思って、食ってみるか。
俺は、スプーンでダークマターを一口ふくんでみた。
その瞬間、オヤジが笑いやがった。唇の端を歪ませて、いたずら小僧みたいに、あどけない笑顔で。
ガリガリボリボリ。グシャグシャ。
口の中で支離滅裂なハーモニーが奏でられる。まるで……そう、地獄の宝石箱。
「ほうれん草と卵を炒めただけなんだけど、どう?」
何!? これが、ほうれん草と卵だと!?
「お、おま。お前! ほうれん草はちゃんと茹でて下ごしらえしたのか!?」
「え? もれなく栄養素を摂取できるように、そのまま入れたんだよ? 卵も殻にカルシウムが含まれているから、殻ごといれたの? どう!? もう骨折治った? HP全回復でしょ!」
俺はトイレに駆け込んだ。
愛紗め! 俺の為を思ってやってくれてるから余計にタチが悪い!




