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私にとっての渡辺くん

 電話に出たのは、愛紗だった。突然の不意打ちに思わず驚く。


 いや、愛紗と渡辺くんは兄妹なんだし、偶然兄の電話に出る事だってある……落ち着こう。


『あの……失礼ですが、どちら様でしょうか?』


「私……。あなたのお兄さんのクラスメイトの、相羽 真理奈と申します」


『え!? もしかして……潤くんのお姉さん……ですか?』


 電話の向こうで、息を飲む音が聞こえた。


「ええ、そうです」


『あの……今日は本当にごめんなさい!! その、実は……兄が……』


 この期に及んで兄のせいにするつもりか。見苦しい。


『その……』


「何かしら?」


 どうせ、くだらない理由なんだろう。口ごもって何も言えないところを見ると、とっさに考え付いただけの大嘘に決まってる。


「私、忙しいの。悪いんだけど、お兄さんに代ってもらえる?」


『あ、兄は……兄は……昨日、車にひかれたんです。それで、今はいません』


「え?」


 渡辺くんが……車にひかれた? 今はいません? それって……それって、もしかして? 渡辺くんが……渡辺くんが……死んだ、ってこと?


「ウソ……渡辺くんが……」


 胸の奥が急に苦しくなった。締め付けられるように、痛くて、苦しくて。


 あの、くだらない挨拶ばかりしていた渡辺くんが……。ふらふらへらへらしてた渡辺くんが……もう、いない。もう、会えない。


『えっと……あの、真理奈さん?』


 コーヒーをおごってくれたこともあったっけ。あれは確か、私が転校した初日のことだったかな。そういえばあれ、初めて男の子にもらったプレゼントかも。


 その翌日、さっそくヘンな挨拶が飛んできて……あと、もみじ饅頭もくれたっけ。あれ、とってもおいしかった。


 そうそう、潤と間違えて、『いたいのいたいのとんでけー』って、やっちゃったんだ。すごく恥ずかしかったな……。


 それから、昨日一緒に秋葉原に行って……抱きつかれて、蹴って。ご飯おごらせて。


 ……楽しかった。すごく。


 走馬灯のように蘇った記憶。私の中の渡辺くんは、確かに笑っていて、とてもいい子だった。その笑顔がずっと頭に残ったまま、私は目を閉じた。


 その渡辺くんが……死んだ。もう、二度と、会えない。もう、二度と、あの挨拶が……見れない。


「ねえ、愛紗ちゃん。渡辺くんは、今どこに?」


『市内の病院ですけど……』


「ありがとう」


 私は電話を切ると、まっすぐに駆け出した。市内の地図は頭の中に入っている。バスで行けば10分くらいの距離。まずはバス停に行こう。


 あれ? 何で走ってるんだろう私。別に、歩けばいいのに。それに……何でこんなに胸の奥が痛いんだろう。


 疑問が頭の中で溢れかえるけれど、体は自然と速度を上げて住宅街を駆けていた。


「あ!?」


 急に世界が揺れて、目の前にアスファルトが迫る。なんとか両手をついて止まると、足元を見て苦笑した。


「そうだ。サンダルだったんだ、私……」


 改めて、何でこんなことをしているんだろう? と、考える。けれど、まったく答えは出ない。


 答えが出ない代わりに出てきたのは、渡辺くんのあのヘンテコな挨拶。そして私は道路の真ん中で座り込んだまま、再び苦笑した。


 そっか。そうなんだ。だから、私は今、なりふり構わず走ってるのか。


 渡辺くんはいつも私の側にいたんだ。席が隣だからってだけじゃなくて……。


 私はサンダルを装着して再び立ち上がると、駆け出した。


 せめて一言、言わなくちゃ。渡辺くんは……私にとって……初めての……大切な……。


 サンダルを履いたままでは思うように走れない。不安ばかりが胸の中を通り過ぎて、息が詰まりそうになる。


 それでもなんとかバス停にたどり着くと、タイミングよくバスがやってきて、それに飛び乗った。そしてバスに揺られ10分後、目的地にたどり着く。 


「渡辺くん……」


 雨が降っていた。激しくはないけれど、静かにさんさんと降り注いでいる。


 少しづつ濡れていく私の体。愛紗に隙を見せないためにばっちりと決めた服も、転んだり汗と雨ですっかり台無しだ。


 でも、雨が降ってよかったかも。私の頬を流れる雫は、悲しみの象徴なんかではないと、誤魔化せるから。


 病院の入り口までたどり着くと、私は思わず足を止めた。そして、そのまま固まって後一歩が踏み出せないでいる。


 この先には……渡辺くんがいる。物言わぬ体となった渡辺くんが……。


 怖い。そんな変わり果てた彼を見るのは……。せっかくここまで来たのに……私は動けずに、うつむいたままその場に立ち尽くした。


「あれ? え!? 相羽さん! どうしたの。もしかして、どこか体悪いの?」


 男の子の声がした。やけになれなれしい感じで、私に近付いてくる。


「偶然だなあ。俺さ、昨日車にひかれちゃって……骨折しちゃったんだ。救急車で運ばれたらしいんだけど、その時の記憶が無くって……どんなんだったんだろ、救急車の中って。ああーレアな体験だったんだろうなあ」


 うるさい。あんたは骨折で済んだかもしれないけど、渡辺くんは……。


「ねえ? とりあえず中に入ったら? そんな所にいたら風邪引いちゃうよ?」


「うるさい! あんた一体さっきから何なのよ! なれなれしく話しかけないでよ! 私は……渡辺くんのことが心配で……心配で……」


 顔を上げて男を睨んでやった。すると、そこにいたのは……。


「え、渡辺くん?」


 三角巾からギプスをのぞかせた渡辺くんだった。

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