親父、渡辺 明人
「お父さん、潤くんのこと悪く言わないでよ! そんなお父さん、嫌い」
愛紗はプイっと顔を背けて、イスから猫みたいに元気よく飛び降りると、ソファに寝転がった。そして、仰向けになると携帯の向こうにいる潤と見つめ合う。ソファの上で両足をブラブラさせて、非常にはしたない。
親父は愛紗の姿を追って、イスに座ったまま体をひねり、非常に落胆した様子で愛紗に問いかけた。
「嫌い!? 愛紗……その潤くんとやらと、お父さん。一体どっちが好きなんだ? もちろん、お父さんだよな?」
「潤くん」
愛紗は即答した。
親父の般若のような形相が、一瞬で今にも泣き崩れそうになった。そして、ふらふらとリビングを出て行こうとする。
「おい親父! 飯まだ残ってるぞ、どこ行くんだよ!」
「……トイレで泣いてくる」
背中を見せたまま、親父はリビングを去った。その背中は哀愁というかなんというか、傷を負った男の背中だった。
それからしばらくして、うおんうおんとリビングの壁を突きぬけ、親父の嗚咽が聞こえて来て俺は思わず箸を止めた。
父親ってタイヘンだな。
俺は食事を終えると愛紗と俺の食器を片付け、注文を受けたミルクティーを持っていくと、愛紗は誰かと電話中だった。
「本当!? じゃあ、明後日の12時に行くね! 絶対絶対絶対、何があっても行くからね! 潤くんのお姉さんとお話しするの、今から楽しみっ! あ、そうそう! 大豆ってスゴイよね! あたしも豆腐が大好きなんだよ。大豆サポニンは偉大だね! それにしても奇遇だよね~、潤くんの好きな食べ物と、あたしの好きな食べ物が同じなんて!」
相手は潤らしい。ン!? 潤? ヤバ、さっきの豆腐のくだりは、俺の大豆知識であって、潤のあずかり知らぬところである。大豆サポニンとか、女子中学生が急に口に出したら引くだろ。これは愛紗にばれたら蹴られるぞ。
『愛紗ちゃんも、豆腐が大好きなんだ……すごい偶然だね。一口に大豆と言っても、いっぱい種類があるんだよ。このあたりはネットで調べるとすぐに出てくるんだけど……大豆サポニンはすごいよね。コレステロールの吸収を抑えてくれるし、お肌にもいいんだよ。大豆と言えば、大豆レシチンが……』
潤は俺より大豆が詳しかった。一体何者だ、潤は。ともあれ、俺の口からでまかせがバレなくてよかった。
「あはは。そうなんだ~すごいね。うんうん。……じゃあね、潤くん! ……んもう、先に切りなよ~。……じゃあ、二人同時に切ろっか! せーのっ……」
それにしても愛紗の奴、明後日は潤の家へ遊びに行くのか……しかも、相羽さんに会うだと……。粗相がなければいいんだが。
「潤くん大好きっ」
通話が終わると愛紗は、自分の携帯の通話口にそっと口付けをした。
「あたしが潤くんと結婚したら、相羽 愛紗になるのかあ~。イニシャルはAA……。でも、相羽 愛紗って舌噛みそう。とにかく、日曜日は決戦だわ! まずはお姉さんを攻略して、順当に外堀を埋めて……フフ。あたしの将来設計は完璧♪」
もう、あいつの瞳には潤しか映っていないんだろうな。我が妹のクセにリア充とは、許せん。
「なに? バカ翔いたの? 我が血を分けた兄とは思えないくらい、存在感ないね。潤くんの爪のアカを毎日青汁と一緒に飲みなさいよ」
そういうお前は、相羽さんの爪のアカをプロテインと一緒に毎日飲みやがれ! という言葉が喉まで出かかったが、俺は大人だ。こんな、身も心もおこちゃまな愛紗と、同レベルの稚拙なケンカをするわけにはいかない。
俺は怒りを感じながらも、ソファに寝転がっている愛紗の目の前に、ミルクティーを突き出した。
「あ、やっぱレモンティーにしてくれる? 今、ミルクティーって気分じゃなくなったの。あたし、部屋に行くから直接持って来てね。五分以内でお願い。それと、勝手にドア開けないでよ。開けたら殺すから」
「……お前、俺をなんだと思ってんだ」
「バカ翔(笑)」
愛紗は意地の悪い笑みを浮かべて答えた。
俺は神速のごとき速さで、チョップを繰り出す。もう許せん。
しかし、愛紗はソファから飛び上がると、やすやすと俺の攻撃をかわし、スキップしながらドアを開けて、二段飛ばしで階段を駆け上がった。
『ほーら、後4分29秒だよー。早く持ってきてねー』
階段の上から聞こえる愛紗の声。しかたがないので、俺はその場でミルクティーをがぶ飲みした。
「うわちい!!!!」
愛紗め! 後4分18秒か……。
淹れたてのミルクティーは、熱くて火傷してしまう。舌に違和感を覚えつつ、テーブルを布巾で拭いていると親父が戻ってきた。
「親父。片付かないからさっさと食ってくれよ。このあとアイロンがけもしなきゃならないんだし」
「翔」
「何?」
親父は戻ってくるやいなや、俺を呼んだ。テーブルの食べかけの豆腐ステーキと、俺の布巾を交互に見て一つ息を付き、イスに腰掛けた。
「愛紗は……いないか」
親父はさっきのダメージがでかかったのか、なにやら表情が暗かった。
「ああ。気にするなよ、親父。嫁の貰い手がないよりいいじゃねーか。愛紗だって――」
「翔。ちょっと真面目な話をしよう。まあ座れ」
「え?」
親父の眼差しは真剣なモノだった。普段のちゃらけた空気がどこにもなく、大人の、父親の顔になっていた。
俺は布巾を動かす手を止めると、親父の隣のイスに座って親父の目を見た。
「さっき、お前に日付を聞かれて考えたよ。もう10月なんだな」
「ああ……それがどうかしたのかよ?」
「あと2ヶ月もすれば年が明けて、4月になればお前も高校三年生、受験生だ。……進路はちゃんと考えてるのか?」
「……ああ、一応」
「お前、何かしたいことはあるのか?」
「ある……」
「何だ? 言ってみろ」
「……そんなモン、急に言われても……恥ずかしいって、言えるかよ」
「なら、それは諦めてしまえ」
「何だよ、いきなり!」
「人に……家族にも言えないような、その程度の覚悟の目標なら、諦めろ。人生をなめるなよ、翔。生半可な覚悟で、中途半端な気持ちで考えるな。お前の一生に関わる大切な事なんだからな」
「わかったよ、言うよ。……笑うなよ、親父」
「子供の夢を笑う父親がどこにいる。俺はいつだってお前の味方だ。言ってみろ。俺にできることなら、なんだってしてやるから」
俺は意を決した。誰にも言わなかった密かな憧れ。できるかどうかも解らない夢物語を。
「ゲームを……作りたいんだ」
「ゲーム?」
「ああ。ネトゲ……俺と愛紗が今やってる、カオス・クロニクルみたいなゲームを……プログラムする仕事がしたい」
「そうか……」
「だから、情報系の学部がある大学に進学したい。行きたい大学ももう決めてある。でも……ここからじゃ通えない」
「ふむ」
「けれど、親父はたいてい帰りが遅いし、愛紗は家事をやりたがらないから、俺が家を離れるわけにはいかないだろ?」
「確かに、そうだな」
親父は苦笑して、前を見た。
「だから、迷ってんだよ」
俺の言葉が終わってすぐのことだ。俺の目を見て、真剣な顔つきになった。
「何を迷う必要がある。お前は行きたい大学に進学しろ。1人暮らしに必要な金なら俺がなんとかするし、家のことも気にするな。なんとかなる」
「親父……」
「お前の夢は俺の夢だ。やりたいようにやれ。後悔のないように生きろ。今時分、自分のやりたいことがあって、目標を持って進学する若者なんてそうそういないんだ。思いっきりかましてこい」
「何をどこにかますかわかんないけど、わかったぜ。いいんだな?」
「ああ、お父さんも、大学時代はそれはそれはモテたもんさ。母さんと出会ったのはその頃で……母さんが登校するタイミングを見計らって、大学のキャンパスで、ビシッと挨拶を決めたもんさ。フ」
親父、母さんにもやってたのか。つくづく俺はこの親父の息子なんだなと、思い知った。
「まあ、とにかく。お前がこれからどうしたいのかが解ってよかった。頑張れよ、翔。あの業界は厳しいぞ。それにネトゲなら、データベースの知識もいるだろうな、俺も詳しくは知らんが。お前がもし勉強したいってんなら、もう一台パソコンを買って、今のマシンにLinuxでも入れてMySQLなり、Postgresなりを入れて、データーベースを勉強してみるか?」
ちなみにLinuxはOSの一種で、MySQLとPostgresはデータベースの種類だ。
「本当かよ!? けど、あのマシン……みんなの思い出が詰まってるじゃないか……」
「そうだなー。お前の『学校・レポート課題』フォルダにゃ、二次元、三次元問わずのかわいい女の子がいっぱいだからなー。最近の学校は、面白いレポートを提出させるねえ。平成生まれが憎いわ」
「な、ななななな! 何で知ってんだよ!? てか、あの中身見たの!?」
「父さんは、ほら、あの、5番目のJPEG画像の、ピンクの髪色の女の子が好みだな。お前ね、昔から母親ってのは息子のエロ本探すの得意なんだよ。あー、俺は親父か。まあ、親には子供が何をやっているか知っておく義務があるからな~。ていうか、翔。愛紗の潤とかいう小僧は気に食わんが、お前はどうなんだ?」
「どうって何だよ?」
「好きな子の1人や2人いないのか? 父さんが高校時代の頃は、ハーレム野郎と呼ばれるくらいモテて……」
過分に誇張表現だろ、それは。どうせ、隣近所のおばちゃんや、野良犬、野良猫も総動員してるに違いない、親父の話は基本半分に聞いておかないと。
「いるけど! 親父には関係ないだろっ! 風呂洗ってくる、じゃあな!」
俺はリビングを飛び出して風呂場に向った。……後で、『学校・レポート課題』フォルダをどっか別の所に移しておかないといけないな。




