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8.キラルの双子


「……聞いてない。あんなことができるなんて」


サトコと別れて帰路につきながら、ふてくされたように黎也は言う。

“あんなこと”とは即ち、レイがラップトップに文字入力をした前代未聞の行動を指す。レイの言葉が黎也以外の人間に伝わる――それは、十四年と幾ばくの年月を共にしてきて初めてのことだった。聞いてない、と再び黎也は呟く。


『言ってないからな』

「……! てめッ、」

『冗談だよ――俺だって、知らなかった』


まさか成功するなんて。黎也の中にだけ吐き出されたレイの言葉には驚きが滲んでいて、どうやら嘘ではないらしかった。


『もしかしたら、って思って……ちょっとした実験のつもりだったんだけど』

「どーゆー意味」

『あのラップトップが、特別なんだよ』


他のコンピューターではこうはいかない、とレイは言う。《神様》を宿すあれだけが彼の言葉を形にできるのだと。それが《神様》の力なのか、はたまたラップトップ自体が特殊なのかはわからない。


「……はは、何、お前《神様》と同種なわけ?」

『あっちの正体は知らないけど。でも似たようなもんだろ、同じ“形のない者”同士だよ』

「………、」


冗談のつもりで言ったことを肯定されて、黎也は言葉を詰まらせた。黎也自身、レイのことはよくわかっていない。

どうして彼が自分と共に在るのか、どうして自分にしか見えないのか。そんなことを考えるのはとうの昔にやめてしまった。

今となってはただ、一緒にいるというその事実だけで良い。黎也の世界はレイの存在によって構築されていると言っても過言ではなく、またレイにとっても黎也だけが全て――そうやって、過ごしてきたのだ。


(レイ、お前はどう思ってるのかわかんねーけど)


黎也は小さく息を吐く。

これまで一度も覆されることのなかった二人の不文律は、サトコの存在によって僅かに変化した。二人きりの閉鎖された世界に、流れ込んでくるものが現れた。そのことに対して黎也は少しだけ――少しだけ、困惑している。






* * *






翌日も黎也はサトコを連れ、件の児童館に居座っていた。サトコの側には彼女がまた家から持って来た、ラップトップが置いてある。


「毎日運ぶのも大変だな、それ」


言いながら黎也が伸ばした指の先に目をやって、サトコは困ったように笑う。

ノートパソコン型をしていると言っても、持ち運びには不便なラップトップ。レイがそれを通してサトコと会話できるのだから、毎回持ち込むだけの価値はある。――とても面倒なだけで。


「……じゃあ、次からうちに来る?」

「アキミヤの?」

「うん、そしたら運ばないでいいし」


サトコからの提案に黎也は困惑した。一度入ったことがあるとはいえ、女の子の家だ。入り浸るにはいささか肩身が狭い。


「でもさ……」

「須賀くんのこと、お母さんに説明してあるから」

「は?」

「学校の課題でたまたま組むことになった、って。一カ月の間くらいならそれで通せるよ。お父さんはいつも帰りが遅いし、お母さんは家にいる日もあるけど週三日はパートに行ってる」


やるじゃんトーコ、と呟いたのはレイだ。自分にしか聞こえない賞賛の言葉を聞きながら、同じことを黎也も思う。

サトコは見た目よりもずっとしっかりしているし、強かだ。その小さな身体からでは想像がつかないほどの行動力も持っている。

――そして、母親に嘘を吐くことを躊躇わないほどに切羽詰まっているらしい。


『いいじゃん、トーコの家。児童館も毎回人が来ないとは限らないし』

「……じゃあ、お前が良いっていうなら。レイもそうしろって言ってる」

「ホント? 決まりだね」


じゃあ次回は我が家で、笑ったサトコに頷いた。それからしばしだらだらと世間話のようなものをしてしまってから、はっと黎也は表情を引き締める。これでは何のために来たのかわからない。

ラップトップの電源を入れて、レイが使えるようにする。昨日は特になにもできず解散してしまった――レイの起こした行動に二人で驚いただけだった――ので、今日は何が何でも状況を進展させなければいけないのだ。もとより、残された時間は少ない。


【レイの発言】:まず状況を整理しなきゃね


ディスプレイに現れた文字を合図に、サトコも真剣な目をする。状況整理はものを考える上での定番だ。しかしそれが最も効果的でもある。


「じゃあ……、約束について。期間は四年、期限は来月の二十九日。四年に一度の日」

「《神様》は私に、その日に約束の結果を見せてもらうって言った」

「ラップトップはアキミヤが小学校六年生のはじめに貰ったもの」

「私は約束をしてない。前の閏年には、ラップトップは持ってなかった」

「“見つからなければトーコが一緒に来てくれる”――だっけ?」

「うん。約束の内容について触れることは二十九日まで禁止。それがルール」


持ちうる限りの、一掬い分にしかならない情報を二人は交互に口にした。瞬間、カチ、とラップトップから音が響く。表示していたチャット画面のリロード音だ。見ればそこに、新しい文章が付け加えられていた。


【レイの発言】:見つからなければ、ってどういう意味だと思う?


目で文字を追いながらサトコが首を傾げる。しかし黎也にはその瞬間、レイの言いたいことがはっきりと理解できた。


「見つける、ってことは――探さなきゃいけないんだ」

『黎也、正解』


満足気なレイの声が頭いっぱいに響き渡って黎也も笑う。二人の息は不思議なほどぴったりと合っていた。これまで共に過ごしてきた時間の賜物なのだろうか、それとも別の理由があるのかは黎也自身も知らないことである。


『トーコと神様の約束は、何かを見つけてくることなんだ』

「見つかればアキミヤの勝ち、見つからなければ《神様》の勝ちってか」

『何を探さなきゃいけないんだろう……《神様》が、欲しがるようなものかな?』

「そんなんわかるかよ……アキミヤには全く心当たりがないわけだし」

『探す期間が四年も与えられてるものだろ?』

「それって見つかりにくいってことか?」

「ちょ、ちょっと待ってー! 何の話!? 私にも教えてっ!!」


慌てたようにサトコが口を挟んだので、黎也はそこでようやく、今の会話が彼女にとっては意味不明であったことに気が付いた。レイと話し出すと止まらないのはもう長年の癖だ。周りの人間にどう聞こえているかなんて、気にしようともしていない。

サトコには教えてやらなければいけないのだった、と改めて黎也は思う。


【レイの発言】:ごめんごめん、あのね、


レイが謝罪とともに自分の考えを書いていくのを、黎也はぼんやりと眺めていた。文字を打っている間、レイの声は聞こえない。自分の頭の中だけで響いていたはずのそれがこうして形になることは、黎也にとって何度見ても不思議で違和感のある光景だった。


「なるほど……レイって頭が良いんだね。回転が速いっていうか……」

「ああ、こいつ昔から何でかそーなんだ。勉強とか、俺しかしてないのにな」

『そんなに褒めるなよ』

「褒めてねーよ」


光の速さで切り返すと、聞いていたサトコが小さく噴出した。レイの言葉はわからないはずだが、きっとどんなやり取りがあったか予想できたのだろう。


「すごいよ、須賀くんも、ね」

「え?」

「レイの言いたいことがすぐに理解できちゃったでしょ。息ぴったりで――繋がってるみたい。実際繋がってるのかな?」

「さぁ……俺にもよくわかんないんだけど、なんつーか……うーん」


レイが普段どのような状態で黎也と一緒にいるのか。レイ自身に聞いても、言葉にはできないのだと言われたことがある。同じように黎也は自分の持つ感覚をサトコにうまく伝えられず、もどかしさに眉を寄せた。


「双子、みたいな感じ?」

「まぁ見た目は……」

「双子ってお互いの考えとかなんとなくわかるっていうよね」

「俺はレイの考えてることはわかんねーけど。思考が被ることは、ある」


へえ、と声をあげるサトコはひどく感心したようだった。それに僅かに気を良くして、黎也はもう少しだけ説明してみることにする。


「……アキミヤは、“キラリティー”って知ってる?」

「ううん」


聞きなれぬ単語にサトコがきょとんとして目を瞬いた。中学生なら当然のことだ。


「俺も良くはわかんないんだけど。小学生の頃、近所に住んでた大学生の兄ちゃんに聞いたんだ」


その人にレイのことを話していたわけではない。両親同士の仲が良く、その付き合いの延長で何度か家に遊びに行ったことがあっただけだ。理系の大学に進学していた彼の部屋で、よく黎也は理解できもしない大学の教科書を見せてもらっていたのだが――化学の本のあるページに載っていた、そっくりな二つの分子モデルを見て尋ねたのだ。これは一体何なのか、と。


「化学の教科書に、鏡合わせの分子の絵が載ってた」

「ぶんし? この間理科の時間にちょっとだけやったアレ?」

「そう」


まるで自分たちのようだ、と幼い黎也はその時思った。

右手と左手の関係だよ。そう黎也に言われて、サトコは自分の両手を目の前に並べ広げてみる。


「右手を鏡に映すと逆さまになって、左手と同じものが見えるだろ? 右手と左手はそっくりだけど、同じ方向から見たときに絶対重ね合わせることはできない」

「んん……? う、うん」

「あははっ、本当にわかってんの? ま、あんま難しく考えなくていいよ」


あーでもこうするのはナシな。黎也は笑いながら、ぱんと音をたてて両の手のひらを合わせて見せる。合掌のポーズだ。


「そういう、鏡に映ったものと実物が重なり合わない性質をキラリティーっていうんだって。――俺たちも、たぶんそう」


黎也はちらりとラップトップに目をやった。レイはだんまりを決め込んでいて、チャットにも書き込みはない。


「……俺とレイはキラルなんだ。どんなに見た目が似ていても、絶対重なることはない。俺はレイで、レイは俺だ。小さい頃はずっとそう思って生きてきた……けどレイは、違うって言う」


俺とレイは、実像と鏡像、なんだって。

そこまで言い切ってようやく黎也の耳に声が届いた。そうだよ、とレイが言う。


『そうだよ、黎也。俺は俺、お前はお前。どんなに似ていても、俺はお前じゃないよ』

(わかってるよ、でも――)


レイがこういう話をする時、なぜか黎也は不安になる。突き放されているわけでもないのに、一人にされるような気がする。

サトコがいる手前、黎也はそれを口に出さなかった。代わりに今後の計画についてを努めて明るく声にする。時計を見ればもうすぐ十八時、《神様》の目覚めの時間だ。今日はもうお開きだろう。


「――じゃ、明日はアキミヤの家で。何を探せばいいのか、お互い考えとこうぜ」

『トーコって呼べよ、黎也』

「あん?」


不意に軽い調子で囁かれた科白に黎也は眉をひそめる。何を言い出すんだ、と心中でレイをねめつけるも、当の本人は気付かないようだった。気付かないふりをしているだけかもしれない。


『アキミヤってなんか言い辛くない? 俺、トーコがアキミヤって呼ばれてるとなんか違和感感じるから。だからトーコで統一しよ』

「……別に良いだろ、俺だってたまに言うよ……気が向けば」

『駄目だ、毎回呼んで。じゃないとなんか距離を感じる』

「……お前なぁ」

「あの、どうしたの?」


おずおずと尋ねられて、黎也はばつの悪い思いをする。自分のちっぽけな気恥ずかしさなど捨ててしまえば良い話なのだが。

どうも自分はレイには敵わない。昔からずっと思っていることを実感しつつ、黎也は諦めに似た気持ちを溜息と一緒に吐き出した。


「……何でもね。また明日な、トーコ」


レイの嬉しそうな声が、黎也だけを包む。




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