表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/20

4.キラルの双子


きっと二人は、生まれたその瞬間から共に在った。


通っていた幼稚園のトイレには大きな鏡があって、黎也はそれを長い時間かけて覗き込むのが癖だった。尿意を催してもいないのにトイレへ行っては入り浸り、先生に連れ戻される毎日。「本当に黎也君は鏡が好きなのね」だとか、「ナルシストの卵っぽくて、将来ちょっと心配ですね」だとか。迎えに来るたびに大人は好き勝手言いながら、困ったように笑っていた。

黎也は別段鏡が好きだったわけでもないし、もちろん自分の顔に見惚れていたわけでもない。ずっと黎也が見ていたのは、自分と同じ姿かたちをした小さな子供だ。

はじめ、彼はただ黎也を鏡の中から見ているだけだった。よく笑い喋るようになったのは、黎也のほうから話しかけるようになってからだ。


――おかあさん。かがみのなかに、おともだちがいるよ。


それは黎也だよ。そう母親は笑ったが、黎也は違うと食い下がった。自分ではない、けれど自分そっくりの男の子が鏡の中に閉じ込められている。どうして彼は出てくることができないのかと、幼い黎也は必死になって問いかけた。


――そう。じゃあそれは、もうひとりの黎也かもしれないわね。


どこかのんびりとしていた母親はそう言って、鏡に向かって話すという黎也の奇妙な行動を見守った。しかし現実主義の父親は、あまりそれを良く思っていなかったらしい。

小学校に上がってすぐ心療内科に連れて行かれたのをきっかけに、黎也は両親の前で彼と話すことをやめた。







「……あー? なんで。良いじゃん別に」


家から学校へ続く道のりを一人、のんびりと黎也は歩く。一人といっても常に話し相手がいる状態なので、退屈したことは一度もない。


『良くない』


鏡でしかその姿を確認することはできなくても、いつだってレイの声だけは聞くことができる。流石にどこでも気にせず喋ることはしないが(変人が不審者になるのはいただけないと、いくら能天気な黎也でも思う)人が周りにいなければ話は別だ。

黎也は毎朝早くに家を出て、のんびりレイと喋りながら登校する。学校は都市郊外を流れる運河の傍に建っていて、黎也の通学路はその半分以上が川沿いの土手だった。

敷地面積の広さが自慢の学校はやや田舎じみた所にあるため(だからこそ土地が広いのだが)、辺りは自然に囲まれている。たまたま黎也は徒歩圏内にすんでいるが、わざわざ都心部から電車で通う生徒も多かった。

長閑で空気の良い、密かに自慢の通学路である。時間帯によっては人通りがほとんど無いし、帰り道にこの土手から見る夕焼けは格別だ。

毎日の登下校が黎也にとって安らぎの時間だった。……はず、なのだが。


『黎也、お前はほんっとにわかってないね! 楽観的すぎるんだよ。少しは真面目に考えろ! だいたいお前、この間だって……』

「あーあーあーもー!! うるせェ!!」


レイがこうやって小言を零すときだけは別だ。黎也は密かに「説教モード」と呼んでいる。

他の誰に聞こえなかろうと、黎也の耳元では彼の説教がわんわんと響いているのだから堪らない。こういう時レイの声はその感情が高ぶるにつれ、より大きく黎也の脳内で反響するようになる。


「わかった、わかったよ! 行きゃいいんでしょ!!」

『うん、よし』


ついに黎也が折れたので、レイは一先ず満足したようだった。彼は黎也に、安芸宮サトコに会えと言うのである。会って話をし、昨日の申し開きをするべきだ、と。


「アキミヤ、ねぇ……」


昨日の放課後、図書室にやってきた彼女。顔を見るなり血相を変えて逃げてしまったので、黎也とて気になってはいたのだ。そういえばレイとの会話を女に聞かれたのは初めてだな。ぼんやりと黎也は思う。


「俺は変人ってことで通ってるんだから、平気だと思うんだけど……」

『そう呼ばれてる理由を知ってるのは男ばっかなんじゃないの。たぶん女の子は知らないぜ? お前、俺と喋ってるトコを見られたのって今まで男だけだったじゃん』


確かに、と黎也は頷く。

レイとの会話はこの登下校以外では、だいたいが鏡の前で行われる。それは黎也が、できるだけレイの表情を見ながら喋りたいと思っているからだ。人前では極力やらないようにしているけれど、見つかる時は見つかってしまう。校内で鏡のある場所は限られていて、図書室を除けば黎也が使う場所は一つだった。

――男子トイレの鏡。必然的に、目撃者がいたとすればそれは全て男子生徒である。

そう、今までは。


『たぶんあの子、わけわかんなかったと思うよ。お前のこと、変人どころか変態だって思ったんじゃね? 鏡と喋ってるなんてどうみても危ない人だもんな』

「お前が言うなって! ……わかったよ。アキミヤに会ってちゃんと説明する。アレが俺の癖なんです、だから変人って言われるんですーってな」

『なんかお前、自棄になってる?』

「なってない。いつものことだろ」


今までみたいにすれば平気だ。そうすればきっと、半信半疑ながらもたいていの人間が笑って流してくれることを黎也は身をもって知っていた。



安芸宮サトコとは、実はあまり喋ったことがない。

三年生になってはじめて同じクラスになったことも関係しているが、サトコのほうが黎也に進んで接触しようとしなかったからだ。

黎也は友達が多い――しかしその実、本人はあまり他人に関心がなく、来るもの拒まず去る者追わずの状態なのだった。たいていは黎也の人柄や前評判に惹かれ相手のほうからやってくる。つまりサトコはそんな大多数のうちの一、ではなかったということになるのだろう。


さてどのように話を切り出せばいいのか。黎也は誰よりも早く着いた教室でサトコが登校してくるのを見ていたが、考えあぐねているうちに授業が始まってしまった。

休み時間に入っても女子生徒達はなぜか義務のように群れていて、その中に収まってしまっているサトコに声を掛けるのは難しい。


『何してんの黎也、行けって! ほら今だ!』

(うるせェよ馬鹿!)


好き勝手に発破をかけるレイを心の中で罵倒して、それでも結局黎也はサトコに近付けないままだった。“癖”を見られたことに対する弁明。やりたいことはそれだけだったが、できるならば事情を知らない他の女子生徒には聞かれたくない。サトコがもう友達に喋っていればそれは無駄な努力と化すのだが、黎也にはなぜかサトコが昨日の出来事を、自分の胸だけに留めているような気がした。


『クラスの女子に喋りまくるタイプには見えないよね』


同じことを考えていたらしいレイが呟く。お互いの心を読めるわけではないのだが、不思議とレイの思考は黎也のそれとぴったり重なることが多かった。







「――――アキミヤ、ちょっと良い?」


結局黎也が安芸宮サトコと会話するのができたのは、授業が全て終わってしまってからだった。掃除当番になっていたサトコが仕事を終えるのを待って、教室を出たところを捕まえる。いきなり苗字を呼び捨てにされたサトコはひどく驚いた様子で、その眼を白黒させていた(馬鹿少しは気を使えと喚く声が聞こえたが、黎也は無視を決め込む)。


「す、須賀くん……!!」


自分を待ち構えていた相手をようやく認識したらしいサトコが、悲鳴じみた声をあげる。その酷い反応に黎也は思わず眉を寄せた。


(何か……怖がられてる?)

『すげー驚き方。幽霊でも見たみたいだな』


レイの発言になるほど、と黎也もひとりごちた。どうやら怖がっているわけではないらしいが、この反応はお化け屋敷のそれだ。お化け役に遭遇した時の、客の驚き方。

気を取り直して黎也は、極力柔らかな声音で話しかけた。まだ動転しているらしいサトコが理解しやすいように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「いや、あの、いきなりごめんな? ちょっとアンタに話しときたい事があって……」

「――――わ、私も!」


は? 黎也はぽかんと口を開けてサトコを凝視する。なんだこいつ。

私も須賀君に話があるんです。言いつのるサトコの瞳が縋るように自分を見つめていて、黎也は気まずさに身じろぎした。


「あのね、ほんと突然で悪いんだけど、手伝ってほしいことがあるの。時間がないの。お願いします助けてください!!」


須賀君じゃなきゃダメなんです。言われた黎也はきょとんとした表情を浮かべる。

お喋りなレイはこの状況を面白がっているのか、今に限って何も言ってはこなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ