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18.キラルの双子

せっかくの閏年でしたが、現実の29日には間に合いませんでした…。


――三崎冬子は幼い頃に両親を亡くしている。他に身寄りもなく施設の世話になりながら義務教育を終え、奨学金で高校を卒業し、某大学の文学部に在籍することになった彼女の夢は“童話作家”。

高校に入学した頃からいくつかの作品を書いていたらしい彼女が、病床で完成させた最後の作品。どこかに隠された遺作。それに秘められたメッセージの存在を、黎也とサトコは確かに感じ取っていた。


(……見つけなきゃ)


それは叶うことのなかった、彼女の夢の残滓。


「“読むべき人が読むために”……って、三崎冬子は言ったんだよな」

「うん」


病院を訪ねた翌日、再び二人はサトコの家で話し合いの場を設けた。広崎と内藤から得た情報を少しずつ整理してゆく。彼女達の話によって漠然としていた『三崎冬子』という存在が、漸く現実味を帯びた形になった気がした。


「俺さ、なんか三崎冬子に試されてる気がしてきた……」

「試す?」

「そ。こうなること、わかってたんじゃねーかな。まるで三崎冬子が俺達に、その“童話”を探してみろって言ってるような気がするよ」

「ええぇえ……本当かなぁ……」


それが真実なのだとしたら、冬子はずいぶん意地悪だとサトコは思う。

チラリと黎也が視線を動かした。見つめる先にあるのは壁掛けのカレンダーだ。サトコも同じように目をやって残り時間を確認する。

――本日、二月二十二日。見事にぞろ目の日付は、タイムリミットまでちょうど一週間である事を示していた。


「とにかく探すしかないよな。もう時間もないし……なのに、」


バァン! 大きな音がしてサトコは身を竦ませた。黎也が突然立ち上がって、床に一冊の本を叩きつけたのである。無残に転がったそれの表紙に書かれた文字をサトコは読み取った。

『ブラウン神父の童心(和訳版)』――もとは英国の推理小説短編集だ。実はこれ、学校から与えられた読書課題である。二月末日までに感想文(600字以上)を提出。


「なんっっでこんな事しなくちゃいけねーんだよッ! 時間食うだろうが!」

「やっぱり『鏡の国のアリス』のほうが面白いんじゃない? あたしのと交換する?」

「そういう事じゃねーし!」

「まぁまぁ、須賀くん落ち着いて」

「トーコはホンットに呑気だな!」


自分のことだろ!? 呆れたような黎也の声に、あははとサトコは笑う。

なぜだろうか。サトコは来る二月二十九日が、以前ほど恐ろしくなくなっていた。状況は好転したわけでもなく、むしろ謎は深まる一方である。けれど広崎や内藤の語った「冬子」という人間は、どこにでもいる、少しだけ悲しい運命(さだめ)のもとに生まれついた一人の少女で――その事が少なからずサトコに安心感を与えているのかもしれなかった(少女、といってもサトコよりいくつも年上なのだが)。


「看護婦さんや広崎さんの話を聞いて思ったんだけど。“約束”を果たせなかったとしても、《神様》は“冬子”にそんな酷いことしない気がする」

「はぁ…? 何を根拠に」

「だって冬子さんって若いうちに亡くなってしまって、夢も叶わなくて……でもたぶん、ギリギリまで《神様》の話し相手になってた人。《神様》に恨みを買われるようなことは絶対なかったと思う」

「わかるかよ。だって《神様》は自分を“鬼”だって言ったんだろ。ホントかどうか知らねーけど、悪いものだったら……」


そこで微かに黎也は言い淀む。

床から本を拾い上げ、表面を一撫でしてから思い切ったように言葉を繋げた。


「――三崎冬子は《神様》に“連れて行かれた”んじゃないのか」

「……そっ、」


そんなことない!

思わず声を荒げてしまったサトコは我に返ると、気まずそうに俯いた。

黎也の言わんとしていることはわかっている。正体のわからない以上、《神様》が人の魂を喰らうような“何か”であってもおかしくはなかった。

また《神様》が関わった事によって――人外の者がもたらした影響が、病弱だった冬子の命をさらに縮めてしまった可能性もある。例えそれが、《神様》自身の本意ではなかったとしても。


「……ごめん、」


ぐるぐると渦を描く思考の海に飲み込まれていたサトコを掬い上げたのは、ぽつりと短く零された黎也の声だった。


「――え?」

「ごめん、別に俺、《神様》のことを悪く言いたい訳じゃないんだ。ただ――」

「須賀くん……?」


どうして黎也が謝っているのか。似合わない神妙な顔を目の当たりにしても状況を把握できないサトコが首を傾げている間に、黎也は短くヨシ、と呟いた。どうやら彼の中で何かが自己完結してしまったらしい。


「わかった。うだうだ言ってても仕方ねーし、取りあえずコレ片付ける!」


言うなり、表紙を開いて読書に没頭しはじめた黎也をぽかんと見つめる。サトコの視線に気付かずページを捲る黎也は、本当にこの課題を終えてしまう気のようだった。


「…………須賀くん?」


が、しかし。三十分ほど経過してからだろうか、黎也の動きがぱったりと止まった。

訝しんでサトコが覗き込めば、コクコクと船を漕いでいる。

……いつの間にやら、すっかり夢世界の住人になっているらしい。


「……ぷっ」


小さくサトコが吹き出すと同時、ブン、とラップトップの起動音がした。

あぁ、レイが“入った”んだなぁ。すっかり慣れたサトコは画面に向き合い、キーボードに指を走らせる。


【トーコの発言】:こんにちは、レイ。またあなたが須賀くんの睡眠時間を削ったの?

【レイの発言】:違うよ。ただ単に、黎也の読書嫌いが睡魔を呼んだだけ


レイからの返答を呼んでサトコは声を出さずに笑う。どうやら今回は彼の策略ではないらしい。


【レイの発言】:ま、もう一回こうしてトーコと喋りたかったからちょうど良いや。これが最後かもしれないし


――ねぇトーコ。呼びかけが書き込まれても、直ぐにサトコは反応することができなかった。

最後、という文字に目が行って胸が軋む。すやすやと寝息を立てている黎也に隠したままの、レイに残された時間。


【レイの発言】:この前黎也が、バニシング・ツインの話をしたのを覚えてる? 母親の胎内で死んだ双子の片割れは、もう一人に吸収されてキメラ状態で生まれてくることもある、って。

【トーコの発言】:うん、覚えてる


短く返事を入力し、サトコはキーボードから指を離した。レイの言いたいことを全て聞いてあげたい、そういう意思表示のつもりで。

レイにもそれが伝わったのだろう。画面上に次々と彼の言葉が現れた。




【レイの発言】:俺の身体がどうなったのか、実際はわからない。でも一つはっきりしてるのは、魂だけは黎也の中に入ることができたんだってこと。



――俺は、神様に願ったんだと思う。このまま消えたくない、黎也と一緒に生まれたい、って。

たぶん黎也も同じ事を望んでくれた。身体の中に、俺の魂の居場所を作ってくれた。


神様はきっと気まぐれに、俺達の願いを聞いてくれたんだと思うんだ。


……でも、わかってる。


こんなこと、本当は許されちゃいけない。消える運命のモノはそうであるべきだ。

だから、期限があったんじゃないかな。


俺は黎也と一緒にこの世に生まれた瞬間から、終わりの日を知ってたよ。



【レイの発言】:だから毎日が幸せだったよ。

【レイの発言】:一日一日が大切で、仕方なかったよ。





読み進めているうちに、何故だか涙が滲んだ。サトコはそれを零してしまわないように、ぎゅうと一度目を瞑る。


【トーコの発言】:本当に、それで良いの?


どうしても尋ねたくて、それだけを書き込んだ。

サトコを待つ“約束の日”まで一週間。それは、レイに残された時間が――黎也の誕生日まで、残り十日であることを示していた。


【レイの発言】:良いんだ。もう、十分。

【トーコの発言】:でも須賀くんは……

【レイの発言】:そうだね。だからさ、トーコ。ちょっとお願いがあるんだけど


続いて書き込まれたレイの“お願い”を読んで、サトコは一つ頷いた。

優しい彼の頼みを叶えてやるためにチャット画面とは別のウィンドウで、メモ帳の機能を呼び出す。


【レイの発言】:ありがと、トーコ。






* * *







「ああぁあぁあぁあっ!!」

「きゃー! って、え、何!?」


奇声を上げて飛び起きた黎也に驚いて、思わずサトコも叫んでしまった。

がばりと身体を起こした彼の目がサトコをとらえると同時、ばっと手を伸ばして肩を掴んでくる。


「す、須賀くん?」


寝呆けているのだろうか。恐る恐る声をかけてみれば、思いのほか黎也はしっかりした目つきをしていた。しかし次の瞬間彼が口にした言葉に、サトコは目を点にする。


「わかったぞトーコ。“木の葉を隠すなら森”だ!」

「へっ?」


やっぱり寝呆けてる!

サトコは確信した。黎也が口にしたのは彼が寝る寸前まで読んでいた『ブラウン神父の童心』に載っている有名な一説だ。大方、夢にでも見たのだろう。


「言っとくけど俺は正気だからな!」

「……。」


考えをすっかり読まれていたサトコは押し黙る。その間に黎也は深呼吸すると、真っ直ぐな瞳を向けた。


「木の葉を隠すなら森が一番だ。他にも似たような葉があって、見つからないから。じゃあ本を隠すならどーこだ?」

「え、えぇと……本が沢山あればいいのかな? 図書館とか、本屋さんとか――――」

「……」

「…………、」

「………………」

「…………………あれ?」


遅ェよ! と笑い半分に黎也が怒鳴る。 


「そうだよ! 何で三崎冬子は死ぬ前に、お前の叔父さんがやってる本屋に行ったんだと思う?」


まさか、とサトコは息をのむ。ゆっくり頷く黎也を、信じられないような心地で見つめ返した。


「何度も足を運んだ理由は、本を隠すのに最適か確かめたかったんだ。趣味でやってるような小さな古本屋で、客の出入りも多くない。ぴったりじゃねーの?」

「おじさん、本のチェックなんてしてなかったから……一冊増えても絶対わかんない」


木の葉を隠すなら――。サトコは黎也の持っていた本に視線を落とす。黒い僧帽に蝙蝠傘、ずんぐりした身体のブラウン神父が一瞬、表紙の中で笑っているように見えた。


「灯台元暗しってこういうことを言うんだな……冬子はあそこに本を隠したんだ。だから、同じ場所にラップトップも預けておいた」


それはいつかその遺作を読む人への、メッセージのつもりだったのだろうか。

冬子の考えはわからない。しかしただ一つ、サトコは今自分のやるべき事を理解した。


「おっ、叔父さんに電話してくる!」

「今から行きます、って言っといて」

「うん……!」


震える指でダイヤルし、二人で家を飛び出したのはそれから直ぐのこと。

急ぎ訪ねた叔父の店の本棚を、隅から隅まで探し回った。聡は何も聞かずに二人を招き入れると、店頭のシャッターの鍵だけを開けてくれた。






――“それ”を見つけたときの気持ちを、胸の内の震えを、一体どう表現すればよかったのだろう。

文庫本と同じ大きさの、手作りの童話。沢山の本の間にひっそりと挟まって、今日までサトコ達を待っていたのだろう。指でなぞれば埃を被った表紙に、薄く線が入った。




「――あった……」




一目でわかった。

だって、その本の題名タイトルは、




「……――“ラップトップの神様”」






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