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17.ラップトップの神様


この世に生まれてくる命にはすべからく理由があると、そうサトコは信じている。


誰もが一度は考える“己の存在理由”。その例に洩れず、サトコにも思い悩んだ瞬間がある。

かつて途方もない思考の海に飲まれた時、サトコは一つの結論としてそれを導き出した。ひとはきっと一生かけてその理由を知るんだろう、と。そして出来れば自分はその理由を、他人との関わりの中で見つけたい――そうなったら素敵だと、幼心にサトコは思ったのだ。


年老いて死ぬ者はその経験を他者へ伝え、若くして死ぬ者はその命の尊さをより鮮烈に周囲へ残す。

――では、とサトコは思った。

制限時間タイムリミットを最初から知った状態で生まれ落ちた者は、その僅かな時を何のために使うのだろう。何を成すために生まれたのだろう。


レイに与えられたのは、たった十五年。







「……コ、トーコ!」

「は、はいッ!」


深く深く沈んでいた。昨晩から堂々巡りを繰り返す思考の波に浚われていたのを馴染んだ声に掬われて、サトコはぱちぱちと目を瞬く。


「次、降りるよ」

「え? うわ、もう着いたんだ」

「喋んねーから寝てるのかと思った。でも目ェ開いてるし、なのに動かないし。怖いよお前」


カタン、カタタン。規則的な揺れと窓の外を流れる景色で、サトコはようやく電車に乗っていたことを思い出した。

くすくすと笑いながら黎也が言う。


「トーコ、また夜更かししただろう」


隈できてる。目の下を指さされて、サトコは乾いた笑いを漏らす他無かった。確かに昨日は殆ど眠っていない。目を閉じればレイの言葉が蘇り、意に反して頭は冴える一方だったから。


「あ、アハハハー……」

「……ったく、しょーがないな俺もトーコも」


俺たちダメダメだなー。昨日サトコの家で爆睡した黎也は頭を掻いて笑った。同時にアナウンスが流れ、ゆっくりと電車が停止する。

滑らかに開いた車両ドアから、二人は連れ立ってホームに降りた。







黎也が昨日提案した通り、二人は授業が終わるやいなや学校を飛び出した。職員会議とやらの影響で幸いにも今日の授業は短縮化されていて、午前中までで下校できる。掃除があったがそれはサボって(常習犯の黎也はともかくサトコはかなりの勇気を要した)、家にも帰らず駅へ直行した。

目指すのは黎也が調べてきた病院だ――“三崎冬子”が入院していた、その場所。


「えーと、こっち」


駅を出て直ぐの分かれ道も、黎也の案内で迷わず進む。今日は事前に地図を手に入れてから来たので抜かりはなかった。

黎也の方が少し広い歩幅を調節して隣に並ぶ。なだらかな上り坂はまだ肌寒い初春の空気から、少しだけ二人の身体を暖めた。


「……で、何をぼーっと考えてたわけ?」


暫しの沈黙の後、先に口火を切ったのは黎也のほうだった。過ぎた話を掘り起こされてサトコは慌てふためく。


「えぇと、そ、存在理由について……」


馬鹿正直に答えてしまってすぐに後悔した。何を言ってるんだろう。

自分の口を手のひらで覆い隠したサトコを黎也が不思議そうに見つめる。


「存在理由? 何、自分の?」

「あ、違くて、えっと」

「トーコって意外と難しいこと考えるんだなー」

「違うよ! 私じゃなくてえっと……《神様》、の……」


レイの、だなんて言えるはずがない。自分の狡さに情けなくなって、嘘の言葉は尻すぼみに消えた。そのままサトコは俯いて口を噤む。


(須賀くんには、言えない)


言ってはならない。悟らせてもいけない。

レイから託された彼の最大の秘密は、たった一晩でサトコを押しつぶしそうになっていた。寝ずに考えた頭が弾き出した答えは、“隠し続ける”しかないという事だけ。それがレイの望みであったし、それしかサトコにはできないのだった。


(駄目だ、)


今ここで下手にレイの話を振れば、勘のいい黎也は何か気付いてしまうかもしれない――それだけは避けなければならなかった。レイという存在の消失を止める術が、サトコにはないのだから。

苦しい内心を必死で押し隠すサトコの様子を知ってか知らずか、ふぅんと呟いた黎也は少しの間考える様子を見せる。


「……“存在理由”のことを、“レゾン=デートル”って言うんだってさ。何か格好良くね?」

「へ?」

「って、レイが今言ってた。……難しいことはわかんないけどさ」


黎也はくるりとサトコのほうに首を向け、白い歯を見せて笑う。


「何の為に生まれたのかなんて、死ぬまでわかんなくても良いんだ。理由なんて作りたきゃいくらでもできるし……」

「ご、豪快だね……」

「《神様》みたいな曖昧な存在もさ、何で自分が生まれたかよりは……どうしてラップトップに宿ったのかのほうが、大事だったんだと思う。少なくとも俺はそっちの方が知りたいな。三崎冬子との関係とか……」


うん、とサトコは頷く。黎也の言うことは尤もだと思った。けれど真面目に考えられたそれが、サトコの吐いた嘘から始まったことが心苦しい。

申し訳ない気持ちになるサトコの横で、でも、と黎也は一度言葉を区切った。


「俺も考えたこと、あるけどさ。存在理由とかそんな大したモンじゃないけど――どうしてレイが俺と一緒にいてくれるのか、とか」


はっとサトコは顔を上げる。思わぬところで聞きたかったものに近付いた。それも、黎也のほうから。


「……どうしてだと、思うの?」


今を逃してはいけないと思った。サトコは慎重に言葉を選んで訊ねる。本題に辿り着けるような、なおかつ深い部分に踏み込みすぎないような、そんなギリギリのラインを探した。


「色々考えたんだけど……答えは単純だと思うんだ」

「単純?」

「そう。たぶん、俺がそう望んだから」


そしてレイも、俺と一緒にいることを望んでくれたから。

当たり前のように語る黎也の言う意味がわからなくてサトコは首を傾げる。単純明快すぎる答えは、それ故に難解だった。


「トーコはさ、“バニシング・ツイン”って知ってる?」


……聞いたこともない。また何やら難しげな単語を出した黎也に、サトコは正直に首を横に振った。


「双子として生まれるはずの一方が母親の胎内で、すげー小さいうちに流産になっちゃったりすんの。それか母親の腹に吸収されちゃったり……」

「それって……」

「双子の筈だったのにさ、生まれる時には一人になってるわけ。母親の胎内で一方が消失バニシングしてるから、“バニシング・ツイン”」


ツイン、は双子を指すのだとサトコにもわかった。黎也の言わんとしていることが少しずつ、理解できてくる。


「でな、消失する側の胎児が母親に吸収されずに、もう一方の子と融合して生まれてくることもあるんだって。キメラ、っていうんだ」


キメラ、とサトコは小さく呟いた。キラル――実像と鏡像の関係を表す言葉だった――に、少し響きが似ている。

キメラは二種以上の胚由来細胞からなる融合個体のことだ。一つの身体に別々の遺伝情報を持つ細胞が共存している。

無論サトコにそんな専門的な知識はないが、漠然とその意味合いを感じ取ることならできた。


「――俺とレイは、双子だったんだと思う」


黎也の声は確信に満ちていた。


「双子……もとは、本当の?」


キラルの双子が本来、真の双生児であったこと。それは夢物語でありながら、酷く現実味を帯びていた。

黎也が言うなら本当かもしれないとサトコも思う。彼とレイにしかわからない何かがそう告げているなら、真実なのだと。


「ん。で、レイが消えてしまう側だった」


消えるという言葉にサトコはドキリと身を竦ませる。それには気付かなかったのだろう、黎也はさらに続けた。


「レイの身体が流れたのか、母親に吸収されたのか、俺と融合したのかはわかんない。でも――」

「……、」

「レイの魂は俺の所に留まった。何でかな、わかんねーけど……そう思うんだ」

「須賀くんが、レイが、それを望んだから?」


うん、と黎也は笑う。


「くだらないかも知れないけど。始まりはホントに些細な、俺たちの我が儘だった気がするんだ。『別れたくない』、『一緒に生まれたい』、そんなふうな」

「く、くだらなくなんかないよ!」

「……へへ、あんがと。だからさ、俺は思うわけ。大事なのは生まれてきた理由わけじゃなくて、生まれてからどう生きるか」


手に入れた命を、時間を、どう使うか。

言い切った黎也がサトコには、自分よりずっとずっと大人に見えた。その横顔をぼんやりて眺めていると、あ、と黎也が声を上げる。


「何だかんだ喋ってるうちについちゃったなー」


彼の指さす先を追えば、サトコの目に白い建物が飛び込んだ。間違いない、目的の病院である。


「……つーか、何か真面目に語ってハズい。何かヤダ。さっきの忘れて」

「えーどうしよっかなー……」

「ちょ、トーコ!」






* * *






白い外観は長年の雨風に曝されてきたためだろう、所々が黒くくすんでいる。

総合病院と言うにはやや小さいが、この町にあるにしては十分すぎる大きさがあった。たった一棟ではあるが、入院患者用の病棟も存在している。


――霧窪中央病院。


年季の入った看板を読み上げながら、サトコは黎也と共に入り口を潜り抜けた。










「―――――申し訳ありませんが、お教えすることはできません」


受付嬢の朗々とした声が響く。にこやかに――しかし断固とした拒否をされた、そこからが戦いだった。

過去の患者情報など病院側が漏らすはずがない。正々堂々頼んで断られた後は、何とか話だけでもと二人で片っ端から声をかけた。

医者、看護婦、入院患者。通りがかる人間を捕まえては同じ質問を繰り返す二人を見かねて受付嬢が声をかけてきたのは、実に一時間以上粘った後のことである。


「仕方ないですねぇ……」


黎也とサトコという二人連れが、どう見ても悪意――個人情報を悪用するだとか――など感じられない子供であることが幸いした。一度は黙秘に徹した彼女は困ったように笑うと、内線でどこかへと電話をかける。聞けば特別にある人物にコンタクトをとってくれたというので、当のサトコ達が驚いてしまった。


「本当はこんな事しちゃ駄目なんですからね。内緒にしてね?」

「はい!」

「面会時間の規定で、お話を聞けるのは17時までです。じゃあ、そっちの通路からどうぞ。病棟に着いたら案内してもらえるように、看護師を一人呼んでおきましたから」


指示に従ってくださいね。優しく送り出されて黎也とサトコは彼女の示した方向へ足を踏み出す。二、三歩の後、示し合わせたかのようにくるりと振り返った子供二人を見て、受付嬢は笑って手を振った。


「行ってらっしゃい」

「――ありがとうございます!」



二人が通されたのは入院患者用の病棟であった。渡り廊下で本館と接続されているが、実質は離れのような造りをしているそこ。患者への配慮なのだろう、周囲は緑に囲まれ酷く静かである。

病棟へ辿り着いてすぐに、二人は自分達を待っていた看護婦と合流した。受付嬢の言っていた“案内役”だ。これまでに見た他の看護婦よりも年配で、落ち着いた様子が見て取れる。


「こんにちは。お話は聞いてますよ」


黎也達が声をかけると心得たように笑った彼女こそが、二人が接触を勝ち取った“一人目”の人物だった。

彼女の胸にあるネームプレートにサトコはさっと目を走らせる。『内藤貴子』とそこにはあった。


「三崎冬子さんの事が知りたいんですってね?」

「はい、」


黎也はサトコに刹那の間だけ目配せする。次の瞬間には何もなかったかのように表情を取り繕い、これまで他の者に説明した言葉を一言一句違えずに紡いだ。


「俺達、幼なじみなんですけど。コイツの叔父さんがこの町に住んでるので、小さい頃はよく一緒に遊びに来てたんです。冬子さんとはその時知り合って、時々遊んでもらってたんです」

「……しばらくこっちには来てなかったので、冬子さんが亡くなったって最近知って、凄く驚いて……」


サトコも並んで口裏を合わせる。これが二人で事前に話し合っておいた、『三崎冬子について調べている理由』だった。


「無理は承知でお願いに来たんです。せめてお墓参りだけでもしたいんですけど場所がわからないし……ホント小さい時のことなんで、冬子さんがどこに住んでたかもわかんないんですよ」

「それで、できれば生前のことも教えてもらえれば、って……ほんと、できればで良いんですけど」


二人の話を交互に聞いて、成る程、と内藤看護婦は頷いた。どうやら信じてくれたらしい。


「……三崎さんは生まれつき身体が弱くて、よくこの病院に通っていました。最後は――詳しくは言えないけれど、重い病気を患って、この病院で息を引き取ったの」


よく覚えてるわ、と寂しそうに内藤は笑う。


「でも、私よりももっと三崎さんの事を知ってる人が居ますから。今から案内しますね」


そう言って彼女が二人を案内したのは、入院病棟内のある個室だった。

――ラッキーだった、と黎也は思う。この中にいるのが“二人目”だ。粘った甲斐あってコンタクトが叶った人物。不謹慎だが、今日入院してくれていて本当に良かった。


「広崎さーん、入りますよー」

「はぁい」


コンコン、と軽くノックをすれば穏やかないらえがある。

部屋の中にいたのは年老いた女性だった。広崎と呼ばれた彼女はベッドの上で上半身を起こし、肩に薄いガウンを羽織っている。髪はその殆どが白色だが、浮かんだ笑顔はどこか上品な雰囲気を持っていた。


「――広崎さんは、三崎さんと同室だったんです」

「ああ、冬子ちゃん」


広崎は懐かしむように、そして少しだけ切なげに笑った。冬子と同室だった――即ち、持病で入退院を繰り返しているらしいこの女性こそが、三崎冬子の最後の時を共に過ごした人間なのである。


(――やっと見つけた、本物の“トーコ”への繋がり)


黎也達が早速事情を説明すると、広崎は快く頷いてくれた。


「冬子ちゃんはね、優しい子でしたよ―――」


それから暫くサトコは黎也と共に、ベッドサイドの椅子に腰掛けて広崎の話を聞いた。内藤看護婦も傍に控えた状態で、時折口を挟む。彼女達の口から語られたのはどれも他愛のない思い出話だったが、二人は真剣に耳を傾けた。


「物静かな子だったわ。私とはよく喋ってくれたけれど、本を読むのが好きで――」





――そして黎也とサトコは、彼女達の会話の中で一つの鍵を掬い上げるのである。





「そういえば、あの本はどうなったのかしら」

「ああ、あれはねぇ――」

「“あれ”って何ですか?」


口を挟んだサトコに、広崎は事も無げにその正体を明かした。


「本、よ。童話の本」

「童話?」

「えぇ。冬子ちゃん、童話作家になるのが夢だったんですって。もしくは児童向けの小説家。もう諦めたけど、って笑っていましたよ。でも――」

「でも、書いてたわ。ベッドの上でずっと」


すっと黎也が目を細めた気配がサトコまで伝わる。どきん、と鼓動が一つ跳ねた。……もしかして。


「あの……冬子さんはその童話の原稿を、手書きで?」

「いいえ? 病院に持ち込んでたワープロみたいな、パソコンみたいな……ええと、何ていうんだったかしら……教えてもらったのだけれど」


考え込む広崎を真っ直ぐ見つめて黎也が問う。その声は確信に満ちていた。


「……ラップトップ?」

「ああ、そうだわ、ラップトップ。嫌ねぇ、この歳になると物忘れが酷くて……」


嗚呼、とサトコは息を吐く。

一つだけわかった。三崎冬子があのラップトップを、どれだけ大切にしていたか。

あれは冬子の夢を生み出すツールだ。≪神様≫が宿っていようとなかろうと、彼女がそれを手放す事などほとんどなかったのだろう。


(それじゃあ、ラップトップをおじさんに預けたのはどうして……?)


サトコと同じことを黎也も考えているらしい。ああ、変だな。内藤と広崎には聞こえないように呟いたのは、レイと会話しているからだろう。


「そのラップトップでね、毎日書いてたのよ。完成したらプリントアウトして、ちゃんとした本にするんだって言ってたわ。でもねえ……」


この病棟へ入った冬子は、一度病状が安定した際に仮退院をしている。それまで熱心に執筆していたその“童話”は冬子が再入院した時、彼女の手の中から消え失せていたのだという。

ラップトップ本体も、製本された完成品も、冬子は持っていなかった。


「私、聞いたんですけどねぇ」


広崎が笑う。彼女の細い白髪が、首の角度に合わせてふわりと揺れた。


「隠して来た、って言うのよ」

「隠す――?」

「えぇ。完成したから、もう良いって。いつか読むべき相手が読んでくれるように、一番いい場所を見つけたから置いてきたって言うのよねぇ」


まぁ、と内藤が声を上げた。彼女にとっては初耳だったらしい。


「知らなかったわ。三崎さん、そんなことを?」

「えぇ。聡明な子だったけれど、あの時ばかりは言ってることがよくわからなくてねぇ」

「――あの!」


今度は黎也が口を挟む。


「どんな話なのか知りませんか、その童話」


黎也の真剣さに内藤と広崎は一瞬目を見開いた。しかしすぐに平常を取り戻し、困ったように笑う。


「聞いたことあるけど、詳しくは教えてもらえなかったの。でも――」


その瞬間、黎也は聞いた。鼓膜よりも深い所に響いたレイの声を。


「“神様”の出てくる話だって言ってたわ」


それは三崎冬子へ繋がる扉の、たった一つの小さな鍵。


『――――ビンゴだ、黎也』



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