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15.ラップトップの神様

いくつものグループに分かれた同級生達が皆、お喋りに花を咲かせる昼休み。ちょうど廊下ですれ違った黎也に今日も家に来るかと尋ねたが、返ってきたのは「悪い今日は行く所あるから」という言葉だった。

仕方ないよなぁ、とサトコは思う。黎也とて、いつもいつもサトコに付き合っていられるわけではないだろうから。


「……どこ行くんだろ、須賀君」


学校で毎日顔を合わせてはいるものの、ここ数日は面倒な課題や委員会――月に一度強制的に会議が行われる――が舞い込んだおかげで二人の活動は小休止状態である。黎也とレイだけが心の寄り所であるサトコにしてみれば、話だけでもしていたいのが本音だ。何の進展もなくても、一人でいるよりはずっと良いと思う。


「……帰ろ」


終業のチャイムと同時に立ち上がったサトコは、誰にともなく呟いた。教室を見回しても黎也の姿はなく、そっとため息を吐く。どうやら彼は六限の授業をサボって下校したようで、サトコには挨拶をする暇すら与えられなかった。

……何だか心細い。急に一人になってしまった気がして、サトコは慌てて頭を振る。


「じゃーね、サト」

「あ、うん。また明日」


麻由美が手を振りながら軽やかに教室を出ていった。彼女とは帰り道が真逆の方向なので、一緒に帰宅するという選択肢はない。


(……今日は久しぶりに《神様》とゆっくり話をしてみようかな)


のろのろと荷物をまとめながらサトコは考える。黎也ばかりに頼っていてはいけない。手のひらを握りしめて、何とか気持ちを奮い立たせた。











【“トーコ”が入室しました//××,02,19/18:00】


ログインと同時に表示された文字を見て、サトコはそっと嘆息する。もう何度この言葉を見ただろうか。目にする度に移り変わる日付は、着実に期日へと向かっていた。


【神様の発言】:こんばんは、トーコ


直ぐに《神様》からの言葉が浮かび上がる。返事を入力しながら窓の外を見れば、太陽はすっかり沈みきっていた。二月はまだ日が短い。


【神様の発言】:今日はどんな話をしようか

【トーコの発言】:そうだなぁ……とくに学校では何もなかったし

【神様の発言】:おや珍しい。今日は黎也と遊ばなかったんだね?


“黎也”の文字にサトコはどきりと身体を震わせた。それから彼とは今日ろくに言葉も交わせていないと思い出し、再び落胆してしまう。


【トーコの発言】:今日は……用事があるって

【神様の発言】:そうか。残念だね

【トーコの発言】:うん。ちょっと……


ちょっと、寂しい。

書いてしまってからサトコははっとした。エンターのキーを押す前にどうにか思いとどまって消去に成功する。


(何書いてるんだろ、私)


《神様》は聞き上手でとても聡い。サトコはいつも知らぬうちに心の中を全て吐き出してしまう。

黎也と行動をともにするようになってから、サトコは些細な相談事――宿題や母親との口喧嘩など――も黎也に話すようになった。けれど以前までならば、その対象は《神様》だったのだ。ラップトップの中で彼は、何でもサトコの言葉を聞いてくれた。


【神様の発言】:トーコ?

【トーコの発言】:まぁそれは良いや。今日は違う話をしよう?


代わりの文字を打ち込みながらサトコは思う。

今まで《神様》は(“約束”の件を除けば)、いつだってサトコを助けてくれた。いつだってサトコの味方だった。

――けれど今サトコが黎也と探しているのは、《神様》から逃げる方法なのだ。


【トーコの発言】:今日は私、神様の話が聞きたい


言いようのない気持ちに苛まれながらそれを隠して、サトコは一つ提案する。今日は《神様》に正面から向き合おう。帰宅する道すがら、決めていたことである。


【神様の発言】:私の?


三文字分のスペースに《神様》の僅かな驚きが滲んでいた。うん、と答えてサトコは強請ねだる。《神様》は何者なのか、一体いつからラップトップに住んでいるのか。どこか暗黙の了解めいたものを感じていて、一度も尋ねられなかった事柄だ。

正直素直に教えてもらえるとは思っていない。それでも、少しでもサトコは知っておきたかった。


(私たちの関係が、大きく変化してしまう前に)


【神様の発言】:……そうだね。何から話そうか。


――もう、残り時間も少ないことだしね。

書き込まれた文字を見て嗚呼、とサトコは目を閉じる。《神様》だってわかっているのだ。

二月の最終日、二人の何かが確実に終焉を迎えてしまうことを。





* * *





ちょうどその頃、黎也は単身ある場所に向かっていた。一人と言っても勿論レイがいるのだが。鏡がないので顔を見ることはできないが、周りに他人さえいなければ話し相手には事欠かない。

午後の授業をサボるという暴挙に出た黎也であるが(無論、レイにはこっぴどく叱られた)彼なりに思うところがあっての行動である。


『黎也。着いたよ』

「……、ん」


電車に揺られて眠りの縁にいた黎也を目的駅でレイが起こす。レイのお陰で黎也は生まれてこの方、寝過ごすという経験はしたことがない(わざわざ二度寝して学校に遅刻することはあるが)。

降り立った場所には先日も訪れていて、その時はサトコも一緒だった。彼女の叔父が暮らす町だ――ただし今日は、当のサトコには内緒で来ている。彼女の叔父に会いに来たわけでもない。


「さーて……行くかァ」


手にしたメモを頼りに黎也は歩き出した。クラスメイトから手渡されたそれには、一件の住所と電話番号が書かれている。






事の起こりは前日の夕方近く。ゲームのプレイ人数合わせとして呼び出された友人宅で、黎也はあるものを目にした。

それは申し訳程度に友人が持ち寄った課題の用紙で、黎也の手にもあった物――「自分を見つめる」のプリントである。床の上に無造作に広げられた、友人のそれ。


『なぁ、遼平! この場所って……』


黎也はそれを見た瞬間、テレビゲームのコントローラーを放り出して友人に詰め寄った。


『なに、黎也ココ知ってんの?』


遼平は同じように友人宅に集まっていた同級生の一人であったが、問題は彼の課題に記入された【出身地】欄の文字だ。それはサトコの叔父が暮らす――ミサキがいたはずの、あの町の名だったのである。


『へぇ、行ったことあるんだ? 俺が言うのもなんだけど、あんなショボい町に何でまた……何もなかったっしょ?』

『……実はちょっと人を捜してるんだ』


ラップトップの元持ち主・ミサキの件ですっかり行き詰まっていた黎也は、思い切ってその事を相談した。勿論サトコや《神様》の事は口にしていない。どうしても見つけたい人間がいる、という旨を遼平に伝えたのである。


『ふぅん? 事情は良くわかんねーけど、まぁわかった』

『それってわかってないよな』

『まぁまぁ。でもその人、あの町に住んでるんだろ? 名前さえわかればけっこー簡単に見つかると思うけど』

『……え、そうなの?』


目をぱちくりさせる黎也に対して、のんびりと遼平は笑ってみせる。


『小さい町だからさ、小学校も中学校も一つしかないんだ。さすがに高校まで行けば近隣の市とかにバラけるけど……義務教育時代はみんな一度は同じ場所を通過するわけ』


俺は中学受験してココに来たからちょっと違うけど、と遼平は言う。


『遼平も小学生まではあそこに住んでたんだ?』

『そうだよ。俺の代にはミサキなんて奴いなかったけど』

『あー、たぶん年上なんだ。大学生か、下手すりゃ今は社会人くらい』

『成る程ね。……そしたら俺の叔母さんに聞いてやろうか?』


遼平の申し出に黎也は首を傾げた。不思議そうな顔をする黎也を見て、にやりと遼平は自慢気な笑みを浮かべる。


『俺の叔母さん――あの町に住んでるんだけど、あの辺りの顔役でさ。けっこー長い間、中学の卒業生代表なんかやってるよ。同窓会用の名簿もマメに作ってるし』

『同窓会……? っ、そうか!』


その手があった、と黎也は瞠目した。

今の所在がわからなくたって、どこかに必ず足跡は残る。ミサキが遼平の言うとおりあの町で育った人物ならば、少なくとも義務教育の段階まではどこかに卒業生として名を残しているはずなのだ。

うまく行けば当時の住所や連絡先だってわかる。


『で、どうする? 黎也』


問われなくても答えは決まっていた。


『――頼んでいいかな』

『もちろん。黎也が頼み事って珍しいしなー』


これはひょっとするかもしれないね、黎也。脳裏に響いたレイの声に、黎也は力強く頷いたのだった。






* * *





かくして黎也は一人、再びこの町にやってきた。遼平の叔母は甥っ子からの連絡に快く応じ、同窓生の名簿を調べてくれたらしい。

ミサキ、と言う名の卒業生は数年に渡って何人か存在するらしく、遼平伝いにそれを聞いた黎也は直接名簿を見せてもらう約束を取り付けた。個人情報の保護が問題になっている現代では、そう簡単に公開してもらえない所だが――遼平の叔母は、甥の友人であることに免じて特別にそれを許してくれたのである。


「マジでラッキーだったよな。遼平がここの出身なんて」

『幸運すぎて怖いくらい。これで見つかると良いけど……』


本当にな、とレイの言葉に頷きつつ周囲に視線を巡らせる。電柱に貼られた番地のプレートを確認しながら、ゆっくり黎也は歩いていった。

一緒に行こうかという遼平の申し出は丁重に断っている。何としてでも一人で、少しでも多くの手掛かりを手に入れて帰らなければならない。


「何者なんだろう、“ミサキ”って。《神様》の正体も知ってるのかな」

『どうかなぁ』


黎也はまだ明るい空を仰いで思いを巡らせた。ミサキを見つけることができたなら、一番最初に尋ねることは決まっている。どうやって“約束”の結末からサトコを逃がすか、だ。


『ねぇ黎也、もし――……、――――』

「……ん? 今何つった?」


何か聞き取れなかった気がして黎也はふと足を止める。閑静な住宅街では他に邪魔する音もない。レイの言葉に耳を澄ませるが、しかし返ってきたのは『いや、何も?』という返事だけだった。


「……? 何かお前、」


何か小さな違和感を感じた黎也は、けれど結局その正体に気付くことはできなかった。突き詰めて考えるその前に、目的の場所に到着してしまったからである。


「……あ、ここかな?」


目の前に建っている家を黎也は慎重に眺めた。落ち着いた色味の壁や屋根は遼平から聞いていたものと一致する。きっとここが彼の叔母の家なのだろう。

黎也はゆっくり深呼吸をしながらインターホンに手を伸ばす。見知らぬ家のチャイムを鳴らすのは些か緊張した。


ぴんぽーん、と典型的な音が響いて直ぐに玄関のドアが開いた。相手の確認もしないなんて、と黎也は僅かに驚く。密接な人付き合いを慣習とする田舎ならではといったところか。


「いらっしゃい。須賀君ね? 待ってましたよ」


黎也を迎え入れたのはふくよかな年輩の女性で、彼女こそが遼平の叔母その人であった。

遼平から話は聞いてるわと優しく微笑み、リビングでお茶と菓子を振る舞ってくれる。


「あ、あの、今日はありがとうございました」


かしこまって礼を述べる黎也をレイが笑う。らしくないことは自分でもわかっていたので、黎也は心を無にして恥ずかしさをやり過ごした。


「良いの良いの、こっちこそわざわざ来てもらっちゃってごめんなさいね。郵送とかしてあげられれば良かったんだけど、流石に個人の連絡先だから迂闊にそういうことはできなくって」

「いえ、当然です――それに、俺も急いで知りたかったんで」


そう? と目を細めた彼女は一つ頷くと、早速黎也に一枚の紙を手渡した。そこに並んでいたのはいくつかの名前で、どうやら候補に当たる人物をリストアップしたものらしい。


「どう? この中にいるかしら、探してる人」


黎也は黒くプリントされた文字に素早く目を走らせた。遼平を通して知らせてあった探し人の特徴は、ミサキという名であること、女性であること、年齢は少なくとも現在二十歳以上であることの三点である。



 山本 美咲

 田村 みさき

 新藤 美咲

 久保田 岬

 中川 美沙妃



書かれていた五人分の名前の横には卒業年を示す数字もあった。その下には次点として、「ミサ」という名を持つ女性も何人か挙げられている。


「――レイ、わかるか」


正直黎也にはどの名前もピンとこなかった。最終手段として相棒に向け、周りには聞こえないほどの小声で囁く。こういう時、レイの勘はかなりの精度を発揮するからだ。


『何か……どの人も違う気がする』


レイの回答に黎也は嘆息した。こうなればリストの人物に片っ端から連絡を取るしかないかもしれない。


「見つからない?」

「えっと……俺もはっきり名前を知ってるわけじゃないんで……これで全員ですよね?」


諦め半分で尋ねた黎也はしかし、予想外の返事を受け取ることになる。


「あと一人、いないこともないんだけど」

「え、」


いるんですか!?

身を乗り出しかけた黎也に遼平の叔母は苦笑して、でもね、と続けた。


「この人の場合、名前じゃなくて苗字が“ミサキ”なのよ。それに――……」


言いながら差し出された紙に並ぶ文字を見て、瞬間黎也は愕然とした。

――“こっち”だったのか。

見つけた、とレイが呟いたのが聞こえて黎也も同じ事を思う。やっと見つけた。自分たちは本当は最初から、答えに近いものを知っていたのだ。

けれど次の瞬間、束の間の感動を根こそぎ奪うような言葉が黎也の耳に飛び込んだ。


「それに彼女、三年くらい前に亡くなってるのよね」




 ―― 三崎冬子みさき とうこ




ようやく辿り着いたその名の持ち主はもう、この世にはいない。






* * *






【トーコの発言】:ねぇ、神様は人間ではないんでしょ?

【神様の発言】:そうだろうね。私自身、自分が何者なのかはっきり言うことなんかできないけれど


サトコの願いを聞き届けてくれたらしい、今日の《神様》は饒舌だった。すんなり答えてくれる彼を不思議に思いながらも、サトコは質問を打ち込んでゆく。


【トーコの発言】:じゃあやっぱり「神様」なの?

【神様の発言】:そうだね……違うんじゃ、ないだろうか。

【トーコの発言】:違うの?


ここまではっきりとした返答を《神様》が寄越したのは初めてのことである。驚くサトコの目の前に、《神様》の言葉が続けざまに現れた。


【神様の発言】:トーコ。君が「神様」と呼んだから、私は「神様」なんだよ。でも、

【神様の発言】:でも本当は、違う

【神様の発言】:神なんて高尚なものではなくて、むしろ正反対の存在

【神様の発言】:魑魅魍魎に、近いかもしれない


魑魅魍魎。画面に浮かんだ奇怪な漢字にサトコは目を白黒させた。……読めない。中学生の中でも中の下程度の漢字能力しか持たないサトコには意味のわからない文字であった。


【トーコの発言】:それ、何? どういう意味?

【神様の発言】:はっきり言葉にするのは難しい。でも、そうだね。幽鬼の類だよ


幽鬼。その文字を見てもサトコには、はっきり理解することはできなかった。見覚えのある漢字と脳内の映像を一致させて、ついには首を傾げてしまう。


(――――幽鬼。……鬼。おに、?)





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