13.ラップトップの神様
「ミサキさん?」
“トーコ”ではないのかと、黎也もサトコも僅かに落胆した。当てが外れたかも知れない。心の中で思いつつも、二人は聡に話の続きをねだる。
「ミサキさんはお客さんでね。おじさんの店、知ってるだろう?」
問われてサトコは頷いた。聡は小さな会社に勤務するサラリーマンだが、副業として古本屋を経営している。もとは父親――つまりはサトコの祖父にあたる人だ――の持ち物であったが、亡くなると同時に聡が引き継いだ。半ば趣味のようなもので営業自体ものんびりした、ささやかな店である。
「あの本屋さんの?」
「そう。何年か前は良く来てたよ。大学生くらいの、華奢な女の子だったなぁ」
聡は懐かしむように目を細めた。唯一ミサキ、という名前だけを名乗った彼女は、いつも一人で店に来ていたらしい。ふらりと立ち寄るだけの日もあれば、長いこと立ち読みしていく日もあった。客の入りなどさして期待していない店構えであったので、聡がそれを咎めたことは一度もない。
「昼過ぎから夕方にかけて来ることが多かった。店が空いてる日はだいたい顔を見たかな」
聡の本屋は週休四日とかなり適当で、営業は水、土、日曜日のみである。ミサキは頻繁に来店し、三日間全てに顔を見せる週もあった。こんな小さな店に入り浸るなど、彼女くらいの年齢では珍しいことだ。聡はいつも不思議に思いながらミサキを眺めていた。
しかしそれは、ある日を境にぱったりと途切れることになる。
「……その人が、ラップトップを?」
「ああ。今でも何でおじさんだったのかわからないんだけどね」
突然、預かってほしいと言われたんだ。困ったように笑いながら聡は言う。
数年前のその日やって来たミサキは、細い両腕で抱えるようにしてラップトップを持っていた。
「大切な物だから、って。貴方にしか頼めないって言われたもんだから、驚いた」
聞けば、ミサキは人付き合いというものをほとんどしない人物であったらしい。聡とて顔見知り程度、言葉を交わしたことなど数度しかなかったが――それでもミサキは、聡を選んだ。
「大切な物だってわりには妙でね。3ヶ月預かって、その後もし誰も取りに来なければ貴方にあげますって言うんだ」
それっきりミサキは姿を見せず、結局ラップトップは聡がもらい受ける形になったのだという。もしかしたら、取りに来るかもしれない。捨てるわけにも行かず店の奥にしまってあったが、そのまま忘れてしまっていた。
聡がその存在を思い出したのはサトコの誕生日だ。弟――サトコの父親だ――に、娘がパソコンを欲しがっているという話を聞いて。
「で、サトちゃんに」
「そうなんだ……」
「それにしても、何で今になってそんな事を聞くの?」
何かあったのかい? 問われてサトコは口ごもる。叔父に何と説明するか、すっかり考え忘れていたのだ。正直な理由など話せるはずはない。
「え、えっと……その……」
「……ラップトップの中に、ファイルが残ってて」
そこで今まで沈黙を貫いていた黎也が初めて口を開いた。サトコはきょとんと隣を見る
「パスワードがかけられていて、開けないんです。きっと前の持ち主が残してたんだと思います」
黎也の口から飛び出したのは真っ赤な嘘であったが、サトコは慌てて話を合わせた。
「そ、そうなの。それで、ちょっと気になって」
「大切なデータなら持ち主に返してあげなきゃいけないかもしれないし」
平然と嘘を吐く黎也を横目で見ながらサトコは感心した。言い訳を事前に考えていたのか今思いついたのかはわからないが、どちらにせよたいしたもである。向こうにはレイもついているから、頭の回転は二倍ということか。
「なーるほどね。探偵みたいだなぁ」
子供特有の好奇心、ということで聡は納得したらしい。それから彼は申し訳なさそうに、でも、と言葉を続けた。
「残念だけど、おじさんが知ってるのはここまでなんだ。ミサキさんとはそれ以来会ってないし、住所なんかもわからない。今どうしているのかも」
「そう……ですか」
呟いた黎也の声には隠しきれない悔しさが滲み出していた。サトコも同様の思いを押し隠す。あからさまに落ち込んでは、聡が訝しむだろうから。
その後はいくつか他愛もない話をして、日が落ちる前に二人は暇することにした。この辺りは人通りも少なく、街灯などもあまり設置されていない。暗くなる前に帰った方がいい、と聡が勧めたのだ。
「向こうに山が見えるだろ? あそこは昔から、鬼が出るって有名なんだよ」
「ええ? なんですか、それ」
帰り際、二人を見送りながら聡は冗談めかしてそんな話をした。子供たちが寄り道をしないようにやんわりと釘を刺したのだろう。聡の気遣いがわかって、サトコも黎也も素直に笑った。
「黄昏時、という言葉を知ってる? 日の暮れる時間になると、夕日に照らされて人の顔の見分けがつかなくなる。その人が誰だかわからないから、誰そ彼、ってね。その中に鬼が紛れていて、人を攫ってしまうという話だよ」
誰そ彼、黄昏。
言葉遊びのようなそれは、サトコも聞いたことがあった。聡が言うと何だか不思議な気持ちになる。
黎也と二人、行儀良く頭を下げて聡の家を出た。またおいで、という言葉に頷いて。
* * *
それじゃあ、賭けをしよう。
四年後までに、君が「 」を見つけられるかどうか。
もしも見つからなかった時は―――――。
『 いいわ。連れて行って 』
本当に後悔しないのかい?
『 だって、どうせこの世はつまらない 』
――わかった。約束だよ、トーコ。
ぱちんと音がするほど勢いよく目を開けた。いつの間にか眠り込んでしまっていたらしい。見慣れた自室にいながらベッドの上ではなく、机に突っ伏すように寝ていたらしい自分に気付いてサトコは小さく笑う。
確か、帰宅後すぐにラップトップを開いて《神様》と話をした。サトコは《神様》に嘘を吐かない。吐けない、という気が何故だかしている。だからちゃんと叔父の家を訪ねたことを報告したはずだ――その目的は、話すわけにはいかなかったけれど。
その後いつの間にか眠ってしまったのだろう。慣れない外出と緊張で、思いのほか疲れていたらしい。
変な姿勢をとっていたせいか首は痛むし、腕もじんじんと痺れていた。時計を確認すれば、時刻は午前三時を回ったところである。暗闇の中で、電源を落とし忘れたラップトップだけがぼうっと発光していた。
(……何だか、変な夢を見たような気がする)
布団の中に潜り込みながらサトコは考える。寝ぼけているせいか、いまいち不明瞭な頭ではもうその内容を思い出すことはできなかった。
何だかとても大切なことを、知りかけていたような気がするのに。